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悠久の羅針儀

運命の女神



この国は昔から子供が生まれると、"運命"を司る女神の祀られた教会へと参拝する。

そして生まれたばかりの子の運命を神託により授けてもらい祝福を受けるのだ。

それは貴賎に関係なく皆へ平等授けられる人生最初の贈り物でもある。


だがアイシャの授かった運命は"孤独"というものだった。

カップに注がれた紅茶の表面に映る自身の冷たい表情を眺める。


白銀の髪、青い瞳。

ありがたいことに容姿はそこそこ恵まれている。

だが授けられた道すじのせいか、いや、生来の気質だろうな。

私は皆から愛されることが難しかった。


幼い頃から気難しくて愛嬌なんてなかったし、怒り、泣きは普通にできるが、笑うのは苦手だ。

使用人はともかく両親は我が子ゆえに愛情を注いでくれたのだが、5年後に跡取りとなる弟が産まれ彼が穏やかで明るい性格をしているとわかると一気に愛情の天秤が傾いた。

それでも両親が最低限の生活環境を与えてくれただけでも恵まれているとは思う。


でもこんなの、ただの呪いだ。


彼女は幼くして気がついた。

運命の女神が支配するこの世界は、私に優しくない。

私には孤独という運命が相応しい、と。


「ほんと波乱に満ちた生活をしてるわよね。」


リセは、向かいに座るアイシャへテーブルの上にあった焼き菓子の皿を押しやった。

彼女とは知り合いの知り合いの友人という、なんとも頼りない縁で知り合って、切れそうで切れない縁が辛うじて繋がり、現在は年に数回お茶や食事をする仲に落ち着いている。

今も求められて近況を語っただけなのに、苦笑いを浮かべた彼女にそう評された。


アイシャは成人と同時に、秘境や魔境とよばれる地を専門のガイドになった。

自身の感情の行き場を求め突き進んだ結果、選んだのがこの仕事だった。

もちろんガイドとして接客技術は必須だが、彼女の接客は必要最低限のもの。

歳を重ねた今でも、喜びの感情を表に出すことが苦手だった。

観光地と呼ばれる人の多い場所を避け、僻地を専門としたのはそのため。


もちろん接客を必要としない職業を選ぶという選択肢もあった。

だが、今度は彼女の矛盾とも思える感情がそれを許さない。


少なからず愛された時期があっただけに、寂しいという感情を知ってしまっていたから。


結局、人の繋がりからは逃げられない。

人として生まれた以上、人に関わることから逃げるなんてことはできない。

だから僻地を転々とし、孤独に暮らしていても、結局は人との繋がりを求めてしまう。

そんなアイシャにとって、リセは過去の自分と繋がる唯一の架け橋。

諸般の事情から家族を捨てた今、彼女を通じて人の世と繋がっている、そんな状態だった。


「貴女、人並み以上に勉強や運動もできたし容姿も整ってたから、学園では男も選びたい放題だったはずなのに、浮いた噂ひとつたたなかったわよね!!影では青薔薇とか、氷の女王とか呼ばれて孤独から抜け出すチャンスはそこそこ転がっていたのに、貴女のお眼鏡に叶う男性はいなかった。さらにその冷ややかな眼差しと、表情の変化に乏しい美貌のせいで誰も貴女の凍った心を溶かすことはできなかった、と。そして家族を捨て、友人を整理した貴女の世界は人の世から外れた。人は、人との交わりで選択肢が広がるもの。それ故に人を拒絶するような貴女の選んだ道が新たな選択肢を示すことはない。そう考えると本当、ここまでは"孤独"と定められた運命そのままを現したような人生だわね。」


劇的に語るリセの総括に反論できないのが悔しい。

それでも。


「リセがいるもの。まるっきり孤独なわけじゃないわ。」


彼女だけだった。

アイシャを利用するためや貶めるためではなく、知ろうとするために接触してきたのは。


彼女、珍しいものや変わり者が大好きなのよね。

自他共に認めるその気質が、二人が知り合う切っ掛けを作った。

普通なら、私に苦情を言いにきた友人の付き添いなんて面倒だもの。

苦情の内容も、いわゆる恋愛のもつれだったし。

余程親しい友人か、興味本位でもなければ関わり合いにもならないだろうしね。


『それで彼女をかばうでもなく、私を責めるわけでもない貴女は何しに着いてきたの?』

『氷の魔女の顔を見にきたのよ。男の子には青薔薇なんて呼ばれて崇拝されても、誰も近付けないならただのぼっち(・・・)じゃない。男を手玉にとって上手くやっていける要素満載な貴女が、あえてひとりでいることを選ぶ、その理由が知りたくて。』


