其ノ参拾参 ~次ナル目的~
世莉樺から天照を借り受けた後、一月はまたバスに乗って都市へ戻るつもりだった。
そして蓮を探し出し、彼に……正確には彼を飲み込もうとしている獄鏖鬼に戦いを挑むつもりでいた。一刻も早く獄鏖鬼を止め、蓮を救わなければならなかった。
しかし、それにはまだ問題があった。
琴音と一緒にバス停へ向かっていた時、一月のポケットに入っている携帯電話が着信音を奏でた。
「っと……」
携帯電話を取り出した時、一緒にポケットに入っていたクマのマスコットが滑り落ちた。
電話に出るよりも先に、一月はマスコットを拾ってポケットに戻した。隣にいる琴音が息を飲んだのが分かる。
琴音に何かを言うより、一月は電話に出ることにした。画面には、『黛先生』と表示されていた。
別れ際に、かつての師と連絡先を交換しておいたのだ。一月は電話に出た。
『もしもし、黛です。一月君?』
こうして電話を掛けてくるということは、鬼に関して話があるに違いなかった。
「どうしました、黛先生」
『ああいや、心配だったから掛けてみただけだよ。あの後、何か変わったことはないかい?』
一月の身を案じ、連絡をしただけのようだった。
前に、黛は過去に傷を負っていることを聞かされた。故に獄鏖鬼と戦える状態にはなく、薺と菘に命を繋いでもらっているとのことだったが、電話から伝わるその声は健康そのものだった。薺と菘さえ側にいれば大丈夫なのだろう。
「今の所は大丈夫です。それよりも先生、天庭に代わる霊具を手に入れられました。天照です」
一月は、世莉樺から天照を借り受けたことを黛に伝えようと思っていた。しかし黛が先んじて電話をくれたことで、その手間が省けた。
『天照か、天庭以上に霊力の強い真剣だ。獄鏖鬼の力でも、簡単に折ることはできないだろう。だがしかし……』
「今の僕に、この天照は抜けない。ですよね?」
難色を示す声を発した黛に、一月は先んじて言った。
『分かっていたのかい?』
「はい、これを僕に貸してくれた子から事前に聞いていました。天照は使い手の心を見透かす霊刀、これを認めさせる『想い』がなければ、扱うことはできないって」
一月と会う以前に、世莉樺がメールで教えてくれていたことだった。
天庭より強い霊力を有しているものの、天照は無条件では使えないのだ。
周囲を見渡して人がいないことを確認する。携帯電話を一旦置き、一月は竹刀袋を開いて天照の柄を掴んでみた。鞘を掴んで刀を抜いてみようとするが、抜けなかった。それもただ抜けないというわけではなく、天照自体が意思を持ち、その刃を見せることを拒んでいるかのように感じられた。
携帯電話を拾い上げ、今一度耳に当てる。
「やっぱり、今の僕には天照を抜けません」
つまり、一月の想いが不十分だということだった。
『そうか……それに抜けたとしても、天照があるからといって獄鏖鬼を倒せるかと問われれば、定かではないかも知れないな』
黛の言う通りだった。
天庭では全く歯が立たなかった、それより強い霊具を用意したところで勝てるという根拠にはならない。次も同じ結果になるかも知れない……いや、前回と違って黛の助けが期待できない以上、もし天照も折られたりしようものなら、今度こそ一月は命を落とすことになるだろう。
天照があるだけでは十分ではない、抜けるようにならなければ何の意味もなさない。
『まだ不完全と言えど、今の蓮君は獄鏖鬼に人格を浸食されつつある状態だ。何か、彼の記憶を呼び起こせるような物でもあれば、彼自身が獄鏖鬼に打ち勝つ突破口となるかも知れないが……』
黛が提案するが、そんな物に心当たりなどない。
蓮が暮らしていた家も全焼し、何も残っていないはずだ。
「でも、そんな物はどこにも……」
その時、近くで会話を聞いていた琴音が、何か思い当たったように言った。
「ねえ待って、もしかしたら……!」
携帯電話を耳に当てたまま、一月は彼女を向いた。
「どうしたの?」
一月が問うと、
「私が蓮にあげて、小学校の卒業式の日に蓮が私に返してくれたマスコット……あれならどうかな?」
琴音の言葉を頭の中で整理し、一月は思い出した。
今も一月がお守りとして持っている、琴音がくれたクマのマスコット。あれと同じ物を、琴音は蓮にも渡していた。
しかし彼女の言う通り、蓮は琴音がくれたそれを彼女に返却していた。不要になったから返したのではなく、離れ離れになっても自分を忘れないで欲しいという気持ちからだった。
一月が考えていると、琴音が首を横に振った。
「ううん、もうずっと前のことだし……蓮があんなマスコットのことなんか覚えてるわけないよね。ごめんいっちぃ、忘れて」
「いや……可能性はあるかも知れない」
琴音の言葉を否定し、一月は続ける。
「蓮が僕達に別れを告げた時……彼は泣いていた、僕らとの別れを惜しんでくれていたんだ。あのマスコットがあれば、きっと……!」
獄鏖鬼となった蓮を一目見ただけだったが、一月には彼の瞳からまだ本来の人格が残されていることを感じていた。心を浸食されつつあっても、それはまだ不完全ではないのだ。
思い出せば、一月のポケットから落ちたクマのマスコットを凝視し、それを起点として蓮は目の前の相手がかつての友だと気付いていた。その事実が、何にも勝る根拠だった。
蓮は、あのクマのマスコットを覚えているに違いない。一月はそう結論付けた。
「琴音、君が蓮にあげたマスコットは……?」
琴音は応じる。
「私が生前暮らしていた家の、私の部屋の引き出しの中。蓮に返してもらってから、ずっとそこにしまってあったはず……でも、今もあるかどうかは……!」
「琴音が暮らしていた家? それはつまり……」
一月の頭に、ある場所が浮かび上がった。
「あの廃屋……」
電話越しに、黛が問うてくる。
『何か、思い当たることがあるのかい?』
「はい先生、もしかしたら……」
その時、琴音が一月を引き留めるように言った。
「でもあそこは、あそこに行くのは……いっちぃ、辛いんじゃない? もし嫌なら……!」
自分に配慮してくれているのだと、一月には分かった。
しかし、
「いや……行こう。君が蓮に渡したマスコット、それが彼を救う鍵になると思う……とにかくモタモタしていられない、こうしている間にも、蓮は獄鏖鬼に意識を奪われつつあるんだ」
琴音は息を飲み、黙った。
しかし一月の気持ちが伝わったらしく、迷いをその表情に浮かべつつも、頷いてくれた。




