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 次の日出かけようとしていたらイザークが尋ねてきた。婚約解消についてお父様を訪ねて来たのだろう。

 私は軽くお辞儀をしてイザークの横を通り過ぎた。イザークに呼ばれた気がしたがそのまま馬車に乗り込み出かけた。

 私は領地に帰る前の挨拶のために知人宅に向かっていた。貴族は社交シーズンが終わると王宮に勤めている者以外は所有する領地に帰るため、私も両親に付いて領地に帰ることになっている。

 イザークは財務官をしているので今年も一人王都の伯爵邸に残るだろう。

 用事を済ませて家に帰ると執事からお父様が執務室で待っていることを告げられた。

 いざその時が来ると緊張で手が震えた。私はコートをエルサに預けてその足で執務室へ向かった。

 執務室の前で一呼吸置いて扉を叩くと中からお父様の声がした。部屋に入るとお父様とお母様がソファに座って待っていた。


「お帰りキーラ。こちらに座りなさい」


 お父様が向かいのソファに腰掛けるように促す。

 私がソファに腰掛けると、お父様とお母様が改まった表情になり私も顔が強張る。


「キーラ、よく聞ききなさい。デュメリー伯爵家から正式に結婚の申し込みがあった」


 は?


「結婚式は半年後に行いたいそうだ。そうなると今年は領地に帰らず結婚式の準備をすることになるだろう……キーラ?」


 お父様が心配そうに私の顔を覗き込んだ。


 どう言うこと?


「イザークさんが先程お見えになって、正式に結婚を申し込まれたのよ。噂のことは私たちの耳にも届いているから二人の仲がどうなっているのかと思っていたけれど……自分は潔白でキーラとどうしても結婚したいと言われて」

「イザーク君は身辺調査をしても構わないとまで言ってね……さすがにお断りしたけど。キーラはどうしたい? 結婚が嫌なら止めても構わないんだよ」


 これ以上お父様とお母様に心配を掛けることは心苦しかった。お父様とデュメリー伯爵の仲が悪くなるのも本意ではない。


「……わかりました。イザークと結婚します」


 心配する両親に退出の挨拶をして私は執務室を後にした。

 自室に戻ってベッドに倒れるように飛び込んだ。

 お行儀が悪いと知っていながらそうしたい気分だった。私の気持ちを察してくれたのかエルサは何も言わなかった。


 イザーク、何を考えているの?


 デュメリー伯爵家とオリエール伯爵家の婚姻は、家柄的に釣り合いが取れているし両家の期待にも沿うが無理に婚姻関係を結ばないといけないような話ではないはずだ。デュメリー伯爵家が困窮しているとも聞いたことがない。


「プロポーズの言葉も花も愛もなし。ほんと何もない結婚ね」


 自分で言っておかしくて吹き出してしまった。笑いは止まらず私は声を上げて笑った。

 一筋の水が頬を伝う。笑いすぎなのかはたまた違う感情によるものなのかわからなかった。子供の頃から大好きだったイザークとの結婚はただ空っぽだった。

 ベッドから起き上がると机の上に置かれた花と封筒が目に入った。手紙にはオランケイト侯爵家の紋章があった。他にもいくつか貴族から届けられていて、どうやら仲間内のお茶会や食事会への招待状らしい。

 昨日の夜会が終わると貴族たちは領地に立つ前に、気に入った者を招待して最後の情報交換を行うのが恒例だった。

 私たちの婚約がうまくいっていないことは知れ渡っていたが、昨日の夜会で公然となったため貴族たちが両家の婚約解消を見込んで動き出したのだろう。

 私に招待状が届いているということはイザークにも届いていることだろう。イザークはこれを見越して結婚を申し込んできたのだろうか。

 私はオランケイト侯爵家の文様を指でなぞりながら、夜会でのジェラルド様の言葉を思い出す。


 ジェラルド様、私に結婚を申し込んでくださったのに……考える間もなかったわ。


 近いうちに結婚が公式に発表されてジェラルド様の耳にも入るだろう。


 とにかく結婚生活が始まるまでの半年間は、記憶が追加されるのを防ぐためにイザークを避けなくては。

 イザークは恋人と別れないでしょうから、結婚生活が始まったら私も愛人を作ればいいわ。体裁だけの夫婦なんてよくある話だしお互いに楽しめばいいのよ。


 イザークを愛していた頃なら思いつかなかったであろう斜め上の解決策に満足して元気が出てくる。薬を飲んだ甲斐があったというものだ。

 ふと最後の夢が頭をよぎったが私は頭の隅に追いやった。




*




 なぜイザークとお茶をしているのかしら。


 目の前で婚約者は優雅にお茶を飲んでいる。私はイザークと我が家の応接室にいた。訪ねて来たイザークに出掛けるところを呼び止められ、一杯だけお茶に付き合うように言われたのだった。


