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2-6

 昨日とたいして変わらない時間に帰宅した僕は、自室の机に向かって数学の授業で出された宿題とにらめっこを続けていた。ノートには一向に書き込みが進まない。問題が難しいわけではなく、ついつい意識が今日の一連の出来事に向かってしまうのだ。

 瑞音と向かった小田の家は幸か不幸か留守だった。木造平屋建ての小振りな一軒家には表札もなく、窓は全てカーテンで閉め切られ、明かり一つ、物音一つ漏れてこなかった。しかし、窓ガラスのいたるところにヒビが入り、家の隅に割れた食器類が無造作に捨てられているのを見ると、この家屋内でなにやら異様な出来事が起こっているらしいことは充分感じることができた。

 家の様子を探っている最中に、近所の住人たちから軽く訊いてみると、「近所付き合いもないし、家の住人が何者かは知らない」「夜中に突然叫び声や、物が割れる音がする」「時々子どもの泣き声がする」「刺青を隠そうともしない中年男が出入りしている」といった話が返ってきた。

 瑞音が「埒があかないし、やっぱり中も確認してみましょ」と言って、鍵を壊して家屋に押し入ろうとした時は、さすがに肝を冷やしたが、それはなんとか阻止できた。そして、これ以上帰りが遅くなるのもまずい今日は解散にしよう、と瑞音を説得し、彼女は渋々ながらも受け入れてくれた。

 家に帰る途中、義隆から携帯にメッセージが届いた。予想通り、小田を探し回っていたらしい。しかし見つけることはできなかったようだ。このまま放っておくと夜中じゅう探し回りかねない勢いだったので、明日相談しようと伝えて、こちらも今日のところは帰るように言い聞かせた。

 瑞音にしろ義隆にしろ、どうしてそこまで他人のために行動できるのか、感心を通り越して呆れ始めていた。いくら彼らのいう『正義』のためだとしても、そこまで他人の問題に首をつっこむなんて僕には理解できない。

 コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえ、部屋の主の返事も待たず、美羽が入ってきた。美羽は今日も妹から借りた丈の短いパジャマを着ていた。

「おじさん、今暇?」

「そう見えるか?」

 僕は美羽から目を逸らしつつ、机の上の問題集を指差した。美羽はノートを覗き込んで、一言。

「えっ、全然進んでないじゃん」

 僕は美羽の方へ椅子ごと体を回転させた。「今からやるんだよ、今から。……で、何の用だ?」

「おばさんたちが、あたしとおじさんの馴れ初めの話を聞きたいって」

 ガクリッと椅子から滑り落ちそうになった。すっかり忘れていたが、母親や姉妹にも、僕たちのことを恋人だと勘違いされているのだ。

 反射的に「何を訊かれても絶対に何も喋るな」と言いつけようとして思いとどまった。ここで無言を押し通したら、美羽のことだ、逆に何かの拍子についぽろりと真実を話してしまいかねない。適当な話を作っておいた方がそれを愚直に伝えてくれそうだし、姉たちからの追求も緩むかもしれない。昨日今日で大分美羽の扱いに慣れた気がする。

「じゃあ、生徒会で一緒に活動するうちに、お互いなんとなく意識するようになりました、とでも答えておけ」

 しかし美羽からは「えー」と、不満げな声が上がった。

「なんかベタで、面白くない」

「面白くないって……別にベタでもいいだろ」

 追求を逃れる方便だから、面白さなんて求めていない。それにシンプルの方が現実味があるというものだ。

「なんかもっと、『おおっ』て、驚く話をお姉さんたちは求めてる、と思うんだけど」

「僕は噺家じゃないんだけどな」でもたしかに美羽の言う通り、目的は姉たちを満足させることだ。ということで考えを改めた。「じゃあ、こういうのはどうだ? それは先月のこと、生徒会の備品を買いに美羽は駅前の雑貨屋に行った。その帰り道、茶髪に鼻ピアスをつけた三人のごろつきに囲まれて、『ようよう姉ちゃん。俺たちと一緒に楽しいことしようぜ』と迫られた。美羽は身の危険を感じてその場から走り出そうとしたが、悪漢に腕を掴まれてしまった。男たちに詰め寄られ、さて一大事、しかしその時僕が颯爽と登場し、ごろつきどもをちぎっては投げちぎっては投げ、追い払ってやった。それが、美羽が僕を『なんてたくましい方なのかしら、ポッ』と、意識するようになった」

