血ぬられた善行
叫びは、ホールの奥のグッディに届かない。呼びかけに答えず、グッディが陽子の肩に手を置いた。
「あっ、グッディ。どうしたの」
「バターをください」
「いいよ~。これもあげる、中にチョコが入ってるよ。グッディ、チョコ好き?」
「気安くグッディなんて呼ばないで下さい。殺しますよ。あっ、そのクロワッサンもください」
あれっ、と固まる唐梅を放置して、グッディはナイフを使い、貰ったパンにバターを塗っていく。よく見ればナイフは丸く、鋭利とは呼べない形をしている。バターナイフだ。
チョコの入った菓子パンに贅沢にバターを塗りたくり、グッディが女性陣の会話にまじる。
「コーヒー入れてあげようか? 苦いの平気かな。砂糖いる?」
「バカにしているんですか。殺しますよ。ミルクも入れて下さい」
「これもあげる! 全部食べていいからね」
「グッディ、昨日頑張ってくれたもんね。私達を守ってくれた。ありがとね」
優しい陽子達から、わんさか食べ物を貰う。貢ぎ物には機嫌よく対応しているが、陽子の感謝の言葉にグッディは顔を歪ませた。
ホールの入り口で、ひやひやしながら様子を見守る。殺すなよ、殺すなよ……!! と殺人鬼に念じる。
「最初はこわいと思ったけど。結構かわいいよね」
かわいい、と言われグッディがむっとする。見るからに不機嫌になっている。気が気じゃない。我慢できずに陽子達の元へ走り寄る。
「そうそう、何より強いしね」
「レアリティ百なんて、すごいよ。私、最大で五十くらいだと思ってたもん」
立ち止まる。グッディがころっと表情を変え、ニヤニヤし始めた。相棒が不機嫌でも上機嫌でも恐ろしいが、今回ばかりは意味が違う。グッディが喜んでいることに、唐梅も喜ぶ。
やった。こいつにも自尊心はある!
思えば、レアリティを紅白に絶賛された時も機嫌を回復させていた。なるほど、グッドディードの欲しいものは感謝ではなく、称賛か。ならば、やつをコントロールするのはそう難しいことではないかもしれない。かすかに見えた希望のきざしに、拳を握る。
グッディに自尊心があるなら、自分の考えた説得は効果を発揮するはずだ。それに成功すれば、明日からは安定して仲間を守ることができる。
捜索に出た仲間に、グッディを見つけたことを報告する。陽子達に感謝して、パンをむさぼるグッディを部屋へと連れ帰った。
部屋に戻ると、早速グッディに向き合った。手についたチョコをなめ、もう喉が乾いたのか、NPCに配られた回復薬をぐびぐび飲んでいる。いろいろ言いたいが、スルーを決め込む。
「僕がいない間、何かあったかい」
質問に、グッディが視線を寄こす。細めた目で、楽しげに唐梅の表情を探る。探るだけで、何も報告はしてこない。
ホールに向かう間、ポイントを確認したが増えてはいなかった。ポイントの増加や騒ぎが起きていないことからして、何も殺してはいないだろう。ただ、実験の最中でなくともクエストのポイントが加算されるのかどうかは不明だ。一応の確認を済ませ、ベッドに座る。
「……昨日は全く言うことを聞いてくれなかったね。おかげで僕は、格好がつかなかったよ。せっかくいろいろ考えて、協定を設立したのになあ」
実際には、昨日のことで困ってなどいない。誰も殺さないという想定外の行動に感動していたくらいだ。
自分以外が苦しいが楽しい。自分以外、には相棒も入る。つまり、僕が苦しいとグッディは楽しい。原理を理解し、グッディの機嫌がよくなるよう話を持っていく。
グッディは嬉しそうだ。わざとらしくため息をつく唐梅に、笑った口でぽつりと言う。
「ご主人様の考えには、とっくに気づいていますよ」
静止する。グッディの言ったことを反すうする。
……僕の考えに、気づいている? どういう意味だ。
これからやろうとしていることに勘づいたのか。いや、協定をつくった真の理由に行きついたという意味か。正義を行おうとしていることがバレた? まさか。
少なからず驚く。顔に出ぬよう注意する。単なる揺さぶりかもしれない。
緊迫の中、もったいぶってグッディが口を開いた。
「協定をつくったのは、仲間を裏切って殺すためでしょう? 私のやったことと同じです」
「……」
常識から見れば斜め上、悪から見れば真正面。グッディの推測に驚き、驚くようなことじゃないとすぐに切り替わる。
悪属性を前に、静かに思う。これは揺さぶりなどではない。グッディは本心から言っている。
