4-3
予想通り色々あったが、それでもどうにかこうにか、文化祭一日目の昼の部が終わり、夜の部に突入した。
「エロエムエッサイムー、エロエムエッサイムー」
目の前のグラウンドにおいて、オカルト同好会の北条を中心とした、数名の生徒たちが、星がまばらに輝く秋の夜空に向かって不気味な呪文を唱えていた。
「我は求め訴えたり!」
「「我は求め訴えたりー」」
北条に続いて、参加者たちが唱和する。
だが、彼らの必死の祈りもむなしく、まだ正体不明の発光体は確認されていない。
「あの呪文って、たしか悪魔召喚じゃなかったっけ?」
北条たちの様子を少し離れたところから見守る僕の隣で、瑞音が呟いた。昼間散々探しても見つけられなかったが、オカルト同好会のUFO呼び出し実験が始まる時刻に、ひょっこりと姿を現したのだ。
「えっ、そうなの? 詳しいね。瑞音」
「こんなの常識でしょ」
「いや、それは……」
恋愛モノもファンタジーモノも大好きな文芸部の太田ならともかく、平凡な人生を送ってきた僕にとっては決して常識ではない。
「だって、降霊会とかで、時々話題になるでしょ?」
「降霊会?」
「死んだ人の霊を呼び起こして、生前伝えられなかった話を聞く会のこと。おじいちゃんの知り合いが時々開くから、わたしも連れられて行くことがあるの。あれ、敬くんのところではないの?」
「ないよ、そんなの」
お前は十九世紀のブルジョワ階級か!
「そうなの」瑞音は心底驚いたような表情を浮かべた。「敬くんとは付き合い長いのに、まだまだ知らないことがあるのね」
「それはこっちの台詞だ。ってか、その口ぶりだとわたしに知らないことなどあってはならないって言いたげだな」
「ふふふっ……」
瑞音は意味ありげな笑みを浮かべただけだった。
「そ、それよりも」首筋を伝わる冷や汗を感じつつ訊ねた。「昼間のあれ、どういうこと?」
「昼間?」
「サッカー部と野球部のことだよ」
「ああ」瑞音はこくこくと頷いた。「あれは、義くんに格の違いってやつを教えてあげようとしただけよ」
目眩がした。「あ、あのねえ、中学の時みたいに、二人の喧嘩に他人を巻き込まないでよ。……。予算の件は僕も謝ったでしょ。だから、いい加減に義隆と仲直りしてよ」
「別にわたしはもう怒ってないから。義くんが謝ればいつでも赦してあげる」
「いつまでも意固地しちゃって。……少しはこちらの身にもなってよ」
「ねえ敬くん」
瑞音の冷ややかな声音に、心臓がドキリと跳ね上がった。「な、なに?」
「そんなことを言う敬くんは、わたしたちにどうなって欲しい、と思ってるの? わたしたちとどうありたいの?」
意表を突かれた質問に、口を開くまでにしばらく時間がかかってしまった。
「そ、そりゃいつまでも仲良しで、親友でいたいと思ってるよ」
「それだけ?」
瑞音の突き上げるような視線に、思わず仰け反った。彼女に相手を屈服させんとする強烈な眼光にさらされ、総毛立った。
彼女の圧力に押されて、口が無意識に開きかけた時、急に体が軽くなった。瑞音が僕から視線を逸らしたのだ。彼女は「ふう」と頭を振りながら息を吐き出すと、夜空に向かって祈りを捧げ続ける北条たちに目を向けたまま、瑞音は口を開いた。
「わたしは、敬くんと義くんのことを下僕だと思ってる」
「は、はい?」
今、とんでもなく恐ろしいことを言わなかったか、このわがまま童女。
「だから、わたしたちの間にあるのは主従の関係よ」
全く悪びれることなく瑞音は言い切った。
「何その暴論。そこはせめて信頼できるパートナーとかにはなりませんかね?」
と、抗議したら、瑞音は「フン」と鼻で笑いやがった。
「だからちゃんと、上下のわきまえはちゃんとつけておかないと」
「……だから、義隆が謝るまでは赦さない、と?」