面と向かい、本人には誰も言わない陰口を伝える正直な人。

そのとおりだと思っていたから、からかわれた怒りよりも、むしろ面白いと感じた。

そう気持ちを伝えたら、ひとしきり笑った彼女に『貴女、変わってるわね』と言われて仲良くなって以後、なんとなく友人関係が続いている。


こうして足掻いてでも生きていれば、私を受け入れてくれる余地がこの世界にはあった。


だからきっと人よりも努力を求められただけなんじゃないだろうか。

幼い頃の葛藤や家族との不和は、運命の女神の定めた道すじに翻弄されただけ。

一周まわった今は、そう思うことにした。


少し可笑しくなってアイシャの口角が上がる。

それはリセが言うには、彼女以外には見せない“女神の如き極上の笑顔”というやつであったらしい。

彼女は嬉しそうに口元を綻ばせる。


「ねぇ、アイシャ。もし私が運命の女神だとしたら、あなたはなんて言うの?」

「そうね、恨み言の一つも言ったかもしれないけど、それ以外は特に何も?」

「あら、意外に寛容ね?」

「仕方ないじゃない。こういう生き方が定まった以上、恨んでも憎んでも同じこと。むしろ辺境の地でガイドをする暮らしが性に合っていると今は思うわ。長く生きられない、身体が弱くて普通の暮らしができない、そんな運命を授かった訳じゃないだけマシよ。」


