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2-5

 生徒会室に戻ってくると、瑞音も帰ってきていて、会長席に座り、片手を頬に当て、特に何をするでもなく眠たそうに半目を閉じていた。

 暇なら溜まった仕事を片付けてくれ、と口から出そうになった言葉をぐっとこらえ、代わりに、

「あれ、クレーターの調査はもう終わったんだ?」

 と訊いた。北条と三浦の様子から、てっきり調査は日暮れまで続くのかと思ったのに、案外早く終わったようだ。

 瑞音は顔を上げると、不服そうに口を尖らせた。

「克己くんと亜衣里さんが、お互い罵りながら石まで投げ始めたから、さすがに中止にしたわ。今は二人とも韮崎先生の説教を受けてるはず」

「ありゃりゃ……。まさかそこまでエスカレートするなんて」

「ところで敬くんは、あそこを放っぽり出してどこに行ってたの?」

「あっ、ええっと……」一瞬言葉に詰まったが、僕は正直に答えた。「義隆に呼ばれてたんだ」

 瑞音は僕の隣に立つ美羽を一瞥した。「じゃあ、その義くんは?」

 さて、これにはどう答えるべきだろうか。ありのままの事実を『もう一人の正義の人』に伝えたら、ますます面倒なことになりそうだ、という直感……いや確信があった。瑞音も隠された問題を察知する天性の嗅覚がある。無理に掘り出してこれ以上事態が変な方向へ発展したら困る。

「えっと、家に急用が……」と、僕が言いかけたその時、

「義隆さんなら、小田将軍を追っかけていきました」

 美羽がとてもハキハキとした声で答えた。

 こいつに学習という能力はないのか! 僕は驚愕の面持ちで美羽を見たあと、ゆっくりと瑞音の顔へ視線を向けた。

 瑞音は目を点にして、「小田……将軍?」と呟いた。

「……あ、いやこれは」

 このわずかな躊躇が悪かった。瑞音は椅子からさっと立ち上がると、すたすたと小走りで僕たちの前にやってきた。そして、ぐっと顎を反らせて僕を見上げた。

「敬くん、何隠しているの?」

 と発した瑞音の瞳には、怒りと好奇の念が入り混じっていた。


 瑞音に詰め寄られてしまっては、僕も口を割らざるを得なかった。義隆が小田のあとを追いかけて行ったこと、その原因となった、彼の廊下での振る舞いと僕が義隆にした説明について。ただし、実は元々の説明自体にもごまかしが混じっていて、そもそもの発端である美羽の正体については、疑念を持たれることはなく、隠し通せた。

 二度と瑞音と義隆の前で美羽をしゃべらせてなるものか、と心の中で思いながら、一通り話し終えると、瑞音は二、三度かみしめるように頷き、断言するように言った。

「小田……真人くん、彼には人に言えないような大きな問題を抱えているに違いない」

 やはり瑞音もその結論に至ってしまったか、と僕は苦笑した。

「でも……」と、一応僕は反論を試みる。「それはただの憶測でしょ」

「甘い!」と言って、瑞音は僕の鼻先に人差し指を突きつけてきた。もっとも彼女の身長と腕の長さではとても届かないが。

「わたしの内なる声がそう言っているのだから、間違いない」

 何だよ、内なる声って! お前は霊媒師か?

「……じゃあ仮に瑞音の推測が正しいとして」ずっしりと重たい荷物を背負わされた気分だった。「小田くんの抱えている問題が、学校生活に関わるものだったらまだしも、もし家庭の問題だったら? 他人が関わるべきではないと思うけど」

「敬くんも相変わらずだね」瑞音は残念なものを見るように目を細めた。「人が苦しんでいるサインを見つけたら、生徒会として、いえ、この世界に生を受けた一人の人間として、それがどんな問題であっても、家族であってもクラスメイトであっても赤の他人であっても、手を差し伸べるのは当然のことでしょ」

「はぁ」と僕がため息をついている横で、

「凄いです。お母……じゃなかった、瑞音さん」

 と、美羽が目を輝かせパチパチと独り拍手を始めた。

「おっ、わかってるね、美羽ちゃん!」

 瑞音がVサインで応じる。

 美羽が僕に向かってこっそりと耳打ちした。「お母さんって、昔からこんな感じだったんだね」

 つまり、将来もこんな感じらしい。更に気分が重くなった。

 ごほん、と軽く咳をして僕は話を元に戻した。「理念としてはわかるけどさ、現実問題としてそう簡単じゃないよ。だいたい瑞音たちに何ができるって言うのさ」

「やってみなきゃわからないじゃない」

 と、瑞音は自信満々に僕の反論を一蹴した。この超ポジティブシンキングが羨ましいと思うところであり、危ういと感じる部分でもある。瑞音たちが介入したことで問題が余計こじれるというリスクを全く考えていないんだろうな。

 でも、このまま僕が止めても瑞音たちは暴走するだけだろう、だったら上手にコントロールして被害を最小限に抑えないと。火中に栗を拾うような己の発想に哀愁を感じながらも、「はあぁぁ……」と、今日一番の大きなため息をついて、腹を決めた。

