3-4
小田は三年生の教室が並ぶ廊下の隅に隠れるように立っていた。
「来てくれたんだ」
小田は恥ずかしそうに視線を逸らした。「……ああ」
「じゃあ、行こうか」
と言って、歩き出す僕を小田が呼び止めた。
「ちょっと待て、何かあったのか? お前の後ろにいる生徒会長から殺気じみたものを感じるぞ」
「ま、まあいろいろあって。気にしないで」
未だ義隆に対する不満をブツブツと呪詛のように呟き続ける瑞音を僕は一瞥した。
「気にするなって言われても、今のこいつを見たら泣き出す奴も出てくるんじゃないのか?」
「……」
図星ですぐに反応できなかった。不機嫌極まりない瑞音を連れて生徒会室を出てからここに来るまでに出会った人たち(生徒並びに教師も含む)は、顔を背けて廊下の隅に体を寄せるか、逃げ出すかのどちらかだった。
「だ、大丈夫だよ」僕は努めて元気よく言った。「じゃ、じゃあ小田くんの教室に行こうか」
「ま、待て。俺は生徒会長に心配ないって言われたから、勇気を出してここまで来たが……、無理だ。やめる」
「今更それはないでしょ」
小田は駄々っ子のように首を何度も振った。「今更あいつらに頭を下げるなんて、やっぱりできねえ。それにもし、拒絶されたらどうする? 俺は残り半年……いや一生笑い物だ」
見た目とは裏腹に随分と肝の小さい奴だ。
「弟くんのためでしょ。大丈夫、僕も瑞音もついてるから」
「だから、その生徒会長が今は問題だって言ってんだろ」
「うっ……」
返答に窮する。瑞音のカリスマ的演説を以ってすれば、小田のクラスの文化祭を手伝いたいという希望は容易く成し遂げられるだろうと思っていたが、たしかに今の瑞音が現れたら一言話す前に教室には誰もいなくなってしまうだろう。生徒会室に戻って義隆に応援を求めようかと一瞬思ったが、部屋を出る直前、あいつも不機嫌を表情に露わにしていたので、即座にその案は棄却した。
瑞音をちらりと見る。生徒会室を出れば少しは機嫌も治るかと思っていたのに、まだ何やらブツブツ言っていた。
僕は小田に向かって提案する。「わかった、じゃあ小田くんと僕、二人で行こう。僕が最初に話をするから」
「マジかよ」
小田はますます不安そうな表情になった。
「男は度胸、当たって砕けろだ。恥をかくなら一緒にかこう」
義隆だったらきっとこう言うんだろうな、と思いながら口にする。
小田が目を見開いた。「お前、意外に大胆な奴だな」
「そう? 瑞音と義隆に付き合わされていると、これくらいどうとも思わなくなるだけだよ」
そう言って、僕は小田の腕を掴むと、教室に向かって歩き出した。
小田の教室では、多くの生徒たちが小さなグループに分かれて、熱心に未来都市のジオラマ製作に勤しんでいた。僕と小田は教壇の前に立つと、声を張り上げた。
「あのう、みんな。ちょっと聞いて欲しいんだけど」
生徒たちの手が止まり、一斉に僕たちへ顔を向けた。あちこちで「何? 何?」と囁き合う声がした。
「えっと、生徒会の八川です。今日はみなさんにお願いがあって来ました。ここにいる小田くんからの話を聞いてください。じゃあ、小田くん」
小田が身体中を震わせながらも、一歩前に出た。
「お……お……お……俺も、ぶ……ぶ……ぶ……んか……」
小田の口からは年老いたカラスの鳴声らしき音が出てくるだけだった。喉が震え、首筋には大量の汗が流れ出ていて、極度に緊張しているようだ。
こりゃ駄目だ、と悟った僕は、生徒たちの探るような囁き声が続く中、小田のあとを引き継いだ。
「小田くんもこのクラスの文化祭の出し物を手伝いたいんです。どうか仲間に入れてやってください」
その瞬間、生徒たちの表情に一斉に困惑の色が現れた。そして囁きあう声が一層大きくなった。
「えっと」「小田が?」「どういうこと?」……
予想以上に反応が悪い、このままじゃ駄目だ。もっと何か話さないと、と思った時、顔中ビッシリ汗をかいていた小田は「ひっ」と小さな悲鳴をあげて、教室の外へ向かって走り出した。
……こ、ここで逃げるのか!
