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鬼哭啾啾4 ~鬼が哭く~  作者: 灰色日記帳
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其ノ弐拾 ~懺悔~


「君は……?」


 看守の男性は、怪訝な眼差しを向けてきた。いきなり話し掛けたのだから、無理もないだろう。


「金雀枝と申します、この刑務所で起きた脱獄、それに伴う殺人事件について調べている者です」


 少しばかり単調ではあったが、淀みがなく、年の割にしっかりとした口調で一月は自己紹介をした。

 この看守は恐らく、獄鏖鬼が刑務所の壁を破って脱獄する現場に居合わせた。つまり彼は獄鏖鬼となった囚人のことも、その囚人が誰なのかも知っているはずだ。話を聞くことができれば、多くの有益な情報が得られるのだ。

 見知らぬ人間にこんなことを言われれば、戸惑って当たり前だ。だからこそ、一月はできる限り警戒させないよう注意を払い、言葉を続ける。


「さっきの話、宜しければ聞かせて頂けませんか?」


 看守は視線を逸らし、自嘲気味に笑みを漏らした。


「話なら何度もした、でも誰も信じてくれなかったよ。無理もない……大杉さんと宇崎を殺したのは人間じゃない、恐ろしい化け物だなんて話……」


「大杉さんと宇崎?」 


 一月が問い返すと、看守は一月と再び視線を合わせた。

 その面持ちは恐怖に駆られているようで、彼は顔を震わせながら語り始める。


「脱獄囚に殺された俺の上司と同僚だよ、宇崎は腹を貫かれて、大杉さんなんか顔を丸ごと潰されて……俺はその現場をまともに見ちまったんだ。あんな地獄みたいな光景、生まれて初めてだった。思い出すたびに吐き気がする、未だに食欲が湧かないんだ……!」


 看守の話を聞いて、一月は唾を飲んだ。

 無残に殺された人間の姿、それを目の当たりにすることがどれほど恐ろしいかは、一月も知っていた。

 五年前、初めての怪異の時、彼は廃屋で鬼に殺された二人の女子高生の死体を目撃した。惨たらしく殺され、血塗れの肉塊と化したそれを見て、猛烈な吐き気を催したことも覚えている。

 そして、獄鏖鬼に殺されたであろうあの数々の死体も――凶行は、再び繰り返されているのだ。

 頭を抱え、恐怖におののくように体を震わせる看守、少しの後、彼は我に戻ったように言った。


「どうせ信じないだろ、こんな話……でも俺は見たんだ、間違いなく見たんだよ、あの化け物を……!」


 化け物が出た――確かに、そんな非現実的で常識から逸脱した話を信じはしないだろう。そう、彼の話の聞き手が、一月ではなかったのなら。

 信じるか信じないか、あえてそこを明言せずに、一月は言った。


「その化け物とは……赤黒い霧に体を覆われた人間のことですか?」


 看守が、弾かれるように一月を向いた。

 目を見開き、瞬きもせずに視線を重ねてくる。その顔を見ただけで、答えは明らかだった。


「まさか……君は、あの化け物を知っているのか?」


 一月は頷いた。


「とても危険な存在なんです。一刻も早く止めないと、また誰かが犠牲になってしまう……教えて頂けませんか、その囚人のことを」


 混乱を避けるために、あえて一月は『獄鏖鬼』という単語は出さずに話していた。

 看守が考え込む、その顔を縋るような面持ちを浮かべつつ見つめる。警察でもない一般市民である人間に、無暗に囚人のことを話せないのは分かる。しかしここで情報を得られなければ、それは手詰まりに他ならなかった。

 琴音が「お願いします……」と言った。看守にその声は聞こえないが、二人の気持ちは届いたようだった。


「ここは人が多い、場所を変えよう。ついて来て」


 そう告げて、看守は歩き出した。それが何を意味する返事なのかは、考える必要もなかった。

 

「ありがとう御座います」


 感謝の言葉の後、一月は看守の背中を追った。

 歩くことおよそ三分、看守は刑務所から少しばかり離れた場所で足を止めた。道路沿いのそこに人の気配はなく、年季の入ったベンチと近くに公衆電話が設置されているのみだった。

 確かにここならば、誰かに会話を聞かれる心配はない……一月がそう思ったのとほぼ同時に、看守はベンチへ座った。


「先に言っておく。済まないが……都合で名前だけは教えられない」


 その手を組んで、看守は告げた。

 

