1-6
少女を連れて、逃げるように近くのファミレスに入った。
女の子に抱きつかれ、男として嬉しくないわけがないが、しかし高校近くの駅前の路上では、晒し首にしてくれ、と言っているようなものだ。
「嬉しいなあ。おじさんの奢りだなんて」
と、馴れ馴れしい口調で言いながら、目を輝かせてメニューを見つめている少女に向かって、僕は言ってやった。
「奢りだなんて、誰も言ってないけど」
「えーっ。いーじゃない、少しぐらい」
「自分で払えばいいでしょ」
そっけなく言い返す。『イケてる男子』なら喜んで奢ってあげるところだろう、しかし僕は徹底した『男女平等主義者』だと自認している。
「だって、あたしお金持ってないし。今日一日何も食べてないから、お腹ペコペコなんだよね。だから、お願い!」
少女は両手を合わせ拝むように頭を下げた。
「うっ」たとえ絶対平等主義者でも、これ以上の拒絶は無理そうだ。「……高いのは頼まないでよ」
途端に、少女の顔から夏空のように爽やかな笑みが溢れた。
「やったー! さすがおじさん。素敵!」
「……あの、それよりさっきから、どうして僕のことをおじさんって呼ぶの?」
目の前の謎の少女の勢いに押されっぱなしだったが、ようやく僕は遭った時から思っていた疑問を口にした。すると少女は小首を傾げた。
「えっ、何言ってるの? おじさんはおじさんじゃん。……あっ、店員さん!」
少女は店の奥に向かって手を振った。
「僕は君みたいな姪なんて知らないし。……君は一体誰なの?」
少女は「ん?」と小さく唸ったあと、目を大きく見開いて、ポンと手を叩いた。
「あっ、そうか。説明してなかった」
随分と抜けたところのある子のようだ。
「えっとねえ、あたしの名前は……」
ようやく自己紹介が始まろうとしたところで、テーブルに店員がやってきた。
「あたし、このスペシャルハンバーグ定食、和風味で」と、少女は元気よく注文しつつ、僕の方へ振り返ると、軽く付け足すように言った。「あたし、片桐美羽、十六歳、イェイ」
「へっ……?」
今度は僕が目を見開く番だった。もちろん驚いたポイントは最後の掛け声と共にVサインをしたことではない。
これは、どういうことだ?
「……お客様?」
店員に声を掛けられて、はっと顔を上げた。
「お客様、ご注文は?」
「えっ……えっと、じゃあ、僕も同じものを」
メニューも見ず反射的にそう伝えた。店員がお辞儀して厨房へ戻ったのを確認したあと、僕は美羽と名乗った少女に向かって訊いた。
「えっと……、君は片桐瑞音の親戚か何か?」
生まれてすぐに両親を亡くして、祖父に引き取られた瑞音に姉妹がいないことは知っている。だとすると、瑞音の親類と考えるのが妥当だろう。
しかし、美羽が口にした返答は全く予想外なものだった。
「瑞音は……あたしのお母さんだよ」
……なるほど、見た目は小学生でも、瑞音ももう十八歳だ。法律的には結婚できるし、赤ちゃんだって産める。だからあいつに実は子どもがいたっておかしくは……。
「んなわけあるかー!」
堪らず大声で叫んでいた。店内の客が驚いた様子で一斉に僕たちのテーブルに目を向けてきたので、慌てて僕は頭を下げて身を縮めた。
「どうしたのおじさん、突然叫んだりして?」
「計算が全然合わないだろ。君、僕をからかっているの?」
不信を露わに僕は美羽を見つめた。……まさか、最近は非リアそうな男を捕まえて、慌てふためく様を笑い物にする遊びが流行っているのか?
しかし、美羽の表情は変わらず、フルフルとツインテールを揺らしながら左右に首を振った。
「からかってないよ。だって本当のことだもん。片桐瑞音はあたしのお母さん」
「えっと……」僕は鞄から携帯を取り出し、画面を美羽に見せた。「君の言う瑞音って、この人のこと?」
画面には夏休みに瑞音と義隆を含めた生徒会執行部で山へ合宿した時に撮った集合写真が表示されている。
写真を見た美羽は表情を綻ばせた。「うん、そう! うわー、お母さん若いなー」
若い……?
