悪を食う悪食は正義か否か
体がさっと冷えていく。血の気が引いた。
予期していなかったわけではない。それでも、この土壇場でのグッディの言葉に、焦燥が強くなる。
「攻撃なんかしません。今日私は、誰も倒しません。何を言われようと」
「……誰も倒さない? 殺しが大好きな君が? 随分優しいじゃないか、グッディ。改心でもしたのかい。喜ばしいね」
空に二人浮いたまま、会話をする。グッディの神経を逆なでしようと、わざとらしく言葉を選ぶ。
「今NPCを倒したら、協定のものを攻撃から守ることになってしまいます。そんなの、嫌です。殺しができないことよりも、私はそっちの方が嫌です。だから、誰も倒しません」
誰も倒さない、攻撃しない。本来なら待ち望んでいた言葉だ。……しかし。
その主人が悪属性の場合、命令に従って人を襲うNPCは仲間を救うために倒すと決めた。矢先に、これか。
倒してほしいと思った途端、正反対のことを言い始める。簡単にコントロールできるなどとは全く思っていないが、この相棒には本当に手を焼かされる。あの手この手を焼かれる。
もはや、説得を後回しにしている場合ではない。下で戦っている仲間が気がかりだが、グッドディードを言い聞かせない限り、あの人達を守ることもできない。この協定を機能させる最低条件は、グッドディードが納得し、自分の指示に従うことなのだ。
考えをまとめ、口を開く。が、意に反してグッディはそっぽを向いた。叱ろうとして、何かにじっと見られている気配に気づく。
「……あっ」
美しい荒野が見渡せる上空で、大きな龍の顔がすぐ真横にきている。スカーが巨大な体を伸ばして、雑談をかわす二人を眺めていた。
目が合うと、おもむろにかぱっと大口を開ける。スカーの口内が、燦然とオレンジの光に輝く。
「どうわあああああーっ!!」
スカーの放った火炎放射が髪先を焼く。グッディに引っ張られ、すんでで避けた。中空を移動する二人を追って、スカーは次々と火炎をお見舞いする。
火炎は大きな塊となって下の平野に落ち、敵味方構わず悲鳴をあげている。これ以上引くに引けないはずの血の気が、体から急速に失せていく。
「グッディ!! 何やってる!」
「何ですか、ちゃんと避けていますよ」
「下の仲間に当たっているじゃないか! 君ときたら、僕を主人と呼ぶくせに反抗ばかり、僕の考えも知らずに、仲間を守れという指示にも従わない! 君のおかげで僕の協定は台なしだ! この……ザ、ザコNPCめ!!」
「ああっ! ご主人様まで、私にそういうこと言って!! 殺されたいんですか!」
片腕で学ランの胸ぐらを掴むと、グッディが失礼な主人をガクンガクンと揺らした。
出血している首に激痛が生じる。痛みに喘ぐ。おまけに、周りには火炎が飛びかっている。下方からは仲間の絶叫。痛いやら心苦しいやらで、涙がにじむ。グッディは揺さぶるのをやめてくれない。
「また私を困らせようとしているんでしょう! 私への嫌がらせです。悪属性の私が嫌がることをして、ご主人様は心の中で笑っているんです!」
「……違う! 昨日はそうだった、でも、今は違う……! 協定の理由については、後でちゃんと説明すると……!」
こちらの気をよそに、グッディは腹を立てた。昨日うまく働いた作戦が、今日の作戦の邪魔をしている。相棒の思わぬ受けとり方に、至急対応策を考え始める。
「いいんです。別に。昨日のことだって、私はもう怒っていません」
グッディが揺さぶるのをやめた。痛みから開放されるも、顔を歪める。
「だって私達は、悪属性です。人の苦しみを喜ぶのが性です。――それは、相手が相棒だろうが主人だろうが、同じこと」
グッディが笑うと、唐梅が泣く。目の前の上機嫌な相棒を前に、自嘲気味に考える。
昨日、あれだけ憤慨していたというのに、あっさり機嫌を直した理由の一端を垣間見た。
自分以外が苦しいが楽しい。その自分以外、には相棒でさえ含まれている。そういった点がまるっきり同じ主人に対して、結果としてグッディは喜んだのだ。
余った手で、グッディが首を掴んでくる。じわじわと絞めていく。
苦痛に顔をしかめる主人を見て、ニタリ口端をつり上げた。スカーを追って飛び出し、戻ってきた時にも同じ顔をしていた。ケガをしている主人を見て、心配する様子などかけらもなかった。悪属性の気質に、今さら驚きもない。強い一貫性には、いっそ安定感を覚えるほどだ。
スカーが火を吐き出す。二人の横を通りすぎて、下へ落ちていく。平野に火の玉がぶつかり、燃え広がる。