 さっきから何も話さないじゃない。用がないなら引き止めないで欲しいわ。


 お茶を一気に飲み干そうとカップを持った。


「明日から結婚式と新生活の準備を始めるから、そのつもりでいてくれ」


 私は勢いを削がれて手元がぐらつきお茶を溢しそうになる。イザークは淡々とした表情でこちらを見ている。


「イザーク様のいいようになさってください」


 私は姿勢を正しカップを持ちなおしてお茶を口にする。

 結婚が正式に決まって以来、私はイザークを敬称をつけて呼んでいた。イザークは少し眉根を寄せたが気づかない振りをした。

 寝室は別でお願いします、と付け加える。結婚式にも新しい生活にも興味はない。

 イザークは一瞬顔を曇らせたように見えたが何事もないように続ける。


「新居を一緒に見に行かないのなら要望は聞かない」


 私はお茶を一気に飲み干しテーブルの上に音を立てないようにゆっくりと置いた。


「付き合えというなら付き合いますわ。でも、今日はもう時間ですので失礼します」


 イザークに満面の笑みを向け言い終わると同時に立ち上がり、返事を待たずに部屋を出た。




 イザークは宣言通り毎日のようにやって来た。仕事がある日は夕方顔を見せるだけで帰ることもあったが、休みの日は私を色々な場所に連れ出した。

 そして今日もイザークと無言で馬車に揺られていた。

 私はイザークが何を考えているのか未だにわからなかった。


 伯爵家に問題がないとしたら、仕事に影響が出たとか……あり得ないわね。


 私生活では残念な噂のあるイザークだが、財務官としての仕事ぶりは常に冷静で的確な判断ができると評判だった。イザークの噂に渋い顔をしている兄はもちろんお父様でさえ褒め称えていた。

 結婚が発表されてからしばらくは、領地に帰る知人のお茶会や食事会で好奇の目に晒されていたが、頻繁に一緒に外出しているため噂はすっかり収まり最近はお祝いのカードや贈り物が届き始めていた。


「降りるぞ」


 馬車が止まりイザークが先に降りる。イザークは結婚の準備で外出する時は用事とは別に、雑貨屋、公園、美味しいカフェや話題のスイーツのお店に私を連れて行った。今日も新居を見た後でカフェに行くことになっていた。

 イザークに手を引かれて馬車を降りると例の――白い壁に水色と黄色の屋根の――カフェだった。


「チーズケーキが美味しいお店ですよね。ここでイザーク様をお見かけしたことがありますわ」

「…………何が言いたい」


 上から少し苛立った声が聞こえる。


「ここはチーズケーキが絶品で、私も食べたことがあります」


 以前姉夫婦とピクニックをした時にここのチーズケーキが話題になり、食べたことがないと言ったら姉がお茶会で用意してくれていた。


「事実を述べたまでです。お気に障ったのなら申し訳ありません」


 私はイザークを見ることなく謝罪の言葉を口にする。

 店に入ると店内はそれなりに混んでいて私たちはテラス席に案内された。先を歩くイザークの銀糸の髪が陽の光を受けて輝き私は目を細めた。

 テラス席はクリーム色の石の上に白いパラソルが立てられていて、柔らかい色合いでまとめられていた。

 席についてイザークが二人分のチーズケーキとお茶を注文する。


「申し訳ございません。本日はチーズケーキが残り一個なんです」

「では私はロールケーキでお願いします」


 イザークが口を開く前に私は注文を変更した。


「以前食べたので結構です。それに今度は他のケーキを食べたいと思っておりましたの」


 イザークが渋い顔をするが私は素知らぬ顔をした。

 私たちの微妙な空気とは違ってほかの席のカップルたちは和やかに談笑している。


 何をしているのかしら、私は。


 注文したケーキとお茶が運ばれてくると、イザークはさりげなく私のロールケーキと自分のチーズケーキを入れ替えた。

 私はいつも通り会話のないお茶の時間をやり過ごすために、自分の世界に入り込もうとした。


「どこが良かった?」


 不意に話しかけられ返事が遅れた。


「部屋だよ。今まで見た中でどの物件が気に入った?」


 私たちは王都の中心部の共同住宅を何件か見て回っていた。


「爵位を継いだら伯爵邸に戻るから、今回の家はそれまでの住まいになる。専用の庭がないのは申し訳ないけど、一応共用の庭はあるしセントレア公園にも面していて、出掛けるにも便利のいい物件を選んだつもりだ」


 私が庭でお茶をしたり本を読んだりすることが好きなのを覚えてくれていたのかしら……


 物件はどれも申し分なかった。

 専用の庭はないが共有の中庭は良く手入れがされていて広々としていた。

 部屋は全体的にこじんまりとしていたが新婚夫婦向きな造りで、フロアごとに貸し出されているのでプライベートに十分配慮されているし、使用人たちの部屋も用意されていた。


「どれも素敵でしたわ。イザーク様はどれをお気に召して?」

「キーラ」

「私の要望はお伝えしていますでしょ?」

「それは聞き入れられない」

「だったらどこでも同じですわ」


 物件はどれも夫婦の寝室が一緒だった。

 私たちは再び沈黙になる。

 結局家に帰るまで一言も口をきかなかった。別れ際にイザークが何か言いかけたように見えたが、疲れていたのでさっさと部屋に引き上げた。

 こうも頻繁にイザークと会うとは思ってもみなかった。薬のおかげで心が乱れることはないが、イザークが何を考えているかわからないので疲れがひどい。自室でくつろぎながら今日のことを思い出し辟易する。


 部屋でも何でもイザークの好きにすればいいのに。これじゃリリーにも会いに行けないわ。


 先日の別れから忙しくてまだリリーに会いに行けていなかった。女同士の気楽なおしゃべりが恋しい。

 テーブルの上に活けられた白い花を眺めながら溜息をついた。この花は今朝ジェラルド様から手紙と共に届いたもので、私たちは手紙をやり取りする仲になっていた。


 ジェラルド様を選んでいたらどうなっていたのかしら。


 とにかく私は一刻も早くこの茶番を終わらせたかった。


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