表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

2

「さっきからため息ばかりね」

「あ、ごめんなさい……」

「ため息をつくごとに幸せが逃げるわよ」


 向かいに座るリリーが茶化す。

 私は黒猫にいた。あの雨の日以来何度か買い物に来るうちに私たちはすっかり仲良くなって、特に用事がなくてもリリーに会いたくて黒猫に足を運ぶようになっていた。


「何かあった?」


 私は言葉に詰まる。言葉にすると現実になってしまいそうで憚られた。


「お母様ー‼︎」


 突然わっと奥から小さな男の子が飛び出して来た。くるくるした黒髪にぱっちりした紫の瞳が愛らしいやんちゃ盛りのその子は、リリーの足にしがみついた。


「こら、お店に出て来ちゃダメでしょ。ごめんなさいね、息子のリオよ。リオ、ご挨拶しなさい」


 リオと呼ばれたリリーそっくりな男の子は、リリーのスカートから顔を上げて恥ずかしそうにこちらを見る。


「初めまして、リオです」

「お母様のお友達のキーラです。よろしくね、リオくん」


 リオは屈託のない笑顔を浮かべた。


「リリーすまない。リオそっちに行ってないか?」


 よく通る低い声がして、金髪のがっしりした体躯の男が姿を見せた。男の左手には男と同じ金髪の小さな女の子が抱きかかえられていた。


「あ、すいません。リオ、こっちにおいで」


 男は私に気づくと慌てて申し訳なさそうにした。


「夫のレイシスと娘のアンナよ。レイシスは騎士なの。今日は休みで子供達を見てくれてるの」


 レイシスは無骨ではあるが、良き夫であり父親に見えた。リリーは祖父母とご両親、妹、弟と暮らしていて、お店の奥から時折賑やかな声がしていた。

 目の前の幸せな家族を目の当たりにすると、政略結婚とはいえ何もない結婚が滑稽に思えてくる。

 仲睦まじい家族の様子に嫉妬している自分が悲しくて胸が締め付けられる。


「キーラ……」


 リリーに呼ばれて我に返った私の頬を涙が伝っていた。


「あっ……あれ? やだ、ごみが入ったのかしら」


 慌てて目頭を押さえるが、止めようとすればするほど止まらない。慌てて帰り支度を始める私をリリーが抱きしめた。


「いいのよ、我慢しなくて」


 私はリリーに抱きしめられて堰を切ったように涙が溢れ出した。私が思っていたよりもたくさん心に溜め込まれていたようで、リリーの腕の中でしばらく声をあげて泣いた。リリーは私が落ち着くまで側で優しく背中をさすってくれた。




「ごめんなさいね、お見苦しいところをお見せして」


 すっかり腫れてしまった目元を私はタオルで冷やしていた。タオルには氷の魔法がかけられていてちょうどいい冷たさだ。ひんやりとしたタオルは、腫れた目だけではなく泣き疲れてささくれ立った心も落ち着かせてくれた。


「気にしないで。さあ、ハーブ入りのお茶よ。心が休まるわ」


 お茶からはハーブがほのかに香りじんわりと胸に染み渡る。

 一口ずつ味わうようにゆっくりお茶を飲み干すと、カップをテーブルの上に静かに置いた。


「リリー、聞いてもらっていいかしら」


 リリーは静かに頷いた。私はイザークとのことを全て話した。子供の頃のこと、婚約した経緯、彼が私を避けるようになったこと、恋人の噂があること、私の中のあらゆるイザークを追い出すかのごとく話した。

 話し終わるとリリーは先程よりきつく私を抱きしめた。そして、優しく私の目元にタオルをあてがった。

 私は話すうちに感情が高ぶりまた涙が溢れてしまっていた。


「このままイザークと結婚しても辛いだけだから婚約を解消したいの。イザークが幸せならそれでいい。でも婚約を解消して傷が癒えないうちに、すぐに恋人と婚約したら立ち直れないわ。だから解消してほしいって言い出せなくて……もうどうしたらいいのかわからないの」


 リリーは黙って聞いている。


「イザークのこと、忘れることができればいいのに」


 私は絞り出すように呟く。リリーはしばらく難しい顔をしていたが、やがて口を開いた。


「イザークさんを愛する気持ちを本当に忘れたい?」

「ええ、苦しいもの。なかったことにしたいくらいだわ」

「……なかったことにはできないけど、思い出にできる薬があると言ったらどうする?」


 私は何を言われているのかよくわからなかった。


「人の記憶を消す、つまり記憶を操作することはそもそも禁忌だから無理なの。

 思い出にする薬は、その人への愛を過去のものへと変えることができる薬で、もともと愛する人と死別した人の悲しみを癒すことを目的として開発されたの。

 悲しみが癒えて思い出になるには時間がかかるでしょ? 薬は思い出になるまでの時間を短縮する効果があって、癒しの手助けをするの。だからその人の記憶は過去のものとなるけど消えはしない」


 私は半信半疑で聞いていた。


「月の女神の言い伝えを知ってる?」

「ええ。確か月に向かって祈りを捧げると、女神が願いを叶えてくれるとか」

「そう。月は女神が住まう場所として祀られているわよね。この薬は月の女神の力を借りて作るの。毎日一つ夜寝る前に、満月の日から新月まで女神様に祈りを捧げながら飲むの。この時飲む姿を誰かに見られてはだめよ。

