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「教会へ行きたい?」
彼が出発して翌日。
私はお母様の元へ行き、教会へお祈りにいく許可を貰いに来た。
「こないだ行ったばかりじゃない。
別に良いけれど」
そう言いながらお母様が出かける準備をしようとしたので、慌てて止める。
「その、私一人で行って来てもいいかしら…」
お母様が目を丸くする。
と同時に、呆れた様にため息を吐いた。
「彼の無事を祈りに行くのね」
図星を突かれ、思わず俯く。
「いつも月に一度しか行かないくせに、こういう時だけ頻繁にお祈りするなんて、都合の良い信者だと思われないかしら。
…まあ私に止める権利はないですし、行って来なさい。
但し、メイドを付けるのですよ」
お母様は、彼の事が絡むと厳しくなる。
昨日は私があまりに落ち込んでいたからお膳立てしてくれた様だが、やはり気に食わないのは変わらないらしい。
きっと複雑な胸中にも関わらず許して下さったお母様に頭を下げて、退室した。
「お嬢様、準備はよろしいですか?」
「ええ、ごめんなさいね。リズ」
「いいえ、お気になさらず」
昨日ハンスと交わした様なやり取りをし、本日はメイドのリズにお世話になる。
割と歳も近く、一番話しやすい子だ。
教会まではそんなに遠くない。
リズと一言二言交わしている内に到着した。
扉を開けると神聖な音楽と共に、丁度シスター達が歌を歌っていた。それが終われば恐らく神父様によるお話があるだろう。午前、午後と一回ずつ行われていて、どうやら間に合った様だ。
私達はそっと後ろ側の席に座る。
辺りを見回すと、女性ばかりだった。
膝の上で両手を結ぶ。
シスター達の素敵な歌声の中、私は彼の無事を願う。ふつふつと湧く底知れぬ不安からか知らない内に手を強く握っていて、気づいた時には神父様のお話が始まっていた。
「昨日大規模なご加護の修正により、討伐隊に属するほとんどの騎士が出発したと聞きました。
彼等が無事に帰って来れる様これから数日間、一緒に祈りましょう」
ああ、そうかと合点がいった。ここに来ている女性は討伐隊と何らかの関係がある、私と同じ様な境遇の方達なのだ。
そして神父様の号令と共に、全員そっと目を閉じ祈り始めた。
しかし私と違ってそこには怯え、必死さはなく、むしろ美しくて私は思わず魅入ってしまう。
リズに小さく声をかけられて、慌てて手を組んだのだった。
「あの」
礼拝が終わり教会を出ようとしていたら、一人の女性に話しかけられた。思わず体が固まる。
「ご、ごめんなさい。そんなに緊張なさらないで」
またやってしまった。
彼と素直に話せる様になって成長したと思っていたのに、そんな事はなかった。
やっぱり初対面の方に突然話し掛けられると動けなくなってしまうらしい。
いつもこんな風に身構えてしまうせいで折角話しかけられてもまともに会話出来ずに、今までそそくさと去られてきた。
お母様がいれば会話を繋いでくれるのに、今日は私一人だ。
早く答えないと、また同じ事になってしまう。
焦っているのに言葉が出ず一人であわあわしていていると、その女性が優しく微笑んだ。
「間違っていたらごめんなさい。
あなたもしかして…カイン隊長の婚約者様ですか?」
「えっ」
「シャーロット!ここにいたのね。
もう、探したのよ…って!あなた!カイン隊長と手を握ってた人!!」
「えっえっ」
話しかけてきた女性の後ろから更に別の女性も現れて、すっかりパニックになる。
「私、あなたと話したかったの!
シャーロット!良いわよね?」
「メリル、落ち着いて。
私もそうするつもりで声を掛けたの。どうでしょう?」
「あ、あの…」
「ほらほら!行きましょう?」
そう言って半ば強引に、後から現れた明るい女性に背中を押される。
リズ助けて!と、目で訴えたが、何故か彼女は目を合わせてくれなかった。
あっという間に外に出ると、隣の芝生に案内される。
「あ!いたいた、エミリー!」
そう言って手を振るのでその先に視線を向けると、芝生に敷物を敷いて座っている女性がいた。にこにこと微笑みながらこちらに手を振り返している。
そのまま背中を押されてその敷物に座らされると、二人とも私に対峙する様に座った。
結果計三人の女性に、なぜか囲まれてしまう。
「それで!?カイン隊長とは、どういったご関係!?」
「メリル、まずは私達の素性を明らかにしないと。
あなたが無理やり連れて来たせいで、すっかり怯えてしまわれたわ。
ごめんなさいね。この子、かなり強引な所があるの」
そう言って、最初に声を掛けてきた恐らくシャーロットという女性が私を気遣ってくれる。
ちなみにリズは彼女達のメイドらしき人達と、少し離れた所で待機していた。
「私達、カイン隊長が率いる第三部隊に所属している騎士達の妻なのです。
私はシャーロット。さっきから騒がしいこの子はメリル。そして静かににこにこしているその子が、エミリーです」
目まぐるしい展開に、私は頷く事しか出来ない。
その後それぞれの旦那様の紹介もされたけれど、とりあえずこの三人の名前を覚えるのに精一杯で、あまり頭に入って来なかった。
「私達、礼拝が終わったらこうして集まってお菓子やお茶を楽しんでいるのです。
ほら、他にも同じ様な方々がいるでしょう?
