其ノ参拾 ~紐解カレル過去~
「蓮君を初めて見た時……とても悲しい目をしていると私は思ったんだ。あれは、琴音さんや一月君が入門する前の話だったな。私が当時教えていた子達を送り出した時、蓮君はただ道場の前に立っていた。その体から発せられる悲しみの波動に、私はどうしても放っておけなくて……声を掛けたんだ」
黛の口から、一月も琴音も知る由もない蓮の過去が語られ始めた。
「悲しい目……蓮が……?」
一月が知っている限り、蓮はいつも明るく陽気で、それでいて優しい少年だった。
そんな彼の悲しい目など、思い出そうとしても浮かんではこない。当然だ、そもそも見たことがないのだから。
「一月君、琴音さん……今から言うこともまた、私は君達には話すべきではないと思い、これまでは自分の胸の内に留めてきた。何よりも、蓮君自身から君達には黙っているように頼まれていたんだ」
黛は一月と目を合わせ、続いて琴音とも視線を重ねた。
それはまるで、かつての弟子達の覚悟を確かめているようにも見えた。
「ここから先のことを話すのは私にとっても、聞き手となる君達にも酷なことだと思う。聞けば後悔するかも知れない……それでも、大丈夫かい?」
一月は唾を飲んだ。
黛がここまで、打ち明けるのを迷うこと……それほどまでに重大で、そしてきっと耳を塞ぎたくなるような話に違いなかった。
彼の言う通り、聞けば後悔するのかも知れないと思った。だが一月は、
「話して下さい、黛先生」
僅かに沈黙を挟んだが、迷いのない口調で応じた。
一月は、隣にいた琴音を見た。彼女も一月を向き、視線が重なり合う。
真実を受け止める覚悟はできている、逃げる気はない。その決意は、想い人である少女にも伝わったようだった。
一月が小さく頷くと、琴音も同じようにした。
「私からもお願いします、先生。どうして蓮があんな……獄鏖鬼になんてなってしまったのか……私達も知りたいんです」
鬼となってしまったかつての親友、彼を救うのに尻込みなどする気はない。一月はそう思っていた。それは、琴音も同じだったようだ。
黛は深呼吸をした。聞き手となる一月と琴音はもちろん、話し手となる彼にも覚悟が必要なのだ。
「分かった、君達の勇気に感謝しよう」
一度下を向いた黛は、すぐにかつての弟子達と視線を重ね直し、口を開いた。
「蓮君は、実の両親から虐待を受けていたんだ」
打ち明けられた真実に、一月は息を飲んだ。
「虐待……蓮が……!?」
一月が言う、黛は続けた。
「一月君も琴音さんも、蓮君が決して人前で着替えをしようとせず、夏にも長袖の服を着ていたことを覚えているかい? あれは、自身の腕や背中に刻まれた煙草の痕を人に見せないようにするためだったんだ」
思い返してみれば、確かにその通りだった。
他の皆とは別の場所で着替え、半袖の服を絶対に着ようとしなかった蓮、当時から一月は何となく疑問に感じてはいた。しかし、まさかそんな理由があったとは思いもしなかった。
そこで一月の頭に、何かが引っ掛かる。
(腕や背中に煙草の痕……? それってまさか……!)
そもそも、どうして蓮の腕や背中に煙草の痕があるのかだ。
答えは簡単で、そして残酷だった。
「蓮君の父親は、自分の息子に火が付いた煙草を押し当てたりしていたんだ」
黛が語ったのは、予感通りの答えだった。一月も琴音も、息を飲んだ。
受け入れがたかった。親友だった彼が、いつも明るく振舞っていた蓮が、実の両親からそんなことをされていただなんて。驚きと衝撃に、一月はただ絶句してしまう。
「ひどい……自分の子供にそんなこと……!」
胸元でぎゅっと拳を握り、震える声で琴音が言った。
生前、彼女は幼くして両親を亡くし、祖母の家で育った。両親と過ごした時間が短いからこそ、琴音は親の暖かみを知っているのだ。黛が語った真実は、一月以上に彼女の方が衝撃的に聞こえたかも知れない。
「殴る蹴るは日常茶飯事……母親の方は見て見ぬふりをしているだけで、自分の子供達を救おうとは一切しなかったそうだ」
その黛の言葉に、一月は引っ掛かる点があった。
「子供達……? そういえば、蓮には……!」
黛は頷いた。
「君達も知っているだろう、蓮君には妹さんがいたんだ。会ったこともあるんじゃないかな?」
「はい、一度だけですけど……」
小学校の頃、一月は琴音や蓮と一緒に神社の祭りに行ったことを思い出した。蓮はあの時、彼の妹を連れて来たのだ。
鮮明には記憶していないが、可愛らしい女の子だったのを一月は覚えていた。彼女は一月や琴音ともすぐに打ち解けられた。一月は彼女の名前を思い出そうとしたが、何せ小学校の頃に一度会っただけの子だ。名前どころか、顔すらはっきりとは思い出せなかった。
「日向ちゃん……」
琴音がそう呟いた。
「確かあの子、日向ちゃんて言わなかったっけ……?」
彼女の言葉に、一月ははっとする。
「そうだ……間違いない、そうだよ」
琴音に言われて、名前を思い出した。
出間日向、それが蓮の妹である少女の名前だ。
蓮が虐待を受けていたということは、きっと妹であるその子も……? そう思った時だった。
「少し逸れるが……」
黛が、そう切り出した。
「一月君、琴音さん……君達は気づいているかな?」
「気づく……?」
曖昧な黛の言葉に、琴音が問い返した。
「この所世間を騒がせている、鶫ヶ丘少年刑務所から脱走したある少年のことだよ、彼は……」
一月は思わず、声を上げてしまいそうになった。
突き上がるように衝撃が込み上がり、脳天を直撃するような感覚を覚えた。彼の頭の中で構築された事実は、それほどまでに重大で、受け入れ難いものだったのだ。
どうして、気づかなかったのか。
獄鏖鬼の正体は、蓮だったのだ。そして、その受刑者は獄鏖鬼の力を使って看守を殺害し、刑務所の壁を破壊して逃亡した。
数珠つなぎ的にそれらの事柄を組み上げれば、いや、ほんの少し考えれば分かることだった。
鶫ヶ丘少年刑務所から脱走した少年とは、他でもない……蓮だったのだ。つまり彼は何らかの重大な罪を犯したことで、収監されていたのだ。
「蓮が、少年刑務所になんて……どうして……!」
一月の言葉に、黛は気づいたようだね、と言いたげな表情を浮かべた。
「黛先生、蓮は何を……!?」
琴音も問う。
そして黛は、打ち明けた。
「蓮君の罪状は放火殺人……彼は自分の家族を殺害し、家に火を放ったんだ」




