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「そんなこと、言われてもなあ……」
僕のクラスの担任、韮崎は渋い顔でそう答えた。
「ですよね……」
僕も困ったような表情を浮かべつつ、内心ではガッツポーズをとっていた。
クレーター調査の許可なんて、誰からもらっていいのかわからなかったので、とりあえずたまたま職員室に居たクラス担任にこれまでの経緯を説明した。そうしたら案の定、韮崎は答えに窮していた。
このまま無理だ、と言ってくれれば晴れて僕の仕事は終了だ。
「警察も関わっているしな、先生じゃ判断がつかない……」と、腕を組んだ韮崎は何かを思い出したように顔を上げた。「そうだ、八川。お前の親父さんは警察官だろ。親父さんに訊いてみたらどうだ?」
予想外の方向に話が向かい、僕は思わず顔をしかめた。
「だって、今日の朝も、八川の親父さんが最初に来てくれたじゃないか。だったら、警察の調査がいつ終わるとか、その辺りの話を訊けるだろ」
「まあ……そうですが」
そう、僕の父親は警察官だ。今日も、クレーターを見つけたと警察へ通報した時、僕の通っている高校だからと、職務が違うにもかかわらず駆けつけてくれたのだ。
「だったら訊いてみろ」
自らの妙案に満足した様子で韮崎は言った。
何だかたらい回しにされている気もしないでもないが、しかたなく僕は父親の携帯に電話を掛けた。
『おう、敬悟か。どうした?』
背後からガヤガヤと騒がしい音がする中、父親の野太い声が聞こえてきた。
「あの、父さん。今日の僕の学校のクレーターのことだけど?」
『あれか……。俺は正式な担当じゃないから詳しいことはわからんが、ほぼ調査は終了したみたいだぞ』
「本当!」
もしここで、クレーターの原因が判明すればすべて解決じゃないだろうか。少なくともオカルト同好会と天文部の諍いに巻き込まれる理由は無くなる。しかし、父親の話は僕の期待を裏切るものだった。
『不発弾とか、ガス爆発とか、危険なものではないってことだ』
「えっと……、それで、クレーターができた原因は?」
『知るか、そんなもん』父親はつっけんどんに答えた。
「えっ?」
『警察としては、事件性がないかどうかを調べただけだ。大学の研究じゃねえからな、事件性がないと判断した場合、原因調査までは関与しねえよ』
言われてみれば、その通りかもしれない。UFOが出たと騒ぎになって警察が原因調査に乗り出した、なんて話は寡聞にして知らない。
『今日中には、全部調査が終わるから。明日以降なら埋めるなり観光名所にするなり、好きにしていいぞ。……おっとこれから会議だ。じゃっ、早く帰って来いよ』
電話が切れた。
韮崎に父親からの話を聞かせると、クラス担任は「そっか……」と言って、表情を輝かせ始めた。
「じゃあ、明日なら調べてもいいぞ。……と言うか、実は先生も気になってたんだよな」
しまった! 僕は相談する相手を間違えたことに気づいてしまった。韮崎の担当科目は物理と地学なのだ。まさか、いいように使われた?
「じゃあ明日の放課後、希望者を募って……、八川、その辺りの調整は頼んだぞ」
「な、なんで僕が!」
「いいじゃないか、ついでだろ」
いやいや、ついでじゃないし。天文部とオカルト同好会だけの話を全校に広げないでくれ!