 僕は瑞音の顔を見据えた。「で、何をするつもり?」

「えっと……そうね」瑞音は腕を組んだ。「とりあえず真人くんをふん捕まえて、全部吐かせる」

「どこの指名手配犯だよ!」

 早速暴走するつもりだったな、この童女! そしておそらく同じことを今義隆もやろうとしているんだろうな、この辺りは本当によく似た二人だ。

「こういう時は、外堀から埋めていくのが定石でしょ。まずは第三者からの情報収集、それから本人の信頼を得て、ようやく問題の核心……もしあれば、の話だけど、それに踏み込んでいく」

「まどろっこしい……」瑞音は顔をしかめた。「でもそこまで言うなら、敬くんよろしく」

「……」

 やっぱりこういう展開になるわけね。がっくりと肩を落として、僕は情報収集のため生徒会室を出た。


 小田の担任に話を訊くのが速いだろうと思い、職員室に向かった。彼のクラス担任である、五十過ぎのいつも疲れ切った表情を浮かべている社会科の先生は、小田について、

「しょっちゅう授業はサボるし、学外で問題も起こすし、どうして校長先生はあいつをさっさと退学にしないのか、理解に苦しむ。……あいつの友達? さあ知らないな。家族? 三者面談でも顔を出さないからなんとも」

 と、お茶をすすりながら語ってくれたが、得られた情報といえば、この担任がクラスの事情にほとんど関心を払ってないことぐらいだった。

 適当に話を切り上げて職員室を辞すると、今度は小田のクラスへ向かった。今日の作業が終わったところらしい、教室を片付けている最中だった。

 ちょうど近くを通りかかったクラスの文化祭係でもある男子生徒に声を掛けた。

「あっ、君は生徒会の……誰だっけ?」

「どうも、八川です」と、僕は名乗る。

「そう言われるとどこかで聞いた気が。で、何か用?」

「文化祭の準備の方はどうかな、と思って。このクラスは何作ってるの?」

 と、まずは当たり障りのない話から始める。

「未来都市のジオラマを作って、それを展示する予定だけど」

 教室の隅に並べられているオブジェに目を向けると、確かに、SF映画に出てきそうな高層ビルの形をしていた。模型屋で売られていてもおかしくないほどの完成度だ。

「かなり精巧にできてるね」

「クラスに模型作り……ガレージキットって言うんだっけ……、それが趣味な奴がいて、そいつが大枠を作ってくれたんだ」男子生徒は少し自慢げに言った。「でも、ここに来るまで色々大変だった」

「と、言うと?」

「調子に乗って細かく作り過ぎたせいで、まだ完成していないんだ。……あとは、もう少し予算があれば」

「えっと、ところでさ」期待の眼差しを向ける男子生徒の最後の言葉は聞こえなかったことにして、話を切り替える。「このクラスに、小田くんって居るよね」

「小田……」

 突然思いもしなかった人名が出たせいか、困惑気味の表情で男子生徒は目を瞬かせた。

「彼って、普段どんな感じ?」

 少し逡巡する素振りを見せたあと、彼は言った。「……まあ、嫌な奴だよ」

「嫌な奴?」

「ほとんど教室に来ないくせに、たまに居るかと思ったら、俺たちを見下すような態度をとるんだよな。あんな一昔前の不良みたいな格好して、俺はお前たちとは違うって、気取っているつもりだろうけどさ」

「なるほどね」

 予想通り、小田はクラスの中で快く思われていないようだ。

 僕は質問を続けた。「彼と親しい人って誰かいる?」

「さあ。あんな雰囲気だろ、この学校には居ないんじゃないか? 外じゃ、他校の危ない連中とつるんでるって噂は聞くけど。ところで生徒会の人、どうして彼のことを訊くの?」

「特に深い意味はないんだ。ありがと」

 礼を言って僕はその場を立ち去った。

 話を聞いた限り、小田は不本意にクラスから排除されているわけではなく、自分から距離を置こうとしているように思えた。すると、彼が問題を抱えているとするならば、学校よりは家庭方面だろうか。

 しかし断定するには早過ぎる。そこで僕は二日続けて、父親に電話することにした。

『おお、敬悟か。どうした?』父親の野太い声が通話口から響いてきた。『また学校のクレーターの話か?』

「今日はそうじゃなくて……。父さんって、僕の高校の小田って子のこと知ってる?」

 警察官である父親の本当の専門は少年事件だ。不良仲間とつるんでいるという話なら、父親が何か知っているかもしれないと思ったのだ。

 案の定、父親の苦々しい声が響いてきた。

『あいつか……。昨日、駅前の路地裏で中年男性を脅している姿を見たって話を、交番勤務の奴から聞いたが、あいつらまた何かやらかしたのか?』

「いや、そうじゃなくて。ただ小田くんの性格というか状況について知りたいなあ、と思っただけなんだけど」

『あいつは、性格の悪い、クソガキだ』と、父親は言い切った。『悪い仲間とつるんで、しょっちゅう警察の世話になってやがる。その度に俺が叱り飛ばしてやってんだが、一向にこっちの話を聞きゃしねえ』

