其ノ四拾弐 ~鬼狩ノ夜 其ノ参~
獄鏖鬼が咆哮する、戦闘再開の合図だった。
僕が天照を構え直すと、千芹は青い光の玉へとその身を変じさせ、再びその刃と同化する。
飛び掛かってくるか、それともさっきのように瓦礫を跳ね飛ばして攻撃してくるか。とにかくどんな攻撃にも対処できるよう、僕は獄鏖鬼の様子を注視していた。
しかし、標的となったのは僕ではなかった。
《目障りだ!》
獄鏖鬼が襲い掛かった先にいたのは、薺と菘だった。
不意を突いたとはいえ、彼女達は獄鏖鬼に攻撃を命中させた。危険分子と判断されたか、あるいは戦いに横槍を入れられて逆上したのかも知れない。
いずれにせよ、獄鏖鬼が標的を僕から彼女達へと変更したのは間違いなかった。
薺と菘は、それぞれが逆の方向へと飛び退いて突進をかわした。
そして、彼女達は即座に攻撃準備へと移る。薺は緑の光を纏う三つの御手玉を、菘は黄色の光を纏う毬を、それぞれ操って滞空させている。事前に打ち合わせてでもあったかのように、同じ動きだった。
攻撃開始の合図を発したのは、姉である薺だった。
「菘、いくよ!」
「うん、お姉ちゃん!」
鏡に映したようにそっくりな容姿を持つ彼女達は、空に向けていたその指先を同時に獄鏖鬼目掛けて振り下ろした。
その動作と連動するように、滞空していた御手玉と毬が獄鏖鬼に向けて放たれる。降りしきる雨の中に、緑色と黄色の光の軌跡が刻まれた。
かなりの速度で放たれた、薺と菘の攻撃――獄鏖鬼に、それをかわす猶予は与えられなかった。
刹那、緑と黄色の閃光が炸裂する。それは、精霊の攻撃が鬼に命中した証だった。
薺と菘、彼女達が左右から同時に放つ攻撃。獄鏖鬼を叩き飛ばす威力を持つそれが、もう一度命中した。効果は期待できるだろう……僕はそう思った。いや、思ってしまった。
しかし、
「っ……!」
僕は息を飲んだ。
閃光が晴れた時、獄鏖鬼はその場で腕を交差させて立っていた。
もしかしたら、多少のダメージは負わせられたのかも知れない。しかし薺と菘の攻撃は防がれた、つまり通じなかったのだ。
《不意打ちでもなければ、そんな攻撃を二度も喰らうか》
防御の体制を解いた獄鏖鬼は、すぐさま攻撃へと転じた。
突進の標的となったのは、薺だった。
「くっ!」
迫ってくる獄鏖鬼を迎撃しようと、薺は再び三つの御手玉を操り、放った。
しかしその一発目も、二発目も、三発目も、紙一重で避けられて命中せず、神社の石畳に虚しく着弾した。薺の攻撃は、抵抗どころかあがきにすらならなかったのだ。
菘が叫ぶ。
「お姉ちゃん、危ない!」
薺は逃げようとしたが、間に合わなかった。
獄鏖鬼は薺の首を掴み上げると、彼女の小さな体を持ち上げた。
「うぐっ!」
薺が発した苦悶の声が、僕の耳にまで届いた。
まずい、助けなければ! そう思って駆け寄ろうとした時、予期せぬことが起きた。
僕の近くにいた菘が、突然自らの首を押さえて苦しみ始めたのだ。
「ぐ、あ……!」
急に石畳に膝を崩し、苦し気な声を漏らし始めた菘。一体どうしたというのだろうか。
さっきまでは全く健常であったというのに、まるで薺と同じように、今まさに首を絞められているかのような……待てよ、まさか……!
