ここにいるはずのない亡霊
ここにいてはおかしい亡霊が、にじり寄る。亡霊に近づかれ、殺人鬼の腕に隠れた。
当の殺人鬼はというと、動じることなく目を細めて蜜月の方を見ている。余裕なく蜜月が話し続ける。
「唐梅くん! お願い、聞いて。私が今から言うこと……信じなくてもいいから、とにかく知らせておきたいの! 私、運営の人から言われたの……サイバーセカンドから、言われたの。ひどいこと……ものすごく、ひどいこと」
「……あなたを罵ったんですか」
グッディの後ろで、警戒しつつ答える。混乱を今一度脇に押しやって、蜜月の周囲、何か怪しいものがないか目を光らせた。並行して考える。
目の前の蜜月は本物か、偽物か。本物のはずはない。死ぬのをはっきりとこの目で見たではないか。
「ううん、違う。そうじゃなくて……私達、完全データ移行被験者にだけ話すって。半データの人達には、この内容は伝えるなって言われたけど、私……!」
「……完全データ移行……? ……はんデータ?」
言っている意味が全くわからない。一体何の専門用語だ。言葉自体に意味はなく、単にこちらを惑わせるためのものなのか。
悪寒が走る。蜜月の背後にある、屋上への入り口。入り口の半開きになったドアの隙間から、こちらを覗くものがいる。黄色い目。
「……蜜月さん!!」
蜜月に向かって、飛び出した。飛び出す瞬間、しまったと思う。これこそが罠なのではないか。そう考えるも間に合わず、蜜月に触れてしまう。
「――ギャォオオ!!」
咆哮。ドアが白い壁ごと破られ、入り口が半壊する。中から黒い影が現れ、瞬時に二人の横をかすめた。思わず蜜月と倒れ込む。
ドスン、ドスンと重たい足音を響かせ、黒い物体が屋上の端へと駆けていく。獣の唸り声をさせ、体を翻すと数歩戻ってくる。
「よお。久しぶりだな、唐梅。……と、グッドディード」
黒いドラゴンの背に乗った少年が喋る。パーカーのフードを被り、二足歩行のドラゴンを相棒に持った少年。
懐かしく、苦い記憶が蘇る。最初の実験で、隣にいる蜜月の腹をドラゴンの爪に貫かせた被験者。グッディが……自分が殺してしまった被験者の一人だ。
「……あ…なたは……、……どう、して」
死んだはずの人間が二人も続けざまに現れて動揺を隠せない自分を無視し、少年は蜜月に視線を寄こす。
「蜜月、てめえ半データ側につくつもりか。そうならそうとはっきり言えよ。……もういっぺん、腹ぶち抜いてやるからよ」
ドラゴンが足で砂をかく仕草をする。嫌な予感に、蜜月の腕を掴んで引っ張った。思いの外速いドラゴンがすぐに距離を詰め、逃げる唐梅のハチマキの端を噛む。端が食いちぎられる。
「グッディ!!」
「はい?」
危機感も何もないグッディの背中にまわる。蜜月を隠そうとするが、抵抗される。
「唐梅くん、私は大丈夫だから……! それより、仲間のところに行って!」
仲間のことは確かに気にかかる。ドラゴンがここに来るまでに、何もしていないとは思えない。だが、正体不明とはいえ、戦う手段を持っているようには見えない蜜月を置いていくこともできない。
「スタッドくん……完データ同士争って、何になるのかな」
蜜月が強気で少年をにらむ。赤い布の切れ端で遊ぶドラゴンをなで、スタッドは落ち着いた声で答えた。
「ならないだろうな、何にも。けど、お前のやろうとしてることはデータ移行組に不都合なんだよ」
データ。先ほどから連呼される言葉に、目を泳がせる。
会話の意味はわからないが、この二人は投影映像か何かなのではないか。でなければ説明がつかない。ただ、確証はない。
生きているはずのない二人の正体が何であれ、これはサイバーセカンドの罠だと冷静な自分が訴える。反面、感情的な自分が蜜月の腕を掴んで離さない。忙しなく二人を交互に見て、決断する。