自分がどう生きるか、選ぶことができないのは悲しいわ。

例えば"短命"とか"病弱"という運命であれば、愛ある幸せな環境であろうとも、あっさり人生が終わってしまう可能性が高い。

迷いながらも、こうしてしぶとく生きていられる今の自分の運命は悪くないんじゃないかと思う。

結局アイシャは運命を嘆くよりも孤独でも前に進んでいける生き方を選んだ、それだけのこと。


運命が人を導くのか。

人の性質が運命を引き寄せるのか。


今ならどちらもあり得るとアイシャは思う。

ただ願わくば自分は後者であると信じたい。

誰かに決められた道を淡々と歩いていくだけの人生などつまらない。

人と同じ生き方が出来ないのなら、どこまでも独り突き抜けてやる。


気が付けば幼い頃に呪いだと思っていた運命は昇華され、いつのまにか彼女の人生の"道しるべ"となっていた。



ーーーーーーーー



コンサ・モンテディオル。

原住民の言葉で"神の住み処"と名付けられた秘境。


険しい山をいくつも越え、二つほど深い谷を越えた場所にある。

神のいる場にふさわしく静かで、心落ち着かせるこの場所が気に入り住み着いたのは五年前。

場所が場所だけに簡単に出歩くこともできず、リセと最後に会ったのは三年前のことで『結婚するんだ』と幸せそうな表情の彼女から報告を受けた。

結婚式には出たけれど、その後は特に連絡もしていない。

今頃子供が授かって毎日賑やかに暮らしていることだろう。


「さて、今日も仕事だ。」


こんな隔絶された場所に住んでいて仕事があるのかと思われそうだが、意外に需要はあるものだ。

ガイドとして生計が成り立つくらいには稼げている。


鳴く鳥の声が遥か彼方から幾重にも重なり響く。


運命に抗っているうちに、ずいぶんと遠くへ来たものだわ。

ぼんやりと景色を眺めていたせいで、相手の存在に気付くのが遅れてしまった。


「はじめまして。貴女がアイシャさん?」


柔らかく響く若い男の声。

振り向けば落ち着いた雰囲気のたいして自分と年齢の変わらない男性が荷物を担いで立っている。

引き締まった体躯に、焦げ茶色の髪と同じ茶の瞳。

学者というには日に焼けすぎている気もするが眼鏡の奥にある瞳の輝きが知性を感じさせた。

身なりには構わない性分のようで、今も着古したシャツに汚れのついたワークパンツという格好。

相手はアイシャと目が合うと一瞬息を飲み、それから焦ったかのように早口で名前と用件を述べる。

うん、今回予約された方に間違いない。


「…はじめまして。このままご案内しましょうか?」


相手が自分の名を知っているのなら名乗る必要はないだろう、そう判断して森の奥へ進もうとすると、躊躇いがちにアイシャの背中へ男性が声をかける。


「ええと、アイシャさんは?」

「…私ですが?」

「ええ!す、すみませんでした!てっきりもっと体格のよい歳上の方だとばかり。」


あわてふためく相手に対し、見えないようにひっそりとため息をつく。

今更ながら、よく言われることだ。

こういった秘境や魔境という環境は人間にとって思わぬ外敵を生む。

それは育ちすぎた動植物であったり、魔力を身につけた魔物であったり。

彼女は若いうちからこういう特殊な場所で暮らしてきたが故に、女性にしては身を守る術を心得ていた。

体術を学んでおり更に武具から専門性の高い機械まで割と器用に使いこなすことができる。

ガイドという職は認定されるまでにいくつかの試験パスする必要があり、彼女は最年少でそれらの資格を手に入れた。


裏を返せば、専門性が高く危険伴う仕事であるため、例えば腕に覚えのある年配の男性が第二の人生において生活の糧を得るために選ぶことが多い。

間違ってもうら若い…もうそこまで若くはないがアイシャような女性が選ぶ職ではないと一般に認識されているのは確かだ。


「何か行き違いがあって、私を不要と判断された場合には、本日の案内を取りやめにすることもできますよ。ここまでの旅費はお返しできませんが違約金は不要です。」


我ながらかわいげのない台詞だ。

にこりともしないアイシャが言うと、それなりの頻度で『上から物を言う』と絡まれ拗れる事もあるのだが、経験上、容姿や性別から経験値の有無を判断する人は一定数存在するもの。

そういう人達を説得してまでガイドの仕事をする気はないし、強行しても互いに不幸なだけ。

彼は私の申し出を聞いて、どう判断するだろうか。


「申し訳ない。そう言う意味ではないのです。私には貴女のガイドが必要だから、このまま所定のコースを案内して下さい。」


男性は人好きのする柔らかい笑顔で、にこりと笑う。

…もの珍しさで私にガイドを頼んできたわけではないようね。

時々そういう人物もいるが大抵アイシャの愛想の無さに怒るか、あきれるか。

どちらにしても二度と接触しようとしないのに。

ただこの人の目的はなんだか今までの人とは違う気がするけど。

根拠のない予感に首を傾げながらも求められるままに職場(秘境)へと足を踏み入れた。


「こちらの遺跡は通称ラ・マイナ。原住民の言葉で"寝床"という意味だそうです。」


必要最低限の説明と問われたことに答えるだけで、愛想笑いすら浮かべないアイシャの何が気に入ったのか、今回の依頼人…アルベルト・エイレン氏は終始微笑みを浮かべたまま解説に耳を傾けている。

時折熱心に掘られた文字列や表情豊かな彫像群を眺め、遺跡の外壁の質や年代による様式の違いを測る機材を設置し計測、結果や要点をメモしていく。

その行動は間違いなく研究に携わる人物のもので最初に持った違和感が薄れていく。

やがて予定していた行程を消化すると、残った時間で景色のよいところがみたいと要望された。

それならばと山間の開けた場所へと案内する。

なだらかに続く崖の上からはコンサ・モンテディオルの素晴らしい景色が一望出来る、とっておきの場所だ。


「これは…絶景ですね!」

「はい。それに夕焼けの美しい場所でもあります。」


自分の口からすんなりと言葉が出てきたことに驚く。

彼とはわずかな時間を共に過ごしただけだが、気付けば名残惜しいという気持ちを持つほどに打ち解けていたらしい。

ちらりと表情を伺うも出会ったときと同じ微笑みを浮かべているだけで心の内は全く読みとれなかった。

仕方なく視線を景色へと戻す。


「貴女は。」

「はい?」

「私の知る女性達とは少し違うようだ。なぜここに住み着いたのですか?」


視線を合わせることなくそう問うてくるエイレン氏に迷うことなく答える。


「私に相応しいからです。」

「それはここが神の住み処であるからですか?」

「…いえ、そうではなく…静かで心落ち着かせる場所だからです。」


しまった、誤解を招く言い方をしてしまった。

今の言い方では自分が神であるかのような不遜な台詞に聞こえる。

こういう言葉足らずなところが誤解を招き、アイシャはますます孤独を深めていくのだ。

わかっているのに。

歯がゆく思う彼女の心の内を知ってか知らずか興味深そうにエイレン氏は呟く。


「なるほど、貴女は面白い人だ。」


私が面白いって?

