二之巻 新たな家
ゲン「さて、お前さんの呼び方が決まったところで……」
ゲン「自分で言うのもなんじゃが、わしの事を知らんあたり、おおかた他の事も忘れとるんじゃないかのう?」
不知火「まぁ……というか、何も覚えてないな。」
ゲン「やっぱりの。」
テン「記憶喪失かい。」
私の周りに3人が座り、会話は進む。
不知火「それで……ここはどういう所なんだ?」
ゲン「まぁ慌てなさんな。じっくり説明しちゃる。」
ゲン「ここはテンの診療所じゃ。そして、いまお前さんがいるこの集落は『九尾の里』。その名の通り、儂等九尾の里じゃ。」
ゲン「見たところ、お前さんは尻尾が無いようじゃが……まぁ覚えとらんおぬしに訊くのもの。」
テン「あ、そうそう。あなた丁度左の胸に大きな穴が開いてたんだけどね。里長が体の一部を補うのに使わせてくれたのよ。」
不知火「そうだったのか。礼を言う。」
ゲン「ああ気にするでない。おぬしの目が覚めて何よりじゃ。」
ラン「ねぇおじいちゃん、このお兄さん……じゃなかった、不知火さん、どうするの?」
ゲン「うむ。実はそのことなんじゃがの。」
ゲン「お前さんがどこの家の者か調べるため、いろんな家に、いなくなった者がいないか訊いて回ったのじゃがの。」
ゲン「どこの家にもそんな奴はいないという結果が出ての。とどのつまり、お前さんはこの里には親も兄弟もいたかもわからんのじゃ。」
ゲン「そこで考えておったのじゃよ。おぬし、ウチに来んか?」
不知火「いいのか?」
ゲン「ああいいとも。こういってはなんじゃが、今ウチはランとの二人暮らしでの。」
ラン「お母さんは私を生むときに死んじゃったし、お父さんは狩りの途中で……」
ゲン「……まぁそんなこんなで、ウチは結構寂しいのじゃ。お前さんは悪者には見えんしの。」
不知火「じゃぁ、お言葉に甘えさせて貰おうか。」
ゲン「まぁ今日はこれくらいかの。あまり怪我人に長話をさせるもんでもない。この辺でお暇させてもらうかの。」
テン「ま、里長の家に行くのはその怪我が治ってからにしな。焦ってもしょうがないよ。」
ラン「またね。不知火さん。」
ランとゲンが退室する。
テン「実はね、ランちゃん、あなたが運び込まれたその日から、毎日欠かさずお見舞いに来てたのよ。」
テン「何日も目を覚まさない事なんて、私達九尾は滅多にないからね。相当心配してたんだろうねぇ。あの子、優しいから。」
不知火「そうか。」
テン「ま、とりあえずアンタは、その体を治すことを考えな。」
そして、数日が経ち。
テン「もう全快だね。」
不知火「おかげさまで。」
ラン「治ったの?」
不知火「ああ。」
ランの問いに、誰もいない方を向いて、回転するようにエア足払い。
その後軸足を入れ替えてエアハイキックを空中に繰り出し、そしてその勢いで空中回転蹴りを繰り出す。
スタッと着地し、ランに向かって拳を突き出して答える。
テン「完全復活ってとこかい?」
不知火「多分な。」
私が目を覚ました後も、ランは毎日欠かさず見舞いに来ていた。
他に用事が無いのか訊いたところ、なんでも『私達子供の九尾って、ものすごく暇なの。』だそうで。
『他の子どもと遊ばないのか?』と訊いたところ、『普段はテンおばさんのお手伝いしてるし、こっちのが楽しいから。』と返ってきた。
ラン「じゃあ、今日からウチに来るの?」
不知火「色々準備とかあるだろうけど、ここにも結構長いこと世話になってるしな……」
テン「ああそんなの気にしなくていいよ。一人も二人も変わらんさ。ランちゃんは里長に伝えといで。」
ラン「うん。」
そして翌日。
ゲン「ここが、儂等の家じゃ。」
不知火「ここか。」
ラン「うん。ここ。」
目の前には、一件の家。しかしそれは、私の考えうる『家』ではなかった。
まず最初に。木造とかそういうレベルじゃない。『藁』を使ってる。