ここでようやく、彼女と根本的に認識が異なる部分があるのでは? と思い至った僕は美羽に向かって質問した。
「ねえ、瑞音の年齢って?」
美羽はニヤニヤと写真を見つめたまま答えた。「四十三歳」
つまり、彼女の説明不足に過ぎる断片的な言動から導き出される結論は、美羽は二十五年後の未来から来たということだ。これなら瑞音の年齢の問題も、僕がおじさんと呼ばれる理由も説明がつく。きっと二十五年後の僕は美羽の身近に居るのだろう。
すごいな僕、名探偵になれる素質があるんじゃないか、と自画自賛したくなってきた。
「ハーハッハ!」
今度は大声で笑った。再び衆目にさらされようとも、もう気にならなかった。これが笑わずにいられるか。自分でひらめいておきながら、あまりに荒唐無稽、マンガかゲームの世界みたいな話だ。
それでも、その突飛な説を完全に否定しきれない自分がいた。それは美羽に瑞音の面影を見たからだ。十六歳にして美羽の方が身長も高いし出るところも出ているのだが、顔のパーツパーツをよく見れば瑞音に似ていると言えなくもない。そして何より彼女の持つ雰囲気が瑞音に近い、と感じたのだ。
そこで更に探りを入れてみることにした。
「しょ、証拠は? 君が未来から来たっていう証拠はあるの?」
「そう言うと思って、おじさんからこんなのを預かってる」
彼女は持っていた小さなポシェットから、折りたたまれた封筒を取り出し、僕の方へ寄越してきた。封を切り中に入っていた便箋を広げ、そこに書かれた文字を読んで愕然とした。便箋には、足の裏のほくろの数から、初めて入手した大人向け映像コンテンツのタイトルまで、僕しか知らないはずの秘密の数々が『僕の筆跡』で書かれていたのだ。
便箋を凝視し続ける僕に向かって美羽が言った。「どう、おじさん?」
背中を流れる冷や汗を感じながら、僕はゆっくりと言った。「う……うん。君の言うことを、信じるしかなさそうだ」
「そう、良かった」
美羽は目を細め嬉しそうに微笑んだ。
注文の料理が運ばれてきた。顔ほどもある大きなハンバーグに美羽は目を輝かせた。
「それじゃあ、おじさん。いただきます」と言って、豪快にハンバーグにかぶり付いた。「うん、美味しい!」
おじさんと呼ばれることに既に慣れてしまった自分を苦々しく思いながら、僕は美羽に声を掛けた。
「えっと……片桐……さん?」
ハンバーグを切りながら美羽が言った。「美羽で良いよ、おじさん。いつもそう呼んでるんだし。……やっぱり純正肉は最高、ホント『こっち』に来て良かった」
「み、美羽はどうやって『ここ』にやってきたの?」探るように僕は訊ねた。
「そりゃもちろん、タイムマシンでずうぃーん、って」
さらりとSFチックな単語が飛び出てきて、どきりとする。
添え物のジャガイモを切りながら美羽は続けた。「それがさ、おじさん。到着時に操縦失敗しちゃって。マシンは無事だったけど、地面に大きな穴が残っちゃってさ、あの時はさすがに死ぬかと思ったよ」
……地面に穴? まさか。
「もしかして着陸した場所って?」
「うん、おじさんやお母さんが通っている高校。タイムマシンを人目にさらすわけにいかないからさ、そっちはなんとか隠したんだけど、穴まで埋めてる余裕なくて」
思いがけず、学校中が騒然となり警察をも巻き込んだクレーターの原因が判明した。隕石でもなく宇宙人の乗り物でもなく、それら以上に奇想天外な理由だったようだ。
「……で、美羽はどうして『ここ』に?」
「もちろん、おじさんを探してたの」
「それはわかるよ……。訊きたいのは僕を探していた理由」
「それがね、あたしのいる時代でちょっと問題が起こって。未来を救うためにおじさんに手伝って欲しいの」
「はぁ?」
また頼み事だと。今日だけで何度目だ? ……って、
