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まず初めに思ったのは、避けられているのではないかという不安。
徐々に彼に近づく度にその不安は募った。
いくらこちらに手を振り返せなくとも、メリルさんがあんなに大きな声を出したのだ。私がいた事は絶対に気付いているだろう。なのに、彼はすぐにこちらに来てはくれなかった。
何かしただろうかという心配は塵の一つも見当たらない。だってずっと離れていたのだから。
彼の考えている事が分からなくて指先が冷える。でもやっぱり彼に会える喜びの方が優った。
早く、彼の声が聞きたい。
大分距離を詰めたのに彼はこちらに背を向けているせいか気付かない。黙々と作業に没頭している。
私は早鐘を打つ心臓を抑えながら勇気を出して言った。
「カイン、さん」
その瞬間、彼の動きが止まる。
そしてゆっくりとこちらを見た。
「……あ」
私に気付いて彼から小さな声が漏れ出た。
「…何故、こちらに来てくださらないのですか?」
しまった。まず最初に労う言葉を言うつもりだったのに。私が思っていた反応とは違った事に動揺してしまった。
「…いや、違うんだ、じゃない…ち、違うのです。
俺は…わ、私は決して避けていた訳ではなく」
驚きだ。私以上に彼の方が動揺している。
「どうされたのですか?」
今まで見た事のない姿に思わず一歩踏み出すと、その分彼が一歩下がった。
「…やはり避けているではないですか」
「い、いやこれは…」
さすがにこれは傷付いてしまう。
私一体何をしてしまったのだろうと涙目になっていると、彼と初めて会った時のあの臭いが鼻を掠めた。
「…もしかして、また私が倒れてしまうのではないかと思われたのですか?」
よく見れば彼はあの時と同じ様に体が青い血に染まっていた。
そういえばすっかり忘れていた。私はこの姿を見て卒倒してしまったのだ。
今思えば本当に失礼だ。彼らが体を張って国を守ってくれた証だと言うのに。
メリルさん、シャーロットさん、エミリーさん本当にありがとう。おかげで私は堂々と彼の前に立つ事が出来る。
「ごめんなさい…あの時の私は本当に無知でした。
どうか気になさらないで。今の私には、あなたの姿は誇り以外の何物でもないですから」
そう言った瞬間、彼が驚いた様に目を見開いた。
「…本当に、大丈夫ですか?」
「ええ」
彼は本当に人を気遣うのが上手だ。
だけど私がそれ以上に彼の事を考えてあげればいいだけ。
「…すみません。剣士は接近戦が多いのでどうしても回避のしようがなく、またあなたを怖がらせてしまうのではないかと思って。でもあなたに早く会いたくて、こんな所で怖気付いていました」
「ふふ…本当に優しい人ですね」
一緒に微笑みあう。
彼がそっと近付いてきて、私の頬に触れた。
大きくてささくれ立ったこの手、愛おしい。
「オリヴィア嬢」
「どうかまたオリヴィアと呼んで。
そしてあなたの自身の言葉で、言って」
彼の指が私の瞼を優しく撫でた。
頭がぼうっとしてしまう様な甘い笑顔で、彼は言う。
「オリヴィア、愛してる。俺と結婚してくれ」
その言葉が届いた瞬間、私の体が熱くなって溶けてしまいそうになった。
思わず潤んでしまった瞳を何とか堪え、私は答える。
「勿論よ。私もあなたを愛してる」
彼の手がゆっくりと私の後頭部へと移動する。
そしてそっと顔同士が近付いた瞬間、人々の笑い声が耳に届いた。お互いはたと我にかえる。
そうだ、ここは少し外れていると言えど公然の場なのだ。
照れ隠しか、彼がこほんと咳払いをして私からそっと離れる。せっかくのチャンスだったのに。
ふと辺りを見回すと私達がいる反対側の所に春に花を咲かせる大木を見つけた。その時、私はある妙案を思いついてしまう。
私はその大木に向かって指を鳴らす。
その瞬間、人々がざわついた。
「うお!?なんだなんだ!」
「急に花が咲いたぞ!?」
「誰かの魔法か?」
みんな突然花を咲かせた大木に釘付けになる。
私はその間に精一杯背伸びをして、どういう事だ?と呟く彼の顔をこちらに向けてチュッと口付けた。
彼のこのぽかんとした表情、好きだわ。
「私が唯一出来る魔法です。
今まで必要のないものだと思ってたけど、初めて役に立ちました」
そう告げると、彼が声を出して笑った。
「はは…本当、最高の魔法だ」
今度は彼から私に口付ける。
人々が狂い咲きした大木に歓声を上げている間、私達はしばし二人の世界に没頭した。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
番外編として、メリル、シャーロット、エミリー、それぞれ夫婦の馴れ初めをアップしていく予定です。