仲間の水属性のNPCが水を放出するが、炎の勢いに消火が追いつかない。
下方の混乱を見て、悪属性がケタケタ笑う。それを眼鏡の奥から、静かに見つめる。
ザコめ。
グッディが振り向く。聞こえやすいよう、もう一度呟く。
「……ザコめ。ザコグッディ」
挑発を繰り返す自分を、グッディがにらむ。首を掴む手に力を込め、強く締め上げた。気管に空気が入らなくなり、むせる。口から血がこぼれ、口角を伝う。
「……グッディ。君なんて、せいぜい小悪党だよ。主人の、相棒の本意にも気づかない。気づけない。自分の欲を優先するあまり、小悪党止まりのグッディ、グッディ」
腕を上げ、グッディの頭をなでる。息がうまくできない中で、リズムをつけ、歌うようにからかう。主人の態度に、グッディは怒りを隠さない。苛立ちに染めた目をこちらに向ける。
「……何もこれは内面の話だけじゃあないよ、グッドディード。君ときたら、実際強いんだか弱いんだかわかりゃしない。悪属性の頂点だと言う一方で、人間に攻撃を避けられるし」
「あれは本気の攻撃じゃありません。下級の下級魔術ですよ」
下で、敵部隊に鉈を振り回している紅白を一瞥する。
たとえ下級の魔術でも、レアリティ百のNPCの攻撃を避けたことは驚くべき事実だ。グッディ自身も驚いていた。しかし、あの攻撃がグッディにとってもっとも弱い攻撃だったと知って、いくらかショックを受ける。
それをひた隠し、少しの動揺も気どられまいと感情を押し込め、続ける。
「……ああ、そうだね。あれが君の本気なはずはないよ。君は”自称”悪属性の頂点だからね。つまり、それが本当なら悪属性で君に勝てるものはいない。僕はまだ信用しちゃいないけど、悪属性に限って君は多少強いのは確かだろう。そう、悪属性に限ってはね」
こちらの会話を区切って、スカーが火を吹いた。中断を余儀なくされ、グッディが火炎を避ける。
ハイラントは何をしているのか、味方も顧みない攻撃を続けるスカーを止める様子は一向にない。密談が終わるのを待ってはくれない龍を横目に、相棒に仕向ける。
「ほら、スカーをよく見てみるといい。炎属性だ。自分の何倍も体躯が大きく、属性の違う相手を前に、君は何とか戦わずに済ませようと必死だ。強いと言う割にはすぐ大技に頼ろうとするし、悪属性を探して見つからなければ途端に”今日は戦わない”だ! そう、君は悪属性の頂点かもしれない! それはつまり、NPCの頂点じゃあない!!」
グッディが目をむく。衝動のままに、唐梅を突き飛ばす。
空中に体が投げ出される。同時に、グッディに火の渦が直撃した。
「――!? グッディ……!!」
渦が大きくなり、炎の竜巻となってグッディを包む。分厚い炎に、グッディの姿がたちまち見えなくなった。
呆気にとられている間に、背中に硬いものがぶつかる。地面に落ちた、と一瞬思う。背中に伝わった衝撃が首まで伝わり、痛みに変わる。
クラクラする頭を上げ、体を起こすと、目の前に青い顔が現れた。
「……演舞……!」
体をキリキリ軋ませ、演舞が落下した自分の体を抱きとめている。どうりで背中が痛いが、演舞の硬く優しい機械の腕に助けられた。
「よ、よかった。君が、無事で……ありがとう」
下ろしてもらうと、心の底から礼を述べる。
立ち上がり、炎の竜巻が渦巻く方を見る。挑発がすぎたのか危うく死ぬところだったが、危機的状況にさらされているのは今やグッディの方だ。
今まで散々蹴散らしてきた悪属性と違い、スカーは炎属性だ。悪属性との相性は、どうなっているか。炎と悪。おそらく、どちらに有利不利といったものはないだろう。
グッディは自分を悪属性の頂点だと言った。それは、悪属性相手なら確実に自分より格下、敵なしという風に考えられる。
ならば、他の属性のNPCが敵に回った場合、どうなるか。まして、レアリティ八十という今までにない高レアリティのNPCだ。押し負ける可能性はある。
期待を肯定するように、グッディは炎の竜巻から出てこない。期待が高まる。
一方で、ここでグッドディードが倒されてしまった場合、自分は仲間をどうやって守るのかという不安がちらつく。期待と不安にないまぜになる自分の元へ、仲間が火の海を避けながら駆けつけた。
「唐梅くん! 大丈夫!? ……グッドディードは!?」
反応に困りつつ、指をさす。スカーの攻撃にのまれ、グッディは炎の中に姿をくらませている。仲間が一様に驚き、戸惑いを顕にした。
「えええええ~っ!? グッディ、負けてんの!? レアリティ差二十もあるのに~!!」
