殺人鬼NPCのレイド戦
NPC達の集中砲火が二人に迫る。思わず腕を前に出す。
「……ぐえっ!?」
何かに首が絞めつけられた。苦しい、と思うと同時に、強風が体を取り巻く。
「……うわあああああ!!」
グッディに襟首を掴まれ、一瞬でNPC達の頭上に浮き上がる。NPC達の放った火炎や電流が標的を失い、互いにぶつかって爆発する。
二人でビル四、五階分ほどの高さに飛ぶ。下方に広がるテスト空間を見ると、NPC達が円になり、こちらを見上げている。またこれか、と思う暇もなく、NPC達が空中に浮いている二人に向かってもう一度攻撃を放つ。
「ははははははは!!」
狂気的に笑って唐梅を引っ張り、転回し空を飛ぶ。それを追って火球や電磁砲が飛びかう。攻撃の嵐の中を、黒服のコンビが縦横無尽に飛び回る。
色とりどりの火花が顔をかすった。宙に投げ出された足が、電流の先に当たりそうになる。強風と攻撃の渦にもまれ、唐梅は自分に攻撃が当たることよりも、もっと別の強い絶望に意識をとられた。
まずいまずいまずいまずい。この流れはまずい。
グッディにぐいぐいと引っ張られ、テスト空間のあっちへこっちへと猛スピードで移動する。その度に引っ張られた学ランが自分の首を絞め、息をする間もない。
ダメだダメだダメだ。この流れはダメだ。
朦朧とする頭で、懸命に考える。考えたくなどない恐ろしい予測を立ててしまう。
グッドディードのレアリティの高さに怯えた周囲が、敵意を向けてくること。それをグッドディードは、喜んで受け入れるであろうこと。もっとも恐れていたこれらの事態が、今まさに起きてしまっている。そして、迎えてほしくない結末に向かおうとしている。
攻撃の嵐が止んだ。
果てがないほど高い、テスト空間の上空にいる。NPCや被験者達の姿が、点々と小さく見えるほどに高い。放たれた火球がこちらまで届かず、ゆっくりと下に落ちていく。
普通なら高さに足がすくんでいる状況だが、それとは違う恐怖に支配される。首根っこを掴まれぶらんと浮いたまま、グッディを振り返った。
ニタニタと不気味に笑い、余裕のある表情で下を見ている。足もとに群がる蟻を、これから潰そうとする子どもの目。
「……さて」
一息ついて、グッディが呟く。体中から汗が吹き出す。
こいつ、またやる気だ。あれをやる気だ……!
グッディが空いた方の手を振り上げる。全身に鳥肌が立つ。つい昨日の未曾有の惨劇が、一気に頭の中を駆け巡る。
もっとも恐れていたこと。グッディが、自分より弱い大勢の他者を前にすれば、当然全体攻撃を放つであろうこと。そうなれば、赤い光線が無差別に飛び、わけ隔てなく全てを沈める。
ぐるぐると思考が入り乱れ、考えろと言い、考えるなと言う。鳴りそうになる歯を抑え、噛みしめる。ぐっと強く噛みしめる。
何かを言え、とにかく言え。……言え、言うんだ!
「――……僕の質問に答えていないね、グッディ」
振り上げた手を止め、グッディがこちらを見た。ニヤついていた顔を落ち着かせて、きょとんとする。何の話だ、と首をかしげた。
それを眼鏡の奥からにらみ、焦りを知られないよう、わざと緩慢に話を続ける。
「ここに悪属性は何体いる。そう聞いたはずだね」
あっ、という顔をして、グッディが素直に下を見回す。が、すぐに疑問を覚えて眉をしかめると、こちらに顔を戻した。
「……答えられなかったのは、ご主人様が私に攻撃したからです。忘れたんですか」
「君は証明すると言ったね。悪属性の頂点だと……でも、本当にそうかい」
無視して続ける。グッディが顔を引きしめた。
唐梅の言葉の真意を探ろうと、鋭い目線を向けてくる。尖った目線に刺されながら、いたって無表情を貫く。慎重に、頭の中にある言葉を選んでいく。
「悪属性の頂点、それは本当か。全体攻撃と言ったら、いわば必殺技だろう。自分より強い相手に勝つために、ここぞという時に出すものだ。君は今また、それに頼ろうとしているね」
グッディの表情が変わる。不本意だ、という感情半分、行動を読まれていることへの不快感半分。目を少しの間そらし、反論しようと口を開いた。それより早く言葉を被せる。
「君、本当は弱いんじゃないか」
……んえ? とグッディが気の抜けた声を出す。