「未来を……救う?」僕は訊き返す。本当にゲームかアニメの世界にでも迷い込んだような気がしてきたぞ。「まさか、未来から襲来した殺人マシンを排除しろとか、世界線を乗り越えろとか、それとも猫型ロボットの力を借りて結婚相手を変えろとか、言うんじゃないだろうね?」
美羽は首を傾げた。「は? 何言ってるの、おじさん。意味わかんないよ。あっ、ちなみにおじさんは『今』でもまだ独身だから、変える結婚相手はいないよ」
「なっ!」突然の暴露話に絶句する。
「しかも多分、まだ童貞」
「……!!」
おそらくこの時の僕は、ムンクの叫びのような表情だったに違いない。それくらい衝撃的で絶望的で破滅的な未来予想を聞いてしまったのだから。
「嘘だ……、嘘だと言ってくれ」
「どうだろね?」と、美羽は白い歯を出して笑った。
もう今日はこのまま帰ってふて寝したい気分だったが、かろうじて生き残ったわずかな理性によって踏みとどまった。僕は額にびっしりと浮かび上がった脂汗を拭きながら、話を戻した。
「じゃ、じゃあ、僕に何をして欲しいの?」
「別に難しいことじゃないの、ただあたしと一緒に見届けて欲しいだけ。お母さんがお父さんからプロポーズされるところを」
また新しい人物が登場したな。まあ、瑞音という母親がいる以上、どこかに父親もいるだろう。
「お父さん……って、誰?」
「あれっ、まだ言ってなかったっけ? お父さんの名前は……義隆」
美羽の告白に対する最初の感想は、べたな展開だな、だった。小学校以来の幼馴染と結ばれるなんて、いかにもありがちなパターンだ。たしかに二人は気の合う部分も多い。しかし同時にどちらも自己主張の強いタイプだ、一旦意見がぶつかって喧嘩にでもなれば悲惨な展開が待っている。事実、これまでにも二人が喧嘩することはままあって、その度に間に立たされる僕が胃の痛い思いをしてきたのだ。
それからあとは……。
「おじさん。あたしの話聞いてる?」
気づくと、美羽が僕の眼の前で手を振っていた。
「あ……ああ、ちょっと考え事してた。二人の夫婦関係ってどうなんだろうな、しょっちゅう喧嘩しているんじゃないかなって」
「そう、まさに問題はそこなの」美羽が身を乗り出してきた。「あたしたちはお父さんのプロポーズを見届けないと、再び戦争が起こっちゃうかも!」
「はあ?」
また話が飛躍した。プロポーズと戦争の間にどんな関係があるというのだ?
「あのう、出来れば順序立てて説明してくれると嬉しいんだけど」
僕のお願いに、美羽はこくりと頷いた。
「これはね、おじさん……二十五年後のおじさんね、に教えてもらったんだけど、『ここ』からしばらく世界は災難が続いて、異常気象やら紛争が多発するんだって。貧困や難民が急増して、とうとう世界を巻き込んだ戦争まで始まっちゃうわけ」
陽気な声で美羽はしゃべるが中身は相当シリアスだ。僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「世界大戦自体はもう終わったんだけどさ。話はここからで、戦後に世界統一政府が組織されたの……」
第一次世界大戦の後に国際連盟、第二次の後に国際連合、そして第三次の後に……歴史(?)は繰り返すというわけか。と、人類史の教訓を噛み締めていたら、危うく美羽の次の言葉を聞き逃すところだった。
「その統一政府の初代代表になったのがお母さん」
「はっ!」
「それから副代表がお父さん」
「はっ? はっ!」
何その超展開。瑞音と義隆が世界の代表だって!
「お母さんたち、もともと難民や紛争解決の支援活動として、【ワールド・パーティ】っていう名前のNGOを運営してたんだけどさ、世界大戦の時もレジスタンスとして戦争終結に大きな役割を果たして、それで選ばれたわけ」
ただただ唖然とするしかなかった。クーデターで生徒会長になった瑞音なら、戦争が起こったらレジスタンスのリーダーくらいやりかねないだろうが、まさか世界の代表まで上り詰めるなんて、どこまでカリスマに溢れているんだ!
