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開会式の代役や迷子に始まり、怒り心頭の来場者たちに向かって頭を下げ、最後は例のごとくというべきか、危うく流血沙汰になりかけた三浦と北条の喧嘩で終わった文化祭初日、さすがに堪えた。
翌日、文化祭二日目。携帯の目覚ましアラームが鳴ってもベッドから起き上がる気力が湧いてこなかった。
みんな勝手なことばかりやって、なんで僕だけこんなに苦労しなきゃならないんだ。隕石でも落ちて、文化祭なんて中止になってしまえばいいんだ……。
ぶつぶつとベッドの中で呪詛の言葉を唱えていたら、バタンと勢いよく部屋のドアが開いて、制服姿の美羽が入ってきた。
カーテンを開け、暗く濁った部屋に日光を招き入れると、ベッドに近づいてきた。
「さっ、おじさん学校へ行くよ」
と言って、布団を剥ごうとした。
「僕、今日休む」
猫のように体を丸め、抵抗する。
「はっ? 何言ってるのおじさん」
「体がだるい、それに頭も痛いからきっと風邪だ。だから休む」
「本当に? どれ、どれ……」
美羽のひんやりとした手が僕の額に当てられた。恥ずかしさで本当に体がかっと熱くなった。
「やめてくれ」と言いながら、体を起こす。
「元気そうじゃん。平熱よりは高そうだけど」
「体がだるいのは本当なんだ。だから休みたい」
「何言ってるの、今日がXデーよ。あたしはこの日のためにここに来たんだから」
と、抗議する美羽に僕はいつもよりかれた声で言い返した。
「そう言われても、色々あり過ぎて、さすがに疲れたよ。それに、義隆が瑞音に告白するなんて、こんな状況じゃあ考えられないだろ」
「ちょっと。なんとかなるんじゃないって言ったのはおじさんだよ」
たしかにそんなことを言ったのは覚えている。でも二人がここまで頑なになるとは思わなかったのだ。
美羽が肩を揺すってきた。「そんな無責任なこと言わずにさ、あと十時間ぐらいの猶予はあるし、なんか良い解決法考えてよ」
「無責任はどっちだ!」美羽の手を振り払った。「誰も彼も僕に尻拭いを押し付けてきて……。少しは僕のことも考えてよ!」
自分で自分の声にびっくりして、顔を上げると、美羽は顔を隠すように俯いていた。かすかに肩が震えている。
すぐさま、後悔の念が押し寄せてきた。
「あっ、ごめん。美羽を非難したいわけじゃ……」
小さく鼻をすする音がした。そして、俯く美羽から一粒の雫が、朝の陽光を浴びてキラキラと輝きながら落ちていった。
やがて美羽は絞り出すような声で言った。「わかってるよ、そんなこと。……でもあたし一人じゃどうしたらいいのかわからないから、おじさんに頼るしかないの」
「美羽……」
「だからおじさん、どうかあたしの力になって。……お願いします」
腹の中では積もりに積もった鬱憤やらなんやらがデモ行進するがごとく声高に叫びながら蠢いていた。しかし、僕をおじさんといって慕ってくれる子の願いを、無下にするほど心はまだ枯れていない。
僕は改めて一瞬とはいえ怒りに身を任せた言動を恥じて、美羽に謝罪した。
「ごめん、ちょっと疲れてて思考が正常じゃなかった。ここでぐだぐだ文句を垂れていても、話が解決するわけじゃないし。美羽が僕を必要としているのなら、力になるよ」
「さすがおじさん、頼りになる!」
美羽は顔を上げると、けろりとした表情で言った。
「えっ、嘘泣き!」
謝罪を撤回する! と口にしかけた時、突然、美羽が抱きついてきた。
「うおぁ」
バランスを崩して、美羽と一緒にベッドの上に倒れ込んでしまった。
「な、なにをする」
「ちょろいね、おじさん。でもブーブー文句言いながらもなんとかしてくれようとする、そんなおじさんが、あたしは大好きだよ!」
美羽が顔を寄せてきた。そのとびっきりの笑顔に、文句を言う気が失せた。代わりに僕は顔を逸らした。
「やめてくれ、恥ずかしい。べ、別に美羽のためだけってわけじゃない。このままだと学校の連中も将来の自分も困るだろうし……」
「なに、そのツンデレみたいな屁理屈」
美羽がくすりと笑った。
「……理屈をつけないと動けないんだよ、僕は」
と、僕が皮肉交じりに言い返したその時、近くで声がした。「さっきからうるさいよ、兄ちゃん、って……」
見上げると、部屋の入り口前で妹が目を見開いて固まっていた。
「あっ」
ベッドに寝転ぶ美羽を見て、ようやく現状を悟った。
妹は何かを言おうと口をぱくぱくと動かしたが、突然回れ右をして、廊下に駆け出していった。
「姉ちゃん、母さん。大変! 兄ちゃんが朝から……。キャー!」
「待て、妹よ!」ベッドから慌てて立ち上がった。「これは誤解だ。やましいことなどなに一つないぞ。待ちたまえ!」
今日も朝からまた一つ問題を抱えることになってしまった。
我が家の女性三人組の好奇な目から逃げるように、僕と美羽は家を出た。
「とは言うものの、お父さんとお母さんのこと、どうすりゃいいのかな?」
休日早朝でそれほど混んでいない電車に揺られながら、美羽が訊いてきた。
「そうだな。二人とも意地を張ってるだけだから、強引にでも二人きりにして、それこそ拳でもなんでもいいから徹底的に語り合ってくれる機会があれば、多少は改善されるかも。問題はどうやって二人を一緒にするか……」
「例えばだけど、複数人で参加するイベントに二人を強引にエントリーさせるとかはどう? グループ対抗のクイズ大会とか。共同作業で相手の距離が縮まる、なんてよくある話だし」
「それは却下だ」僕は即答する。「昨日のグラウンドで野球部とサッカー部の様子を見ただろ。他人を巻き込むと余計ややこしくなりかねない」
「そっか」美羽は残念そうに視線を落とした。
「一番手っ取り早いのは、二人が一緒になるように生徒会の仕事をうまいこと調整するとか、かなあ。あとで僕が針の筵になりそうだけど……」
などと登校中、今日一日で瑞音と義隆をどうやって仲直りさせるか、思考を巡らせていたのだが、高校に着いた途端、すべてのプランが吹っ飛んだ。
「荒らされてる? 教室が?」
校門前で待ち構えていた文化祭実行委員の男子生徒に、僕は訊き返していた。
「は、はい。もうかなりの騒ぎになってます」おろおろした様子の男子生徒が答えた。
「場所は?」
「三年生の……、未来都市のジオラマを展示していたクラスです」