様子を見にやってきた紅白に、ひっと声が出る。紅白の和服に付着した血が増えている。
グッディを抑えることに夢中で、この第二の殺人鬼とも言える危険な被験者に言いつけておくことを忘れていた。紅白はポイントのために、ハイラントら同様、被験者相手に平気で攻撃できる人間なのだ。
強い後悔の念にとらわれていると、傷一つないハイラントが平野をのそのそと歩いてくる。
「おうおう、空中庭園からお帰りか。どうだった、ハイラントのショーは。うちのライオンはなかなか変わってるだろ。火の輪をくぐるんじゃなく、くぐらせる方が得意でな」
「……お仲間に火が当たっているように見えましたが、あなたのショーの中には、身内切りという演劇が含まれているんですか」
ハイラントショーのジョークに返しながら、違和感に苛まれる。何かが引っかかる。
「連携さ。うちの隊員は、スカーの炎には慣れてる。ちゃんと作戦の内だよ」
ハイラントの言葉に続いて、部隊がぞろぞろと姿を現す。何人か大きな切り傷を負ってはいるが、数が減っているわけではない。紅白がギリギリ人を殺めてはいないことを知り、ほっとする。
そう、紅白だ。引っかかっているのはその紅白の発言だということに気づく。
「……んで、主将戦の方はどうなってるかねえ」
ハイラントが上を見る。唐梅も、戦況を確認しようとよそ見する。
好削と限武が、自分の名前を呼ぶ。はっとして、血桜を引き抜く。
ギャリリッ、と耳をつんざく音が鳴る。ジャックナイフのギザギザの刃に血桜の刃が当たり、金属音を奏でた。
小さなナイフ一本で唐梅を牽制し、ハイラントがもう一方の手を懐に入れる。銃をとり出すと、攻撃に耐える唐梅のこめかみに当てた。
限武がすかさず、ハイラントに銃剣の銃口を向ける。それに次いで、ハイラント部隊が限武に銃口を定める。
「……どうやら、二度目の主将戦にも勝てそうだ。お前の相棒、今頃黒焦げのチキンになってる。さあ、戦利品のレアリティを教えてもらおうかね。そんで、リーダー戦の続きといこうじゃないか」
緊張感に包まれる中、唐梅には答える余裕がない。
こめかみに当たる銃口の向こう、消えることのない炎の渦に目がいく。炎に動きがないか、そればかり確認してしまう。
「……早く、逃げて下さい……!」
懇願にハイラントが目を細める。
「仲間に聞こえてねえぞ」
「あなたに言ってるんです……! グッドディードがあなた方に目を向ける前に……!」
ハイラント達が首をかしげた。互いの顔を見合わせる。
敵部隊が疑念を抱く隙に、先ほどの紅白のセリフを思い起こす。グッディ、負けてんの? レアリティ差二十もあるのに。
そしてもう一つ。炎属性と悪属性、おそらくどちらに有利不利といったものはない。他の誰でもない、自分の立てた推測だ。
それらを照らし合わせ、自分の抱いた期待がどれほどバカらしいことだったかに思い至る。炎の渦を見ながら、いい加減流れてほしい実験終了のアナウンスを今か今かと待ち望む。
「よくわからんが……残念だなあこりゃあ。ぞくぞくしたのによお。悪同士食い合う話はどうした。……悪になってから言えよ、坊主」
ハイラントが凄む。鋭利なナイフと刀がかち合った。
「何をおっしゃるのか……、悪を食う悪食を、正義だとでも思っているんですか。僕からすれば、それは……完全に悪です」
ついぞ出すことのない本音を、ハイラントにぶつける。
悪属性の被験者の相手は自分がする、とグッディに言ったのは、当然被験者を逃がすためだ。手にかけるのは、悪属性のNPC。もしくは、悪属性の主人を持ち、暴れ回るNPC。それだけだ。それだけに済ませたい。
「……誰も逃げねえよ、カラウメ。何度ゲームオーバーになろうとな。この電脳世界で、どこへ逃げるって? そんなやわな考えは通じねえぞ」
唐梅の希望を、ハイラントが無下に打ち砕いた。逃げようとしないハイラントに大きく戸惑う。
そこに、焦りを絶望に変えようとする声が降る。
「――全くです。絶対に、逃がしませんよ。ご主人様」
炎の渦から光線が飛びだす。前方にいるスカーの鼻に当たる。鋼鉄の鼻はびくともせず、光線を弾き返した。
「ほほう。下級魔術じゃダメみたいですね」
渦巻く炎を、赤く光る剣が突き破る。
火炎が風とともにかき消え、火の粉の中からグッディが姿を見せた。笑っている。が、眉間にしわを寄せている。笑いながら、怒っている。
「ご主人様は、後でボコボコです。ご主人様も、NPCも、被験者も殺して、私が全ての頂点だと証明してあげましょう」
 




