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ゾンビ発電

作者: 高座 低見

「おはよう」


 陰気な職場の同僚たちに声をかける。一部からはか細く返事が聞こえてきたが、残り大半からは無視された。まあ、別にかまいやしない。好きな仕事でも誇れる仕事でもなかった。俺ことケビンはカバンをロッカーにしまい、Tシャツと短パンの上から上下合わせのツナギを纏った。

 スピーカーから『メリーさんの羊』が流れるのを合図に、のろのろと職員たちが立ち上がり動いていく。まるでゾンビだ。なんとも皮肉な話である。だが、それを笑う気にはなれない。俺だってその一員だから。

 殺風景なリノリウムの廊下を通り、持ち場につくと自分の名前が記された札を裏返す。先客のローとミシェルは既に来ているようで、彼らの名札は赤文字だ。自分の担当であるコンソールの椅子に腰をかけると、ガタが来ているそれはミシリと不快な音をたてた。


「ゲートを開錠します」


 無機質な機械音声がアナウンスをするのと同時に、コンソールの電源を入れてマシンを立ち上げる。眼前のガラス張りの部屋に照明がともり、広い空間が現れた。

 コンベアを空回しする。引っかかりもなく起動して、電気系統へのチャージも確認できた。


「オールグリーン」


 マイクに向かってだるそうにそう呟く。頭上のスピーカーから、ローとミシェルの「オールグリーン」が続いた。

 俺たちが担当するこの広い部屋は、発電機関だった。といっても、足元にルームランナーのようなコンベアが敷かれているだけのお粗末なものだ。だが、あまりにも増えすぎてしまった彼らのせいで、こんな無駄なものに広い面積を取らねばならなかった。

 部屋の一辺、先ほどまで閉じられていたゲートが開く。暗い闇の向こう側から、ゆらりと影がはい出てくる。


「ゾンビ反応あり。健康状態良好。活性化電波の放出を行います」


 スイッチを押すと、見えない電波が部屋中を覆いつくす。それと同時に、ゲートの闇に蠢いていたゾンビたちが、一斉に叫び声をあげて突進し始めた。

 彼らの癪に障るらしい電波は、ゲートの真反対かわ放出されている。それを破壊するために腐った肉の塊たちが疾走するのを、足元のコンベアが捕える。ハムスターの回し車のように、まったく前に進むことなくイモ洗いの形で固定された。


「電気変換成功。規定時間まで待機といたします」


 スピーカーからの音がブツっと途切れた。

 これが俺の仕事だ。

 部屋に蠢くゾンビたちを見ながら、深いため息をついた。




 昼休憩。

 ゾンビ発電のイレギュラー対応のために、ローだけを残して部屋を出る。リミットは三十分だが、ずっとタバコを吸うだけの時間になるだろう。この仕事を始めて三年が経過するが、腐った肉の塊を見た後で食事ができるようには未だなっていない。


「コーヒーくらいは飲みますか」


 ミシェルの提案は疲れた声だった。俺はそれに乗ることにした。この三年間で口に入れられるようになったのは、コーヒーだけだった。

 施設の一角、ひっそりと置かれた喫煙所のベンチに腰をかけ、タバコに火をつける。この時間だけが至福だった。


「ホント、糞見たいな仕事ですよね」


 ミシェルが深く煙を吸い、勢いをつけて吐き出す。口から抜け出た魂のようだ。


「そうだな」


 とだけ返す。もう慣れっこなのだろう。ミシェルは何も言わなかった。


 ゾンビがこのアメリカで発生したのはいったいいつのことだっただろうか。もう八年は経過しているかもしれない。あの日の俺は無為に毎日を生きて若い時間を無駄にしていた。

 新型ウイルスによるものという公式見解が発表されるまで、アメリカは大混乱に陥った。墓場から、事故現場から、殺人現場から、生きた死体が生まれては新たに感染者を増やしていく。それに対して軍や警察は、その武力でもっての行使を続けていた。

 ところが、もう少しでゾンビが完全に制圧できるというところで……所謂『そういう団体』がしゃしゃり出てきた。元は人間なのだから、ゾンビが人間でないという保証はない。と。

 その世論が拡大していき、愛する人がゾンビになったままの者。殺されたゾンビの中に家族がいた者。ゾンビのせいで愛する家族が死んだ者。様々な意見が混然一体となってカオスの様相を呈していく。この悲惨な状況を打開するために政府が打ち出した『臭い物にする蓋』がこれだった。

 発電という名目でゾンビを集めて雇用を与え、同時に研究機関としても活動することでゾンビのシステムや治療法を確立していく。だが、ゾンビが人間であるかもしれないという倫理が邪魔をして、実験の進捗は悲惨なものである。門外職員である俺ですらわかるのだ。結局、達成した進歩など土葬を控えて火葬にすることくらいだろう。