思いもよらないことを言われた、と目を大きくし、だらしなく口を開ける。聞き間違いかも、いやでも、と首を振り、信じがたいものを見る目で唐梅の顔を覗き込む。
「それを隠すのに必死なんだろう。さっきだって、攻撃を避けられていたじゃないか。まして人間相手にだ」
グッディがころころと表情を変える。今度は、怒り。口ではなく目の端をつり上げて、歯をむき出すと、むぐぐと唸る。
それを見て、唐梅は無表情をやめ、グッディに優しく微笑んだ。慈愛を感じさせる顔で、温和に、柔和に笑ってみせる。
「……何も新しい主人の前だからと、張り切らなくったっていいんだよ。僕らは相棒だ。対等だよ。弱いところを見せたって、構わないんだ」
「――!?」
これ以上驚けない、という顔でグッディが驚く。気の毒なほど驚愕している。反論しようとぱくぱく口を開けるが、まるで言葉が出てこない。唐梅は冷静に、最後の誘導を投げかける。
「必殺技になんか頼ってないで、君自身の力で悪属性を倒してみせてくれないか。……大丈夫だよ。君が悪属性の頂点だと証明できずとも、僕はがっかりしない。しないよ、グッディ」
ぼうっと聞いていたグッディが、次第に目の色を変えた。怒りと不満に顔を染める。黙ってその様子を見つめ続けた。時間が長く、長く感じられる。
グッディが唐梅から目を外す。
「……ニ、三、四。……七、八……」
すっかり静かになっている下に目を向け、ぶつぶつと数を数える。
そして、口をつり上げる。唐梅の首根っこを力任せに引っ張ると、加減なしに放り投げた。
「えっ、なっ……どうわああああっ!!」
体が宙に投げ出される。同時に、グッディが爆発的な速度で飛び出す。落ちる唐梅を放って、矢のようにテスト空間の下方に飛行する。
頭から落ちていくさなか、下方を飛び回るグッディの姿が視界をかすめた。
一体、二体、三体…と黒い巨体のNPCに突っ込み、素手でその体を突き破っていく。
君自身の力。魔術を使わない、グッドディード単体の物理攻撃による力。
殺人鬼の攻撃に血と肉片が飛び散り、被験者らの悲鳴が響き渡る。
どすん、と鈍い音を立て、唐梅は何かの上に落ちた。骨が軋み、痛みに顔を歪める。が、あの高さから落ちたにしてはどうも痛みが弱い。
「……いぃってええ~。ただでさえ加齢で弱ってんのに。ジジイの腕、折れちゃう」
「バカを言え。軽すぎるくらいだ。もっと食べた方がいいな」
声に顔を上げる。赤と黒のマフラーの二人組が、軽口を言いつつ自分を抱えている。
受け止めてくれたことの礼と謝罪を言おうとして、悲鳴の方に目がいった。
テスト空間が、血にまみれていく。
黒い大トカゲに、グッディが低空飛行しながら近づく。軽く手をスライドさせたかと思うと、大トカゲがその動きに合わせて、さばかれた魚のように真っ二つに割れる。捕まっていた女性が、噴出する血に汚れながら逃げだした。
グッディが方向転換し、今度は別の悪属性を素手で殺す。血の海を飛び回り、怯える被験者とNPCを避けて、次々と悪属性だけを屠っていく。
今さらながら、圧倒される。抱えられたまま、目の前の相棒の活躍に動けなくなる。
グッディが止まった。腕を血だらけにして、テスト空間の中央に降り立つ。
満足した顔でゆっくりと首を動かすと、静かになった周囲を見渡す。
悲鳴をあげるものはもういない。静寂が空間を包み、黒い体をしていたはずのNPC達が赤く色を変え、形も変え、辺りに点在している。
「……さて。他に悪属性は?」
グッディが皆に向けて質問した。
静まり返った中、殺人鬼の声がやたら大きく聞こえる。誰も反応しない。被験者も、NPCも、誰もが立ちつくし、グッディの挙動を必死に追っている。
自分を抱える二人組も、あの果敢に戦いを挑んできた紅白ですら、戦意を失い、呆然と立っている。
ぼんやりと一人、隙を見せているグッディに誰も立ち向かおうとしない。それを確認し、唐梅は抱いた二つの希望が完全に打ち砕かれたのを実感する。
ダメだ。敵わない。誰もこいつを倒せない。悪属性の中にも、それ以外にも。
グッドディードより強いものが、いない。
凶悪な相棒がこちらを振り返る。いつもの調子に戻り、機嫌よく歯を見せた。次いで、もう一度周囲を見回す。
……まずい!!
