3-5
生徒会室前まで戻ってくると、ドアの前に高校の制服を着た美羽が立っていた。
やっぱり今日も来たのか、内心うんざりしていると、美羽が駆け寄ってきた。彼女の表情がいつになく深刻そうで、どきりとした。
「おじさん、なんかヤバそうなんだけど」不安げな声で美羽が言った。
「ヤバそう? 何が?」
そう訊き返すと、美羽は生徒会室を指差した。
僕は音を立てないようにそっとドアを開けて、室内を覗き込んだ。すると、文化祭実行委員の佐竹を挟んで、瑞音と義隆がお互いを睨み殺そうとするかのように対峙していた。慌てて部屋に踏み込むと、佐竹が今にも泣きそうな表情でこちらを振り向いた。
「せ、先輩ちょうどいいところへ。二人を止めてください」
「と、止めてくださいって言われても」
無言で睨み合う二人の雰囲気に気圧され、僕もこれ以上近寄りがたかった。
義隆の気持ちがまだ収まっていなかったのか? それにしても、野球部とサッカー部とのいざこざがあった時より、さらに険悪な雰囲気になっていないか?
「一体、今度は何があったんだ?」
「そ、それが」佐竹は怯えるように言った。「開会式でやる仮装の準備に、どうしてももう少しだけ予算が必要になって、会長に相談したんです。それで、会長が生徒会の会計帳簿を見た瞬間、突然副会長に向かって怒鳴りだしたんです」
「なっ!」
僕は絶句した。二日前、僕が義隆に頼まれて工面した柔道部の追加予算の件がバレたのだ。ちゃんと帳尻を合わせておいたつもりだったが、瑞音はすぐに見破ってしまったらしい。彼女の簿記能力を甘く見ていた。
せっかく塞がりかけた傷口が更に盛大に開くことになろうとは、しかも今度は僕にも責任の一端がある。
「そ、それで佐竹くん。それからどうなったの?」今度は僕が恐る恐る訊く番だった。
「ええっと、会長が副会長に『予算を勝手に使うな!』って言い出して、すると副会長も『お前だって勝手に使おうとしてるじゃねえか』と返して、それからひとしきり二人が文句を言い合ったあと、今は黙って睨み合ってるんです。じ、自分はどうしたらいいんでしょう」
それを訊きたいのはこっちだ。これまでに何度か瑞音と義隆は盛大な喧嘩をやらかした事があるけど、今の二人の様子は、その中でも最上級の険悪さだ。この状況を丸く収める手立てなんてすぐに思い浮かぶわけがなかった。
「と、とりあえず佐竹くん。今は二人に近寄らない方がいい」と言って、佐竹を生徒会室から去らせた。それから、入り口側で不安げに瑞音たちを見ている美羽に向かって小声で訊いた。
「ど、どうすればいいと思う?」
美羽は緊張した声で返した。「それがわかるなら、あたし今こんなところにいないし」
全くの正論にぐうの音も出なかった。二人の仲違いを解消するにはタイムマシン並みの超発明が必要なのだ。
二人は依然一言も喋らず、義隆は巨体の胸を張って威嚇するように瑞音を見下ろし、瑞音は鋭利な刃物のような視線で義隆を見上げていた。
その沈黙を破るかのようにトントンと軽快なノック音が響いてきた。
一瞬、僕にはこれが事態打開の糸口となる福音に聞こえた。しかし、生徒会室に入ってきた面々の顔を見て、それが黙示録の到来を知らせるラッパの音だったと気づいた。
オカルト同好会の北条、天文部の三浦と宇都宮、それに今回はコンピュータ部の四人も生徒会室に入ってきた。彼らは足を踏み入れた瞬間、部屋に渦巻くただならぬ邪気を感じ取ったのだろう、一斉に恐怖の表情が浮かび上がった。
「な、何があった。これは……」宇都宮がうめくように言った。
「ええっと、なんと説明していいのか。そ、それよりも、今度は何の用?」
空気が読める宇都宮は、義隆の背中をちらりと見たあと「いや、また今度にしよう」と言って、回れ右をしようとした。その彼の腕を三浦がぐっと掴んだ。
「だめよ、早く決着つけてもらわないと」
「お前なあ」宇都宮はうんざりしたような表情で言った。「どう見ても、それどころじゃ……」
「用事があるなら、さっさと言いなさい」
こっちへ振り向いた瑞音のきつい声が飛んできて、全員が鬼軍曹から号令を受けた新米兵のように、一斉に背筋を伸ばして瑞音の方へ体を向けた。
「あ……、いや、そのう」
こわばった表情の宇都宮が口をモゴモゴさせていると、北条が大声で言った。
「文化祭一日目の夜の部について、話があって来たんです」
「夜の部……」
義隆もこちらへ顔を向けた。
