其ノ四拾八 ~鬼狩ノ夜 其ノ九~
互いの感情をぶつけ合いながら戦う、一月と蓮。千芹はその様子をただ見守っていた。
一月は彼女に、『一対一で勝負をさせて欲しい』と申し出たので、戦いには介入しなかった(一月が危機的状況に陥れば、助けに入るつもりではいた)。
彼が手出しを拒んだ理由は、用意に想像がついた。
蓮が鬼に取り憑かれた理由の一端を、自分も負っている。その責任は、自分自身の手で取らなければならない――そう思っているに違いなかった。
(いつき……)
千芹は一月を見つめ、続いてそれに対する蓮に視線を動かした。
胸元で拳を握り、彼女はただ祈る面持ちを浮かべた。
◎ ◎ ◎
「勝手なことばかり言いやがって……!」
僕の言葉が、蓮の心を揺るがしていることに間違いはない。だが、まだ十分ではなかった。
「お前、俺がやったこと知ってんだろ……親父と御袋を殺して、妹も殺して……そんな奴が化け物じゃないわけねえだろうが、優しい人間なわけがねえだろうが!」
「蓮……僕にはどうにも、そこが信じられないんだ」
知り得ている情報では、蓮が両親と妹を殺害し、火を放った場所はほぼ完全に焼き尽くされ、現場検証もままならない状態だった。
蓮は両親と妹を殺害したと自白し、彼の犯行だと断定されたそうだが……僕にはどうも引っ掛かる点があったのだ。
自分を虐待し続けてきた両親を憎み、殺してしまうのは分かる。だが、蓮が妹をどうして殺したのかは、分からなかったのだ。そこに、この事件の鍵があるようにも感じられていた。
「夏祭りで一度会っただけだったけど、君は妹さんを……日向ちゃんを大事にしていたじゃないか。どうしてあの子まで……僕には、君があの子を殺すとはとても……」
「殺した!」
僕の言葉は、血を吐くような蓮の叫びに掻き消された。
「俺が日向を殺したんだ……守れなかったんだからな」
蓮の瞳に浮かんだ涙が、頬を伝い落ちるのが見えた。
「日向は……日向は大事な家族だった、大切に思っていたし、愛していたさ。でも俺は……守れなかったんだ。あいつを死なせちまったんだ……!」
「それじゃあ……!」
蓮の言葉に、僕の頭の中で事柄が形を成していく。
やっぱり蓮は、日向ちゃんを殺してはいなかったんだ。何年経とうが、彼にとって彼女は大事な存在で、大切な家族だったのだ。
蓮のことだ、自分がどれだけ傷つこうと、日向ちゃんを守ろうと必死だったんだろう。自分のことはどうでもいい、だが、彼女だけは絶対に……そう思って、死に物狂いで戦ってきたのだろう。
でも、努力は実らず日向ちゃんは……。
彼女を守れなかった罪悪感、無力感、自責の念が……本来蓮のものではない罪を、彼に背負わせたのだ。だから彼は、『自分が殺した』と警察にも言ったんだ。
「蓮……!」
命を失った妹を目の当たりにした時の、蓮の絶望感、後悔と悲しみの念……僕には想像もできない。
「お前に分かるかよ、大事な人を失うのがどういう気分なのか……!」
蓮がまた、刃の先を僕に向ける。しかし、襲ってくる様子はなかった。
「お前、どうせ今でも琴音と仲良くやってんだろ? お前らは光の中で、俺は闇の中……住む世界なんて、最初から違うんだ」
「っ……!」
不意に出た琴音の名前に、僕は思わず息を飲んだ。
思わず千芹を振り向く。彼女は悲し気な眼差しで、僕を見つめ返してきた。
「お前に俺のことなんか分からねえよ。大事な人がそばにいて、失うことの辛さも、悲しみも知らないお前なんかに……!」
僕は拳を握った。
突き上がるような感情に、全身が震えて……涙が出た。
「聞いてくれ……」
涙声で、僕は言った。でも蓮は、話すのをやめない。
「死んじまった妹を抱いた時、俺がどんな気持ちになったかなんて……!」
「聞いてくれよ……!」
溢れ出る涙が、もう止められなかった。
「自分が無力で役立たずだと思い知ったあの時、どれほど辛かったかなんて、お前みてえな恵まれた奴に分かる訳が……」
「聞けって言ってんだ―――――ッ!!!!!」
こんな大声を張り上げたのは、生まれて初めてだったかも知れない。
僕は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、蓮を見た。彼は驚いたような面持ちを浮かべ、黙っていた。
感情が高ぶっていたせいで、気づけば呼吸が荒れていた。それでもどうにか、僕は発した。
「いないんだよ……琴音はもう……!」
「……あ?」
蓮が、怪訝な声を発した。
その次の言葉を発するのは辛かった。しかし、言わなければならなかった。
「彼女は、琴音はもう……この世にいないんだ……!」
やっと意味が伝わったらしい、蓮の顔から表情が消えた。
「何……?」
その時、僕の肩に誰かが触れた。
千芹だった。彼女は僕と視線を合わせて、何も言わずに首を横に振った。
――もう、いいよ。そういう意味に取れた。
僕よりも前に歩み出ると、千芹は何かの呪文を唱え始める。すると、彼女の体が白い光に覆い包まれ始めた。
光の中から姿を現したのは千芹ではなく、生前の本来の姿である琴音だった。
「琴、音……?」
蓮が彼女の名を呼ぶ。
琴音は頷いた。風に、彼女の黒髪や白いワンピースが揺らいでいた。
「いっちぃの……言った通りだよ」
蓮は、まばたきもせずに琴音を見つめていた。彼女が既に、この世から切り離された存在だということは一目瞭然だったらしい。
琴音は悲しみを含んだ笑みを浮かべ、静かに言った。
「蓮、私ね……もう死んじゃってるんだ」