耳が拾った意外な言葉に思わずポカンとしてしまう。


「学者仲間からは表情が変わらないし、可愛いげのない…失礼、感情の変化に乏しい女性だと聞いていたが、とんでもない。貴女の瞳はこんなにも表情豊かだ。今もこの厳しい場所にあって、挑む勇気ある者の目をしている。」

「…何が、言いたいのですか?」

「それは…っと、説明は後回しにしよう。アレらを退ける方が先のようだから。」


彼の視線を辿れば、いつの間に現れたのか野生の狼の群れが包囲網を狭めているところ。

囲まれれば一気に襲われ食いつくされるだろう。

逃げるのが得策とはいえ一方は崖、もう一方には狼の群れが迫っている上に重い機材を担いでいる。

このまま走ってもあっという間に追い付かれてしまう。

ならば。

考えるよりも先に体が動く。


「…すばらしい。これで彼女の戦闘技術の程度がわかる。もしや運命の女神の思し召しかな?」


エイレン氏が呟いた言葉は、狼を迎え撃つアイシャには届かない。

二人のいる場所が狭い崖の上であることは幸運だった。

狼の群れは一頭もしくは二頭ずつしかアイシャ達に近づくことができない。

腰に差したサバイバルナイフを抜くと、一頭、二頭と屠っていく。

体力の消耗を押さえるためにとにかく急所を狙うことが肝要だ。


「しまった!」


一回り大きな狼がアイシャの頭上を飛び越えていく。

手強いアイシャから、守られるエイレン氏に標的を切り替えたようだ。

ポケットから自ら調合した目潰し…狩人に伝わる技を参考に改良したものだ、それを掴むと自身に向かって襲いかかる狼のうち数頭の顔面を目掛けて投げる。

当たった瞬間に弾けた中身の刺激物に怯んだところで反転する。

間に合うか?!

少し離れたところで待機しているはずの彼の元へと駆け寄る。

口を開け、よだれを垂らし、彼の頭上高く飛躍する狼。

間に合いそうにない、と思った瞬間。


突然目の前の狼が弾け飛んだ。

アイシャの後ろを追ってきた狼も急所を的確に撃ち抜かれ、その数を減らしていく。

視線を戻した先で狼を撃ち抜いたのは。


エイレン氏、本人だった。


彼の構える武器は銃。

それも魔法を駆使する者に使いやすいよう工夫された特殊な形状をしている。

これを持つ人物で、学者といえば…。


「貴方はもしかして"魔弾の射手"?」


魔弾まだん射手いしゅ

異国の歌劇より引用したとされる称号は、とある戦士の功績を称え国より授けられたという。

魔弾と称されるのは、彼の扱う銃が魔道具であるからだけではない。

圧倒的な魔力と技量で使いこなし、戦士として成した功績は右にでるものはいない。

その功績が圧倒的なものであるからこそ、敬意を表して魔弾の使い手と称すことが出来るのだ。


こんな隔絶された土地にまで響いてくる名声の持ち主が目の前にいる。

学者というより、兵士や戦士に近いと思った自分の勘は正しかったのだと今更ながらに思った。

今は軍を引退し、先祖代々選んできた職業である学者に転身、調査のためと各地を転々としているそうだ。

何でこんなところにいるのかしら?

