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鬼哭啾啾4 ~鬼が哭く~  作者: 灰色日記帳
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其ノ五拾壱 ~鬼狩ノ夜 其ノ拾弐~


 目の前に迫る獄鏖鬼の刃、僕にできたのは、それを見つめながら身悶えすることのみだった。

 もちろん自由を取り戻せはせず、僕の足を捕らえている石畳の残骸が、ガラガラと音を立てるだけだ。それでも、何もせずにいることなどできるはずがない。

 ここで負ければ、きっと蓮を救えない。それに、獄鏖鬼は今後も多くの人の命を奪い続けるに違いないのだから。

 自分が殺されるだけで済むならば、まだ諦めがついたかも知れなかった。しかし、この戦いに賭けられているのは僕だけでなく、蓮や、他にも多くの人達の命だ。到底、諦められるはずがなかった。

 

「く、そおっ……!」


 瓦礫を必死で蹴り出そうとするが、無駄だった。

 獄鏖鬼は、そんな僕の様子を面白がって見物しているかのように見えた。

 天照が一際大きな青い光を放ち、そこから琴音が姿を現した。

 

「させない……!」


 僕を守ろうと、彼女は獄鏖鬼に立ちはだかったのだ。

 琴音の白いワンピースの上に流れる綺麗な黒髪が、はっきりと見えた。


《お前……死んだ人間だな? 死者が生者を守ろうとするとは、笑わせてくれるな》


 琴音がすでにこの世から切り離された身であることを、獄鏖鬼は見抜いたようだった。

 

「憎悪以外の感情を持たないあなたには、きっと分からない」


 琴音は毅然とした態度で、『殺戮の象徴』と称される恐るべき鬼に応じた。


「生きているのは尊いこと、大切なこと……奪われていい命なんて、この世にはひとつもない。もう、誰も殺さないで!」


 怒り、悲しみ、それに祈り……琴音の叫びには、そのすべてが集約されているように聞こえた。

 琴音が命を落とす原因を作ってしまった僕の胸にも、彼女の言葉が突き刺さってくる。しかし今は、過去を思い返していられるような状況ではない。

 

《くだらん》


 獄鏖鬼は吐き捨てた。

 いや、琴音は最初から、自分の言葉が目の前の鬼に届くとは思っていなかったに違いない。

 どんな言葉で語ろうが、どれだけ悲痛に訴えようが、所詮は無駄なこと。鬼に心などない、あるのは憎悪と、僕達に対する敵意だけなのだ。

 獄鏖鬼が、その手で琴音の首を掴んだ。


「うぐっ!」


 苦悶の声を漏らした琴音の腹部に、獄鏖鬼が刃を向ける。


《まずは、お前からだ》


 琴音が獄鏖鬼の腕を掴み返し、激しく身悶えした。しかしそんな行為は、抵抗にすらならない。

 このままでは、彼女が危ない……! もう命を失った身である琴音が、さらに殺されることなどあるのかは分からない。だがそんなことはどうでもいい、とにかく僕は、窮地に陥った琴音を黙って見てなどいられなく、これまで以上に必死に瓦礫に蹴りを入れた。

 僕の動きを封じているこれが忌々しかった。こんなことに手こずっている場合ではないのだ、一刻も早く、琴音を助けに行かなければいけないのに!


「くそっ!」


 獄鏖鬼が、刃の形状に変じさせたその腕を引き、そして琴音に向けて突き出すのを見た。いや、僕はもう見ていられなくて、目を逸らした。

 数秒――琴音の悲鳴は聞こえなかった。

 彼女の身が刺し貫かれる音も、聞こえなかった。

 おかしい……そう感じつつ、僕は恐る恐る視線を戻す。予想だにしない光景が、そこにはあった。


「っ……!」


 獄鏖鬼の動きが止まっていた。いや、止められていたのだ。

 赤黒い霧で構成されたその体に、ひとりの少年がしがみつき、押さえ込んでいたのだ。

 それが誰なのかは、考えるまでもなかった。


「蓮!」


 他の誰でもない、蓮だった。

 分離された以上、獄鏖鬼に近づくのは危険な行為のはず。彼は身を挺して、琴音を庇った。己の身を顧みず、彼女を救ったのだ。

 しかし、状況的に彼は、琴音の身代わりに自ら窮地に足を踏み入れてしまったことになる。


《どういうつもりだ……?》


 悪意に満ちた声を、獄鏖鬼は自らが憎悪に飲み込もうとした少年へ放った。

 

「もう、お前には騙されない」


 獄鏖鬼から解放されて正気を取り戻した蓮。彼が、琴音や僕を守るために獄鏖鬼に立ち向かっている――予想外の出来事に、僕はまばたきも忘れてしまった。

 彼は、獄鏖鬼に飲み込まれてなどいなかった。負念に侵されながらも、本来の優しくて、強い人格を保ち続けていたのだ。


「そのふたりは俺の友達だ、傷つけさせねえ!」


 そう叫ぶ彼の瞳に、僕は昔の蓮の姿を見た気がした。

 琴音も僕と同じ気持ちだったらしく、胸元で拳を握りながら、「蓮……!」と呟いた。


《残念だ、俺の宿主になれるほどの器だったのに、くだらない情に流されるとはな》


 悪意に満ちた言葉が、標的を僕達から蓮に移行させたことを暗示しているように感じられた。

 獄鏖鬼がその腕を振るうと、もうただの人間である蓮の体は容易く跳ね飛ばされ、石畳の上に倒れ伏した。獄鏖鬼が歩み寄る最中、蓮はただ痛みに呻きながら、身をよじらせるだけだ。

 刃の形に変じた獄鏖鬼の片腕が、より一層凶悪に見えた。

 蓮が危ない! 助けなければならないと分かっていたが、やはり身動きができず、僕には何もできなかった。


「やめて――――っ!!!!!」


 琴音が蓮に走り寄りながら叫んだ。

 しかし、聞き入れられるはずなどない。

 獄鏖鬼が蓮の首を掴む、その腹部に、刃の切っ先が向けられる。


《死ね!》


 刃が突き出された次の瞬間、僕は獄鏖鬼が蓮の腹部を貫くのを見た。

 ザシュッという肉を裂く音が周囲に響き、鮮血が周囲に飛び散るのが分かった。






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