二日間の文化祭のうち一日目には夜の部が存在する。昼の部が終わった後も、一部の出し物が午後八時くらいまで続くのだ。もちろん僕らはまだ高校生だから、いたって健全なイベントである。
「あたしたちは毎年恒例の天体観測をやる予定です」三浦が言って、北条へ視線を向けた。「そうしたらこの、キモオタメガネが……」
「なんだと、この厚化粧!」
「まあまあ、二人とも」宇都宮が間に割って入った。
「そ、それで……」僕は瑞音と義隆の鋭い視線をひりひりと感じつつ、北条に訊いた。「オカルト同好会は何が気に入らないの?」
「天体観測なんてやっている場合じゃないです。それよりも今はもっと重要な事をすべきです」
「重要なこと?」
「そうです、生徒会の人。UFOがこの学校に着陸した今この時こそ、彼らを呼び出す実験を行う好機です」
「えっ、えっと……。どういうこと?」
「ですから、UFOが着陸したあのクレーターの近くで僕たちが祈れば、きっともう一度UFOが来てくれるに違いありません。その実験を夜の部でやりたいんです」
「クレーターがUFOの着陸痕? あれはあたしのタイム……」
僕はとっさに美羽の口を塞いだ。
「そんな馬鹿なことやられちゃ、天体観測の邪魔でしょ。どうしてもやりたきゃ河原かどこかでやって」三浦が噛み付く。
「あのクレーターの近くでやるから意味があるんだ。だからお前たちこそ邪魔をするな。UFOを信じない邪悪な奴が近くにいると彼らは来てくれないんだ」と北条も言い返す。
「誰が邪悪よ、変態」
「そういうところが邪悪だって言うんだ!」
「ストップ、二人ともストップ!」
つい声を荒げてしまった。ただでさえ導火線に火が点いている状況でこれ以上燃料を持ち込まないでくれ。
しかし、これまでずっと黙っていた四つ子もどきのコンピュータ部まで割り込んできた。
「ちょっと待ってくれ。天体観測もUFOの呼び出し実験とやらも、俺たちコンピュータ部は認めないぞ。作業の邪魔になるからな」
「ええっと……、コンピュータ部は夜の部で何をする予定なの?」
僕が問うと、彼らは大きな腹を突き出して言った。
「夜通しでハッカソンをする予定だ」
「ハッカ……ソン?」
聞いたことのない言葉だ、と僕は首をかしげる。
「一定時間内に、何か物を作ることよ、おじさん」美羽が教えてくれた。「例えば、コンピュータ部だったら、プログラム書いて、ゲームとか便利ツールとか、ウェブサービスのプロトタイプなんかを作るの」
「おお、君は昨日の女学生」コンピュータ部たちは目を丸くした。「さすがだ。君も文化祭で、コンピュータ部に参加しないか? お菓子もジュースも飲み食いし放題、女の子は大歓迎だ」
「それはちょっと……」僕は四つ子もどきの粘着的な視線を遮るように美羽の前に立った。「それより、そのハッカソンとやらを実施するコンピュータ部が、天文部やオカルト同好会の夜の部をやめさせたい理由は?」
「そりゃ、うるさくされたら作業に支障をきたすだろ」
と、コンピュータ部は平然と言ってのけた。
整理すると、夜の部でオカルト同好会はUFO呼び出し実験、天文部は天体観測をやりたい。しかしお互いが邪魔になるのでやめさせてほしい、と言ってきたわけだ。そこに騒がしくなるから二つとも止めさせろ、とコンピュータ部まで口を出してきた。
……どいつもこいつも自分勝手だな、さすがにイラっときた。
「な、なあ、頼むよ久我。こいつらをなんとかしてくれ」
宇都宮が義隆に懇願する。
「か、会長さん。昨日は一緒にUFOの金属片を探してくれたじゃないですか。会長さんだって、本物のUFOを見たいでしょ」
北条が必死に瑞音に向かって訴える。
「ちょ、ちょっと待て。おいそこのもう一人の生徒会。あいつらの横暴を止めてくれ」
コンピュータ部がもう一人の生徒会(って僕のことか)に抗議する。
すると、義隆と瑞音は揃って同時に答えた。
「わかった、天文部の活動が最優先だ」「もちろん、北条くんの好きにしていいよ」
「どうしてそうなるの!」僕は二人に向かって叫んでいた。「贔屓は駄目でしょ……」
「贔屓じゃないぞ。天文部はだいぶ前から、夜の部のイベントを申請していたんだろ、だったら天文部の言い分が正しいだろ」
という義隆のもっともな意見に、瑞音が反論した。
「何を言っているの。克己くんがこんなに必死になって頼み込んできてるんでしょ。それをなんとかしてあげるのが、生徒会としての責務じゃない」
「また都合の良いこと言いやがって。お前こそ人に頼まれて良い顔しようとしてるだけじゃねえか」