みんな討伐隊を夫に持つ者です。特に決まりはないけれど、大体夫が同じ隊同士で集まる事が多いですね」
辺りを見回すと、確かにこの聖堂横の広い芝生に何組かそれぞれ敷物を敷いて女性達が談笑している。
「今回は長期だし、参加している騎士も多いから、しばらく賑やかになるわね」
お祭りかの様に楽しげなメリルさんの表情に呆気にとられる。
今現在、この人達の夫は生死を争う戦いをしているというのに。
「…驚きました?薄情な妻達だと」
「そんな、そこまでは」
「そこまでは、という事は少しは思ってらっしゃるのね」
そう、にやにやしながらメリルさんが言う。
しまったと思い咄嗟に謝ろうとしたが、三人は全く気にする様子もなく、それぞれの籠から何か出し始めた。
「大丈夫ですよ、私も最初はそう思っていましたから」
そう言いながら、シャーロットさんがクッキーを置く。
「安心してね。この集まりは、神父様が提案して下さったのよ」
そう言いながら、メリルさんが小さなカップケーキを置く。
エミリーさんは何も言わず安定の朗らかな表情で、銀紙に包まれたチョコレートらしき物を置いた。
「あら、みんな見事に違う物を持ってきたのね。
やったあ」
そしてメリルさんがクッキーを手に取り、一口齧る。
美味しい事がその表情から伝わった。
「そうですね。この集まりについて説明するには、あなたとカイン隊長との関係を明確にしなければ。
先程もお聞きしましたが、婚約者様という事でよろしいでしょうか?」
相変わらず呆気にとられている私に、シャーロットさんが優しく声を掛けてくれる。
私ははっとして、何となく居住まいを正した。
「その…一応結婚を前提に知り合ったのですが、まだ婚約はしていなくて」
「えっそうなの!?
あんなに仲良さそうだったのに!?」
「…メリル、口を挟まないで」
やっと言葉にした瞬間、とんでもなく恥ずかしい事を言われ一気に顔が熱くなる。
壮行会で彼と再会した時、正直周りが見えていなかった。
かなり注目を浴びていたらしい。
「そんなに…目立っていましたか?」
恐る恐る聞くと、三人が目を丸くした。
そしてなぜか考え込む様なポーズをとる。
「まあねえ…相手がカイン隊長だからねえ…」
「あの方のあんな表情、初めて見ましたものね…」
確かに彼の私を見つめる瞳が前回と違う事に気付いていたけど、こんなに驚かれる程だったとは。よく分からないけど、これは喜んでいいのだろうか。
というか、若干嬉しくなっている私がいる。
「カイン隊長、あんな見た目だし、実直すぎてロマンのかけらもない人だから、これまで浮いた話がなくてね。何回かお見合いの話があったみたいだけど、結果どれも白紙。優しい人だから無理強いしたくないって言って、去るもの追わずで第三部隊一同心配してたって訳。
結婚に対して抵抗はないみたいなんだけど」
「そんな人が周りが見えなくなる程あなたと手を握りあって、更には手の甲に口付けするなど前代未聞で」
「そ、そんな所まで見てらっしゃったのですか…!」
焦ってシャーロットさんの話の途中で割り込む。
また目を丸くした三人の頬が徐々に赤くなって、私からふいと目を逸らす。
「ごめんなさいね…つい」
「そ、そんなじろじろと見るものではないと思っていたのよ!…心の中では」
「……ごめんなさい」
ついにはずっと喋らなかったエミリーさんにまで謝られ、私は恥ずかしさのあまり顔を手で覆った。
三人が慌てて私の頭やら肩を撫でたり、お菓子をくれたりと、何故か慰められる。恐らくここにいる三人以外の人にも見られていただろう。
渋々食べたチョコレートが、嫌になるくらい美味しかった。
「そうですよね、恥ずかしいですよね。
ごめんなさいね、余計な事を言ってしまって」
「…不躾に見てた私達に気付かないくらい二人の世界だった、という訳か…」
「…メリル」
もうこれ以上言うな、と言わんばかりの低い声でシャーロットさんがメリルさんを嗜む。
「その…大変仲良くされている様に見受けられたのに婚約に踏み込めない理由は、カイン隊長が顔合わせの日に作戦を優先した事でしょうか?」