そんな疑問が浮かぶが、深く思考する事を状況が許さない。


…今は狼の方を退けないと。

気持ちを切り替え、生き残った狼の群れを観察する。

先程エイレン氏に撃たれた個体が首領であったようで、狼達はこちらの様子を伺いながら撤退のタイミングを探っているように見える。


この地で狼は神の守護者とされ、自身の身を守る以外で殺すことを禁じられていた。

襲ってきた当初より群れの個体数が半分まで減ったのを確認したところで、アイシャは大きくナイフを振るい先頭に立つ狼を後退させ間合いを切る。


「もう充分に戦ったでしょう、退きなさい。」


ナイフの切っ先を狼の鼻先に突きつける。

視線は決して逸らさない。


どちらが上か思い知らせれば、従う。


野生とはそういうものなのだ。

やがて新たに首領となったらしい個体が一声鳴くと、狼達は再び群れを成し、じりじりと後退していく。

そして草木に紛れるようにして姿を消した。


「さすがだな。神の守護者を従えるとは。」


アイシャが血を拭い、ナイフをしまうと、すでに武器を収めたエイレン氏が感心したようにこちらを見ていた。

微笑みを浮かべた表情はそのままに、纏う空気の質が明らかに変わる。

どうして気付けなかったのかしら。

この人、さっきまで猫かぶってたわね。


「狼を屠った技の冴えといい、気持ちの切り替えが早いのも評価が高い。」

「貴方は何をしにきたの?」


戦闘行為まで評価される謂われはないと言い返そうとした。


背筋の辺りにぞくりと悪寒が走る。

ひたとアイシャを見据え、値踏みする視線。

どちらが上か、野生の勘が警鐘を鳴らす。

今ここで何かが変わろうとしている、それを彼女は肌で感じ取った。


「神の寝床の調査と共に、貴女を勧誘しにきた。私は、とある事情から主に秘境や魔境と言われる場所の遺跡を調査している。その調査には貴女のガイドとして培った知識とその戦闘力が必要なんだ。目的はただ一つ。"運命の女神"が我々に与えたとされる『悠久の羅針儀』。君は自身の力でその運命の行く先を変えてみたいとは思わないか?」


"運命を変えたいと願うものよ

悠久の羅針儀を目指し、集え

答えは道しるべの先にあるもの

我は問う、そして答えよ

しからば新しき命運は開かれる"


古より伝わるとされる運命の女神の予言。

現実する未来を予言したものとされており、悠久の羅針儀は必ず見つかるものとされている。


だが、いつ見つかるのかについては不明。

偶然自分が見つける可能性もある。

その可能性に賭け、悠久の羅針儀を求める冒険者や学者は尽きない。

そして今代で最も悠久の羅針儀に近いとされるのが"魔弾の射手"、このエイレン氏というわけだ。


「それで話は戻すけど、アイシャさん。一緒にきてくれないか?」


エレイン氏は再び猫の皮をかぶり直し、誠実そうな男を演じる。


彼の言う、とある事情とは間違いなく羅針儀絡みだろう。

面倒ごとの予感しかしない。

アイシャは、深く息を吐き出した。

もう騙されないわよ?


「私にだけ覚悟を問うのは不公平です。エイレンさん。大いなる自然の危険に私の身を晒す訳ですから、それだけの覚悟を貴方にも見せていただきたい。…そうですね、貴方が最寄りの街から再びこの場所に来ることが出来たら考えましょう。もちろん私のガイドなしで。」


片手に握るのは、今回彼が持参した街で発行されるアイシャへの紹介状。

これを持って再びこの場所へ戻って来れば彼の勝ちだ。


「期日は?」

「私がこの地を去るまででしたら、いつまでも。」

「なんか歓迎されているのか拒絶されているのか分かりにくいな。」


にこりとも笑うことなく言い切った彼女にエイレン氏は複雑な表情を見せる。

無害な男の皮を再び脱ぎ捨てた彼はアイシャの耳元に顔を寄せる。

わざとらしく言葉遣いまで男らしいものに変えていた。


ちょっと、何でそんなに近いところにいるのよ!


「ならば笑ってみせてくれないか?」

「は?」

「君の笑う顔がみたい。」

「…わかるでしょう?上手く笑えないのよ。」


突然何を言うかと思えば。

笑おうと思って笑えるのなら、無愛想だの、可愛げがないだの言われることはないのじゃない。

アイシャの表情から思いを察したのか彼は真剣な顔で言った。


「十日だ。十日で再びここまで辿り着く。そしたら笑って迎えてくれ。」


機材を担ぐと率先して山を降りていくエイレン氏は、黙って後ろからついて来るアイシャを振り返る。


「その時はきっちり連れて帰るから覚悟を固めておいてくれ。逃げることは許さない。」

「…笑えっていったり、連れて帰るから逃げるなって言ったり。強引すぎない?」

「でないと逃げた君を追いかけるのは骨が折れそうだからな。冗談抜きで秘境や魔境に逃げられたら面倒だし、しかも君は身を隠すのも得意そうだ。」


挨拶代わりに片手を上げたエイレン氏は、来たときと同様に霧の奥へと姿を消した。

ふとアイシャの野生に近い勘が警鐘を鳴らす。

逃げることは可能なはずなのに既に囚われているような、この感覚は何なのだろう?