「……グッディ! 仲間の様子を見てきてくれ! ここは僕が――……」
「ダメ、唐梅くん!! グッディと一緒にみんなのところに戻って!」
蜜月が腕から逃れようとする。逃すまいと慌てて引き戻す。
こんなことをしている時間はない。こうして自分をここに引き留めておくことが二人の目的なのか。勘ぐるも蜜月の手を離せない頑固な自分に焦る。
「……きゃぁああ……!!」
小さく、階下から上がってくる悲鳴。陽子の声だ。蜜月と二人で青ざめる。
「一緒に来て下さい!!」
蜜月を連れ、入り口へ走った。ドラゴンが布を吐きだし、黄色い目でこちらを捉える。二人に吠えて威嚇すると、床をひづめで引っかいて飛び出す。
「グッディ!!」
突進してきたドラゴンがバクンと口を開け、唐梅の顔を食おうとする。のけ反ってかわす。のんびり後をついてきたグッディが、ドラゴンの鼻を手で押す。
黒い体が一回転する。背に乗ったスタッドごとドラゴンが屋上の端へ吹っ飛び、柵にぶつかった。
ちょっと手をやっただけなのに、とグッディの腕力に驚きながら、半壊した入り口の瓦礫をどかす。背後でドラゴンが体勢を立て直す。スタッドが立ち上がり、殺すと呟いた。さっとドラゴンの背に跨がる。
階段が見え、急いで駆け下りた。振動が後を追ってくる。蜜月を引っ張り、がむしゃらに仲間のいるところへ走る。
「こっちです! ……うわあっ!!」
踊り場に出たところでドラゴンが追いつき、再び噛みついた。唐梅と蜜月の間の空気を噛み、二人を引き剥がす。
「蜜月さん!!」
「唐梅くん、行って! 仲間の人が殺されちゃう!!」
仲間が殺される。蜜月の言葉に冷や汗が噴き出す。ドラゴンが蜜月の方を見る。ぐるる、と唸り、近づく。蜜月が階段の壁際に追いやられる。
パン、パン。手を叩く。ドラゴンのしっぽが音に反応して揺れる。しかし、振り返らない。
遅れて、グッディが階段を下りてくる。蜜月を救けてくれるよう指示を出そうとして、口をつぐむ。
笑っている。蜜月がドラゴンに迫られているのを見て、悪属性の笑みを浮かべている。そこで気がつく。そうだ、蜜月は仲間じゃない。グッドディードは彼女を救けない。救ける理由がない。
ドラゴンが大口を開けた。歯が鈍く光り、よだれが垂れる。蜜月は目をつぶる。
「……スタッド!!」
ドラゴンの主人に声をかける。スタッドがゆっくりと振り向く。
「……僕は逃げます。逃がして下さって、どうもありがとう」
笑顔で告げると、一歩退く。きびすを返す。振り返ることなく、走りだす。
「……フォーゼ。あいつが先だ」
ピタッと口を止め、ドラゴンが目をパチクリさせる。蜜月を食らおうとするのをやめて、体の向きを変えた。
スタッドの指示に従い、フォーゼは踊り場を出る。蜜月が危機を脱してグッディはがっかりするが、主人を見失わないよう後を追う。
フォーゼが追ってきているのを確認し、唐梅は角を曲がる。曲がった直後、壁の角に大きな爪が食い込む。乱暴に振られる爪が自分を追い回す。避け切れず、肩を引っかかれた。
傷を押さえ、早く来いとグッディを呼ぶ。はいはいとのんきに答えて、角からグッディが顔を出す。
先に部屋にたどり着き、ドアを開く。中に入り、閉じようとすると、フォーゼの鼻先が突っ込んできてドアの腹をへこませた。
「唐梅!! 来るな!」
好削の声。振り返る。だだっ広い、白い部屋を見渡す。
仲間のいる反対側に立ち塞がる、大量の人影。奥にはNPCの群れが見える。
人影の中、よく見知った顔があり、体が冷たくなる。視界に雪がちらつく気がする。白い場所に縁がある、と少女の姿を見ながら思う。
「……元気そうだね、唐梅」
「――……砂漠蔵」




