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鬼哭啾啾4 ~鬼が哭く~  作者: 灰色日記帳
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其ノ参拾九 ~動キ出ス運命~


「っ!」


 降りしきる雨の中、鵲村を歩いていた一月は、たった今感じ取った鬼の気配に息を飲んだ。

 獄鏖鬼が近くにいる、それはつまり、蓮が近くにいるということだった。

 だが、それにはある疑問が浮かぶ。今、一月は琴音とともに鵲村に来ている。獄鏖鬼と化した蓮と遭遇したのはこの村ではなく、都会の街なのだ。

 何故、蓮が鵲村に……琴音を振り返ると、彼女も驚きに目を丸くしていた。一月と同じように、琴音も獄鏖鬼が近くにいることを感じ取ったに違いなかった。

 一月が何かを言うより先に、琴音は言った。


「私達を追ってきたんだよ。殺すために……もう私達の居場所を探り出せるほどに、獄鏖鬼は力を増しているんだよ……!」


 それ以外には何も言う必要はないといった感じで、琴音は言った。

 鬼の力があれば、街と鵲村を行き来することなど造作もないのだろう。そして獄鏖鬼がここまで追ってきた、つまり蓮は自分と琴音を殺害の標的として確定したということだと一月は思った。

 獄鏖鬼と完全に融合し、蓮の理性は奪い去られ、失われてしまったのだろうか。それはもう、蓮が死んだということと同義だと感じられた。

 だが、親友を救うという使命感を取り戻した一月は、すぐにその考えを振り払った。


「まだ、助けられる……!」


 小学校の頃、自分や琴音と一緒に稽古に励んでいた蓮を思い出しながら、一月は言った。

 もちろん、何の根拠もないことだった。しかし一月には、蓮が獄鏖鬼に易々と飲み込まれてしまうような少年だとは思えなかった。

 

「蓮はそんなに弱い奴じゃない、きっとまだ間に合う……僕達のために気を張って、辛さを押し殺してくれていた……優しくて心の強い彼が、そんな簡単に負けるわけがない」


 琴音は、祈るような面持ちで一月を見つめていた。

 彼女に訴えかけるように、続ける。


「もう天照も抜ける。これならきっと獄鏖鬼にも立ち向かえるはず……蓮を助けに行こう、琴音」


 獄鏖鬼が一月と琴音を追って鵲村にやってきたということは、つまり獄鏖鬼を、蓮を探す手間が省けたということでもあった。

 姿をくらまされて時間を稼がれ、蓮を完全に取り込まれるのではと一月は危惧していたが、その心配はなくなった。

 ポケットから、クマのマスコットを取り出す。

 一度は蓮の手に渡り、そして自分が一緒にいた証として、彼自身の手で琴音に返却された物だ。一月と琴音、それに蓮。三人の思い出の品であるこのマスコットを見せれば、きっと……一月はそう思った。


「分かったよいっちぃ、私ももう、これ以上蓮に辛い思いはさせたくないから……!」


 胸元でぎゅっと拳を握りつつ、琴音は一月に同意した。

 蓮を救いたい、獄鏖鬼から助け出したいという気持ちは、彼女も同じに違いなかった。

 今こそ、蓮を暗い場所から連れ出す時だ。決意を新たにした一月が駆け出そうとした時、彼のポケットから着信音が鳴った。


「ちょっと待って」


 琴音にそう告げて、一月はスマートフォンを取り出した。

 こんな状況だ、友人からの電話ならば無視しただろう。しかし、それは極めて重要な人物からの電話だった。


「黛先生……」


 電話に出ると、すぐに黛が核心に迫る話を始めた。


『一月君、今の……感じただろう?』


 何を指しての話なのかは、問い返すまでもなかった。


「はい、感じました。獄鏖鬼の気配……もう、僕達のすぐそばにいるみたいです」


 離れた場所にいるが、一月や琴音と同様に、黛も獄鏖鬼の出現を察したのだ。

 かつての弟子達の身を案じ、連絡をしたに違いなかった。

 

「これから蓮の、獄鏖鬼の所へ行きます。一刻も早く、彼を救わなければならないから……もう天照も抜けるようになりました」


『天照を? 本当かい?』


 一月は頷いた。

 