答えがわからないままに、日々は淡々と過ぎていく。



そして十日後。

エイレン氏は紹介状を投げて寄越す。


「よう、着いたぞ。笑って迎えてくれるんじゃなかったのか?」

「…だから笑えって言われて直ぐに笑えるほど器用じゃないのよ。」


本当に十日で戻ってくるなんて。

アイシャは本気で感心していた。


最寄りの町まで片道二週間はかかるはずなのよ?

内心あきれながらも、すっかり彼の存在に馴染んでしまった自分に戸惑う。

笑えっていうのなら笑った方がいいのかしら。

エイレン氏はアイシャの軽く頭をたたく。


「まあ、無理強いはしない。これから俺の側にいれば、嫌でも笑えるようになるさ。」

「その無駄に前向きな発言の根拠が知りたいくらいだわ。それと話し方が…ずいぶん前回と違うわね。」

「あれは外向き、これが素だ。このしゃべり方気に入らないか?」

「いいえ、そういうわけではないの。」


こんなに近い距離に誰かがいることが久しぶりで、どうにも落ち着かないだけ。

まさか本当に戻って来るとは思わなかったから、荷物なんてまとめていないわ。

だけど元々持ち物は少ないし、家具もないから整理なんて一時間もあれば十分だった。

次のガイドの予約もなかったし、紹介所にはエイレン氏からすでに話を通してくれたようで、仕事が終わるまで私個人の仕事は休業だ。

転居する旨を知らせる相手もリセくらいしかいない。

彼女には、旅の途中で絵葉書でも出そう。


こうして整理してみれば、私とこの世界を繋ぐ縁はとても薄い。

だんだん一人でいても苦痛にならなくなってきたわね。

運命をなぞるようだと苦笑いを浮かべた私の肩を叩き、彼は荷物を担ぐ。


「じゃあ行こう。荷物はこれだけでいいか?」

「自分で持てるわ。それから…本当に一緒に行ってもいいの?」

「この程度の荷物なら余裕だから俺が持つ。予定についての変更は今更聞かない。一緒に来い、アイシャ。お前なら共に戦えると俺が判断した。それに俺ならばお前のことも守ってやれる。不実な家族からも、お前を縛る孤独・・からも。」

「…!実家のことを知っていて、それで近づいたわけ?」

「彼らの手先ではないから安心して。というより、接触されそうだったけど振り切ってきた。」

「拒否したわけではなく、振り切ったわけね。それなら近付いた目的は何?」

「それこそ運命の女神のお導きだな。」


判断を誤ったかしら?

だけど心のどこかで、自分のために試練を乗り越えてきた彼のことを信じたいと願う自分がいた。


結局のところ、信じるかは自分次第。


いざとなったら逃げればいいか。

秘境や魔境と呼ばれる地はある程度までなら踏破し、知り抜いている。

それらの地は私の陣地だ、負けはしない。


気持ちを切り替えたところで、これから始まる旅に思いを馳せる。


まずは第一都市にあるベルギリウス鉱山からだ。

この鉱山には"斐石ひせき"と呼ばれる貴重な鉱石がある。

当然秘境と呼ばれる場所にあり、あまりの交通の便の悪さから採算が取れず遥か昔に閉山となった。


この斐石は悠久の羅針儀を求めるものにとって必須とされる貴重なもの。

何故ならばこの石こそが羅針儀に至る道を示すと言われているから。


「しょうがないわね…よろしくお願いします。エイレンさん。」

「敬語はいらない。それから呼び方も…アルでいい。」

「そう、…なら、よろしくね…アル。」


やっぱり、どことなく変わっていて面白い人だわ。

リセの事を思い出して、気付かぬうちに思わず極上の笑みとやらを浮かべたアイシャ。


固まったエレイン氏…アルが後に語ったところによると、アイシャに一目惚れして口説き落としたのだとか。

そして二週間かかるところを十日で戻ると見栄を張り、伝手を総動員してやっと可能にしたのだとか。


それはまた、別のお話。


こうして重なることのない道すじが再び人の世に引き寄せられたとき。

世界は音を立て、新たな運命の環を廻し始める。




以前書いた短編を補完しました。それに伴い旧作は削除しています。

随分と長くなったので分けるか迷いましたが一気に読める方がいいかとも思い一話に纏めました。

お楽しみいただけるとうれしいです。

2/7 加筆修正しました。


※アルベルト視点のお話を追加しました。

http://ncode.syosetu.com/n8879ee/


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