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そのあとも色々あって、ようやく高校を出たのは、三日月も沈みかける頃だった。
駅へ向かう薄暗い通学路には僕一人。瑞音と義隆はずっと前に帰っている。彼らがいない間しか、溜まりに溜まった本来の文化祭と生徒会の仕事が片付けられないのだ。自分の仕事が進むのが早朝と夜だけって、僕は何処の中間管理職か?
「はあっ」
今日何度目かのため息が出る。僕はいつまで彼らに振り回され続けるのだろう。
僕が二人と出会ったのは中学一年生の時だ。ものの見事に中学デビューに失敗してしまった僕は、たちまちクラスの爪弾き者にされ、もはや思い出したくもない陰湿なイジメも受けていた。
その日も、僕はクラスヒエラルキートップの集団に校舎裏に呼び出された。今振り返ってみればもう少しやりようがあったと思うのだけど、当時は彼らに従うことがヒエラルキー最下位の責務だと信じていたほど体制に組み込まれていた。連中は壁際に追い込んだ僕に向かってニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、上下の制服を剥ぎ取ろうとしていた。そこに現れたのが瑞音と義隆だった。二人は中学入学当初からすでに学校で知らない者はいないほどに有名だった。僕も名前くらいは知っていたものの、雲よりもずっと遠い存在だと思っていて、まさか僕の前に現れるなんて思いもしなかった。
そんな二人は、僕を呼び出した連中をたちまち身も心もボロボロにした。比喩ではない。義隆の鉄拳と、瑞音の今日、教頭の前で炸裂した、カリスマ的な精神威圧で、連中を完膚なきまでに叩き潰したのだ。
そして、息も絶え絶えに地面に横たわる連中を横目に、瑞音と義隆は僕に言った。
「悪は滅びた、もう大丈夫」
その時、僕が彼らに向かって返した言葉は「助けてくれてありがとう」ではない。「何が大丈夫なものか!」と非難するように叫んでいた。
僕が怒っている理由を、瑞音と義隆は理解できなかったようだ。二人して顔を見合わせ、「変わった……面白い奴だな」と言っただけだった。
そんな彼らを一言で説明するなら、『正義の人』だろう。悪や不条理を認めない、見つけたら片っ端から叩き壊していく。それが瑞音と義隆に共通する行動原理で、その原理において二人は同志と言える間柄だ。僕を助けたことも、暴走した生徒会に対してクーデターを起こしたこともその原理に基づいていた。
しかし、誰もが正義を求めるとは限らない。その一人が僕だ。
瑞音と義隆にボロボロにされた連中に同情なんてこれっぽっちもしていないけど、それでもクラスメイトとして共に生活していかなければならないのだ。たとえ正義のため、僕を助けるためだとしても、余計な荒事は起こして欲しくなかった。とにかく面倒ごとが嫌いだ。不正義に囲まれていても平穏こそ僕の求める世界だ。
そんな僕が二人に抱いた印象は、その当時周りの連中が感じていた、強くて格好良い人たち、ではなくて、むしろ正反対、なんて幼稚で危なっかしい人たちなのだろう、だ。その第一印象は今でも覆っていない。
それから僕は二人と行動を共にするようになるが、その理由は、誰かが二人を見張っていないと心配、という気持ちからだ。この大いなるお節介が今に続いている。
「はあ……」
またため息が出てしまった。十代にしてこのため息の数、かなりの末期症状だ。
携帯で時刻を確認する。急いで帰らないと毎週欠かさず視聴しているインターネットの生中継動画に間に合わない。ちょっと暗くて危ないが、近道しようと裏道へ足を向けた。
しかし、この選択はすぐに間違っていたことを思い知る。
人気も街灯もない裏道を通って、二十四時間営業のカラオケボックスのビルの脇に差し掛かると、微かに複数の人間の陰湿な笑い声が聞こえてきた。無視しようと早足で歩いたけれども、その光景は突然目に飛び込んできた。
路地裏の一角に、いかにも柄の悪そうな五人の男子高校生がいた。彼らは異なる高校の制服を着ていたが、その中に一人、僕と同じ正山高校の制服を着た男がいた。見覚えのある顔だった。今日の放課後、廊下でガン付けてきた男子生徒だ。
地面に目を向けている男子生徒たちは、中学の頃僕をイジメていた連中のように下品な笑みを浮かべていた。僕はつられるように彼らの足元へ目を向けると、そこに一人の中年男性がしゃがみ込んでいた。着ていたスーツは泥だらけで、メガネのフレームが曲がっている。
ゆっくりと中年男性の頭が動き、遠くで茫然としている僕と視線が合った。中年男性の哀れな瞳が助けてくれと訴えかけてくる。
中年男性の視線に気づいた、五人の男子生徒たちが一斉に僕の方へ振り返った。
その瞬間、僕は逃げ出していた。
大通りに出ると、そのまま駅に向かって駆け込んだ。そして改札を通る直前で足を止めた。
少し迷ってから踵を返すと、駅の脇にある交番に入った。
詰めていた警官に先ほど見た光景を説明すると、警官は慌てて走り出していった。
きっと瑞音や義隆だったら何も言わずに助けに飛び出していただろう。でも僕には、義隆のような力もなければ、瑞音のような有無を言わせない威圧感もない。そんな僕にできることなんてたかが知れている。決して表舞台にも立てなければ物語の主人公にもなれないし、なりたいとも思わない。
あとのことは警官に任せればいい。今度こそ帰ろうと駅に向かって歩き出そうとした直後、背後から声がした。
「やっと見つけた、おじさん」
最初、僕に向かって掛けられた声だとは思わなかった。何故なら、聞いたこともない女の子の声だったし、なにしろおじさんと呼ばれるような年齢ではない。
しかし、もう一歩足を進めたところで、再び少女の声がした。
「ちょっと待ってよ、おじさん」
……やっぱり僕を呼び止めようとしている?
後ろを振り返ると、すぐ目の前に長い黒髪をツインテールにまとめた、中学または高校生くらいの見知らぬ少女が腰に手を当てて、睨みつけるように僕を見つめていた。
「ぼ……僕?」
自分の顔に向かって指差すと、少女はツインテールを揺らしてコクリと頷いた。「他に誰がいるって言うの?」
「え、えっと……」
とっさに返す言葉が思い浮かばなかった。「ここは駅前の大通りだからたくさん人はいる」なんて突っ込むような状況でもない。
今一度まじまじと少女の顔を見つめる。やはり学校にも親戚にも該当する顔は浮かばない。
「君は誰……」
と、訊こうとした時、今まで仏頂面だった少女の顔が突然、そこだけスポットライトが当たったかのようにぱっと明るくなった。そして、
「やっと……やっと見つけたよ、おじさん!」
と言いながら、僕の胸元に飛び込んできた。




