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血ぬられグッドディード -Blood Good deed-  作者: 瀧寺りゅう
第1章 現実世界と電脳世界
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英数字の殺人鬼はHelloと言う

「……どこだ、ここは」


 あちこちから同じ反応が聞こえる。

 会場のホールから黒い渦を通り、電子空間に移行したはずだ。唐梅は、今自分が立っている場所を確認しようと、足もとを見る。


 白い。無機質な、白い床の上に立っている。


 先を見渡そうと顔を上げた。同じ白い景色がずっと続き、果てがない。真っ白な世界にぽつぽつと、他の被験者達が立っている。


「何だここは?」


「何もない……ね」


「さっきの砂漠は?」


 口々に疑問を投げかけ、周囲の様子を窺っている被験者。自分も、ぐるぐると回って周りを確認してみる。

 砂漠などないどころか、空もない。白い空間が延々と続いている。


「イノセンスもいないな……」


 唐梅がぽつりと呟くと、どこからともなく場違いなアナウンスが鳴り響いた。


『ぴーんぽーん』


 被験者らが顔をしかめる。ホウライのふざけた声。


『――サイバーセカンドへようこそ。日本近畿地区会場の皆様』


 ここがサイバーセカンド……!


 唐梅は何度見ても慣れない景色を、再度じっくり眺めた。


 では、先ほどの砂漠は何だったのか。ひょっとしてただの映像か。それにしては、伝わってくる振動はまるですぐそこに別世界があるかのような臨場感だった。

 まして、移行した際の黒い渦に関しては、映像などでは決してない。


「ここが電子空間……!?」


「何もないじゃないか!」


「じゃあ、さっきの砂漠は嘘だったの?」


 状況をのみ込めずうろたえる被験者をまたも無視して、ホウライがアナウンスを続ける。


『問題なく移行が完了したようですので、早速ですが、会場でお答えできなかった具体的な実験の内容についてお話します』


 皆が息をのむ。唐梅も静かに聞き入る。


『まずは皆さん、指をお出し下さい。どの指でも構いません』


 言われるがまま人さし指を出そうとして、慌てて引っ込めた。他の被験者も手を出そうとしない。一度は消えた警戒心が戻ってきているのを感じる。


『別に切断したりしませんよ。指を空中でスライドさせて、さっさとパネルを出して下さい』


 パネル? 警戒しつつも、引っ込めた人さし指をおそるおそる出す。適当に自分の前の空間を、指先で横になでてみる。

 電子音とともに、空中に小さな画面が現れた。

 おお、と小さな歓声が遠くで漏れる。方々で電子音が鳴り、皆がパネルを開いていく。


『情報パネルです。別に目新しいものではないですよ。これくらいなら現実世界でも流通しています。まあ、ブルジョワ限定ですけど』


 金持ちだけが使う高価な代物か。こんなものが世に出ていると知らなかった唐梅は、素直に感心する。しかし、ホウライはいちいち一言多い。


『情報パネルには皆さんの個人情報や、自分のNPCの情報。これから行われる実験や、ゲームの世界観に準じたクエストの内容など……まあ、これは追々配信していきますが。他にもできることがたくさん。この電子空間内で生きていく上でかかせないツールです』


 指紋を登録したのはこのためか。と考えている間に、周りの被験者が器用にパネルを操作して何かを入力し始める。


 えっ、何? と唐梅が慌てていると、ホウライが遅れて説明を始めた。


『先行被験者の方々に、情報パネルで最初にやっていただくことをお伝えします。今開いた情報パネルの空欄に、ご自分の被験者名を登録して下さい。これは何でも結構』


 状況を理解して、画面を指で触り指示に従う。何でもいいと言われても思いつかず、結局「唐梅」と名字だけ登録した。 


『それでは、具体的な実験の内容について、順を追ってお話します』


 一拍間を置いて、ホウライが落ち着いた声で語り始める。


『ここはサイバーセカンドのフィールドの一つ、テスト空間です。皆さんにはこれからさっそく最初のクエスト及び実験に参加していただき、その後別のフィールドへ移動となります』


 別のフィールド。それを聞いて唐梅はやっと合点がいく。


 あの砂漠は存在していないわけではない。周りの被験者も緊張を緩める。ここで寝るのかと思ったよ、と誰かがため息をついた。


『現実世界には戻れません。……ただし、今のところは、です。これから実施していく実験に参加していただくことで研究が進み、帰れるようになる可能性は多分にあります』


 何だ、そうなのか。と他人事のように思う。


 特に帰ることを望んでいるわけではない唐梅は、周囲の反応を見る。

 そもそもここに来たのは、帰れないという情報を知った上でホールの席を立とうとしなかった被験者達がほとんどだ。実際、この情報に喜んでいるらしきものは見当たらない。


『よって、参加期間は未定。研究が成功し、皆さんが不可逆データではなく、電脳世界と現実世界を行ったり来たりできる体になるまで、実験に協力していただきます。現実世界に戻れるようにならないと、この通り利用客が集まりにくいのでね……。ですからまあ、それが我々サイバーセカンドの主目的なわけです。そして、もっとも優秀なコンビには賞金一億円、の意味についてですが……』


 続くホウライの言葉を待つ。


『クエスト及び実験に参加していただくことで、皆さんにはポイントを集めていただきます。情報パネルをもう一度ご覧下さい』


 画面に目を戻すと、自分の登録名の他に、確かに「0 pt」と書かれてあるのを見つけた。その下に、「100$」とも書かれている。……ドル?


