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「オリヴィア」
「お父様」
いつもの様に教会へお祈りに行こうとしていたら、お父様に声を掛けられた。どうやらお勤めはお休みらしい。
「今日も行ってくるのかい?」
「はい」
彼が出発して早一週間が過ぎた。
今の所、何か大きな事故があったとは聞いていない。
私はあれから毎日教会へ行っていた。あの三人以外の方達とも仲良くなり、すっかり私の支えになっている。
今日は遅刻しそうだったので私は早々にお父様に礼をし、エントランスへ向かう。しかし、再び名前を呼ばれた。
「その…辛くはないかい?」
振り返ると、お父様の表情はとても苦しそうだった。
「…なぜ、そんな事を言うのですか?」
お父様の言葉の真意が分からなくて、思わず眉を顰める。
次に出てくる言葉が彼を諦めるよう言われそうで、嫌悪感を抱いた。
お父様はあんなに彼を信用していた筈なのに。
「お父様が、あの人を私の婚約者にしようとなさったのでは?」
返事が返ってこなくて、重ねてお父様に問う。
こんな風に責める様な物言いをしたのは初めてかもしれない。
「…少し、話をしようか」
ふつふつと湧き上がる何かを、息を吐いて宥める。
これはちゃんと聞かなければならない、そう思った私はしっかりとお父様と向き合った。
「彼と出会ったのは、予算会議で剣士の育成費を今後縮小して行き、いずれ廃止にしようかという話が上がったのがきっかけでね」
突然始まった彼との出会いの話に体がびくりと反応する。
そうだ、ずっと気になっていた。お父様が彼を推す理由とは何だろう。そして突然それを覆そうとしている理由って何だろう。
私はお父様の言葉に耳を澄ます。
「すると、彼が隊長の座を降りてでも抗議すると乗り込んできたんだ。国にとって大事な人材な上に、第三部隊は彼を慕う者が多く在籍していて、退いて貰う訳にはいかない。その話はすぐに保留になった」
「すごい…宰相相手に、抗議されたのですか?」
王族には属さないものの、国王様の右腕となる人達が集まっているのだ。
彼にとって剣士というものは、立場を投げ打ってまで、大切にしたい誇り高いものなんだ。
「君は、彼が魔法を使えないことは知っているかな?」
「…いえ、知りませんでした」
原則として魔法の力は誰にでもある。
勿論私にもその力は備わっているが、日常生活を豊かにする程の魔力ではない。
その力と魔法を扱う才能は、個人差があるのだ。
エミリーさんの旦那様の様に、大魔道士と呼ばれる人も居れば、全く使えないという人も勿論いるのだ。まさか彼がとは思わなかったが。
「だからだろうね。自分と同じような境遇の者達に、道を断つような事をしないで欲しいと言われてね。
あまり騎士団の方達と関わる事がないから、乗り込んで来た時点で、血の気の多い男なんだろうと思っていた。
けれど至極真っ当な理由を聞かされて、私は反省したよ。
さらに彼の熱望で、剣士の訓練所を見学させて貰ったんだ。
魔法は使えないけれど、この国を守りたいと思っている彼らの想いを、肌で感じれた。
あの子も、誇らしく熱弁してくれてね。
まだ廃止の話は完全には無くなってはいないけど、今後も私は剣士達を守っていくつもりだよ」
私はほっと胸を撫で下ろした。
ぜひ彼等の想いを無駄にしないで欲しいと、切に願う。
「それから顔を合わす度に、挨拶してくれるようになってね。
と、言ってもそんなに遭遇することもないんだが、例え遠くに居ても、わざわざ走って来てくれるんだよ。
そんなの見せられたら、好感を持ってしまうに決まっているだろう?」
「…あの人らしい」
義理堅い、彼らしい行動に思わず笑みが溢れる。
どれだけ人たらしな人なのだ。
「私はすっかりその誠実さに惹かれた。
彼ならば君を幸せにしてくれるんじゃないかって、確信した。幸いにも独身だったし、彼のご両親も喜んで受けてくれてね。
