其ノ壱 ~金雀枝一月~
人が犯す罪は、常にその報いと共にある。
僕がそれを知っているのは、別に誰かに教えられたからじゃない。自分自身で悟ったことだ。
罪人は皆、例外なく裁きの鉄槌を受ける。遅かれ早かれ、禊の時は必ず来るだろう。
つまり、いつか僕にも贖罪の時は訪れる。
その時まで、僕は僕の罪を背負っていなくてはならない。見えないけれど、重く冷たい十字架を背中にくくりつけて生きていなければならないのだ。そう、鬼の呪縛と一緒に。
あれは今から五年前の秋――当時高校一年生だった僕は、初めて鬼と遭遇した。
鬼は、僕がずっと好きだった女の子の姿で現れた。姿形を取っているだけとはいえ、想い人と戦う葛藤は大きかった。それでも僕は戦うことを選び、そして怪異に終止符を打った。
それから数か月後……僕の前に再び鬼は現れた。その時は僕は当事者ではなく、あくまで協力者という立場だったが、最初のそれを超える程の悪夢だった。幾人もの命が奪われた、凄惨極まる事件。だけど壮絶な戦いの末に、乗り越えられたのだ。
それから現在に至るまで、僕はもう怪異に巻き込まれはしなかった。脳裏に刻まれた鬼の姿は消えなかったが、それでも平穏な生活を送ってこられたのだ。
鬼は、もうこの世に存在しない。もう二度と、あんな悪夢に巻き込まれたりはしない。もう誰も、呪いの餌食にはならない……僕はそう信じ始めていた。
それが最悪の形で裏切られることになるとは……この時の僕は考えもしなかった。
◎ ◎ ◎
九月。
蝉の合唱は徐々に鳴りを潜め、野原に群生したススキが陽の光を受けて黄金色に輝き、ひやりとした爽やかな風が吹きつける時期。彩月、紅葉月、暮秋などの異名を取り、木々はその葉を紅く染め始め、秋の訪れを人々に感じさせる。
そして金雀枝一月にとって、九月とはいつよりも縁のある時期だった。
九月を迎えるたびに、一月は五年前の出来事を鮮明に思い出す。誰に話そうが信じてもらえないような、余りにも非現実的で、思い出すだけでも恐ろしくなる事件――自身が体験した、怪異のことを。
大学に進学し、鵲村を離れて一人暮らしを始め、成人してもなお忘れられない。何年たっても何十年経っても、記憶に残り続けるだろう。
剣道着に身を包んだ一月は、体育館の片隅で壁に寄りかかり、手にしたマスコットを見つめていた。
茶色いフエルトで作られていて、両目が黒いビーズでできており、携帯電話からぶら下げるくらいの大きさの、可愛らしいクマのマスコットだ。
(あれから、もうすぐ五年か……)
他の剣道サークルのメンバー達が鍛錬に励む中、一月は物思いにふけていた。
この市民体育館は大学が借りており、一月の所属する剣道サークルは火曜と金曜の週に二度、十九時からここで稽古をしていた。夏にはキャンプや、年の初めには飲み会などのイベントもあった。
そして、どんな時でも一月はこのマスコットをポケットに入れ、持ち歩いていた。
ふと、共に剣道サークルに属する友人のひとりが歩み寄り、話しかけてきた。
「よお一月、そんなとこで何してんだ?」
話しかけてきたのは新庄永介という一月と同期の青年で、彼も剣道着にその身を包んでいた。
彼は出身地も、専攻する学科も一月とは違った。しかし共に剣道を嗜むということで、入部当初一番最初に意気投合し、サークル活動の際には最も一緒にいることの多い友人だった。
永介に見られないよう、一月はクマのマスコットをポケットにしまおうとした。しかし気が変わって、そうはしなかった。
「ん、何だそりゃ、クマのぬいぐるみか?」
笑い交じりに、永介は言った。
親友と呼べる存在である彼にならば、このマスコットを見られても構わないと一月は思ったのだ。
いつも通りの気さくで嫌みのない感じで、永介は言う。
「一月お前、クールな感じして可愛い趣味してるんだな」
永介が、その腕を一月の肩に回してくる。濁すように笑みを浮かべつつ、一月は「ちょっと、やめろって……」と答えた。
やんわりと永介の腕を振りほどき、一月は言う。
「お守りさ、僕にとっての」
いつも持ち歩いているからか、それとも年季が入っているからなのか、マスコットは古ぼけていて、傷が目立った。
こんな物を肌身離さず持っている男――はたから見れば、相当な変わり者だろう。下手をすれば、変人だと思われるかもしれない。
しかし、一月にはこれをどうしても手放せない理由があった。
「とても、とても……大事な物なんだ」
クマのマスコットを見つめながら、一月は言った。
そして、彼はこれを自分にくれた少女のことを思い返した。