唐梅が飛び出す。止める二人を置いて、血桜に向かって走る。
グッディが仰々しく、咳払いをする。そして、ふざけるように何かを真似て言った。
「あー……皆さん、準備はよろしいですね。……それでは、本日の殺戮及び殺戮を開始します」
グッディが手を振り上げようとするのを、拾った血桜で斬りかかる。簡単に振り払われた。起き上がり、めげずに斬りかかる。
「ホウライいいい!! 終われ! 終われぇえええええっ!!」
グッディが真似た人物に向かって叫ぶ。叫びながら、グッディに向けた刀のみねを手で押す。せいいっぱい押す。
『――…おいおい、何やってんだこのバカ。自分のNPCと戦ってどうする……。ほら、誰かとっとと止めなさい』
見かねたホウライが、やっとアナウンスを流す。二人を静止させるよう他の被験者に指示するが、誰も動こうとしない。いきなりケンカを始めたコンビに、ただただ戸惑っている。
「ほら見ろ! みんな僕らをこわがってる!! 誰も攻撃しやしない!! 勝ちだ、僕らの! 僕らの勝ちだぁああああ!!」
狂い叫ぶ。グッディに刃を当て、被験者達に狂気まじりに笑ってみせる。刃を指で挟んで、余裕のあるままにグッディがその言葉を否定する。
「まだです、ご主人様。クエストAでポイントを稼げます」
『そうだ、攻撃しろ。まだ実験は……』
「あっ、命令しないで下さい! ご主人様でもないのに!」
『はあ? 何言ってんだ、このザコNPCは……お前をつくったの、私達研究員ですよ』
ホウライの命令にグッディが突っかかる。
お前は主人の言うことだって聞かないだろうに、と内心で思いつつ、よそ見するグッディに蹴りを入れる。がっ、と頭を掴まれ、後ろへ投げ倒される。
ザコという発言に機嫌を悪くしたグッディが、ホウライの声のする方、つまりは特にあてもなく上の方に向かって魔術を放つ。辺り一帯に赤い光線が降り注ぎ、被験者達が逃げ惑う。
「あっぶな」
黒マフラーの男性が、ひょいと光線をかわす。他の被験者やNPCも、悲鳴をあげてそれぞれ障害物に身を隠す。白い壁やおうとつに、光線が突き刺さった。唐梅は青ざめる。
無我夢中で血桜を手に、グッディに飛びかかる。また振り払おうとするグッディの腕に噛みつき、ボサボサの髪を引っ張った。
『あー……、もう……』
ホウライのうんざりとした声が漏れた。
一拍遅れて、ビー、とやかましい警報がテスト空間に鳴り響く。
『――本日のクエスト及び実験は終了です。被験者とNPCは休憩用フィールドに移行して下さい』
「あっ」
グッディが声をあげる。そのアナウンスに、唐梅は食らいついていた口を離す。
テスト空間の脇に”ドア”が複数現れる。被験者とNPC達が踵を返して、我先にとぞろぞろ黒い穴に向かっていく。
唐梅が歯を見せて笑う。ほくそ笑む。
気づいたグッディが、わなわなと震え、唐梅を突き飛ばす。もう何度も床に打ちつけた体を揺らして、唐梅は狂ったように笑った。
「あはははは! どうした、邪魔されて悔しいか、グッディ」
「ご主人様!! 何でこんなことするんですか! まだいーっぱい敵が残ってたのに!」
獲物を逃したグッディが、素直に激昂する。子どもっぽく地団駄を踏み、一生懸命怒りを表現する。その様にますますおかしくなって、床を転がり、腹を抱えた。
「あはははは!! ……ああ、おかしい。僕はね、君が笑っているより、怒っている方がいい。楽しいね、グッディ。楽しいよ」
グッディが怒りに震える。寝転んだまま、見下すようにそれを見る。
「……何か問題あるか。仲間の邪魔をして、喜ぶひどいやつ。悪属性の相棒だ。君が望んだ」
グッディが震えを止めた。数秒考え、悔しそうに口を結ぶと、それでもはやり地団駄を踏む。頭をかきむしる。
『とっとと帰れ、このバカ二人が。以降、自分のNPCへの攻撃は禁止。次実験をむちゃくちゃにしたら、容赦しませんよ』
ホウライのアナウンスに、髪をめちゃくちゃにしたグッディが、その手を止めて歩きだす。悪属性の主人を置いて、肩を落とし、先に帰っていった。
第ニの実験が終わった。
相棒も、他の被験者達もいなくなったテスト空間で、唐梅は一人仰向けになる。白い空とも天井とも言えないものを見ながら、実験を振り返る。
……どうにか今日は、グッディを抑えることができた。凶暴な悪属性のNPCにのみ、被害を抑えることができた。でも、運がよかっただけだ。次はこうはいくまい。わかっている。
静かに決意する。悪属性の死体が並ぶ床で、同じようにして、瞳を暗くする。目をつぶると、脳裏に同級生の、死に際の言葉を思い浮かべた。
閉じた目を開ける。白い空を見上げると、もうどこにいるかもわからない相手に向かって、遅くなってしまった返事を口にする。
「……僕は、賞金を狙って来たわけじゃないんだ。あちらにも帰らない。帰れない。本当に欲しかったものも、もう手に入らない。……でも」
胸に手を当てる。心臓を掴むように、拳をつくる。息を吸い込むと、薄暗い、決して輝かしいとは言えないその決意を、言葉にした。
「君がこちらに逃げたのを知ってる。僕も逃げた。だから、二度は逃げまい。僕はここで賞金も、欲しいものも手に入れず。……君とさほど変わらず死ぬ」