グッディの「設定」を思い出す。ミサの仲間を裏切り、殺した。その辺の本から適当に単語を拾っただけの内容、などと思っていたが……設定は深く、NPCに根ざしている。
バカにできない。彼らの重要な構成情報だ。
「だから待ってあげたんです。協定のものを殺すのを。先をこされて、ご主人様ががっかりするのも面白いですけど。せっかく同じ悪属性で、相棒ですから。ご主人様は、ミサの中途半端な魔術師連中とは違います。なら少しは待ってあげて、一緒に楽しむのもいいかと」
大人しく待っていた理由をグッディの方から喋ってくれる。予想通り、よからぬ理由によるものだった。同時に、多少は自分に懐いてきていることを知る。
「このために、救うだなんて言って騙したんでしょう? 協定のものを騙している。こういう意味でしょう、ご主人様」
唐梅に近づき、グッディが笑う。
飲み終えた回復薬の空きビンを、その大きな手の平の上に転がした。ぐっと握る。開くと、ビンが跡形もなく消えている。グッディに簡単に握り潰される誰かを連想する。自分。NPC。……仲間達。
仲間を守り、生かすためにポイントを集めなければならない。今後は悪属性に限らず、こちらを狙って攻撃してくるNPC全てが対象になる。
そのためには、こいつを何とかしなければ。仲間を守るどころか、仲間を殺す可能性がついて離れない状況など論外だ。
グッディを説得し、コントロールできない限り、協定の……ギリギリ正義と呼べる活動を行うことはできない。
「……グッディ。残念だけ、ど……!?」
意を決して口を開く。瞬間、悪寒が走った。背中に感じる視線。ベッドから立ち、振り返る。窓に二つの目。白く光っている。
「何だ……猫か。やあ」
窓の外側からこちらを見ている黒猫に、挨拶する。
一般的な猫より体が大きい。光る目は不気味だが、黒い毛がふわふわとした愛嬌のある姿に、口元が緩む。一瞬ぎょっとしたが、正体がわかれば何でもない。
バリン!!
ガラスの割れる音。ガラガラと、透明の破片がベッドに落ちる。目の前に、手を伸ばしたグッディがいる。グッディが手を引き戻す。
猫を掴んでいる。窓を割り、猫を捕まえ、片手で首を締め上げている。驚いた猫がバタバタと暴れた。
「グッディ!! やめろ、やめないか! お前は猫までとって食う気なのか!!」
さすがに慌てふためき、グッディの頭にしがみつく。腕を顔に回して視界を奪う。唐梅を払おうとし、グッディが猫を手放した。その隙に逃げだし、粉々に割れた窓を出て、猫は街に消えていった。
「何ですか、ご主人様。ネズミの時は何も言わなかったくせに。ひいきですか」
怒りにぶるぶる震える。ずっと抑え、隠してきた感情をもうどうにも抑えられない。
「――ああ、ひいきだよ! 僕は犬や猫をひいきしてるだけ!! 他の動植物はどうだっていいね! 選定してるんだよ!! 自分の好みで!! どうだ残酷だろぉおお!!!」
「……」
矢継ぎ早にがなり立てる唐梅に、グッディがぽかんと口を開ける。普段の温厚さのかけらもない主人を前に、残酷かどうか考えようとしてやめる。どうだっていい。
元来怒りっぽい唐梅は、久しぶりに感情を吐き出してすっきりする。よく考えたら昨日もグッディに怒った気がするが、きっと記憶違いだろう。
息を吐き、整える。普段グッディの前で保っている穏やかな表情に戻す。話を再開する。
「……残念だけど全然違うよ、グッディ。君の予想は違うし、協定の仲間を殺してはいけない。約束だよ」
自分の言葉に、グッディは首をかしげた。予想が外れ、殺すなとも言われ、たちまち機嫌を悪くする。
「無闇に殺す君は、ある意味平等だ。……しかし悪として、平等というのはどうなんだ。そんなものは捨てろ。相手を選別するんだ。残酷に。僕のように。……そうすれば、特典がつく。ただ殺すより賢く、得られるものがあるんだよ」
不服そうなグッディが、ちらりとこちらを見る。特典? と呟く。
「称賛だ」
言って、グッディの前に立つ。背の高い相棒を見上げ、自然と胸を張る姿勢になる。軽く微笑み、背中で腕を組む。堂々として見えるが、実際は震えそうになる手を隠すための格好。
「昨日説明できなかった協定の理由について話すよ。……あの人達は僕に騙されている、と言ったね。実際のところ、僕が欲しいのはポイントや賞金、ログインボーナスなんかじゃない。僕が欲しいのは……上に立つこと」
「つまり称賛……ですか」
「ああ。悪属性の僕達は、本来それを得るのは難しい。はっきり言って、世間の嫌われものだ。そうだろう、グッディ。そんな嫌われものの僕達が名声を得るにはどうしたらいいと思う」