 毎日飲んでいるうちに少しずつ気持ちが整理されて、最後の日、つまり新月の次の日に目覚めたとき全てが過去のことになっているの。

 ただ、薬は愛する人と死に別れた人のためのものだから、キーラとは状況が違うわ。キーラが婚約を解消して一生いいえ、ある一定期間、例えば次の恋をするまでとかイザークさんに会わないのであれば、近い状況になるから効果はあるかもしれない。

 でもイザークさんと接触する機会が多ければ、新しい記憶が追加されることになるからどうなるか……薬で一度思い出にしたものを呼び覚すことになるから、今より辛い思いをするかもしれないわ」

「薬を飲めば思い出になるのよね?」

「ええ」

「イザークに接触しなければいいのよね?」

「理屈はね」

「可能だと思うわ。もうすぐ社交シーズンもお終いだから、終わりを告げる夜会で会うのが最後なの。それが終われば来年まで会わないわ。

 ちょうど新月の次の日の夜にその夜会があるの。その時にイザークに婚約解消を申し込むわ。あとは家同士で話をすることだから私たちが会うことはないわ」


 リリーは私がイザークに会わないことを確認すると、安心した表情になった。


「わかったわ。満月は今日から三日後だから、それまでに薬を用意するわ。何かイザークさんとの思い出の品とかある? 薬を調合するときにそこに宿る力を加えることで効果を高めるの」

「それが何もないのよね……あ、貰った花で作った栞があるわ」


 私は子供の頃にもらった花で作った栞を思い出した。大人になってイザークから贈り物どころか、手紙すらもらったことがなかった。

 次の日私は栞を持って再びリリーを訪ねた。栞はイザークに子供の頃薦められた本に挟んでおいた。

 お礼に料理長に用意してもらったお菓子を手渡すと、リリーはとても喜んでくれた。お代を支払おうとする私に、友達を助けるのは当然のことだと言ってリリーは受け取らなかった。私はまた涙腺が緩んでしまった。




*




 完璧な円を描く月は煌々と青白い光を放ち、部屋は月明かりで淡い光に包まれていた。

 私はサイドテーブルに置かれた青白いガラスの瓶を手に取る。ガラスの瓶の中には、小さな星の形をした色とりどりの可愛らしい砂糖菓子のようなものが入っていた。


 こんなに可愛い薬が思い出にしてくれるのかしら……


 私は一つ取り出し、意を決して口に入れると水で流し込んだ。

 薬を飲むとどうなるか事前にリリーから聞いてはいたが、少し不安になってベッドでそわそわしていた。

 しばらくすると説明通り瞼が重くなり、倒れこむようにベットに横たわって深い眠りに堕ちていった。




 久々に子供の頃の夢を見た。幼い私とイザークが、芝生に用意された敷物の上で遊んでいた。イザークは絵本の話をしていて、幼い私はイザークの話を楽しそうに聞いている。

 イザークは青い瞳を輝かせながら一生懸命に話していて、私はその様子がとても可愛かったことを思い出す。


 ぐらりと景色が歪み一瞬視界が遮られたかと思うと、我が家の庭園にいた。

 向こうにはイザークと私が並んで歩いている。婚約したくらいの年頃だろうか。庭園を歩く私たちは子供ながらも紳士淑女らしく振る舞っている様子が微笑ましくて頬が緩む。

 イザークは立ち止まり、私に花束を差し出した。あまりの嬉しさに動揺しているのか、私は受け取る手がもたついている。二人とも真っ赤だ。

 婚約してすぐの頃イザークが訪ねて来てくれて、初めて贈られた花だからと栞にして大切にしていた。


 歩いて行く二人を見送っていると再び視界が歪み、今度は我が家の応接室に移動していた。イザークは私の向かいに座っているが、どことなく落ち着きがないように見える。

 私は淡いオレンジ色のワンピースを着ていて、表情はこちらからは伺い知れないが、イザークに話しかけているようだった。

 イザークがボソリと何か呟くと私の動きが止まった。私は耐えられなくなったのか、逃げるように部屋を出て行ってしまった。イザークは慌てて私を止めようとしたのか、立ち上がるが間に合わずそのまま立ちすくんでしまった。

 十四歳の誕生日に晩餐の後に二人でお茶をしていた時、ドレスが似合っていないと言われショックで部屋を出たことが思い出される。

 イザークはソファにどかりと座り、意外にも頭を抱えていた。初めてみるイザークの姿に私は少し驚いた。


 応接室やイザークがだんだん遠く小さくなって闇に溶け込んでいく。再び明かりが灯り景色がはっきりしてくると、きらびやかなシャンデリアがいくつも吊るされ、たくさんの人で溢れていた。どうやら王宮で開かれている夜会のようだった。

 私はイザークにエスコートされ挨拶回りをしている。挨拶を終えてイザークは私に何か言って手を離してしまった。私は呆然とした顔でイザークを見ているが、彼は私の方を見ることなく、飲み物を手に壁際に移動してしまった。

 初めて二人で夜会に参加した時のことで、イザークとダンスを踊るのを楽しみにしていたが、イザークには当日踊らないと言われ、結局時間が来るまで二人で特に何も話すでもなく壁際にいただけだった。


 再び闇が忍び寄る。私は壁際に立つ二人を静観していた。

 その時夢の中の私がぱっと顔を上げてこちらを見た。急に目が合い私はたじろぐ。

 訳が分からず戸惑っている間にも、二人の姿は闇に吸い込まれて行く。夢の中の私は何かを告げようと口を動かした。


 え? 何?


 やがて全てが飲み込まれ真っ暗になったところで私は目が覚めた。問いかけるようなエメラルドの瞳が頭から離れなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