表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼哭啾啾4 ~鬼が哭く~  作者: 灰色日記帳
6/54

其ノ五 ~赤イ腕~


 蓮がこれまで謎の声を拒んできたのは、その声の主が恐ろしい存在だと感じていたからだ。姿形は見えなくとも、そいつはとても邪悪で、残忍で、忌まわしい化け物である。確証はなかったが、蓮は本能的にそれを察知していたのだ。

 もし誘いに乗ってしまえば、恐ろしいことが起きる。自分も取り込まれて化け物となってしまう、そして言葉では言い表せない、地獄さながらの惨劇が巻き起こる――それを理解していたからこそ、蓮は自傷行為を行ってまで、そいつが発する悪魔の囁きを撥ね退けてきた。

 それは自分のためでもあったし、周りの人間のためでもあった。

 自分だけが被害を受けるならば、別に誘いに乗っても良かったかもしれない。しかし他人にまで危害が及ぶのは、蓮の本意ではなかったのだ。

 そう、ほんの十数秒前までは。

 二人の看守によって激しい暴行を受け、クズや虫ケラだと罵られ、嘲笑とともに存在価値までをも否定された蓮は、煮えたぎるほどの憎悪を抱いた。

 その憎悪は二人の看守だけではなく、自分がこんな場所に押し込められる原因を作り出した者にも向けられた。それだけに留まらず、かつて親しかった二人の友の顔までもが、頭に浮かんだ。

 金雀枝一月と秋崎琴音――さっき夢にも現れた、かつて蓮が親しくしていた、もう何年も会っていない友人達だった。

 俺は、一月と琴音のことも憎んでいたのか? 自問した時だった。


《まずは、こいつら二人か?》


 声だけの存在が問うてきた。何を意味する質問なのかは、考えるまでもなかった。

 それは最終確認とも取れた。応じた瞬間に、蓮は悪魔に魂を売り渡すことになるのだ。

 まだ、引き返すチャンスはあった。だが、答えは決していた。

 

「ああ、そうだ……!」


 俯いたまま、蓮は絞り出すように言った。

 若い看守が腰のホルスターから警棒を抜いて振り出し、伸長させた。大杉の時と全く同じ金属音が、独房の中を反響した。


「さっきから何ブツブツ言ってんだ、とうとう頭がイカれちまったのか?」


 若い看守が、警棒の先を蓮の胸に押しつける。

 次の瞬間、それが起きた。

 突如として、蓮の両腕――上腕から指の先までに、赤黒い霧が瞬き始めたのだ。血のような赤さと、禍々しい黒味が混ざり合ったかのようなそれは、一瞬と呼べる時のうちに蓮の両腕を覆い包んでいく。

 心臓が急激に鼓動を速めていく、それは惨劇へのカウントダウンだった。体がみるみるうちに熱くなり、流れ落ちた汗が頬を伝い落ちた。


「おい、聞いてんのかこの虫ケラ野郎……!」


 若い看守が、警棒の先に力を込めて蓮の胸を圧迫する。その行為が、破滅への引き金となってしまった。

 今や赤黒い霧は完全に蓮の両腕と同化し、まるで霧自体が腕を形作っているようにも見えた。

 蓮の様子がおかしいことに気づいたのか、若い刑務官の後ろで大杉が怪訝そうに言った。


「何だ……?」


 次の瞬間だった。蓮の両腕を覆い包む赤黒い霧が爆散し、手錠を破壊したのだ。砕けた鎖や輪の残骸が、バラバラとコンクリートの床に落下する。

 

「ああ……!?」


 若い刑務官は、状況を飲み込めていないようだった。恐らくは、大杉も同様だろう。

 彼らは蓮が手錠を破壊したということも理解できていなく、手錠から解かれた蓮が自由を取り戻したということにも気づいていなかった。そしてもちろんのこと、今から何が起こるのかなど知る由もなかったのだ。

 俯いていた蓮が顔を上げ、刃のように鋭い瞳が若い看守の顔を映した。

 それとほぼ同時だった。彼自身の意思とは無関係に、邪悪で禍々しい赤黒い霧に包み込まれた蓮の左腕が、若い看守の首を掴み上げたのだ。

 