「本当です、これならきっと……」


『いや、一月君。ちょっと待ってくれ』


 と、黛が一月の言葉を制した。怪訝に思った一月が問い返そうとした時だった。

 後ろから誰かの気配を感じた。一月が振り返ると、いつの間にそこにいたのか、大いに見覚えのある少女達が立っていた。

 緑色の着物を着た子と、黄色い着物を着た互いに瓜二つの少女達――薺と菘だった。


「あなたたち……」


 突如現れた二人の精霊達に、琴音が言った。

 どうしてここに、一月が続いてそう尋ねようとした時、黛が電話越しにその答えを教えてくれた。


『その子達も連れて行ってくれ、きっと力になってくれるはずだ』


 その言葉で、一月は黛の意図を理解した。獄鏖鬼との戦いに赴く増援として、彼は自らに付き従う彼女達を寄越したということだった。

 仲間が増え、四人となる。心強いと思ったが、一月はあることが引っ掛かった。

 黛は以前、ある仕事で傷を負い(恐らく、鬼が絡んだことに違いないだろう)、今の自分は薺と菘に命を繋いでもらっている状態だと言っていた。だとすれば、薺と菘が離れてはいけないのではないだろうか。

 しかし黛は、一月のその考えを先読みしたかのように告げた。


『心配には及ばない。今は調子は悪くないし、短時間であれば彼女達と離れても何ら問題はない』


「でも、先生……!」


 かつての師の、命に関わることなのだ。万が一があってはと感じた一月は、簡単に同意できなかった。


『一月君、君や琴音さんにとって、蓮君は大事な親友だろう。それは私にとっても同じことだ、彼は君達と同じ、私の大事な弟子だ。こうなってしまったことには、私にも責任がある……何もせずにいられると思うかい?』


 その言葉で、一月は黛の心境を察した。

 黛は蓮が親から虐待を受けていることを知っていたが、後を考えてそれを公にせずにいた。蓮の身を案じての判断だったのだが、結果的にはそれが蓮の凶行、そして獄鏖鬼の出現に繋がってしまったのだ。

 それは責められたことではないと思うし、もしも自分が同じ立場に置かれればどうすべきかなど分かるはずもない。だが確かなのは、黛は蓮の身を第一に考え、彼を救おうと尽力したのだということだった。

 罪悪感以上に、蓮を救いたいという気持ちが勝ったに違いなかった。だからこそ、危険を承知の上で薺と菘を応援に向かわせたのだ。


『弟子達が命を賭して友を救おうとしている中、それを離れた場所から指をくわえて見ているだけの男……君の目には、私がそんな人間に見えたのか?』


 いつもの穏やかな声色の中に、有無を言わせぬ雰囲気が込められていた。

 もし万全の体調であれば、黛は自分自身が獄鏖鬼と戦うつもりだったに違いなかった。それが叶わない今、希望を一月達に託すことに決めたのだ。


「分かりました黛先生、薺と菘……彼女達の力、お借りします」


 師匠の厚意を謹んで受けること、一月にはそれ以外の選択肢はなかった。

 

『すまない一月君、琴音さん……どうか、蓮君を救ってくれ』


 その言葉を最後に、通話が終了した。

 スマートフォンをしまい、一月は薺と菘を向いた。


「ふたりとも、僕達に協力して欲しい」


 薺と菘、瓜二つの容姿を持つ彼女達が、同時に頷いた。


「もちろんです」


 と薺。


「お友達、一緒に助けよう!」


 と菘。

 彼女達に頷き返すと、一月は琴音と視線を重ねた。

 

「行こういっちぃ、蓮を助けに」


 琴音の澄んだ瞳の奥に、決意が宿っているのが分かる。

 

「うん、行こう」


 それから一月は琴音と、そして増援として仲間に加わってくれた薺と菘とともに、獄鏖鬼の気配を辿りつつ駆け出した。

 走るにつれ、嫌な空気が強まっていくのが分かる。それは獄鏖鬼に近づきつつある証拠であり

、また向こうが一定の場所に留まったまま、動いていないということだった。

 自分達を……いや、自分を待ち構えているのだと一月は思った。少なくとも蓮は、琴音が既に命を落としていることを知らないはずだから。

 一月や琴音を殺害の相手と決めたのなら、おびき出すよりも殺しに来た方が手っ取り早い。だがそうしないのは、何か理由があるのだろう。降りしきる雨音を聞きつつ、一月は考えた。だが、皆目見当もつかなかった。

 そして、走り続けること数分が過ぎた頃――足を止めた一月と琴音の前には、その場所があった。


「神社……!?」


 言ったのは、琴音だ。

 鵲村には全部で六か所の神社が存在する(一月が大学へ進学する以前の情報なので、今はどうなのかは定かではないが)と聞いたが、ここはその中で最も大きく、歴史のある神社だ。

 死者の念を重んじる風習があるこの村だからこそ、こういった祭祀施設は古くから大切にされてきたらしい。つい最近、塗装工事を行ったのだろう。かつては傷や汚れの目立っていた鳥居が、入念に塗り直されているのが分かった。