これ以上仕事を増やされてはたまらない、断固抗議しようとした時、思わぬ助け船が現れた。
「韮崎先生、そういうことを勝手に決められては困ります」
いつの間にか韮崎の背後には、たくさんの皺が刻まれた顔にすっかり薄くなった頭髪と、積年の苦労をありありと感じさせられる風体の男性が立っていた。
「おっと、これは教頭先生」韮崎が姿勢を正す。
「聞こえていましたよ。クレーターを調査したいそうですね。駄目です、あの穴結構深いじゃないですか。生徒たちがあの中に入って、もし怪我でもしたら危ないでしょ。私は認めません」
おおっ、と僕は心の中で拍手喝采した。普段は生徒や教師からも学校随一の堅物、生きた化石と揶揄される教頭だったが、今の僕にとっては天使に見えた。
「しかし教頭先生、生徒たちの好奇心に応え、彼らの自主性を尊重してあげるのが、我々教師の役目だと思いませんか? なっ、八川もそう思うだろ?」
「えっ、えっと……」
本音はすっかり教頭派だけど、立場上は調査したい派として見られているので、返す言葉が見当たらなかった。
「調べたいのは韮崎先生、貴方でしょう。教師の本分は生徒たちに安心して勉学に励める環境を整えてあげることです。文化祭が終われば、三年生は大学受験一色です。そんな重要な時期に、一時の誘惑に負けて、生徒を危険な目に遭わせることがあってはいけません」
「そ……それは、そうですが……」
教頭の理路整然とした主張に韮崎は言い返せないでいた。
今や完全に旗色は教頭だ。やれやれ、長かったけど、ようやく僕の仕事は終わりそうだ。
そう思った直後、ジャンヌ=ダルク並みの奇跡を起こす一人の少女が颯爽と職員室に殴り込んできた。
「ちょっと、敬くん。いつまでやってるの?」
と、言いながら瑞音がこちらに近づいてきた。
「これは片桐さん。どうかしましたか?」
「教頭先生。敬悟くんからお聞きかと思いますが、是非グラウンドのクレーターを調査させてほしいのです」
普段、僕らに向かって話す時とは打って変わって、瑞音の口調はとても丁寧だった。
「はい、聞きました。しかし、学校としてはそんな危険なことを認めるわけにはいきません。却下いたします」
教頭は落ち着いた様子で返答したが、その言葉の端々には有無を言わせない強い意志が感じられた。
しかし瑞音は全く動じる様子もなく、背筋を伸ばすとぐっと顎を上げ、その大きな瞳で真っ直ぐ教頭を見上げた。その瞬間、わずかに教頭が仰け反ったように見えた。
「お言葉ですが教頭先生、生徒たちの好奇心に応え、学ぶ自主性を育てるのが、教師の役目だとわたしは思います。自ら疑問に思ったことを積極的に解決していこうと行為こそ、受験勉強だけでは得られない、この無慈悲にして弱肉強食、殺伐とした現代社会を生き残っていく上で必要な力じゃないでしょうか? それを教えられない教師は今後、無用な存在として淘汰されるべきです」
と、力強く言って、瑞音は教頭に一歩近づいた。教頭は一歩後ずさる。禿げ上がった額にはいつの間にか無数の大粒の汗が光っていた。
「……そ、それは」
と、口にしたところで、教頭の唇の動きが止まった。
それからほんの数秒、二人は黙って目を合わせていたが、徐々に教頭の様子がおかしくなっていった。教頭の視線があちこちせわしなく動き始め、しきりに額の汗を拭った。更に、唇がぶるぶると小刻みに震え出し、酸欠状態になったかのように呼吸も荒くなり、表情が青白く染まっていった。
「さあ教頭先生、ご決断を!」
と、瑞音が追い打ちをかけるように言った瞬間、教頭の足がガクガクと傍目から見てもわかるほどに激しく震え始めた。そして、
「わ……わかった。み、認めよう……」
と弱々しい声で答えると、力尽きたようにその場に膝をついてしまった。
「ありがとうございます」
瑞音は笑顔でお辞儀をすると、さっさと職員室を出て行ってしまった。
「……」
僕は竜巻のように現れ去っていった瑞音の一連のやり取りを、だたぽかんと惚けた様子で見ていることしかできなかった。僕の隣にいる韮崎やその他職員室に居た教師たちも同じような気持ちだろう。
瑞音が教頭に向けた言葉は先ほど韮崎が言ったものとほとんど変わらない(若干、トゲのある内容にはなっていたが)、しかし教頭は一方では軽くあしらったのに、もう一方では完膚なきまでにひれ伏してしまった。これぞ、どんな人間をも屈服あるいは心酔させる瑞音の究極奥義だ。あの小柄の少女の一体どこからそんな迫力が生み出されるのだろう。これが剛腕社長として知られる祖父の血から受け継いだ天性のカリスマだろうか?
僕はまだ苦しげに膝をついている教頭の肩を、戦場で倒れた仲間を介抱するように支え、
「大丈夫です。僕もいつもこんな感じですから。お互い支え合って生きていきましょう」
と、言ってやった。




