00-始まり
一面の漆黒である。
夜は狂おしいほど静かであり、山々の影はこの地に重い腰を下ろしている。
生物たちのほとんどは夜明けが来るまで、動こうとはしない。まさに、絵に描いたような風景であった。
そんな中、狼たちは、静寂の中を駆け巡った。夜は我らが主役であると言わんばかりの活気だ。
東へ走り、西へ走り、又山に走り、月に走り、星々に走り。
疲れを見せることはほとんどなかった。
彼らは、走るだけでなく、生命をも貪る。
隠れるのに失敗した生物たちは、ことごとく、彼らの餌食となってしまっていた。遺されていたのは、散乱する白骨のみである。その狼たちは、まさに草原の統治者であった。
その狼たちを引き連れているのが、あの蒼き眼を持った、恐ろしい雄狼である。彼が東に行けば、他の狼たちも東へ行き、彼が星々を仰げば、他の狼たちも仰ぐ。他の狼たちがどれだけ狩りが上手かろうと、最初に口に運ぶのは蒼眼の狼である。常に帝王の風格を放ち、生物どころか、従えている狼達までもが畏れていた。
ある日、蒼眼の狼は、草原を駆け巡っていると、何か白いものが前方に見えた。不思議に思ったので、もう少し近づいてみると、一匹の白い雌鹿が横たわっていた。彼は歓び、早速その白い鹿を我が飯としようとした時、彼は白い鹿の顔、姿を改めて見た。
瞬間、帝王は驚愕した。
ーーーーーーこんなにも麗しき生物が。。。。。。この地上にいるとは。。。。。。ーーーーーー
すぐに帝王は彼女に対する気持ちが現れ、程なくして彼は白い鹿を妻として迎え入れた。
帝王は時間を白鹿のために費やすために、他の狼たちに狩りをやらせ、そのうちのほとんどを帝王とその妻に貢がせた。妻も歓び、帝王もその姿を見て心が落ち着くのである。二匹の生活は、幸せの絶頂に達していた。
だが、真実はそう甘くはなかった。貢がされている他の狼たちは、いくら帝王とはいえ、自分達より下である鹿に貢がねばならないことに、耐えがたい侮辱を受けていた。不満の矛先は、帝王に向かっていたのである。
ある日のことであった。帝王は久しぶりに一人で草原にて佇んでいた。自らの覇者である感覚に陶酔しているのか、はたまた白鹿への純愛で心が満ちているのか。予想のつかぬところであった。
すると、その感傷に水を差すかのように、雷が鳴り、潤いの雨がやって来た。生物は別だが、草木はその潤いの雨に静かな歓喜の声をあげていた。緑は水と共生してるのだ。そう、帝王は感じたようである。
しかし、この雨は、強さのわりには、雷の轟きは全く止む気配がなかった。音も、いつにも増して大きい。さすがの帝王にも、今は天が恵みを与えているのか、それとも罰を与えているのか、判断ができなくなってきた。
雷はやがて自分達の巣窟へと向かっていった。ここで雷は最盛期となった。音が途切れることはなく、光はとても強かった。いや、あまりにも強すぎるのだ。さすがに危機感を覚え、雷雨の中、自分の巣窟へと戻っていった。
山を少々登り、峡谷を少々渡ったところに巣窟がある。自分の仲間たちと、愛しの白鹿が、無事であるかどうか。それを確かめに、中を見てみた。
そこには狼がいた。否、多すぎる狼がいた。自分の仲間だけではない、他の集団の狼もいた。
帝王は彼らの鋭い、赤い光を感じ取った。素早く逃げた。しかし、四方八方から狼たちがやってくる。囲まれているのだ。帝王は、血路を開き、なんとか包囲網から脱出した。脱出している時、ある狼が白鹿を連れ去っているのが見えた。
とても衝撃を受けた。まるでとても大切な、一つだけの宝を失ったような気分になった。
何もかもが崩れ去ってしまった。蒼眼の狼は仲間と共に草原を駆け巡っていた頃を思い出した。もう、そのような風景は見る事は出来ないだろう。もう自分は帝王ではなく、ただの、落ちぶれた、孤狼となってしまった。
感じるものは絶望のみであった。
生物はまだ彼を恐れるであろう。しかしそれはただの狩猟者としてである。畏れられることはもうない。
孤狼は、只々、山の頂へと登っていった。まだ他の狼たちは私を狙っているかもしれない。そんな気持ちが、逃走を一層速めた。
間も無く追っ手は見えなくなった。しかし、孤狼は、山の頂で、動かずにいた。その蒼眼からは、涙が延々と流れていた。
自分が今まで培っていったものは全て無くなってしまった。白鹿も二度と帰ってくることはない。孤狼は、もう全てに絶望していた。
生物というのは、狼がいるとわかると、すぐさま恐怖を感じて逃げていく。なので、狼が一声あげれば、生物は皆この場から消える。
孤狼は山の頂に立ち、自分の持つ力を振り絞って、天地に向かって、吼えた。
瞬間、静寂が訪れた。
漆黒の風景である。
応答するものは、誰もいなかった。