更に恥ずかしさで沈んでいた私は、シャーロットさんの言葉に思わず顔を上げる。
「…何故、それを知っているのですか?」
「夫から聞きました。
その時の作戦の指揮を取っていましたから」
という事は、シャーロットさんの旦那様は、カインさんに色々アドバイスしてくれた方だ。
「その節は、大変お世話になりました…!」
「…?いえ、むしろお世話になったのは、うちの夫ですが?」
どうやらあのデートプランについてシャーロットさんは関係していないらしい。
あんな女性にとって理想のプランを一人で考えたなんて、シャーロットさんの旦那様ってなかなかのロマンチストだ。
私は適当にごまかして話を本題に戻す。
「それもありますが…その」
三人の目がこっちを向いている。
また緊張してきて、言おうかどうか迷った。
しかしよく考えたらこの人達は騎士を夫に持つ、要は先輩だ。一番私の想いを理解してくれるかもしれない。
意を決して口を開いた。
「怖い…のです」
結局出てきた言葉は、それだけだった。
最初は忙しさで放られそうなのが嫌だった。しかし、魔物に立ち向かって行くあの人の背中を見て思ったのだ。私は、怖い。
あの人の妻になってしまったら、あの人を愛してしまったら、いつ失うか分からない不安に苛まれなければならないんじゃないかと。
彼の、私に対する気持ちが分からない程子どもではない。
伝えたい事があると言っていた。帰ってきた暁には、きっと求婚されるのだろう。
こんな弱い私に、彼を支えられるだろうか。
そんな不安で、あと一歩が踏み出せない。
ただ、ここにお祈りに来ている時点でもう手遅れな気がするけれど。
「なるほどね」
俯いて手をソワソワさせていると、メリルさんがそう言った。
「…え?」
それだけで、分かってくれたのだろうか。
「命をかけて国を守ってくれているんだもの。
心配するのは当たり前よ」
「怪我をして帰ってくるなんて、しょっちゅうですし。
私達も、あなたと同じ気持ちですよ」
行動と言動が違いすぎる。
じゃあ何故彼女たちはこんな平気な顔で、お菓子を食べているのだ。
「…失礼を承知で言います。
正直言って、その様には見えません…むしろ皆さん楽しそうで…」
「その為のこの集まり、という事よ」
ここでやっと、辿り着く。
「神父様がね、毎日沈んだ表情でお祈りに来る、騎士達の妻に憂いて何十年も前に提案して下さったのよ。
心配する事よりも、私達が笑顔で迎える事が一番の彼らにとっての励みになるから、その為にも同じ境遇者同士お喋りをして、存分に発散しなさいってね」
「私も、最初はここに来る事にすごく罪悪感を抱いていました。
けれど、屋敷で一人で夫を待っていると、余計な事を考えてしまってもっと辛いのです」
そうだ。だから私も居ても立っても居られないなくなって、こうして祈りに来た。
「ここに来れば彼の為にお祈り出来るし、誰かと喋るだけでもかなり気持ちが落ち着きます。
こうして気の合う友人も出来て心の余裕が出てくると、ちょっとやそっとの怪我くらいじゃ動揺しなくなりました。
彼も“君が俺を信じて待ってくれているから、頑張れる”って言ってくれて」
「はいはい、さりげなーく惚気てくれちゃって。
ちなみに私は最初から罪悪感なんてものはなかったけどね。
うちのお義母さん寛容な人だから、たまには子育てから解放されたらどう?なんて、快く送り出してくれてるし。
あ、かと言って毎日ではないのよ?こういう長期に及ぶ作戦の時だけ。あと事前に分かっている大仕事の時とか。
ここに来れば必ず誰かがいるっていう安心が、あるのとないのとじゃ、違うのよね」
『君が俺を信じて待ってくれているから、頑張れる』
『必ず誰かがいるっていう安心があるのとないのとじゃ違う』
お二人から紡がれる言葉に、次第に気持ちが前向きになっていくのが分かる。
そうか、私は一人じゃないんだ。
そしてそれを確認したくて、彼女達はここに集まるのだ。
「まあ、新婚の時よりは私達も慣れましたから。
