表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼哭啾啾4 ~鬼が哭く~  作者: 灰色日記帳
8/54

其ノ七 ~悪意ト負念~


「はっ、はっ、はっ……!」


 囚人服姿のまま、蓮はどことも分からない道をただひたすらに駆けていた。

 具体的な時刻は分からないが、今は夜らしく、辺りは闇に包まれていた。道路脇の街灯の光に、虫がたかっているのが見えた。

 もちろん靴など履いていなく、道路に散乱した石や砂利が足の裏に食い込むのが分かる。だが、痛がっている暇などなかった。

 逃げなければ、少年刑務所から追手がやってくる。もちろんそれも理由ではあったが、それ以上に蓮は、つい数分前に起きた出来事に困惑し、恐怖していたのだ。

 蓮は若い刑務官を殺し、大杉というあの暴力的な看守も殺した。しかも、大杉にいたっては首から上を丸ごと粉砕するという残酷極まりない殺し方だった。自身の手で顔や脳を握り潰した時や、頭蓋骨を割り砕いた時の感触を、今でも鮮明に覚えていた。 

 しかし、あれは決して蓮自身の意思で行ったことではなかったのだ。

 謎の声の主を受け入れた時、自分の魂と引き換えに力を要求したあの時、蓮は自分の心が瞬く間に怒りと憎しみと、殺戮衝動に染め上げられていったのを思い出した。止めようにも止められないほどの負念に突き動かされ、彼は二人の人間の命を奪い取ったのだ。

 それが恐ろしかった。数年ぶりに刑務所から出たが、塀の外の空気を謳歌している余裕などまるでなかった。

 人気がなく、暗い夜道をどれほど走り続けたのか。蓮は道路下のトンネルへと迷い込んだ。そして、コンクリートの壁に身を預けて座り込んだ。

 

「ごほっ、はあ、はあ……っ!」


 心臓が破裂しそうなほどに鼓動を速めていて、流れ出た大量の汗が囚人服を濡らしていた。

 荒い息遣いが、トンネルの中を反響して蓮自身の耳に戻ってくる。

 これから、一体どうすべきなのか。そう思った時だった。


《蓮……》


 その声に、蓮は思わず息を呑んだ。

 喘ぐように呼吸をしながら、蓮は姿の見えない声の主に応じる。


「お前……っ、一体何なんだ……!」


 蓮の理性をも飲み込まんばかりの、あの怒りと憎しみと殺戮衝動、それに戦闘能力……全てはそいつが与えたものだった。

 看守に殺されかけた時、蓮は一度は声の主を受け入れた。しかし今では、恐怖心が再燃焼していたのだ。


《俺は、お前が最も求めていた存在だ》


「はあ、はあっ……何っ……!?」


 姿の見えない相手との会話、他人が見れば、蓮がただ独り言を喋っているようにしか見えないだろう。

 汚い地面に座り込んだまま、蓮は視線を上げた。トンネルのコンクリートの壁に、赤いスプレーで『CARNAGE』と落書きされていた。

 

「お前さっき、あの二人の看守を殺しただろ……!」


《違う、『俺』じゃない。『俺達』が殺したんだ》


 声の主は、蓮の言葉に間髪入れずに反論してきた。


《いいか蓮、お前は俺を受け入れたんだ。俺の力はこれでもうお前のもの……さっきみたいに人を殺すことなんざ、もうお前には息をすることより簡単だ。だから、逃げ回る必要などないんだ》


 その言葉が、蓮には悪魔の囁きのように聞こえた。


《このまま、全てを俺に委ねろ。そもそも……人を殺したのは初めてじゃないだろう?》


「っ!」


 蓮は声を詰まらせ、目を見開いた。

 全ての思考に上書きされるかのように、『その時』の記憶が頭の中を埋め尽くしていった。

 血まみれの肉塊と化した人間の姿、蓮自身が握る真っ赤に染め上げられた包丁、そして燃え盛る家屋――蓮が生きてきた十九年の時の中で、最も忌むべき瞬間の映像が、ノイズを伴うようにして脳裏に蘇ったのだ。

 それを打ち消さんとばかりに、蓮は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


「違う!」


《何が違うと言うんだ?》


 声の主は、蓮を追い詰めて楽しんでいるとすら思えた。 


「あれは、あれは……!」


 その時だった。

 どこかから、若者の笑い声が響き渡ったのだ。それも一人や二人のものではなく、大勢の笑い声が混ざり合っている。どうやら、男と女がいるようだ。

 下賤で、まるで嘲るような笑い声は次第に近づいてきて、その主が姿を現した。男と女――しめて六人の若者のグループが、一人の男を寄ってたかって痛めつけていた。殴ったり突き飛ばしたり、腹部に蹴りまで入れていた。

 

「おら、死んじまえクソ野郎!」


「このゴミクズが!」


 人間が発したものとは思えない、下劣な言葉が蓮の耳にも届く。

 暴力を振るっている連中は皆、十代後半から二十代前半のように見えた。少なくとも、蓮とはさほど年は離れていないだろう。ある者はその髪を金色に染め、ある者はその耳から大きなピアスを揺らし、ある者はその口に煙草を咥えていた。いかにも柄が悪い、不良という言葉を体現したような者達だった。

 傍らで、彼らが暴力を振るう様子を見てゲラゲラ笑っている女達も同様だった。皆茶色や金色に染めた髪を派手に波打たせ、厚化粧をし、際どいほどに短いスカートを履いている。とにかく見るからに猥雑で、性格も素行も悪そうで、下劣で品がない女達だった。

 暴行を受けている男は、汚い服を着ていて、その髭は伸び放題……どうやらホームレスのようだった。多人数に取り囲まれて成す術がないのだろう、ただ弱々しく「やめろ、やめてくれ……!」と発しているのみだ。


「ぎゃははははははは! もっとやっちゃいなよ!」


 一人の女が煽り立て、それを受けた男がホームレスの腹部に渾身の蹴りを入れた。

 

「があああああっ!」


 一際大きな悲鳴が、夜の闇へ放たれる。

 蓮はビクリと身を震わせた。

 ホームレスを暴行する男達の姿に、ある別の男の姿が重なったのだ。蓮が大嫌いで、憎くて……負念の対象でしかなかった男だ。

 リンチの様子に視線が釘付けになる、その時だった。


《殺したいのか? あいつらを》


 ドクン、と心臓が強く鼓動するのが分かった。

 蓮は、声を発することができなかった。『そうだ』とも『違う』とも言えなかったのだ。

 その時、気配を感じ取ったのだろうか。ホームレスを暴行していた男のひとりが蓮を振り向き、視線が重なった。


「何だお前、何見てんだよ?」


 他の男達と、周囲にいた女達も全員が蓮を向いた。

 ホームレスはその隙に、フラフラとどこかへ逃げ去っていった。逃走するだけの余力は残っていたようだ。

 標的がホームレスから、蓮へと変更されたらしい。男達と女達が迫ってくる中、蓮は何も言わず、狼狽うろたえもせず、ただその場で腰を上げた。

 悪意に満ちた声が、また蓮に話し掛けた。


《殺したいなら殺したいと、そう言えばいいだろう》






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