「うーん」美羽は今一つと言いたげな表情を見せた。「悪くないんだけど……」

「どこが不満なんだ?」

「なんか、おじさんっぽくない。おじさんって喧嘩とか弱そうだし」

「僕はそんなに弱そうに見えるのか?」

「うん」美羽は躊躇なく頷いた。「体細いし、猫背だし」

「……」

 返す言葉がなかった。

「どうせ作り話にするなら、もっと現実的なものにしてよ」

 それなら何故最初の僕の案を却下したんだ? しかし抗議する代わりに僕は、

「そう言うなら、美羽は何か考えがあるのか?」

 と訊いた。すると美羽は身振り手振りを交えながら答えた。

「あたしの前に突如白馬に乗ったおじさんが現れて、百本のバラの花束をあたしに差し出すと、『おお、マイプリンセス。一目見た時からあなたのことが一時も忘れられず、夜も眠れぬ日々が続いていました。どうかこれを受け取ってください』って……」

「どこが現実的だよ。もはやファンタジーの領域だ」

「じゃあ、夜道をあたしが歩いていると、突然おじさんが背後から羽交い締めにして無理やり関係を迫ってきて……」

「おい、僕を犯罪者にするな!」

 美羽が白い歯を見せてニヤリと笑った。

 またからかわれたか。なんだか馬鹿らしくなってきて、思わず「ははぁ」と自嘲気味なため息が出てしまった。

「あっ、おじさんまたため息ついたね。今日一日で何度目?」

「さあ。数えてないけど。両手両足じゃ足りないことは確かだね。でもつきたくもなるよ。これだけ振り回されてりゃ」

「やれやれ、しようがないなあ」

 と言いながら、美羽は僕の背後に回った。そして彼女は僕の肩を叩き始めた。

「ちょ、ちょっと……」

「まあまあ」美羽は驚いて振り返ろうとする僕を留めた。「時々、おじさんの肩を叩いてあげてるの、こうやって」

 美羽の柔らかく温かい拳に叩かれて、肩がトントントンと小刻みに震える。胸の奥からぐっと温かいものがこみ上げてくるような気がした。

「おじさん、今も昔もいろいろ苦労しているなあって思ったら、急に叩きたくなっちゃった」

「そりゃどうも。でもその原因の半分は、誰のせいだと思う?」

 美羽は恭しく言った。「お父さんとお母さんがいつもお世話になっております」

 駄目だこりゃ、こいつわかってねえ……。

「それにしても」美羽の拳にされるがまま、僕は言った。「これって、いつまで続くのかな……」

「少なくとも二十五年後も、お母さんたちの秘書はやっているよね」

「……はぁ」

 またため息がでてしまった。

「がんばって、おじさん。……ん? でも、おじさんの肩硬くないね」

「さすがにこの歳で、肩凝りとは言われたくない」

「そりゃそうか。でも未来のおじさんだと、『あー極楽じゃ』って、とても気持ちよさそうな表情になるよ」

「四十代前半とはいえ、どこまでジジ臭いんだ、未来の僕!」

 そう突っ込むも、リズミカルな振動はずっとこうして欲しいと思うほど、心地が良かった。

「そうそう」美羽が軽く付け加えるように言った。「未来のおじさんだと、あたしが肩を叩いてあげると、いつも必ずお小遣いくれるんだよね」

「出て行け!」

 僕は怒鳴って、美羽を部屋から追い出した。

登場人物

八川敬悟はつかわけいご:高校三年生、生徒会庶務。尊敬する人物は父親

片桐瑞音かたぎりみずね:高校三年生、生徒会会長。尊敬する人物はおじいちゃん

久我義隆くがよしたか:高校三年生、生徒会副会長。尊敬する人物は小学校五年生の時の担任


小田真人おだまさと:高校三年生、慎二という弟がいる。

北条克己ほうじょうかつみ:高校二年生、オカルト同好会会長。尊敬する人物はニュートン

三浦亜衣里みうらあいり:高校二年生、天文部部長。尊敬する人物はニュートン

宇都宮うつのみや:高校三年生、天文部前部長。尊敬する人物は入学当時に天文部部長だった先輩

太田おおた:高校三年生、文芸部部長。尊敬する人物はラヴクラフト

韮崎にらさき:敬悟のクラス担任。尊敬する人物は大学時代の指導教員


敬悟の家族

・父親:警察官。尊敬する人物は高校時代のラグビー部顧問

・母親:弁当屋勤務。尊敬する人物は自分の母親

・姉:大学二年。尊敬する人物はバイト先の店長

・妹:中学三年。尊敬する人物は姉


片桐美羽かたぎりみう:二十五年後の未来からやってきた、瑞音と義隆の娘。

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