正直ただの息抜きに近い、ですね。
エミリーに至っては、お祈りすらしていませんから」
思わずエミリーさんの方に顔を向ける。
えへへ…と彼女は笑っていた。
「エミリーはまたちょっと特別なのよ。
この子の旦那さん、本来なら隊長も任せられるくらいの大魔導師なのにカイン隊長が大好きすぎて第三部隊に所属してるの。
かと言って謙遜する訳もなく、自分でも実力あるの分かってるから、“祈るだけ時間の無駄だからやめろ”って言われてるんですって」
「あの人のそういう所、素敵でしょ?」
にこにこしながらエミリーさんが言う。
口数が少なくとも、こういう時だけはしっかり言葉にする程旦那様の事が大好きなんだな、と心が和んだ。
「それにカイン隊長だってお強いんですよ。
だからそんなに心配されなくとも大丈夫です。
どうしたって怪我をする時はするし、騎士じゃなくとも命を落とす事だってあるのですから」
「そうそう!その内先の見えない不安に苛まれる事が、馬鹿らしくなってくるわよ。
だからこんな何も始まってもない内に諦めるなんて勿体無い!
カイン隊長の事、信じてあげて。私達がいるから」
「一緒に、美味しいお菓子を食べましょう?」
そう言ってエミリーさんにお菓子を差し出され、思わず涙ぐむ。
この方達の優しさと、彼を慕う気持ちに。
第三部隊に所属している騎士達は、みんな彼を尊敬しているのだろう、更にその妻達までも。
彼の人望の厚さに何故か私が誇らしさを覚え、そんな人と将来を共に出来るかもしれないなんて、私は幸せ者だとまで思えた。
「…ありがとう、ございます。
何だかもやもやしたものが晴れました」
「良かった!うん、心なしか表情も明るくなったわ」
「そういえば、あなたの名前を伺っておりませんでした。
夫に聞いてもどこかの御令嬢、としか教えてくれなくて」
「はい。オリヴィア・バートンと申します」
「バートン?どこかで聞いた事のある名前ね」
「ええ、父はジェイコブ・バートンと言って、お城に勤めていて」
私の言葉で、一瞬にして空気が止まる。
そこでようやくハッと気付いた。
「ジェイコブ・バートンって…あの、宰相、の…?」
メリルさんの顔が引き攣っている。
まずい。さらりと言ってしまった。
お父様の事は大変尊敬しているけれど、この名前を言うと、私はたちまち宰相の娘という目で見られてしまうのだ。
そうして距離を置かれてきた。
「そう、です…」
ああ、どうしよう。
折角仲良くなれると思ったのに。でもいつかは知れていた事だ。ただ、今ではなくて欲しかった。
沈黙が重たくて、俯く。最後にお礼をもう一度行って、そっと去ろうかと考えた時だった。
「娘さんが、いらっしゃったのね」
エミリーさんがぽつりと呟いた。
「そう!それ!私も思った!
でも失礼かなと思って私すら言えなかったのに、さすがエミリー!」
「二人ともいい加減になさい」
そしてまた明るい雰囲気に戻る。
私は動揺する頭の中考えた。何故エミリーさんが言ったことが、失礼になるのだろう。
「あなた、随分ひっそりと暮らしてきたのね」
メリルさんにそう言われてやっと気付いた。
影が薄い、と言いたい様だ。思わず顔が熱くなる。
「メ、メリルさんひどい…!
言わなければ私気付かなかったのに!」
「ご、ごめん…!
ちょっと待って…ムキになられると…ダメだ、笑いそう…」
「…オリヴィアさん。お父様に頼んで、メリルを不敬罪で訴えた方がいいかもしれません」
「オリヴィアちゃんって呼んでもいいかしら?」
一気にカオスな状態になって、私は唖然とした。
全くと言っていい程、彼女達は身分や立場など気にしないらしい。
嬉しい。こんな嬉しい事はない。
その後も彼女達と談笑し、また明日ここで集まる約束をした。
屋敷に戻り、厨房へ行って明日お菓子を作ってくれないかとシェフに頼む。
教会へ行く時は、あんなに不安に苛まれていたのに。
なる程、こういう事なんだと大いに実感させられた。
最後に、また明日ねと手を振ってくれた三人。
それを思い出し、不安ではない涙が頬を伝った。