むむむ、とグッディは考え込む。素直に考えているのか、異を唱えたいのか。唸ったあげく、首を振る。
「方法はいくつかあるよ。まず一つ、自分を偽る」
「嫌です」
「だろうね。僕だって嫌だ。……本当に嫌でたまらないよグッディ。本当の自分を隠すなんてね。だから、これは却下だ。じゃあ二つ目。賢くやる」
ぼんやりとした表現に、グッディが首をひねる。顔を斜めにして、唐梅の説明を待つ。
「簡単さ。僕達悪属性は世間の嫌われもの。そして、嫌われものは他にもたくさんいる。他の嫌われものを殺せばいい。それは暴れるNPCだったり、悪属性の被験者だったりするだろう。嫌われものをボコボコにすると、世界から好かれるんだよ。僕達は嫌われものの中でも、賢い嫌われものになるんだ」
ほへ、と相棒が気の抜けた声を出す。斜めに首を固定し、唐梅を見続ける。
「どうだい、グッディ。殺す相手を利口に選ぶこのやり方なら、殺しもできる。称賛も集まる。君だけでは立てない場所に立つことができるんだ。みんなが君を称え、崇める。そう、英雄になれる。君は君の好きなことをしながら、僕と一緒に、一番上に立つことができる!」
殺すと連呼した口で、そうとは思えないほど軽やかに笑う。グッディでもないが、歯を見せて、ニッと笑ってみせる。悪どい、というよりは、爽やかな笑み。
顔をかたむけたまま、グッディが呆けている。朗らかに語られた悪の作戦に、次第に口を歪める。
悪どく、笑う。幼い主人に手本を見せるよう、口をつり上げた。悪属性の笑み。
「――私を騙そうとしてますね。ご主人様」
鋭い目が唐梅を突き刺す。硬直する。思わぬ言葉に、つくり笑いを崩しそうになる。
「……また嘘をついていますね。ご主人様は、ずっと何かを隠しています。悪属性のご主人様、あなたはその程度じゃないはずです。称賛? そんなもの、私でもいらない」
……ああ、そうか。と正気に戻る。笑みを消し、自然と冷めた視線がグッディにいく。
こいつはまだ、僕を認めちゃいない。今も、見極めを行っている。僕がこいつの主人に足る人間かどうか、試しているんだ。
悪属性の試験が続いているとわかり、考える。試験の通過と、説得の成功。両方を成さなければならない。
「ご主人様。あなたがさっきから言っていることは、おかしいです」
「……、……どこがおかしい」
「英雄? 賢くやる? 称賛? 逆です。ご主人様」
隠した手を、後ろ手に強く握る。今度は自分が、グッディの説明を待つ。
「口にするのもはばかられる、世界からその名前を消し去りたいと思うほどの汚物。衝動的で破壊的、計画も何もない。罵られ恐れられ、他者とする会話は沈黙か叫びの二つである」
「……」
「これが”悪”です」
属性、などと後ろにつけることの安っぽさを感じる。
本物の悪。それが、目の前にいる。
「あなたは称賛が欲しい……と言いますが、私が欲しいのは……苦しみです」
「……自分以外が苦しいが楽しい」
「そう。私は称賛はいりません。薬品の硝酸の方がまだ使えます。苦しみに使えます」
日本語の読めるグッディが、嫌なジョークを飛ばす。軽く笑ってやると、反撃する。
「さっきは喜んでいたじゃないか。仲間に強さを褒められて」
「まあ嫌いなわけじゃありません。でも、称賛を得るために同じ悪属性でもない仲間を守ることになるなんて、私は嫌です。我慢できません。悪なんですから。……それに比べて、ご主人様の言い分はまるで……」
「……まるで?」
「……嫌われものをボコボコにする。と、好かれる。皮肉っぽい言い方です。これだけ聞くと、ボコボコにしている側は嫌なやつに見えます。でも、私には……それとは別の、嫌な感じがするんです」
嫌な感じ。唐梅も、感じる。グッディに、必死に悟られまいと隠してきたものが、暴かれようとしている感覚。
「――そう。まるで、『正義』」
「……」
唾を飲む。隠してきた、自分の本当の性分。自分が心から、信じているもの。
「嫌われものをボコボコにする。私が思う正義です。正義のイメージ。勧善懲悪のドラマがいつもやっていること。これじゃあまるで、正義のやること。です」
グッディを騙し、正義を行う。悪が、同じ悪を打ちのめす。必死に考えた、ギリギリ正義の政策。
目的を言い当てられたも同然の状態に、唐梅は俯く。諦めたように笑う。
少しして、顔を上げる。優しい表情で、悪を見つめた。諦めはない、つくり笑いもしない。素の感情を相棒に見せる。
そうか、これが君の思う正義なのか。