「何よ。生徒会のお金を勝手に使う人にだけは言われたくないわ。わたしに突っ掛かりたいからといって、変な意地張らないで」
「それはこっちの台詞だ!」
二人は三日月のように目を吊り上げ、歯ぎしりしながら睨み合う。
しばらく緊迫した沈黙が続き、やがて瑞音が大きく息を吸い込み、
「どうして、会長であるわたしの言うことを聞かないの」
と、血も凍りつきそうなほどの冷たい声で言った。
「何でもかんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いだぞ」
義隆が地を震わせるような低い声で返した。
「そこまで言うのなら、わたしたちの関係も、これまでのようね」
「ああ、その通りだ」
瑞音と義隆はぷいと顔を背けると、二人は同時に入り口に向かって大股で歩き出した。あまりに威圧的な雰囲気に、その場にいた全員は大名行列に出会ってしまった農民よろしくさっと道を開けた。瑞音と義隆は廊下に出ると、お互い背を向け別々の方へ歩いて行ってしまった。
ようやく我に返り、僕は「ちょっと待って」と叫びながら二人を追って廊下に出た。
しかし二人の姿はもう見えなかった。
※ ※ ※
俺はいつもより早く家に戻ってきた。『保護者』たちは外出しているようで、家は静かだった。
部屋に戻って、明かりを点けると、亀の甲羅のような布団がもぞもぞと動いた。慎二の顔がひょっこりと現れた。
「すまん、起こしちまったか?」
カッターシャツを脱ぎながら、弟に謝った。
弟は小さく頭を振って、囁くような小さな声で言った。「兄ちゃん、今日は早いね」
「ああ、まあな。ああ、これ土産だ」
今日、生徒会の連中からもらった菓子を慎二に向かって放った。しかし、弟は菓子の袋を一瞥しただけで、すぐに俺の顔を見上げた。
「兄ちゃん、その顔の傷、どうしたの?」
俺は頬をなでた。「たいしたことじゃない、気にするな。……それよりも」
敷きっぱなしの自分の布団の上に胡座かいて、慎二の真っ赤に腫れた目元を凝視した。
「泣いてたのか?」
「……」
弟は何も言わず、再び布団に潜り込んでしまった。
両手を強く握りしめた。
必ず弟をこんなクソみたいな状況から救い出してみせる。今日、生徒会長たちと話すことができて、ようやく決心がついた。卒業したら弟と一緒にここを出て行く。
叔母もその愛人もクズみたいな人間だけど、それでも保護者は保護者だ。そこから離れ、自分たちだけで生きていくことが、どれだけ大変なことなのか、正直俺にはわからない。もしかして今以上に辛いことが待っているかもしれない。それでも俺は、たとえ住む所を失おうとも、世界が戦争で壊滅の危機を迎えようとも、弟を守るためならどんなことだって耐えてみせる。
でもその前に……。
「なあ慎二」布団の小山に向かって俺はゆっくりと話しかけた。「今度の週末な、兄ちゃんの高校で文化祭があるんだ」
布団の小山がモソモソと動いた。
「地元じゃ毎年それなりの話題になる程、盛大な文化祭なんだけど、……お前も来ないか?」
しばらくの間があって、慎二が答えた。「僕も……行っていいの?」
「当たり前だ。いろんな面白い出し物があるぞ。兄ちゃんも手伝って作っている展示もあるんだ。それを慎二にも見てもらいたい」
再び布団から弟が顔を出した。
「たまには兄ちゃんと一緒に遊ぼう」
慎二ははにかんだような笑顔を見せると、小さくこくりと頷いた。
登場人物
・八川敬悟:高校三年生、生徒会庶務。好きな言葉は「石の上にも三年」
・片桐瑞音:高校三年生、生徒会会長。好きな言葉は「一日一善」
・久我義隆:高校三年生、生徒会副会長。好きな言葉は「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
・小田真人:高校三年生、慎二という弟がいる。
・北条克己:高校二年生、オカルト同好会会長。好きな言葉は「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」
・三浦亜衣里:高校二年生、天文部部長。好きな言葉は「真実はいつも一つ」
・宇都宮:高校三年生、天文部前部長。好きな言葉は「レディーファースト」
・佐竹:高校二年生、文化祭実行委員。好きな言葉は「to be or not to be」
・コンピュータ部の四つ子もどき:いずれも高校二年生で、名前は青木、石田、上野、江川。
・片桐美羽:二十五年後の未来からやってきた、瑞音と義隆の娘。好きな言葉は「お小遣い」