『このポイントを最も多く集めたコンビが、賞金一億円を獲得できます』


 少し歓声が起こる。そう大きくはない。

 賞金目当てで来ていた参加者も、ホウライの説明を聞いてかなりの人数が帰っていったことを思い出す。

 かくいう自分も、優秀なコンビを目指す理由は特にないため、関心のなさが顔に出る。


 ここに来たのは、単純に電脳世界を楽しみたい、もしくはゲームの世界観をこの身で味わいたい人間がほとんどなのだろう。あるいは、自分のような。


 そう、他の被験者がここに来た理由がどうあれ、自分には自分の目的がある。


 唐梅はそわそわしながら、自分の欲しい説明をホウライが口にするのを待つ。


『――本日の説明は、以上です』


 えっ。と唐梅だけが反応する。これで終わりなはずはないだろう、と慌てふためいた。


「ま、待って下さい! この実験で誰かを救えるんですよね!? 教授の言った、誰かを救うヒーローになれるの具体的な意味は……!?」


 まさか、ヒーローというのは比喩ではなく本当にただのゲーム内での職業か何かなのか。

 だとしたら、自分はとてつもない大きな勘違いをしてここに来てしまったのではないか。唐梅の体を冷や汗が伝う。


 実験はまだ続く。生身の人間を投入することには成功したが、これだけではまだ実験の成功とは言えない段階なのか。


 では、いつになったら? どれくらい実験に協力すれば、僕は人を救うことができる?


 唐梅の動揺をよそに、周りの被験者は誰も文句を言う様子はない。談笑している者さえいる。唐梅は大人しくなる。


 ……こんなことを気にしているのは、自分だけなのだ。


 他の被験者は純粋に、電脳世界とゲームの世界観を楽しみに来ている。実験の内容や、誰かを救うなんてことはどうでもいいんだ。会場でもそうだったじゃないか。


 唐梅は肩を落とした。……一体僕は、何のためにここに来たんだ。


 そうして唐梅が白い床を見て楽しんでいるのを遮り、喜びの声が響き渡った。


 今度は何だ、と唐梅が目を動かすと、目の端に奇妙なものがうつる。


 情報パネルの画面が変わり、黒いスロットが表示されている。スロットはすごい速度で回転しており、パネルが浮いている後ろにはもっと不可解なものがあった。


 何もない空間にハサミで切りとったようにぽっかりと、大きな穴が出現している。周りの被験者達の前にも同じものがある。

 穴はノイズ音をまき散らし、中に黒い砂嵐をうつしていた。そこから何かが通ってきそうな雰囲気だ。


『それでは皆さんお待ちかね。実験を開始する前に、NPCの配布を行います』


 うなだれていた体を元に戻し、唐梅はぱっと顔を上げる。


 NPCが来る! 自分とコンビを組む、相棒が。


 ゲームの世界に詳しくないとはいえ、これにわくわくしないはずがない。目的を失い落ち込んでいたことも忘れ、周囲の期待感に同調する。


 しかし、このスロットのようなものをどうやるのかわからない。会場で両隣に座っていたゲームに詳しい二人を探す。一緒に来ているはずだが、移行の際に離れてしまったようで見つからない。


「これって要するにガチャだろ。何が出るか、運だよなあ」


「ザコが出たら嫌だなあ。俺、こういうのいいのが出た試しがない」


 なるほど、ガチャか。確かに、ランダムに配られるのだから運試しには変わりない。

 隣の男性陣の会話に聞き入る。男性がパネルをタッチする。周りの被験者も、次々にパネルをタッチしていく。


 はやる気持ちを抑え、自分の運は果たしてどうだろう、と考えながら、唐梅も画面に指を触れた。


 ジリジリジリ、ジリリリッ。


 手前の黒い砂嵐が、パネルの操作に反応し、激しく音を立てて荒ぶり始める。やはり、この中を通ってNPCがやってくるのか。唐梅は身構えた。


 砂嵐が、中にあるものを抑え込むように、バキバキと形を変えていく。


 スロットは止まらず、それどころか勢いを増し、凄まじい速度で回転した。映像でしかないはずのスロットの回転が風を巻き込む。唐梅の周囲に、黒い霧が立ち込める。


 ……何だ? この妙な空気は。


 黒い霧が獲物を狙い定め、砂嵐に巻きつく。がんじがらめにする。包まれた砂嵐が抵抗し、暴れ、もがく。脈打つ黒い心臓となり、ボコン、ボコンと跳ねる。どんどん脈が早くなっていく。