しかも私の予想通り、彼と出会ってから君は少しずつだけど変わっていっている。こうして自分で考えて、行動する様になっていて、本当に嬉しい。本当に、嬉しいのだけれど…」
突然お父様の声のトーンが沈んだ。
「けれど、毎日彼の無事を祈りに行く君を見ていると本当にこれで良いのだろうかと思ってしまった。
考えが甘かったんだ。彼が絶対に君の運命の相手だと舞い上がって、騎士の妻になるという事の苦悩を考えていなかった。マリアの言う通りだった。
私はだめな父親だよ…」
そう言って、お父様は肩を落とす。
「君は小さく産まれて何とか生き延びてくれたけど、幼い時は何度も熱を出して、私達はいつ君を失うんじゃないかと気が気でなかった。
風邪をひかない様になるべく外に出さない様にして大切に大切に、君を守っているつもりだった。
けれど、それは君の世界を狭めてしまったんだ。
母上にも言われていたし、チャーリーにも叱られたよ。このままじゃ、オリヴィアが何も出来ない人間になってしまう、とね」
私は早産で生まれ、一時生死を彷徨ったらしい。その後もしょっちゅう寝込むため、両親は相当苦労した様だ。
チャーリーとは、私と十歳離れている兄である。5年程前に結婚して屋敷を出た。同じ街に住んでいていずれここに帰ってくるのだが、義姉と甥は来てくれるのに対し兄はあまり屋敷に訪れなかった。元々我関せずだったし、特に干渉しない人だと思っていたので、まさか私の将来を憂いてくれていたとは思わなかった。
「お兄様までとは知りませんでした…。
お祖母様は、よく私に言っていました。
もっと広い世界を見なさい、と」
「…そうだね。私も、家に篭りがちな君を見てこのままでいいのだろうかと思っていた。
でもどうしても、君の事となると私達は過保護になってしまうんだ」
今までずっと、両親に守られて来た。
何を考えるのも、何をするのかも、全て二人に聞いてその通りにしてきた。
そのおかげで間違った道を歩む事はなかったけれど、私の世界はこの屋敷しかなくて、親しい友人も作れなかった。
そして今、私の世界が広がろうとしている。
初めて市場に行ったり、騎士の世界を知ったり、友人が出来たり。
全部、彼に出会えたから得れたもの。
『絶対にいるわ。あなたが諦めなければ、ね』
お祖母様の言う通りだった。
私を広い世界に連れ出してくれる人が、本当にいたのだ。
だから、諦めちゃいけない。
「…私、そんなに辛そうに見えますか?」
「え?」
そうじゃないのか?というお父様の顔に、笑いそうになる。
「すごく心配してくださってるのですね。
でも私、一人じゃないんです。
お父様。私ね、一人じゃないの」
大事な事だから、2回言う。
どうか安心して、お父様。
「確かにあの人を待つのは怖いし、不安です。だから彼の無事を祈らずにはいられません。
夫婦になれば、ずっとそれに悩まされるでしょう。
でも私、彼を信じているのです。信じられる様になったのです。
そんな風に思える様になったのも、教会で同じ想いを抱える人達に出会えたおかげ。
物凄く勇気を貰ったし、色々な事を教えて貰えたのです」
お父様の目が、驚きで見開かれている。
それが次第に優しくなり、そっと微笑んだ。
「…強く、なったんだね」
「私なんか…まだまだです。
ようやくスタートラインに立てました」
「そうか…そうだね。ごめんよ、オリヴィア」
お父様がそう言って俯く。
一瞬涙ぐんでおられる様に、見えた。
「君が彼を信じる様に、私も君を信じなくてはいけないね」
「…はい。
今まで、私を守ってくれてありがとうございました」
そう言って頭を下げると、“もう嫁に行くみたいだからやめてくれ”と、困った様にお父様が笑った。
「オリヴィア!遅いじゃない!」
教会に着くなり、焦った様子のメリルさんに声をかけられる。
どうやら礼拝には間に合わなかった様だ。
「間に合わなくてごめんなさい、お父様と話していたら長引いてしまって」
「そんな事より!帰ってくるんですって!」
「…え?」