「はあ、なるほど」

 父親も彼を口悪く言った。小田のことを救いようのない悪人、と思いかけたその時、父親の声音が情け深いものへと変わっていった。

『でも、あいつの気持ちもわからんでもないんだよな。大人というか周りが信用できないとか、抱え込んだ理不尽を発散する先がなくて悶々としている感じは。俺も昔はそうだったし』

「へえ、父さんも昔はワルぶってたの?」

『相当なワルだったぞ。いっつも教師に殴られてた。まあ俺も殴り返してやったがな』

「嘘だー」

 外では頼れるベテラン刑事でも、家では母親たちの陰で肩身の狭い思いをしている父親からは想像できなかった。

『何が嘘なものか。教師どもは俺のあまりの素行の悪さにサジを投げたほどだぞ。あの時ラグビー部の顧問が居てくれなかったら、俺は今頃ブタ箱暮らし……って、話が逸れたな。まあ、要するに、思春期にはいろいろ鬱憤も溜まるものさ。敬悟は大丈夫か?』

「大丈夫って、何が?」

『お前の場合は色々溜め過ぎて、いきなり爆発しそうだからな。適度にガスは抜いておけよ』

「……」

 溜まる要因はいくつか考えられるが、今のところコントロールできている、と思う。

『それはそれとして』父親が真面目な口調に戻った。『小田の場合、ありゃ保護者にも問題があるな』

「親にも?」

『あいつが警察署に連れてこられて、俺がたっぷり説教してやったあと、保護者に迎えに来てもらうんだが、格好も態度も酷い連中だ』

「警察が見た目で判断しちゃ駄目でしょ」

『そうでもねえんだな、これが。若い奴はともかく、人間歳を取ると、人格ってのが見た目や態度なんかにどうしても滲み出てちまうものさ。お前もおじさんと呼ばれる歳になればわかるさ』

 すでに『おじさん』と呼ばれているけどね、美羽の顔を思い浮かべながら苦笑した。

『あとそれから』と、父親は付け加えた。『あいつの保護者っていうのは、本当の両親じゃないみだいだ』

「えっ? どういうこと?」

『色々複雑な事情があるみたいだな。さすがに俺もそこまで踏み込むのは簡単じゃない』父親は悔しそうに答えた。

 いくら身内とはいえ、プライバシーの大切さが騒がれるこのご時世に他人の情報をペラペラと喋ってしまう父親に、若干問題を感じなくもないが、おかげでだいたいの状況は理解できた。

 僕は父親に礼を言って電話を切った。


 生徒会室へ戻ってくると、瑞音と美羽がソファーに座って二人仲良く、スースーと可愛らしい寝息を立てていた。

 学校中を歩き回って疲れているのはこっちだぞ、と叫びたい衝動に駆られたが、二人の様子を見ていたら、思わずクスリと笑ってしまった。体格こそ違えど、寝顔が瓜二つだったのだ。

「……お母さん」

 と、美羽の声がした。彼女は目をつむったまま口をむにゃむにゃと動かしていた。寝言だったようだ。

 この二人、本当に親娘なのだ。今更ながら何とも言えない不思議な感覚がした。

 今度は瑞音の肩がごそりと動いたかと思うと、まぶたがわずかに上がった。そして僕の姿を認めたのだろう、パチリと目が大きく開かれた。

「けっ、敬くん。戻ってきたの!」

 と叫ぶや、瑞音は慌てたように背筋を伸ばして、口元を手で拭う仕草をした。その声に美羽も目を覚ました。ゆっくりと体を起こし、

「おじさん、おかえり」

 と、寝ぼけ声で言った。

「ど、どうだった?」

 と言った瑞音だったが、よほど僕に寝顔を見られたくなかったのだろう、彼女は俯き加減で顔を赤らめていた。そんな彼女の様子を見て、カメラに撮っておけば良かった! 瑞音の弱みを握る絶好の機会だったのに、と少し後悔した。

 僕は父親との会話も含めて、学校で訊き回った結果を瑞音に報告した。話し終えると、瑞音は得心したように何度も頷いた。そして、だしぬけに言った。

「じゃ、行きましょうか」

 瑞音の意図が理解できず、僕は訊き返した。「行きましょうかって、どこへ?」

「もちろん、小田くんの家に決まっているでしょ」

「どうして?」

「どうして?」瑞音はこいつ馬鹿じゃないと言いたげな表情で僕を見上げた。「当然じゃない。敬くんもさっき言ってたでしょ。真人くんの家庭に問題がありそうだって。だったら、家に直接乗り込むのが手っ取り早い」

 この恐るべき短絡思考に、僕は戦慄を覚えた。

「だから、何度も言ってるだろ。事を急かしすぎだよ。いきなり他人の家に押し入るだなんて無茶だ。……それに今日はもう遅いし」

 窓の外へ目を向けると、陽も落ちて一番星が輝き始めようとしていた。

 しかし瑞音は「それがどうしたの、善は急げよ」と言っただけで、さっとソファーから立ち上がった。

 僕は震える手をぎゅっと力いっぱい握りしめると、今日何度目かのため息をついた。

「これが偽善にならないことを祈るよ」

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