 異様な様に見入る唐梅を突き飛ばし、心臓が爆発した。


 黒い爆風にのまれ、後ろへ吹っ飛ぶ。派手に転び、背中を打つ。うめきつつ何とか起き上がると、世界が歪んでいることに気づく。


 ……眼鏡がない。


 慌てて床を探る。するすると肌触りよく滑って、何かが手に当たる様子はない。


 まずい、と焦る唐梅をよそに、周囲では歓喜の声や、落胆の声があがっている。

 よつん這いになって床を拭いていると、カツン、と顔に軽いものが当たった。


「あっ、すみません」


 反射的に謝ると、目の前に黒い革靴が見えた。視界が回復していることに気づき、顔に手をやる。眼鏡が戻ってきている。


 床に這った体勢のまま、視線を革靴から上にずらしていく。


 黒いコート。

 黒いコート。

 …ずっと、黒いコート。


 どれだけ視線を上にずらしても、黒いコートしか確認できない。首が痛い。眼鏡を直し、立ち上がる。


 立ち上がってみても尚、黒いコートが目前にある。唐梅は今一度、ゆっくりと天を仰ぎ、黒いコートのその上を確かめようとした。


「Hello」


 黒いコートの、大男。

 ボサボサの、無造作な黒髪があちこちにハネていて、顔に長くかかり、影をつくっている。顔には赤い包帯。雑に巻かれた包帯の間から、白い歯が覗く。猫のような大きな犬歯。


「……えっ。は、ハロー」


 男の本格的な英語の発音に戸惑う。しどろもどろに挨拶を返す。


 黒い大男が、長い髪に隠れた目を細めて笑う。唐梅もぎこちなく笑い返す。そこに、ホウライの声が響き渡る。


『NPCは、特別な設定がない限り英語を使います。英語に堪能でない方は翻訳ツールをお使い下さい』


 何てグローバルな。世界中で実施されている実験なのだから、当たり前か。


 どこかに消えてしまった情報パネルをもう一度出して、唐梅は翻訳ツールを探す。


「……NPC?」


 目の前の男を見上げる。てっきり、自分の眼鏡を拾ってくれた他の被験者だと思っていた。いや、こんな目立つ様相のものがいたら、はっきり覚えているだろう。


 そんなことを考えていると、男が手を伸ばしてきて、画面の後ろからパネルを巧みに操る。

 「翻訳」と書かれたアイコンが表示される。男が指でさし示す。


「あ、ああ。サンキュー、ソーマッチ」


 アイコンをタッチする。NPCの方がこういうのには詳しいらしい。


「あなたがご主人様、ですね」


 男が日本語を喋る。間の抜けた顔でそれを聞く。次第に、はっきりと意味を理解する。


「――……君、僕のNPC?」


「はい」


 失礼にならないように、と思いつつも、つい口を開けてしまう。想像していたのと随分違う。


 あの黒い心臓から生まれた、と表現してよいものかわからないが、とにかくあの中から出現したNPCのようだ。


 正直に言うなら、イノセンスを期待していた。あるいは、それに準じる雰囲気のNPC。このNPCは真逆と言ってもいい。

 それでも、これからコンビを組む自分の相棒に向かって、誠実に対応しようと姿勢を正す。


「初めまして。僕の名前は、唐梅だ。眼鏡を拾ってくれて、ありがとう。ええと、君は……」


 相棒が慣れた手つきで唐梅の情報パネルをいじった。自分のNPCの情報が表示される。


 名称の欄を確認する。適当に打たれたとしか思えない意味不明な英数字の羅列が書かれていた。

 これは名前というよりも、製品番号などに近い。相棒の名前のようだが、どう読めばいいのか。


 名前の下に、ずらっと星のマークが並んでいるのを見つける。妙にポップな画面だな、と唐梅は思う。


 相棒の名前が読めずに唸っていると、名称の欄の横に「編集」と書かれたアイコンを見つけた。触れると英数字が消え、空欄になる。


「……僕が名前をつけてもいいのかな」


「はい」


 あっさりとした答えに、唐梅はもう一度唸る。ただ、悪い気分ではない。誰かの名づけ親になれる機会というのは、そうないだろう。


 ずっとニヤついている、怪しくてたまらない割に意外と親切な黒い相棒を見ながら、彼の名前を考える。


「うーん……。黒、黒……。……ひじき。のり、こんぶ、わかめ」


 唐梅が真面目に名前を考えていると、懐かしい明るい声が耳に届いた。


「学ランくーん! 見て! 私のNPC。すっごくかわいいの!」


 ホールで話したピンクの眼鏡の女性が、笑顔で駆け寄ってきた。腕には、ウサギのNPCを抱えている。桃色のパッチワークが施されていて、一見ただのぬいぐるみのようでもある。


「ああ、本当ですね。かわいらし――」


 女性の体がビクンと動く。


 動いたかと思うと、硬直する。どうしたのか、と目をこらす。声をかけようとして、息が詰まった。

 女性の腕がだらりと垂れ下がり、血がしたたる。腹に何か刺さっている。大きな爪。唐梅は静止する。


 悲鳴にまざり、ホウライの冷たい声が被験者らに残酷に告げた。


『――それではゲームを……いや。実験を開始します』


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