僕が見出した仮説は、千芹の言葉で肯定される。
《薺と菘は、言わば一心同体……あの子達、ふたりで一つの命を共有しているの。どっちか片方が攻撃されると、その痛みはもうひとりにも伝わる……薺が首を締められれば、菘も同じ苦しみを感じることになるんだよ……!》
そんな弱点があるなんて、考えもしなかった。
二人一組で行動するという特性は、メリットしか生まないと思っていたのだ。なにせ、連続攻撃に波状攻撃、それに挟み撃ち、さらには同時攻撃による威力の増強……ひとりでは成しえない戦法を、数多く駆使することができるから。
だが、メリットだけではなかった。デメリットも間違いなく存在していたのだ。
片方が首を締められればその苦しみはもうひとりにも伝わる。千芹の言葉からして、例えば薺か菘が刃物で切り付けられて傷を負ったりすれば、ふたりに全く同じ傷が刻まれることになる。どちらかが命を落とせば、ふたりともに絶命することになるに違いなかった。
常に二人一組で行動している分、敵の攻撃の的になるリスクは上がる……それに今のように、どちらかが継続的に苦しみや痛みを与えられて行動不能になれば、残されたほうも同じく行動不能になり、救助に向かうこともできない。
攻撃力は非常に高いが、代償として防御力がとても低い諸刃の剣。それが、薺と菘という精霊達の特徴だった。
「うぐっ、たす……けて……!」
菘が発した声に、僕は彼女を向いた。
首を押さえたまま、黄色い着物の少女は続ける。視線をこっちへ向けようとはしなかった、いや、苦しみに耐えるのが精一杯で、向けられないのだろう。
「お姉、ちゃんを……ぐっ、助けて!」
千芹が僕を呼ぶ。
《いつき!》
それが何を意味するのか、彼女が僕にいかなる行動を求めているのか。問い返さずとも、理解はできた。薺も菘も行動不能になった今、彼女達を救えるのは僕しかいない。
僕が行動しなければ、薺と菘がやられてしまう。無謀を冒す理由は、それで十分だった。
天照をぐっと握り、僕は応じた。
「ああ、分かってる!」
下手に獄鏖鬼に近づけば、返り討ちに遭うリスクが高いことなど分かっていた。だが怖いだの、勝ち目がないだのと言っていられる状況ではなかった。
石畳を蹴り、僕は薺の首を掴み上げている獄鏖鬼へと走り寄る。
「やめろ!」
そう叫ぶと、獄鏖鬼が振り返った。その時にはすでに、僕は天照を振り上げていた。
薺に止めを刺すことに気が傾き過ぎていたのか、それとも降りしきる雨で僕の姿がよく見えなかったのかは分からない。それでも僕の行動は無駄にはならなかった。
繰り出した一撃は獄鏖鬼の肩に命中し、また青い閃光が迸った。
首を掴み上げられていた薺が、解放される。
「うっ、ごほっ!」
咳き込む彼女に駆け寄りたかったが、その猶予は与えられなかった。
標的を僕に変更した獄鏖鬼が、すでに僕に向かって拳を振り上げていたからだ。
《くたばれ!》
――まずい、避けられない……!
獄鏖鬼の攻撃は、ただのパンチ一発でさえ石畳を打ち砕く破壊力だ。そんなものを喰らえばどうなるかなど、考える必要もない。
死を覚悟したその時だった。腹部に何かがめり込む感触がしたのだ。
「ぐふっ!」
何が起きたのかは分からなかった。僕はただ、突如襲ってきたその衝撃に従い、後方へと飛ばされるのみだった。
息が止まりそうになるほどの衝撃――だが結果的にそれは、僕の命を救うこととなった。お陰で僕は間一髪、獄鏖鬼の繰り出した攻撃から逃れることができたのだ。目標を失った獄鏖鬼の拳は、神社の石畳を無意味に打ち砕いた。あの攻撃を受けていれば、僕の身体も粉々になっていたに違いない。
背中から地面に転げる、痛みに悶えつつ腹部に視線を向けると、見覚えのある毬が見えた。
(これは……)
その持ち主が、僕に駆け寄ってくる。
「ごめんなさい!」
菘だった。薺が解放されたことで、彼女も自由を取り戻したのだ。
間違いない、この毬は彼女の霊具だ。
「乱暴だったけど、助けるにはこうするしかなかったんだよ!」
弁明しつつ、菘は僕を助け起こしてくれた。
獄鏖鬼が僕に攻撃を仕掛けようとした時、菘は毬を操ってわざと僕の腹部に当てた。そうして僕を弾き飛ばすことで、攻撃から逃れさせてくれたのだ。それなりに痛みはあったものの、鳩尾は外してくれていた。そもそもどんな痛みでも、命には替えられない。
心配そうに僕を見つめる菘、彼女を責めようなどとは思わなかった。
「いや、お陰で助かった」
続いて、千芹の声が聞こえた。
《いつき、立てる?》
咳き込みつつ、僕は立ち上がった。
「大丈夫……!」
すると、薺も僕達の近くに戻ってきた。
「ごめんなさい、お陰で助かりました……!」
僕はただ、『気にしなくていい』という意味を込めて首を横に振った。
そして、獄鏖鬼へ向き直る。
――このまま戦い続けて、勝てるとは思えなかった。
これまで戦ってきた鬼とは段違い、いや、もうそれどころじゃない。こっちは四人もいるというのに、人数の差をものともしない強さ……どうすればいいのか、分からない。
《戦い方を変えよう、いつき》
僕の考えを見越したように、千芹が提案してきた。
「でも、どうすれば……!」
僕が問い返すと、彼女は言う。
《『獄鏖鬼を倒すこと』じゃなくて、『お友達を獄鏖鬼から救い出すこと』を優先するの》




