其ノ四拾参 ~鬼狩ノ夜 其ノ四~
「蓮を救うことを優先する……? つまり……!」
千芹に、彼女の提案の意味を問おうとしたその時。
僕の言葉は止まる、止めざるを得なくなる。獄鏖鬼が襲い掛かってきたのだ。
誰かと会話しながら、片手間で戦える相手じゃない。いや、本気で戦った所で、勝てる見込みは薄い……こんなことを思いたくなどないが、それが現状だ。
僕を殺そうと繰り出される、両腕の爪による無茶苦茶な連続攻撃。それを僕はひたすら、天照で打ち払い続けた。きっと、獄鏖鬼にスタミナの概念など存在しないのだろう。疲れも痛みも知らない凶戦士、そんな化け物じみた相手と、まともな戦いなどできるわけがない。
勝たなければならない、絶対に負けられないとは言った。しかしこのままでは追い立てられ、最後には八つ裂きにされるのみだ。
今までの鬼とは段違いだ、真っ向から戦って勝てる相手じゃない。ならば、策を講じなければ……! 目の前で僕に猛攻を仕掛け続ける『殺戮の象徴』を見つめつつ、僕は思った。
《っ、これじゃあ説明する暇が……!》
一旦距離を取り、千芹と話す時間を稼がなければと思った。
しかし、獄鏖鬼がそんな猶予を与えてくれるわけがない。
どうすればと思った時、ふたりの少女の声が神社に響き渡った。
『阿毘羅吽欠蘇婆訶!』
僅かな誤差もなく、彼女達はその真言を唱える。
すると彼女達の霊具、薺の御手玉と菘の毬。それらが纏っていた霊力の光が増幅した。
「はああああああっ!」
「でやあああああっ!」
勇ましい声を発しつつ、薺と菘が同時に御手玉と毬を放った。
真言によって増強されたその攻撃は、通常時以上のスピードと威力を伴った一撃となり、獄鏖鬼へ着弾する。
これまでと同じように、着弾の際には緑色と黄色の閃光が発せられた。強化された攻撃故、今度のそれは一際大きく、僕は反射的に目を逸らした。
「うっ!」
目が眩みそうになるほどの光に、思わず声を出してしまう。
直後、誰かが僕の腕を掴んだのが分かった。振り返ると、彼女は薺か菘――顔を見ただけではどっちなのか分からなかったが、その着物の色で薺だと分かった。
「こっちです!」
返事も待たず、薺は僕の手を引いて駆け出した。少女とは思えない力で、逆らうことすらできなかった。
「っと……!」
薺に誘導されるまま、残存する閃光に乗じて移動する。
さっきの攻撃の目的はダメージを与えることではなく、獄鏖鬼の視線から身を隠すことにあったようだ。
閃光が消失した頃、僕達は神社の拝殿の陰に身を潜めていた。
遠方から、獄鏖鬼の声が聞こえる。
《何だ……どこに隠れた?》
暗い環境と、降りしきるこの雨も味方してくれて、隠れることに成功したようだ。
しかし薺は隠れた後も、僕の腕を掴んで離さなかった。その理由を、隣にいる菘が教えてくれる。
「お姉ちゃんに触れていなきゃダメだよ、術が解けてすぐ獄鏖鬼に見つかっちゃうから」
物陰に潜んだくらいで、獄鏖鬼の目を盗めるとは思っていなかった。詳細は分からないが、薺と菘の能力の賜物のようだ。
逆に考えれば、彼女達がいなければ獄鏖鬼から隠れるのは不可能だったのだ。一度戦闘が始まったが最後、逃走しようが何をしようが見つかって追い詰められ、そして殺される運命にあったということになる。
単に人数が増えれば有利ということだけではなく、黛先生はこの点も考慮して薺と菘を加勢させてくれたのかも知れない。
「少しの間ですが、これで時間を稼げます。話すことがあるなら早く……」
僕が頷くと、
《いつき、時間がないから……できるだけ簡潔に説明するね》
天照にその身を同化させたまま、促すより先に千芹が言った。
《獄鏖鬼の力は、わたしが思っている以上に増してしまっていた。このまま戦っても、薺と菘の力を借りても、残念だけど勝ち目はない……でも、まだ手がないわけじゃないの》
「方法があるなら教えてくれ、頼む」
青い光を放つ天照の刃を見つめながら、僕は言った。
《今の獄鏖鬼は、器となったお友達との合意によって最大の力を発揮している。お友達の怒りと悲しみに付け入って理性を奪い、復讐を餌に、お友達を自らの一部としている……辛い人生を送ってきたお友達だからこそ、内に秘めた負念は計り知れないほどの強さ……獄鏖鬼にとっては、格好の『入れ物』だったに違いないの》
両親からの虐待を受け、凄惨な殺人事件を起こし、少年刑務所に服役していた蓮。
抱いてきた痛みも、怒りも悲しみも、想像を絶する大きさなのは容易に察しがついた。負念を喰らう鬼にとっては、この上ないご馳走だったに違いない。
《だから、入れ物である彼を獄鏖鬼から引き離すことができれば、獄鏖鬼を大きく『弱体化』させることができる……そこを狙えば、わたし達の手で獄鏖鬼を止められるかも知れない》
「引き離す……蓮を、獄鏖鬼から救えるっていうこと?」
獄鏖鬼を倒せなくとも、蓮を救い出すという目的は達せるかも知れない。そう思った僕は、問い返した。
《そう……だけどもし手遅れだったら、お友達が完全に理性を失って、獄鏖鬼と同じ『殺戮衝動の権化』と化してしまっていたら……もう説得しても効果はない、いつきが何を言おうとも、その言葉は届かない。あのマスコットを見せても、それが何なのかすら分からないと思う》
ポケットには、廃屋から回収したクマのマスコットが入っている。
蓮を救う強力な武器になるかも知れないと思っていたが、もしかしたらもう、何の役にも立たないかも知れない。僕を殺そうとその力を振るう獄鏖鬼の姿が、頭から離れなかったのだ。
獄鏖鬼に無理強いされているのか、あるいは蓮自身の意思で僕を攻撃しているのか……そんなことなど分かりはしない。
だが、
「やる……」
答えはもう、決まっていた。
《え?》
「僕が、蓮を説得する」
昔の蓮のことを思い出しながら、僕は言う。
「蓮は、鬼に飲み込まれるような弱い奴じゃなかった。僕達に心配をかけまいと、悲しみや辛さを押し殺して笑顔でいる……そんな強くて、優しい人間だったんだ。蓮が鬼に負けるなんて、僕には到底思えない。彼は僕達に助けを求めている、これ以上彼に余計な物を背負わせちゃいけない、どうしてもそう思えてならないんだ……!」
もちろん、根拠など微塵もない。『そんなわけない』とでも返されれば、何も言い返すことはできないだろう。
だけど、僕にはどうしても蓮が、彼が僕達に助けを求めているように思えてならなかったのだ。
「なあ、君だってそう思わないか……?」
ほんの少しの迷いの後、僕は、
「琴音……!」
あえて彼女を、『本当の名前』で呼んだ。
息を飲んだと思うと、
《そう、ね……そうだよね……!》
同意してくれたのは、千芹だけに留まらなかった。
薺と菘が、歩み出る。
「私達も協力します」
「大事なお友達、きっと助けを待ってるよ!」
僕は頷いた。
可能性は限りなく低いと思った、一パーセントにも満たないのかも知れないし、既にもう手遅れだということも。
だが、引き下がるつもりはなかった。
残されているかどうかも分からない可能性に賭ける、その覚悟は整った。