ところで、僕にとっては大変気になっていることが一つある。
「ち、ちなみにその時、僕は何をやっているの?」
「おじさん? ……おじさんはお母さんとお父さんの秘書だよ」
薄々勘づいていたものの、やはりそういう展開か! 僕は二十年以上経ったあとも、未だに瑞音と義隆に振り回される生活を送っているようだ。
「それで、話の続きだけど……。最近お母さんとお父さんが喧嘩を始めちゃってさ。それがかなりこじれちゃって、そのせいで統一政府が機能していない状況なんだよね。このままいくとまた世界を二分する戦争が始まっちゃうかも」
どうやら本当に未来で悲惨な展開が待っているらしい。ただ、二人の喧嘩に周囲が巻き込まれる、なんて初めてのことではないので格別な驚きはない。例えば中学二年生の頃、給食時に家から持ってきたふりかけを使用してよいかどうか、という実にくだらない議題を巡って二人は対立し、学校が二分する事態になったこともある。その直後に行われた体育祭は、二人の怒りの感情に当てられた生徒たちによる代理戦争の様相を呈して、僕たちが通っていた中学校では、今でもその時のことを血の体育祭として語り継がれている。
「その喧嘩の原因は?」
「お母さんへのプロポーズの言葉、お父さんが忘れちゃったんだって」
これにはさすがに開いた口が塞がらなかった。四十過ぎのいい大人が何をやってんだか。
「く……くだらないなあ」
これが素直な感想だった。しかし美羽が咎めるように言った。
「くだらなくなんかないよ。お母さんにとってはとても大切な言葉だったんだから」
「瑞音にそんな乙女チックな気持ちがあるとは思えないけど?」
普段は、恋愛ソングなんて甘ったるくて聞いていられない、デスメタルこそ至上の音楽と豪語する瑞音だ。プロポーズの言葉一つにこだわるとは思えなかった。
ところが、美羽は大きく首を振った。
「お母さん、娘のあたしが言うのもなんだけど、結構乙女チックだよ」
「本当に?」
「本当だって。……まあ、そういうわけで、あたしが『こっち』に来た理由は二人のプロポーズ現場を目撃して、そこでの告白の言葉をお父さんに教えてあげるの。そうすれば最悪の事態は回避できるだろうって」
ここでようやくプロポーズと未来の危機が繋がった。
「ちなみに、その計画を考えたのは?」
「もちろんおじさんだよ。『こっち』に来たら、その時代のおじさんに相談すれば、なんとかしてくれるはずだって」
「そうだろうと思ったよ」
二人の喧嘩にタイムマシンまで持ち込むとは未来の僕もご苦労なことだ。しかし、それを今の僕に押し付けてくるのはいただけない。未来の僕に対して恨みを抱き始めた。
「はぁ」と一つため息をついてから訊いた。「二人がプロポーズする日時はわかっているの?」
美羽はもともと大きかった瞳をさらに大きく広げた。
「おじさん、手伝ってくれるの!」
「しようがないだろ。自分の頼みをさすがに断るわけにもいかないから」
「さすがおじさん。頼りになるー! ついでにデザートも頼んでいい?」
「それは駄目」
「おじさんのケチー」美羽が口を尖らせた。
「このハンバーグだけで千円超えてるんだけど」僕は伝票を一瞥した。「それで、そのXデーはいつ?」
「えっとね、高校三年生の文化祭の、その後夜祭の時だって」
と、デザートメニューを未練がましく見つめながら美羽が言った。
「文化祭? まだ一週間あるよ。プロポーズを確認するだけならそれほど時間も掛からないんじゃない?」
「せっかく過去に来たんだから、ついでにあちこち見学したいなぁって。……あっ店員さん。このチョコレートアイス二つ追加で!」
「……」
この自由過ぎる性格と人の話を聞かないところは、なるほど瑞音と義隆の子どもだ、と確信を深めた。




