其ノ参 ~憎悪ト殺意~
明るい世界に、蓮は立っていた。
それまで押し込められていた独房とは違い、カビ臭くもなく、薄暗くもなく、閉塞感もなく、看守の怒号も受刑者の悲鳴も聞こえない、光と温かさに満ちた世界だ。
ここは、どこだ?
そう思った矢先、蓮は目の前に二つの人影を見つけ出す。その一人は少年で、もう一人は少女だ。
遠目で見ても、その二人が誰なのかは分かった。
「一月、琴音……」
柔らかな光を全身に享受しながら、蓮はその二人の名を口に出した。
金雀枝一月と秋崎琴音――二人とも蓮と同い年であり、大切な友人でもあった。
「どうして、ここに……」
蓮はまず初めに、疑問を抱いた。
理由は明確、目の前にいる二人の友人とはもう二度と会えないはずだったからだ。彼らとの再会は叶わぬ夢、永遠に実現しないはずの出来事なのだ。
一月も琴音も、蓮の問いかけに答えはしなかった。ただ蓮と視線を合わせたまま、二人とも微笑んだ。蓮との再会を喜んでいるように見えた。
彼らの側に寄ろうと、蓮は駆け出そうとする。
その時だった。何者かが、蓮の足首を掴んだのだ。
「っ!」
驚いた蓮は、自身の足元を見つめ――戦慄した。
蓮の足首をがっちりと掴んでいたのは、蓮の見知った少女だった。しかし、その顔は決して見知ってはいなかった。
本来、眼球が存在するはずの部分が空洞となっており、眼窩の奥には代わりに吸い込まれるような闇が広がっていた。そこからは鮮血がとめどなく溢れ出ており、血の涙を流しているようだった。
「よ、よせ、離せ……!」
瞳が丸ごと欠如しているのに、蓮にはその少女に睨みつけられていることが分かった。
彼女が抱く猛烈な恨みや憎しみ、そして怒りが伝わってきて、蓮の心を侵食していく。逃れようとしたが、蓮がどれだけ力を込めても、少女の手を振りほどくことはできなかった。その手からは体温が感じられず、氷のような冷たさを帯びていた。
《お兄ちゃん……》
それは、少女が発した声ではなかった。しかし蓮は確かに、彼女が発した意思を受け取った。
抑揚がなく、独り言のようにも思えるそれはとてつもなく不気味だった。しかし蓮には、耳を塞ぐ余裕も残されてはいない。
《どうして、私を殺したの……?》
少女の眼窩からは鮮血が溢れ出続け、流れ落ちたそれが地面を真っ赤に染め上げていく。
「やめろ、やめてくれっ……!」
逃れようと、蓮は今一度身動きした。しかし結果は同様、少女はその外見に見合わぬ恐ろしい力で蓮を捕らえ、決して離そうとはしなかった。絶対に蓮を逃さないという、身の毛もよだつほどの執念が感じられた。
そうしている間にも、血の水溜まりは刻一刻と広がっていき――やがて周囲一帯が、血の海と化した。
周囲一帯を満たしていた光と温かさは、もう陰も形もなくなっていた。蓮がいるこの世界は、地獄さながらの恐ろしい場所へと変貌していたのだ。
恐怖に駆られながら、蓮はかつての友人達を振り向いた。
一月と琴音は素知らぬ顔をしたと思うと、蓮に背を向けて歩き始めた。
「一月、琴音!」
喉が嗄れるほどの声で、蓮は二人の背中に呼び掛けた。しかし一月も琴音も振り向かなかった、足を止めさえしなかった。やがて二人の姿は、光の中へと消えていく。彼らは蓮を置き去りにし、去って行った。決して、蓮が立ち入ることの許されない場所へと行ってしまったのだ。
血の海は、それ自体が蓮を飲み込もうという意思を有しているかのように、刻一刻とその水位を上げていく。恐怖と不気味さで、蓮は半狂乱に陥る寸前だった。
助けてくれ! そう叫ぼうとした時だった。
《赦さない》
憎しみそのものを吐き出すような声に、蓮は視線を少女へと戻した。否、戻させられた。
眼球の存在しない少女に再び視線を向けた瞬間、もう目を逸らすことができなくなってしまった。
蓮は、感じ取ってしまったのだ。
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
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殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
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殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
猛烈な殺意が、放射能のように蓮を覆い包んでいく。
彼女の負念が見えざる刃物となって心に突き刺さり、蓮の精神を破壊していく。
血の海の水位は胸のあたりにまで到達していて、鉄を含んだ生臭さが鼻をつく。このままでは溺れるのは時間の問題だったが、やはり逃げることはできなかった。少女が足首を掴んで離さなかったし、そうでなくとも、すでに蓮は正常な思考を働かせられる状態ではなかったのだ。
彼に許された唯一のこと――それはただ恐怖と罪悪感と自責の念に苛まれながら、狂人のような叫びを上げることだった。
「うわあああああああああああああああああああああ――ッ!!!!!」
次の瞬間だった、蓮の左側頭部を鋭い痛みが走り抜けたのだ。