 ゾンビどもの発電で賄えるものなど、せいぜい自販機くらいだ。

 短くなったタバコを押し消し、喫煙所に設置された自販機に金を入れ、スイッチを押す。重い音を立てて落ちるコーヒーを飲み干し、喫煙所を出るころには二十五分が経過していた。




「新顔だ」


 ローは若干遅刻した俺たちに嫌味たらしい顔を見せつけながら、モニターを指さしていた。

「新顔?」

「ああ。どっかでまたゾンビ化が発生したらしいな。根絶を謳っておきながら被害者を出したってわけだ。もともと死人だけどな。お上はそれを秘匿してここに寄越したらしい」


 ニュースなどで取り上げられていなかったが……最年長のローが言うのならばそうなのだろう。内部が映し出されたディスプレイを覗き込んだ。

 その瞬間、心臓を巨大な手で握られたような感覚がつま先まで走った。


「あちゃあ、生きてた頃は美人だったんでしょうね、彼女」


 呑気なミシェルの声が右耳から反対側へ抜けていく。スクリーンの中のその美人は……ブロンドヘアーに大きな瞳。高い鼻筋。腐ってはいたが、その面影と美貌に一切の陰りは見られなかった。


「おい、どうしたケビン」


 冷や汗を垂れ流す俺に声をかけるロー。俺は、そんな彼の胸ぐらを掴んで引きずりまわしたくなった。


「メリッサ……」


 絞り出すような声色にようやく察したのか、二人の顔つきが変わった。




「昔、愛していた女性だ」


 俺の独白を聞きながら、ローは手元のノートパソコンをしきりに動かしている。「おっ、あったぞ」の言葉を聞き、前のめりに彼につかみかかった。


「落ち着け。まだあの子がメリッサという女性だと確定したわけじゃない……んん、こりゃあ……」

「おい、どうなんだロー!」

「……データによると、彼女の名はメリッサ・コックス。発見時点での年齢は27歳。出身地はオハイオ州のシンシナティ市……」

「わかった、もう……いい」


 無意識に全身の力が抜け、その場にへたり込む。それをミシェルとローが心配そうに見つめていた。


「最後にひとつ、救いになるのかどうかはわからんが……彼女は殺人や事故に巻き込まれたわけではなく、病死だった、そうだ」


 殺されてはいない。その情報だけがようやく心に沈み込んだが、何の救いにもなってはいなかった。むしろ、その事実が引き金になり、俺の中でひとつの感情が湧き上がってくる。ローの青い目を見つめ返すと、俺の心情をどうやら察しているらしい。憐れむような顔をしていた。


「一つだけ言っておく。あれは、君の知っているメリッサではない。パンデミックを起こしたゾンビウイルスは、ある特定の腐敗タンパク質と特異的に結合して爆発的に勢力を伸ばし、死体に疑似的な神経節を構築して動き回る。ただの壊れた人形なんだ。メリッサは既に死んでいて、動かしているのは水虫よりも小さいウイルスなんだぞ」


 厳しい声色でそう問われる。だけど、それでも……。


「それでも、俺は……」

 

 ローの顔が泣きそうに歪んだ。ようやく事態を理解したのか、ポカンとしていたミシェルが「えっ」と間抜けな声を発した。




 夜に寮から出るときは、買い出しか週末の酒かのどちらかであった。

 だから、夜にここを訪れるのは初めてで、その箱のような建物は暗闇の中でただの白い物体に見えた。


「バレたら悲惨だ。わかってるな」


 ローがカードキーで入り口を開け、内部へと侵入する。通いなれた職場だが、暗くて人がいないというだけでここまで不安になるものか。

 先へ先へと進んでいくローの背中を無心に追っていく。いつしか、あの部屋……ゾンビ発電機関の内部へと通じる入り口に立っていた。


「システムの立ち上げはしておいた。ここに入所したとき、エアークリーンと簡易化学洗浄のやり方は教わったはずだが、覚えてるか」

「ああ、問題ない」

「じゃあ後は勝手にやれ。本当は内部に私物の持ち込みは厳禁なんだが……通信端末を耳につけときな」

「すまん」


 そう言ってローは消えていった。ゾンビの入れられているゲート……あれは、俺たちの持ち場のコンソールからしかアクセスできない。


『ゾンビだってことはわかってる。でも、どうしても一目だけ、彼女に逢いたいんだ』


 胸に手を当てると、エンジンのように心臓が高鳴っていた。

 それが喜びによるものなのか恐怖によるものなのか、よくわからなかった。


 防護服を身にまとい、エアークリーンと化学洗浄を済ませて内部へ侵入する。呼吸はボンベの酸素が消費されているのだが、視覚効果だろう。鼻の根元で饐えたような臭いを感じていた。