「分かりました」


 本当はその囚人の名前を知りたかったのだが、プライバシーの観点などの事情があるのだろう。一月は何も言わずに、ただ了承した。

 空にいつしか灰色の雲が広がっていて、陽の光が遮られつつあった。 

 覚悟を決めるように深呼吸し、看守は語り始めた。


「そういえば自己紹介がまだだったね、俺は御藤。この刑務所に五年間、看守として勤めている」


 一月が十四歳の頃、つまり中学二年生だった頃から彼はこの刑務所にいるということになる。

 そして御藤は、本題と言うべき話に入った。


「あいつの罪状は放火殺人……両親と妹を殺害し、家に火を放って逃げたんだ」


「放火殺人……?」


 御藤は続ける。


「それもただ殺したんじゃない、聞いた話じゃ現場は調査困難になるほどに焼けてしまっていたらしいが……何度も何度も包丁で刺して、妹なんか両目を潰されていたって話だ」


 事前に得た情報で、一月は獄鏖鬼、つまり御堂が話す脱獄囚が十九歳、つまり自分と同じ年齢の少年だということは知っていた。

 自分と同じ年に生まれ、自分と同じ年に学校に入学・卒業した者がそんな凶行をやってのけたなんて……どんな境遇にあれば、そんな恐ろしいことができる人間に育つのだろう。そいつは獄鏖鬼に取り憑かれたから鬼になったのではなく、生まれながらにして既に鬼だったということなのか。一月はそう思った。

 隣で話を聞いていた琴音も、その表情に恐怖を浮かべていた。


「だが、あいつだけが悪いのかと問われれば疑問が残る……実は、あいつの家庭環境にも相当な問題があったんだ」


 御藤が発したのは、一月が抱いた疑問への答えとなる言葉だった。

 

「あいつには工場勤務の父親と、専業主婦の母親がいたんだが……父親の方は二人の子供、つまりあいつとその妹を虐待し、母親の方は専業主婦とは名ばかりで、子供達をほったらかして遊びに繰り出してばかりいたそうだ。殴る蹴るの暴行は日常茶飯事……それに俺も見たことがあるんだが、あいつの両腕には煙草を押し付けられた痕がいくつも残っていたよ」


 その話を聞いた一月は唾を飲んだ、無意識に拳を握っていた。

 両親や妹を殺した少年も恐ろしいが、彼の両親も負けず劣らずの外道だと思った。

 

「ひどい、自分の子供にそんなこと……!」


 震えるような声で、琴音がそう言った。


「そんなことが……!」


 一月が言うと、御藤は頷いて続けた。


「もちろん、家族を殺して放火し、逃げたあいつはすぐに捕まった。少年刑務所に入った当初は大人しくしていたんだが……ある時を境に、急に様子がおかしくなったんだよ」


「おかしくなったとは?」


 御藤は答えた。


「他の受刑者に突然暴力を振るったり、壁に頭を打ち付けたり……そんな異常行動が時が経つごとに増えていったんだ。このままでは危険だと判断した俺達は、あいつを独房に入れて拘束具で身動きを封じた。だが、今度は拘束具から力づくで逃れて自傷行為を再開し……それを止めに入った看守を何人も病院送りにするほどに、物凄い叫び声を上げながら暴れ狂ったんだ。まるで、何者かに精神を蝕まれているようだった……」


 その話を聞いて、一月は確信した。

 ――獄鏖鬼だ。その受刑者に取り憑いた獄鏖鬼が精神を奪い取り、凶暴性と戦闘能力を増長させたのだ。

 ぽつりぽつりと、雨が降り始める。


「俺達看守の中にも、受刑者に理不尽な暴力を振るったりする行き過ぎた者はいた。事実、脱走間際にあいつに殺された大杉さんと宇崎もそうだったとは聞いている……だが、あんな酷い殺され方は、罰としては重すぎるんじゃないかと思う……俺も受刑者への暴力を止めようとしたことはあったんだが、あの二人は聞き入れなかったんだ。俺も共犯なのか? あいつは俺のことも殺しに来るのか? 俺もあんな風に惨たらしく殺されるのか……怖いんだ、俺は怖いんだ……!」


 頭を抱え、懺悔するように御藤は言う。

 受刑者への暴力に加担した訳ではないし、止めようとしたのならば彼に非はないとも思えたが、一月には掛ける言葉が見つからなかった。

 見ず知らずの一般市民である自分に、御藤がどうして件の受刑者のことを話す気になったのか、何となく分かった気がした。

 誰でも構わないから、とにかく聞いて欲しかったのだろう。仲間の看守の惨殺死体を見てしまった恐怖、次は自分がああなるかも知れないという恐怖。誰かにそれを打ち明けることで、気持ちの安定を図ろうとしたのだ。

 突如振り出した雨が、一月に、琴音に、御藤に降り注ぐ。


「恐らく俺は、死んだら地獄に堕ちるだろう」


 自分の手の平を見つめながら、御藤は言った。恐ろしい化け物が生まれ出る原因の一端を担ってしまったかも知れない、そんな罪悪感から発せられた言葉であると、一月には感じられた。

 どこか遠くから、雷鳴が轟いた。


「いや、あんな化け物がいるこの現実そのものが……もう既に地獄なのかも知れない」






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