「そういうこと」瑞音は頷いた。
「はあぁ……」と、心の中で盛大なため息をついた。こんな話義隆が聞いたら、冬眠直近の熊のごとく暴れだすだろうなあ。
依然UFOの気配は見えず、瑞音との会話も途切れてしまったため、天文部の観測会の様子を見に行くことにした。
夜の部をめぐって、揉めに揉めたオカルト同好会と天文部は、お互いの出し物を中止にしろとまで主張していたが、結局オカルト同好会はグラウンド、天文部は部室棟の屋上で、開催時間も少しずらしてもらい、互いに迷惑をかけないよう、大声を出したり、夜空にサーチライトを向けたりしない(当初の北条の企画書に書いてあったのだ)、と約束させることで、なんとか決着がついた。冷静に考えてみればなんてことのない妥協案で片が付く問題で、喧嘩を始める瑞音と義隆は、もう少し大人になってもらいたいと切に願うばかりだ。まあ二十五年後も娘に迷惑かけているのだから、望むべくもない。
部室棟に入り階段を登って行く途中、廊下の奥から微かに人の声が聞こえてきた。気になって声のする方へ近づいてみると、そこはコンピュータ部の部室だった。そっとドアに耳を近づけてみる。女性の甘えたような声が漏れ聞こえてきた。
「あっ、だめ……そこだけは……」
おい学校で何やってんだよ! いくら文化祭がカップル成立の特異日だとしても行き過ぎだろ。今すぐ現場を押さえてしかるべきところに突き出してやる。
しかし、すぐに思い直した。コンピュータ部は夜通しでハッカソンとやらを実施すると言っていた。だとするとおそらくこの声は……。
僕はゆっくりとドアを開いた。予想通り、女性の気配はなく、薄暗い部室の中央に置かれたモニターに四人の肥満男が集まっていた。
僕が電灯を点けると、四つ子もどきが一斉に振り返った。
「何やってるの、こんな暗がりで?」
「いや、その……」
四人は狼狽した様子で口をもごもごとさせた。僕はディスプレイを覗き込もうと首を伸ばした。すると、四人はサッカー日本代表もかくやと見事なフォーメーションでそれを阻止した。
「な、なにもないぞ。作業の邪魔だ。帰れ生徒会」と、四つ子もどきの誰かが言った。
しかし人間というのは、ここまで拒絶されると逆にますます知りたくなってしまう存在なのだ。
「わかったよ」と言って、僕はコンピュータ部たちに背中を向けた。彼らの弛緩した雰囲気を察すると、素早く振り返ってディスプレイを覗き込んだ。
そこには箒に乗った美少女が空を飛ぶアニメ映像が流れていた。たしか半年ほど前に深夜枠で放映されていた魔法少女モノだ。
……そんなことだろうと思ったよ。
「べ、別に僕たちはサボっていたわけじゃないぞ。ただの息抜きだからな」
男たちは赤面しながら弁明する。
「別に咎めるつもりはないよ。そんな要素もないし。それより、オカルト同好会や天文部の騒ぎは作業の邪魔になっていない?」
彼らは作業の邪魔になるからオカルト同好会や天文部の活動を止めて欲しい、と訴えてきたのだ。
しかし、男たちは無実を勝ち取った被告人のように安堵した表情を浮かべ、口を揃えて言った。
「「「「大丈夫だ、問題ない」」」」
まあそうだろうね、と僕はディスプレイを一瞥してから、心の中で呟いていた。
「あと、あまり無理しないでよ。それを観ている時間があるなら、さっさと作業を終わらせて寝たほうがいい、と思うし」
「その心配は無用だ。あれがあるから」
コンピュータ部たちが指差した先には、翼を授けるエナジードリンクが山のように積まれていた。
「これさえあれば全シリーズの鑑賞を制覇……もとい、ハッカソンの進行に支障はない。俺たちの成果を期待してくれ」
「ああ、そうですか」
半ば呆れて男たちの顔を見たあと、無駄な時間を過ごしたなと感じながら、部室をあとにした。