 鳥居の先には石段が見え、より強い獄鏖鬼の気配がその先から感じられた。

 この先に、蓮がいる。それを確信した一月は、同時にある疑問を抱いた。


「どうして……この場所を?」


 一月にとっても、恐らく琴音にとっても、ここは単なる神社ではなかった。

 この神社は、蓮も琴音も小学生だった頃に、蓮や彼の妹と一緒に行った、あの夏祭りが催された場所なのだ。つまり思い出の場所であり、忘れようにも忘れられはしない。目の前にある鳥居も、石段も、周囲の木々も……十年近くの月日が過ぎていても、あの頃の面影が残されていると一月は思った。

 風が吹き、一月の手から傘が離れて飛んでいく。それを追おうとも思わなかった。鬼との戦いに、傘など何の役にも立ちはしない。

 

「私達と一緒に……思い出も全て、葬り去るつもりなのかも」


 琴音が言った。

 そうなのか、そうではないのかは蓮にしか分からない。

 一月は拳を握った。


「行こう」


 返事も待たず、一月は鳥居をくぐり、石段を登り始めた。祭りの時には、この場所に多くの提灯が飾られていた。だが今は明かりすらなく、陰鬱で暗い雰囲気だけが支配していた。

 雨が全身に降りつけるが、そんなことは気にもならない。

 進んでいくごとに、鬼の気配は強さを増していく。引き返そうとは思わなかった。そんなことをしても無意味だと、一月は理解していた。

 石段を登り切った時、闇に浮かぶように佇む人影が見え、一月は息を飲んだ。


「っ!」


 それが誰なのかなど、考える必要もない。

 いつの間にか、琴音が千芹に変じていた。一月以外の人間に生前の姿は見せられないから、精霊としての姿に変わったのだろう。

 唾を飲み、一月は歩み寄っていく。恐怖は確かにあった、だがもう後戻りは許されない。

 一月の接近を察したように、目の前にいた人物が振り返った。

 同時にどこかからか雷鳴が轟いて、薄暗い周囲が一瞬だけ眩しく照らされた。

 その少年の顔が、はっきりと映し出される。


「蓮……!」


 ずっとここで待っていたに違いなかった。


「待ってたぜ」


 含みのある声色で、かつての親友が言った。

 その表情には邪悪さが滲んでいるように思え、獄鏖鬼との融合が進んでいることの証明だった。 


「獄鏖鬼から早く離れた方がいい、でないと、君は自分を失くしてしまう……!」


「そんなこと、お前には関係ないだろ」


 身を案じての一月の言葉を、蓮は冷徹な口調で一蹴した。


「お陰で、俺を蔑んできた奴らに復讐できたんだからな。良い気分だったぜ」


 彼がここまで冷酷になれるなど、一月は知る由もなかった。

 一月が知っている蓮と、今目の前にいる少年は様子が違い過ぎて、どうしても結び付けられない。獄鏖鬼のせいだと信じたかった。もしもそうでないのなら、悲しくてやりきれないだろうから。

 蓮が天を仰いだと思うと、一月達の方へ視線を向けた。


「蓮、まだ間に合う、もうこんなこと……!」


「説教か、しばらく会わないうちに偉くなったもんだな」


 刃物のような鋭い瞳で一月を射抜き、蓮は言い放った。


「蓮なんて奴は、もういない」


 蓮が、一歩前に歩み出る。

 邪悪で威圧感すら帯びたその雰囲気に、一月は思わず後退した。


「俺は……獄鏖鬼だ!」


 その言葉を合図にしたかのように、蓮の全身を赤黒い霧が覆い包み始めた。

 

「いつき!」


 数分前までは琴音であった少女、千芹が歩み出ると、一月の前に腕を伸ばして後退を促した。

 そして彼女は、天照を手渡してくる。


「戦うしかないのか……!」


 できることなら、戦いは避けたかった。

 説得のみで蓮を救い出せればと考えていたが、神は一月の望みを聞いてはくれなかったのだ。

 ならばもう、残された道は一つしかない。覚悟を決めた一月は、天照を鞘から抜いた。眩い銀色の刃が姿を見せ、それを構える。

 その頃には、蓮はもう完全に赤黒い霧に包み込まれ、獄鏖鬼へと姿を変じさせていた。

 自分の腕や手をひとしきり見つめたかと思うと、獄鏖鬼は天を仰いで咆哮した。


「ぐっ!」


 思わず視線を背けた。降り続ける雨粒を蹴散らし、周囲の木々を揺らす程のそれは、音というよりもまるで衝撃波だったのだ。

 狂気の雄叫びにも、苦痛に満ちた悲鳴にも聞こえる咆哮に耳を塞ぎたくなったが、そんなことをする余裕などありはしない。

 千芹が青い光の玉へと姿を変じさせ、一月が持つ天照にその身を宿し、天照の刃が青色に輝き始めた。

 薺と菘も、それぞれの霊具を取り出していた。

 

 鬼と化した友、死闘の舞台と化したかつての思い出の場所。

 勝るのは思い出か、それとも憎しみか。決める時が来た――。






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