「ぐっ!?」


 回避する猶予など与えはしなかった。若い看守の警棒がその手から滑り落ち、独房の床に転がる。

 

「なっ、何だ……一体何なんだよこりゃ!」


 変貌した蓮の両腕を見たのだろう、大杉が叫んだ。

 赤黒い霧に包み込まれた蓮の両腕は、蓮の意思とは無関係に若い看守の首を掴み、持ち上げた。


「うぐっ、ぐぐっ……!」


 苦しみに呻く若い看守、その両足が地面から離れ、バタバタと空を泳ぐ。

 このままでは死んでしまう、殺してしまう。蓮はそれを理解してはいたが、止めることはできなかった。苦痛に歪む若い看守の顔を見ているうちに、どす黒い感情が湧き上がってきて、一瞬と呼べる時の内に蓮の心を支配したのだ。

 その感情とは、『殺戮衝動』だった。

 この男を殺したい、その命をこの手で握り潰してやりたい――そんな無慈悲で冷酷で、常軌を逸した感情が蓮の中に渦巻いていた。

 数分前とは状況が逆転し、二人の看守が握っていた生殺与奪の権は、完全に蓮の手に渡っていたのだ。

 

「や、ぐ……!」


 若い看守の口が動いて、何か声を発した。もしかしたら、命乞いでもしようとしたのかも知れない。

 だがもちろんのこと、命乞いだったとしても聞き入れる気などなかった。蓮の頭にはもう、殺戮衝動以外の何も存在しなかった。

 ――ぶっ殺す。

 そう思った瞬間、蓮の右腕が勝手に動いた。若い看守の首を掴んでいる左腕同様、右腕もまた赤黒い霧に包みこまれていた。

 蓮の右腕を包む霧が生き物のように蠢き、鋭利に尖った形状へと変じる。

 霧で形成された刃、蓮は迷いもなく、それを若い看守の腹部へ勢いよく突き刺した。今度は、明確な意思を持っての行動だった。

 

「ごっ、ぶほっ……!」


 筋肉や内臓を裂き、骨を削る。その感触が伝わってきた。

 若い看守の口から、奇妙な声とともに鮮血が溢れ出る。

 赤黒い霧の刃は、腹部を貫通して後ろのコンクリートの壁をも突き刺した。それほどまでに鋭利な切れ味を有していたのだ。

 串刺しにされても数秒は息があったらしく、若い看守はビクビクと全身を痙攣させた。しかし、すぐに絶命して動かなくなった。無残な死体と化した彼を、蓮は無造作に放り投げた。男は鈍い音を立てて壁に激突し、汚い床に転がった。その場所を中心に、鮮血の水溜まりがみるみるうちに広がっていく。

 残虐極まる殺戮行為は、まだ終わりではなかった。ここにはもうひとり、蓮の敵が存在していた。

 その者は逃げようともせず、独房の片隅に座り込んでいた。目の前の現実が受け入れられないか、あるいは恐怖に身がすくんで動けなくなってしまったのかも知れない。


「ひっ……く、来るな、化け物……!」


 蓮が歩み出ると、大杉は恐怖に青ざめた表情を浮かべ、這いずるようにして後退した。その恰好は実に無様で、蓮を警棒で打ちのめしていた時とはまるで別人のようだった。

 ゆっくりと、しかし確実に蓮は大杉へと歩み寄る。その足が鮮血の水溜まりを踏み、真っ赤な飛沫を上げた。

 大杉は背を向け、尻を振って逃げようとする。それが滑稽で、蓮は気づけば笑みを浮かべていた。

 そこでふと、蓮の頭に何かが引っ掛かった。笑っている? 俺は笑っているのか?