部室棟の屋上では、天文部による天体観測会が始まっていた。集まった人数は部員を含めて二十人くらいで、三、四人ぐらいのグループに分かれて、望遠鏡を覗き込んでいた。
「はい、みなさん。今見えているのが太陽系最大の惑星の木星です。微かにですが縞模様も見えるかと思います。わからない方は近くの天文部員に訊いてください」
白衣を着た三浦がハキハキとした声で、参加者たちに対して説明をしていた。方々から「おおっ」「凄い」と感嘆の声があがっていた。UFO召喚の呪文をひたすら聞かされるよりは楽しそうだった。
たしかここには義隆が居るはずだが、と、辺りを見回してみると、一番隅の望遠鏡の脇に立っている姿を見つけた。隣には宇都宮、そして望遠鏡を覗いているのは美羽だった。美羽は義隆に手招きをして、望遠鏡を覗くようにジェステャーで示した。義隆は渋々といった様子で望遠鏡を覗きだした。義隆も美羽と初めて会った時はガチガチに緊張していたのに、今では普通に接することができるようだ。
そんな姿を見ているとなんだか娘と良き父親って感じだな、と思ってしまった。……あっ、親子か。
僕は彼らのもとに近づいた。「ねえ、義隆」
義隆は望遠鏡から顔を上げた。「ん? なんだ、敬悟か」
僕は望遠鏡の調整を始めた宇都宮の様子を、興味深げに見ている美羽を横目に言った。
「すっかり懐かれてるね。さすが子どもあやしの天才」
「うるせえ。敬悟の親類だろ。ちゃんとお前が面倒見ろよ」
義隆の口こそ悪いが、表情や態度からはまんざらでもないといった雰囲気が感じられた。
「僕としては、しょっちゅう飯をたかってくる奴なんて、そのまま引き取ってくれると助かるんだけど」
「うっ」僕たちの会話を聞いていたらしい、美羽がうめいた。「おじさん、ひきずるね」
「まあ、美羽の母親に比べれば、マシだと思うけど」
「ははは……」
美羽は引きつったような笑みを浮かべる。
「なんだ、こいつの母親ってそんなに根に持つタイプなのか。それは大変だな」
「ちなみに父親も相当、ひきずるタイプらしいよ」
「そうか、だから敬悟の所に逃げ込んだわけだな」
義隆は同情するように言った。
「当たらずも遠からずと言うべきか……」
と、お茶を濁した。横で美羽が口を押さえて必死に笑いを堪えているのが見えた。
「そ、それよりも」アイスブレイクも終わったところで、僕は本題を切り出す。「瑞音のことなんだけど」
その瞬間、義隆の動きがぴたりと止まった。それから硬い声で「なんだ?」と返してきた。
背筋にヒヤリとしたものを感じつつ、僕は続けた。「朝も言ったんだけど、そろそろ仲直りしてくれると嬉しいなって」
「別に、俺は怒っちゃいねえよ」
「だったら……」
「あいつが謝ってきたら、俺はいつでも仲直りしてやる」
やはりそうきたか、僕はがっくりと肩を落とした。
「でも今回、義隆にも非がないわけじゃないし。ここは世のため人のために、瑞音に頭を下げてよ」
義隆は唸るように言った。「たとえ世界平和が懸かっていても、あいつにだけは頭を下げるなんてごめんだ」
これは重症だ。双方ともあとに引けないほど意固地になってしまっている。
さてどうしたものやら、と悩んでいると、不意に遠くから叫び声が響いてきた。
「おっ、あれを見ろ! 来た、来た、来たー! 遂に現れたぞ!」
聞き間違えようがない、北条の声だ。グラウンドから部室棟の屋上まで結構離れているのに、近所迷惑になりかねない大音量だ。
「あいつめ!」
ちょうど近くで、星座の説明をしていた三浦が両手に持っていた星図をぐしゃりと握り潰すと、地面に置いてあった三脚をつかみ、討入りに向かうかのような勢いで駆け出していった。
僕は「はあっ」と、魂が抜けていきそうなため息をついてから、義隆や宇都宮と一緒に彼女を追いかけた。