「……ひねてるね、グッディ。……僕の思う正義は、そんなんじゃない。そんなものを、僕は正義と思わないよ」
唐梅の今まで見たことのない表情に、グッディは自分の笑みを引っ込める。不可解なものを見る目で主人の顔を覗き込んだ。
グッディの反応を、唐梅はものともしない。ただただ、思う。グッドディードの考えが聞けて、よかった。こいつが正義を毛嫌いする理由は、理解できないようなことじゃない。実に、人間らしい。
「……、……はは……。……そうだよ、グッディ。僕は、君を騙そうとした。君は思っていたよりずっと賢い。賢いよ。あはは……」
唐梅は笑う。力なく笑う。焦点の定まらない瞳が、下を向く。肩で呼吸し、だらんと体の力を抜く。
「……でも、僕が騙そうとしたのは、君だけじゃない」
低い声に、グッディはまばたきする。……何度か見た光景だ。
悪属性の主人が、慌てたり、顔色を変えたりしたかと思えば、まとう空気を変えて驚くことを言う。グッディは唐梅を注視した。
「……あいつらさ。この電脳世界の人間、全部。僕は騙そうとした」
再び、首をかしげる。主人の虚ろな目は自分を見ようとせず、どこを見ているのかわからない。
「あいつら、僕を正義の人間だと思い込んでる。やってるのは、ただの殺しなのに、だよ。でも、それに気づかない。なぜか。それは心理だ、演出だ。ちょっと悪いことしてるやつがいて、横からさっと現れて懲らしめる。どうだ? これだけ聞いたら、まるで善い人だ。そう、君が今言った。まるで、正義。ヒーローみたいじゃないか」
言いながら、暗い目が動く。グッディを見上げる。唐梅のうっすら笑った顔が顕になる。
「そう見えるんだよ。例えちょっと過剰でも、気にならない。気にしない。それで自分が救かったのなら、尚さら。殺しを正当化する。それを正義とは、僕は思わない。これは悪だ。完全に、悪だよ」
唐梅が顔を上げる。姿勢を戻し、グッディと向き合った。
背中で腕を組む体勢は同じだが、表情が違う。光のない独特の目が、眠たそうに重いまぶたの下にある。黒い瞳孔がグッディを捉える。
「グッディ、僕とやろう。……この世界の人間全員、悪属性にする」
「……!!」
人間を全員、悪属性に。突拍子もない主人の発言。
どんな顔でそれを言っているのか、と表情を確かめる。仮面のように、ぴくりともしない薄ら笑いが、少年の顔に不気味に貼りついている。
「彼らの気がつかない内に、悪にするんだ。悪属性の仲間を、増やす。僕が本当にしたいのは、それだよ。僕たちの悪を、正義だと騙る。皆、気づかずついてくる。正義だと信じて、殺戮を行うヒーローの協定に入る。誰もが、知らぬ間に、殺しを正当化した悪属性になる」
片手を広げ、演説する。先ほどの笑みとは違う、悪の笑みを浮かべて。
グッディがやるように、唐梅が相棒に顔を近づけた。口をつり上げ、凄んでみせる。
不意を突かれたグッディが顔を引く。自分よりずっと背の低い少年の言葉に、空気に、少し気圧される。
「嘘をつき、世界を騙すんだ。僕と騙そう、グッドディード。僕らは、ヒーローのふりした悪人だ。ただの悪人より、たちが悪い。最悪の部類だよ。どうだい、人々が信じてる救世主。その正体は悪魔。――君だ。僕だ」
グッディがわななく。両手を震えさせる。やり場のない手を、唐梅の肩に置く。力強い腕に、押される。ぐいぐい押され、後ずさる。いきなり、どん、と突き飛ばされた。
ガラスまみれのベッドに転がり、頭を窓枠に打った。体を起こそうとすると、グッディの顔が真ん前にある。
「笑えます!!」
グッディが笑っている。いつもの調子で、上機嫌に。
二人して笑う。悪どく、笑う。
手を引かれて、起こされる。ベッドの上に立ち、グッディと同じか、少し高いくらいの背丈になる。唐梅の手をとり、掲げ、グッディは頭を低くした。
「……あなたに従います。主人として、認めます。悪属性の頂点、このグッドディードの上に立つ、唯一の主人。無二の相棒」
体についた破片を、グッディが払ってくれる。落ちていく中で、破片はギラつき、痛いくらいの光を放った。
ニヤつく相棒を見る。とても敬意の込もった顔には見えないが、あの天の邪鬼が、正式に主人として認めてくれた。ようやく、スタート地点に立った。血の舗道の、最初の地点に。
……いつか、僕達を倒す本物の正義が現れるだろう。その時、僕は死ぬ。こいつと一緒に、のたれ死ぬ。それがハッピーエンド。僕にとっての。世界にとっての。
僕達のギリギリの正義。血ぬられた善行が、ここから始まる。