 そうだった。今、蓮は笑っているのだ。彼は目の前の獲物を、大杉を追い立てることを楽しんでいたのだ。

 殺戮衝動だけではなく、虐げる快楽までもが芽生えていたのか。どことなく自己嫌悪に近いものを感じたが、とりあえず今は考えないことにした。

 大杉をいかに惨たらしく殺すか、今蓮が考えるべきは、ただそれのみだったのだ。

 手の届く範囲まで迫った蓮は、赤黒い霧に包まれた右手で大杉の頭をがっちりと掴んだ。

 

「がっ、や、やめろっ……いやだっ……!」


 情けない声を出しながら、大杉は逃げようと身悶えした。だが、逃げられはしない。

 鋭い瞳で大杉を射抜きながら、蓮は言った。


「『不要』だと、『虫ケラ』だと……?」


 それは聞く者全てを恐怖に閉ざすような、威圧的で冷徹な声だった。



  ◎  ◎  ◎



「ぎゃあああああああああああああああああッ!!!!!」


 刑務所内のどこからか響き渡ったその悲鳴に、御藤隆久みどうたかひさはすぐさま駆け出した。

 場所は断定できない。しかし見回りの最中に突如鼓膜を揺らしたそれが、自分の上司の発したものだということは分かった。

 照明の大半が落とされ、薄暗い廊下を懐中電灯で照らしつつ駆けながら、呼び掛ける。


「大杉さん、どうしたんですか!」


 慌てながらドアを開ける、そして御藤は絶句した。

 無数の独房に繋がる廊下に、目を疑うような光景が広がっていたのだ。

 薄暗い廊下には、二人の人間が横たわっていた。いや、正確には人間ではなく、『人間だった物』――つまり、死体だった。

 一人は若い刑務官で、御藤の部下だった男だ。見たところ、巨大な刃物か何かで腹部を串刺しにされたらしい。凄まじい苦しみの果てに命を落としたらしく、その表情には苦悶の色が刻み込まれていた。

 そしてもう一人は――『惨い』などという言葉では収まらない殺し方をされていた。

 身元の判別は不可能だった、その死体には、首から上が存在しなかったのだ。ほんの少し周囲を見渡すと、肉片に紛れて帽子や毛髪が散乱していた、それに骨片や眼球や脳や耳のような物まで落ちていた。

 残された首から下の部分、体つきや装備品から、その死体の正体は大杉であると御藤には分かった。さっきの悲鳴からして、御藤の上司である彼は、生きたまま顔を丸ごと粉砕されたのだ。

 

「あわわっ、わわわわっ……!」


 恐怖に震える御藤、その手から懐中電灯が落下した。

 二人の看守の体から流れ出た血液で、一面が血の海になっていた。赤い赤い赤い、真っ赤な床、信号機の危険を知らせるそれのごとく赤い床。鉄を含んだ生臭さが鼻をつく、何の臭いなのかなど、考える必要もなかった。

 こんな場所からは、すぐに離れなくては――御藤がそう思った瞬間だった、前方に何者かの気配を感じたのだ。

 

「っ!」


 息を呑んだ御藤は、闇に浮かぶその人影に視線を集中させた。

 懐中電灯を手放していたせいで、姿はほとんど見えなかった。しかしそこにいたのは出間蓮、先日も何人もの看守に重傷を負わせた、あの要注意服役囚であるように見えた。

 御藤にとっても、恐らく他の看守達も見慣れた少年。しかし、その姿は決して見知ってはいなかった。

 暗い上に距離が離れており、はっきりとは視認できない。しかし御藤には、蓮の両腕が何か……黒い霧のような物に覆い包まれてるように見えたのだ。

 御藤に気づいていたのかどうかは定かではない、出間蓮はどこかに向かって突進したかと思うと、その腕の一振りで壁を突き破り、開いた大穴から外へ飛び出して姿を消した。

 呆然としていた御藤は我に返り、慌ててその大穴へと駆け寄った(その最中、二人の看守の死体からは意図的に目を逸らした)。

 舞い上がった砂埃にむせながら穴を調べてみる、コンクリート製で内部には鉄筋まで組まれている少年刑務所の壁が、粉々に破壊されていた。どう考えても、人間の力でできることではない。

 

「な、何だったんだ、今のは一体……!?」


 




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