第一話 陰キャと転移
轟雄一、18歳、彼は、普通の公立高校に通う普通の高校三年生だった。
学力は学年で中の上、友達も程々、部活は陸上部、趣味はゲームとアニメ鑑賞、これだけ見れば至って平凡な男子高校生だ。
この平凡さにおまけを付けると言っては何だが、彼女はおろかまともに話せる女の子すらいなかった。
と言うか、18年間の人生で彼が自身から話しかけた異性は、業務連絡を除くと母親とお店の店員さんだけだった。
正確に言えば、彼には女性と話す度胸も技量も無かったのである。
休み時間や昼食時の過ごし方と言えば、同じ趣味を持つ友達と話したり、自分の席でブックカバーをつけたライトノベルを読むくらいしかやることがなかった。
部活後や休日は、もっぱらアニメを見るか積みゲーの消化をするしかない、人と関わることのない廃人生活を送っていたのだ。
それゆえ、学校での彼はあまり目立ない、いや、世間的に見ても彼にスポットライトは当たっていない。
悪く言えば、彼はいわゆる「陰キャ」だった。
野球部やサッカー部等のいわゆる陽キャ集団にはあまり馴染めず、クラス内でも自分から積極的な発言はほとんどしない。
課外活動の班分けや体育のチーム分けでも、基本的には余りものの部類にいた。
そんな生活を送っていたので、女の子と何を会話してよいのか彼には分らなかったし、そもそも声をかけることすらままならなかった。
結果的に女子生徒と話す機会はプリントの受け渡しやマネージャーとの業務連絡のみという、少し悲しいがまあ、ありふれた学生生活を送っていた。
何というか、世間で最近囁かれるようになった「チー牛」の部類に彼は属していたと言える。
3年間続けた部活も地区大会敗退で5月に幕を閉じ、残すは大学受験を控えるのみだった。
彼は部活は引退はした後も、勉強の合間の気分転換にもなるし適度な運動は大切だということで、毎日走ることだけは欠かさなかった。
そんなこんなで夏休みも終わりにかかろうかという8月後半、彼はいつものように上下青色で胸にワンポイント入ったジャージに、お気に入りの黄色のランニングシューズを履いて家を出ようとしていた。
「それじゃあ母さん、行ってくる」
「行ってらっしゃい、車には気をつけるのよ。あまり遅くならないでね」
この何気ない会話が、この先どれだけ貴重なものとなるか、今の彼には理解できるはずもなかった。
家の庭で軽くウォーミングアップをした後、彼は颯爽と走り始めた。
そうして毎日走る公園へ向かおうと曲がり角を曲がった次の瞬間、彼の視界に飛び込んできたのは木、木、木、すなわち広大な森だった。
「? あれ?」
道を間違えたのかと思ったが、そもそも彼が公園に向かうまでの道のりは住宅地しかないのである。
しかも、後ろを振り返っても同じように木が一面に生えているだけの光景が広がるだけだった。
「どうなってんだ、勉強の疲れで頭おかしくなっちまったか?」
急な展開過ぎて、理解が追いつかないのと同時に、見知らぬ森に一人と言う状況が彼には怖く感じた。
「あー、ちょっと泣きそうかもしれない。だが落ち着け俺。このまま夜を迎えるのはまずいのは分かる。とりあえず、ここよりも明るいあっちの方に歩いてみるか」
彼が歩みを踏み出そうとしたその時である。
ざくっ、ざくっ
不意に、彼の後ろから足音が聞こえた。
彼は、足音が近隣住民のものだと思い込み嬉しさに満ち溢れた表情で振り返った。
「あ、よかった~。この近くに住んでる方ですか? すいません、ここはどこでs」
彼が話すのをやめたのはそう、目の前にあの蟷螂が赤い瞳でこちらを見つめて立っていたからである。
「キシャアアアアアアァァァァァァ!!!」
「ぎぃやああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
彼の笑顔は一瞬で泣き顔に変わり、命を懸けた逃走劇が始まった。
こうして、彼、すなわち轟悠一のハードな異世界生活は始まりを迎えたのである。