「内部へ侵入した。ゲートを開いてくれ」

「了解」


 ギシリ。という音をひとつ立て、ゲートが開く。掃除の際に使うのだろうか、ついていると初めて知った照明が、小部屋を明るく照らした。

 その中央には、ほうきではいた埃のように、ゾンビたちが積みあがっていた。一度、講習で聞いたことがあった。ウイルスとしての本能なのか、非活性化時のゾンビたちはコロニー状に積み上がることがよくある。と。

 だが、探すのは骨ではなかった。

 神が俺に捧げてくれたように、メリッサのゾンビだけは、コロニーから外れたところで孤独に寝そべっていた。


「メリッサを、発見した」

「そうか。気が済んだら声をかけろ」


 足が震えている。やはり、これは恐怖なんかじゃない。歓喜だ。

 近づいてみても、皮膚のところどころが青く腐っている以外、俺の愛したメリッサ・コックスそのままだったから。

 小部屋の中では、非活性化状態へと移行させる微弱電波がエンドレスで流れ続けているという。それでも、ゆっくり優しく、横たわる彼女を抱き上げる。

 崩れそうな肉の感触を手で受け止めながらも、俺は幸せだった。

 なんで捨ててしまったんだろう。本当に、本当に愛していたのは彼女だけだと知ったのは、ずっと後になってからだった。

 防護服を脱ぐわけにはいかない。口づけをしたかったがそれを堪え、穏やかな寝顔を浮かべる彼女をただ見つめていた。




「もう十分だ、ありがとう。ゲートを閉じてくれ」


 小部屋から出た俺は、コンソールをいじっているであろうガラス張りの部屋を見上げて呟いた。思い残しはもう何もなくなった。シャワーを浴びて強い酒を飲めば、明日からのこのクソみたいな仕事にも耐えられそうだ。


「いや、ケビン。すまないが、君をここから出すわけにはいかないんだ」

「え?」


 耳につけられたイヤホンから聞こえてきたそれは、普段のローからは想像もつかないほどに冷たく凍り付いていた。


「彼女がニュースで取り上げられなかった理由を知ってると思うが一応説明しておこう。ウイルス根絶に失敗したことが明らかにならないように政府が隠蔽したのだ。ハッ、その場で焼却処分してしまえばよかっただろうに、中途半端なことだ」

「おい、ロー。何を言って……」

「ゾンビ一人殺せないような中途半端な奴が、どうしても人を殺さなきゃならないとなったとき……使うのはなんだかわかるか?」


 イヤホンが振動している。無言の向こうで、スイッチを押すようなカチカチ音が遠く聞こえる。


「使うのは、銃でも毒でもない」


 聞こえる音は、コンソールの起動音だった。


「赤の他人だ」


 ヴンッ! という重圧のような波動が、体全身を叩く。


「ガラス越しにしか知らないだろうが、活性化電波ってのは実は強烈でね。イヤホンはじきに使い物にならなくなるだろう。だから最後に言わせてもらう。俺を恨むなよ」


 バチンと凄まじい音が鳴り、左耳に鮮烈な痛みが走る。イヤホンが爆発したのだ。

 身もだえしそうな痛みだが、それどころでは、ない。


 ローは言っていた。『活性化電波』と。


 背後からの気配に振り向くと、メリッサのゾンビが立っていた。

 そのさらに後ろ、それよりも大量の、夥しいほどのゾンビたちがこちらを見つめて……。


 メリッサの口が大きく開く。その黄色い乱杭歯が首にめり込む感覚が、俺の最後の記憶となった。




「ミシェル、わかってるな」


 ローさんは、いつもと全く違う雰囲気で私を見つめている。薄々わかっている。ケビンさんがどうなったのか。だけど、その事実は私に対する巨大な脅しでもあった。


「……はい」


 か細い声しか出なかったが、それだけ恐れていると解釈したのだろう。ローさんはコンソールのスイッチを入れ始める。のろのろと持ち場のコンソールに着席し、同じ作業を行う。


「人手が足りない。いつもは暇な仕事だが、今日のところは少々忙しいと思え」

「わかり、ました」


 ああ、ケビンさんはもういないんだ。

 いや、正確には……。


 ゲート開錠。各種システムオールグリーン。発電開始。

 小部屋から対角線の電波発生器へ、凄まじい数のゾンビが突進している。それを足元のコンベアが拾い、電気へと変換していく。

 その中にひとり、見知った顔があった。コーヒーが好きそうな、顔をしていた。


「まぁ、俺たちもゾンビみたいなものだったがな」


 ローさんが独り言ちる。それを振り切るように、私は電波の目盛りを強めた。

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