慌てて走り去ろうとする小田の背中に手を伸ばした。すると教室の扉の前で小田の体がぴたりと止まった。それから一歩二歩と後ずさりを始めた。何が起こったのだろう、と思って首を伸ばして廊下を見ると、黒髪をなびかせ、瑞音が教室に颯爽と入ってくる姿が見えた。
「み、瑞音」
「やっぱり敬くんには任せておけないな」
さっきまで闇の帝王よろしく負のオーラを撒き散らしていたとは思えない、女神の祝福のような笑顔を見せていた。
僕の隣まで近づいてきた瑞音が僕にだけ聞こえる声で言った。
「わたしはいつまでも過去をひきずるような女じゃないから。ちゃんと生徒会長としての役目は果たすよ」
直前までひきずりまくってたじゃん、と口から出かかった言葉をぐっと飲み込む。
「はいみんな、注目!」片手を挙げながら瑞音が言った。更なる小さな来訪者を見て唖然とするクラスの生徒たちと顔面を蒼白にする小田の顔をゆっくりと見渡しながら、瑞音は続けた。「文化祭の準備は順調? なかなか凄いのができてるね。まあ、三年生で最後の文化祭だし、自然と気合いも入るよね。こんなに頑張ってくれて、会長としてわたしも嬉しいな。で、ここまで来たらやっぱり一人も欠けることなく、クラス全員が一丸となって取り組んでくれたら、本当に一生残る高校の思い出にもなると思うんだけど。で、ここにいる小田真人くん……」
突然名前を呼ばれ、小田の肩がブルリと震えた。
「彼はちょっと色々あって今まで文化祭に協力できなかったけど、みんなと思い出を共有したいと言っている。どうかなみんな。わたしが見る限り、猫の手も借りたいぐらいに大変そうな様子だし、少しは戦力になると思うけど? 小田くん、何か付け足すことはある?」
クラスからの無言の視線を一身に受けた小田は泣きそうなほどに顔を歪めたが、両手を力一杯握りしめると、ゆっくりと頭を下げた。
「ど、どうか俺にも、協力させてくれ」
しばらく生徒たちは黙ってお互いを見合っていた。瑞音はこれ以上何も言わず、静かに反応を待っていた。そして、
「……別にいいけど」
と、女子生徒の声がした。それに応ずるかのように、
「まあ、会長の言う通りだし」
と、今度は男子生徒の声がした。
「そうだな。じゃあ、小田……くん。こっち来て、手伝ってくれる?」
爽やか顔の男子生徒が小田に向かって手招きする。
瑞音登場前までとは違い、あまりにもあっさりとした展開に小田はしばらくその場から動けず、狐につままれたような表情をしていた。
瑞音が視線で呼ばれた方へ行くよう合図をして、ようやく小田はおずおずとした様子でクラスの輪の中に消えていった。何事もなかったかのように作業は再開され、教室内に喧騒が戻ってきた。
「じゃ、戻りましょ」
瑞音がすたすたと教室を出て行った。僕は慌てて追いかけて廊下に出た。
「な、何だったの、これ?」
廊下を歩く瑞音の背中に向かって声を掛けると、彼女はくるりと振り向いた。
「何って?」
「ずいぶんあっさりと受け入れられたなあって。もう少しごたごたとかあると思ったのに」
「まあ、そんなもんでしょ。自分が周りから疎外されているとか、馬鹿にされるかもとか、本人は気にするけど、他人はそれほど気にしてないし」瑞音は事なげに言った。
「まあそうだけど……」
それでも、瑞音には人の心を動かす力があって、僕にはそれが足りていないことはどうしても思い知らされてしまう。一体何が違うのだろう?
そんな疑問を見透かすように、瑞音は付け加えるように言った。
「まっ、理を以って人を納得させ、情に依って人を動かす、ってところかな」
「何それ、誰の言葉?」
「おじいちゃん」と言って、瑞音は背中を向けた「……さっ、そろそろ義くんの頭も冷めてきた頃だろうし、生徒会室に戻りましょ」
僕は小田の教室へ目を向けた。「僕はもう少し、用事を片付けてから戻るよ」
「そう」と言って、瑞音は行ってしまった。
僕は小田の教室に戻ると、部屋の隅で小田が爽やか男子生徒にレクチャーされながら、早速、細かな部品を削っている姿が見えた。
室内を見渡し、昨日、小田について話を聞いた文化祭係の男子生徒を見つけ、彼のもとに近づいた。
「あっ、生徒会の人」
「だから、僕は八川だって。さっきも名乗ったばかりだし」
「ああ、そういえば」
男子生徒にからかっている様子は微塵もなく、素で忘れられていたようだ。
「そ、それよりも、小田くんの事だけど」
「びっくりしたよ。あいつが文化祭の作業を手伝いたいだなんて。てっきり全く興味がないと思ってたし」
「彼のフォローを頼めないかな。すぐに打ち解けるってのも難しいだろうし、生徒会長に言われたからしぶしぶ受け入れた、なんて思っている人も中にはいるかもしれない。何か問題が起こったらすぐに僕に連絡して」
と言って、頭を下げた。
「わかった」文化祭係は快諾してくれた。「こちらとしては、作業者が増えてくれて、大助かりだけど」
「じゃあよろしく」
と言い残し、僕は教室を出た。
やっぱり自分は人前で話すより、裏方に徹する方が性に合っているのかな、と感じた。