誰が?なんていう不躾な質問はよそう。
「いつ、ですか?」
思わず手が震える。
「明日ですって!思ったよりも早くて、私達も驚きよ!」
そう言って、メリルさんが私の手を引く。
周りを見ると、確かにみんな浮き足立っていた。
そしていつもの4人で集まると、言葉を交わさない内にみんなで肩を抱く。
どうやらいくつかの交戦はあったものの、今回も死亡者はなく作戦は無事終えた様だ。
本当によかった。この言葉に尽きる。
彼が帰ってくる。彼に会える。
すっかり浮かれてしまった私は、その夜なかなか寝付けなかった。
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翌日。あまり眠れなかったはずなのに、やけに冴えている目と頭で、彼らを見送った場所へ向かう。
到着すると、前回と同じく整列する空間を囲う様に、人々が集まっていた。でもまだ人はまばらで、3人に教えて貰った通り早めに来て正解だった。
「オリヴィアさん!こっちです!」
シャーロットさんの声がした。
慌てて周りを見渡すと、手をひらひらと振ってくれている彼女、そしてその隣にはメリルさんとエミリーさんもいた。
思わず嬉しくなって、駆け足気味に彼女達の元へ向かう。
「皆様、ご機嫌よう!」
私が挨拶すると、3人も笑顔で私を迎えてくれた。
「言われた通り、早く来てよかったです」
「そうでしょ!今の内にいい場所とっておきましょ!」
そう言って私達は最前列に並ぶ。
ほう、と息を吐くと、白く染まっていた。
冬に近づいている為、朝はすっかり冷え込む様になった。
「人がまばらなせいで寒いですわね」
そう言うと、シャーロットさんがエミリーさんの腕に手を絡めてぎゅっと体を縮こまらせた。
「あ、いいわねそれ。私も」
そしてメリルさんも同じように、エミリーさんの腕にしがみつくと、私を手招いた。
「ほら、あなたも。体が冷えてしまうわ」
そう言われて、何故かわくわくしながら私もそっと近付き、メリルさんの腕にぎゅっとしがみついた。
身体もだけど、なんだか心が温かい。
「真ん中の人達ずるいですわ」
「あ、バレちゃった?とっても暖かいわよ」
そうして4人でぎゅうぎゅうとしながら、時に自分達の状態にくすくす笑いながら、その時を待つ。
やがて人が集まり出し、恐らく帰還すると思われる時間帯が近付いた頃だった。
「帰ってきたぞ!」
誰かがそう叫ぶ。
人混みのせいで彼らのことは目視出来なかったが、一気に歓声が上がり始め、それが真実なのだと確信する。
「メリルさん!」
「…帰ってきたみたい、ね」
横にいるメリルさんに興奮気味に声をかけると、いつも明るい彼女が、感慨深そうに呟いた。
口ではああ言っていたが、やっぱり不安なものは不安なのだろう。
かく言う私だってそうだ。
早く彼の顔が見たい。お疲れ様、お帰りなさいと言いたい気持ちが一気に湧き上がった。
やがて彼らが姿を見せ始める。
出発した時に比べて、ぼろぼろな姿。
しかしその表情は誇らしげで、達成感に満ち溢れていていた。
「あれ第三部隊じゃない!?あなたー!お帰りなさい!!」
「メリルはしたない!」
メリルさんを嗜めるシャーロットさんの声を聞きながら、私も懸命につま先立ちして第三部隊の列を探す。
すると、赤い髪の男の人が満面の笑みでこちらに手を振っており、その横で背の高い金髪の男の人がこちらと同じ様にその人を嗜めていた。
その瞬間分かった。あの赤い髪の人がメリルさんの旦那さんで、背の高い人がシャーロットさんの旦那さんだ。
夫婦揃って似た物同士なんだと思わず笑みが溢れる。
しかし、その笑みはすぐに消えた。彼を見つけたのだ。
本来この隊列の間は手をふり返すのはいけないみたいだ。メリルさんの旦那さん以外真っ直ぐ前を向いて、隊列を乱さない様歩いていた。
残念ながら目を合わす事は出来なかったけれど、一目見た瞬間に心臓がばくばくと高鳴った。
私はこの時、自分が思ったよりも彼の事を慕っている事を知った。