石で外壁を建て、木で柱を組み、藁で天井を造る。
そして照明は、見事なまでに正確に組まれた石製の『窓』(閉めることはできないため、蓋の様な物がセットになっている)と、部屋の中央にある囲炉裏。それがこの集落の基本建築スタイルらしい。
ゲン「これでおぬしも我が家の一員じゃな。」
不知火「ああ。世話になる。」
ラン「家族ってことは……兄様になるの?」
ゲン「そうなるかの。」
不知火「よろしくな。ラン。」
ラン「うん。よろしく。兄様。」
『兄様』。
なぜだろう。このフレーズがやけに引っかかる。
記憶を失う前の私にとって、何か大切なフレーズだったのだろうか。
まぁそんなものはどうでもいい。それより今は。
ゲン「早速仲がよくなっているようで結構。いつまでも家の前につっ立っとらんで、入れ。」
不知火「ああ。」
この新しい環境で、『私という存在』が始まることのほうが重要である。
そして、その晩。
囲炉裏に灯る日が、家の中を暖かく照らす。
ラン「ごはん、できた。」
ゲン「じゃ、飯にするかの。」
不知火「分かった。」
ゲン「おぬしも硬いの。もう少し息を抜いたらどうじゃ。」
ラン「ここはもう、兄様のおうち。はい。」
不知火「そうか。ありがとう。」
ラン「はい、おじいちゃん。」
ゲン「おお、おお、今日もうまそうだの。」
囲炉裏の真上から吊るされた鍋から、ランが作ったであろう食事がとり分けられる。
ゲン「それでどうじゃ。この家の居心地は。」
不知火「悪くない。」
ゲン「そりゃ結構。」
ラン「美味しい?」
不知火「ああ。」
ラン「そう。よかった。」
ゲン「しかしランが懐くとはの。びっくりしたわい。」
不知火「そうなのか。」
ゲン「ランは真面目で優しいのはいいんじゃが、いかんせん表情をあまり出さないのでな。大人も子供も、迷惑ではないにしろ近寄りがたいそうなのじゃ。」
ゲン「じゃからこうやって気軽に話す相手も少なくての。おぬしに懐いたのは想定外じゃったわい。」
ラン「兄様は、やさしい。そんな気がする。」
不知火「そうか。」
ゲン「ああそうじゃった。明日、おまえさんをある人物に合わせたいと思うとる。相手はこの里の猟団の団長のシンじゃ。」
不知火「どんな人なんだ?」
ゲン「人当たりがよく、人望があるな。それに実力もかなりのものじゃ。いつじゃったか、大きな牙獣を一人で狩ってきたこともある。」
ラン「あの晩はごちそうだった。」
ゲン「まぁ儂等九尾が元々他の種族と比べて体が強いのもあるが、シンはその中でも強い。若い女子はよく『いけめん』とか言っとるの。ああラン、おかわり。」
ラン「はい。兄様は?」
不知火「ああ、もらおう。」
ゲン「まぁそういうことで、頭に入れておいてくれ。」
不知火「分かった。」
団欒の時は流れ。
ゲン「もう外は真っ暗じゃな。腹も膨れて眠いし、もう寝るかの。」
ラン「そうだね。火、消すね。」
ランが囲炉裏の火を消すと、辺りは急に真っ暗になる。
特に何かを敷いたりするという事はなく、そのまま床に寝転がる。
とりあえず今日はもう寝よう。そう思い、瞼を閉じる。
どれくらいたっただろうか。時計のないこの環境で過ごしてきたせいか、時間の感覚は徐々に狂いつつあった。
なんとなく時間がたったころ。
背中にひと肌を感じる。
そして寝息を感じる。
ラン「スー……スー……」
横を向いて寝ている私の背中に、ランが寄り添って寝ている。
このままだと寝返りをうった際につぶしてしまう。かといって動かせば、起こしてしまいかねない。
だから。
不知火「よい……しょっと。」
自身の体をランに向け、そして腕枕をしてやる。
元々枕を使う文化は無いのかもしれないが、やっぱりあった方が寝やすい。
窓から入る月明かりが、わずかにランの優しい寝顔を照らす。
不知火「おやすみ。」
明日に備え、今日はもう夢へと潜り込もう。
私は再び、目を閉じた。