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『……以上、お送りしましたのは全国ネットで夜九時から絶賛放送中の人気ドラマ「私を火星に連れてって」の主題歌「私は火星人」でした~。そうそう! 実は先日お仕事でその収録現場にお邪魔させていただいたんですが……』
「すげータイトルだ」
基本聞き流していたイヤホンから流れるラジオに注意を奪われた瞬間だった。
タイトルの耳触りは抜群に良い。内容は知らないけれど宇宙ネタなら是非見たい。でも多分奇抜なのはタイトルだけで中身は陳腐な恋愛劇なんだろうな、と昨今のドラマ事情を鑑みて一方的に決めつける。深夜アニメと一緒でドラマも内容の同一化が著しい。もしかしたらドラマの方がより顕著かもしれない。というかその歴史的にとっくの昔にパターン化されて、同じような題材が使い回されていると考えた方が正しいだろう。
「……ま、そんな映像制作の現場を憂いたところで何か言いたいわけじゃないんだけど」
全ては暇つぶしの考え事に過ぎないのだから。
生徒会副会長就任後初の仕事は、三年生全員分の進路のデータ入力という手ごろな短期バイトみたいな業務だった。
ファイリングされた四百枚の進路調査票(最終版)が今回の敵だ。これらすべてのデータを今日中に管理ファイルに打ち込まなければならない。何枚も用紙を捲っているせいで指先は極端に潤いを失い、ときたまお札を数える中年親父っぽく舌先で舐める。
視線は進路調査用紙とノートPCのディスプレイを行き来し、当然ながら風景は代わり映えしない。だから気が狂う前に断続的に外に目をやるようにしている。
季節は秋、暦は十月。上旬と中旬の境目くらい。
この時期、午後五時ともなると外は夏場の夜七時並みに薄暗さを増して、もう少し経ったらグラウンドのナイター設備が点灯する。紅葉前線も到来。窓のずーっと奥にそびえる野山には赤や黄が目立つ。今朝見かけた新聞の記事によれば丁度見頃らしい。
くどくど秋の情景描写に明け暮れるのもなんなので視線を生徒会室内へ戻す。しかし、引き継ぎ直後だから片付いているくらいで他にこれといった特徴のない室内に描写する価値はなく、目薬を一滴ずつ両目に垂らしてから業務を再開した。
『さて、それでは次のリクエストですが、こちらはうちのラジオで扱うには少々マニアックな曲かもしれません。しかし、リスナーさん第一がモットーな以上、リクエストにも全力で応えさせていただきます!』
時に、生徒会の人間とは言え本質的には一介の生徒の俺に三年生全員分の進路を知られてしまうようなことがあっていいのだろうか。ふと疑念を抱く。学校って杜撰。
『え~、ハガキによりますと、声優ファンの間では知る人ぞ知る名曲だそうで……』
「この先輩もあの先輩もみんな同じような進路だな……」
進学の項目にチェックを付けて、隣の空欄に学校名を淡々と打ち込んでいたのは序盤の話。進学先の大学が大体絞られているから単語登録して作業を簡略化させた。そうしたら進みが段違いに良くなった。
単純さを増したわけだけど楽しくないことはない。言うならばプロ野球のデータを眺めているときのよう。数値にしろ言葉にしろ、全てのデータは読み物として秀でている。
「この人は……おぉ、流石だ」
力強い達筆で「青春終わらねえ!」と書かれていた。野球部主将。校内でちょっとした有名人として知られている先輩。接点はない。
大半が現実的で堅実な進路で埋め尽くされている中で、こういう奇を衒った回答は無死満塁を三者連続三球三振で切り抜けたときのように爽快だ。
そういえば三年生で有名人と言えば瀬名八柄という変人の逸材も想起されるけれど、生憎その人は期待外れだったな。
教師どころか挙句学校に刃向うような真似をしでかし続け、事あるごとに学校を盛り上げた瀬名先輩でさえ、進路希望欄には「内部推薦」の四字熟語が躍っていた。
学校のスターなんていうのは所詮期間限定で、芸能人にでもならない限り将来は普通の人に成り下がる。瀬名先輩ならあるいは、と密かにファン意識を抱いていた俺は期待したものだが、結局はこの人も無難な人生を歩んでいくんだろう。
変人の地道な進路を目の当たりにして青春の終焉を予感する。
青春ってこうやって終わるんだな、と物悲しく思う。
「青春ね……」
真剣に考えるには多少の恥ずかしさを伴う題材だ。
ラジオの音はもう耳には入ってこない。右から左へ、もしくは左から右へ。空気の振動は俺の脳みそを揺らすまでには至らず通過する。
気付けば俺も十七歳になっていた。
一年後は俺が進路と向き合う立場になる。
高校を卒業して待っているのは、積み重ねた十八年間という基礎を頼りに生き抜いていかねばならない大人という世界。変化に乏しく、積み重ねにも乏しい人生の消化試合。あとはもう身体が深海にゆっくりと沈んでいくように衰退していく。
感覚的な意味で俺たちは間もなく人生を折り返そうとしている。一般的には十九歳で折り返しと言われていたはずだ。
そう考えると人生って短ぇなって思わずにはいられない。
そう考えると青春って濃いなって思わずにはいられない。
でも、俺はそんな濃密であるべき青春時代を満足に過ごせているだろうか?
将来的にはどんな青春を過ごしていようとも戻りたい過去の代表として脚色されるのだろうが、今の俺は今という時間を有意義に消費できていると言えるか?
「生徒会入って雑務に忙殺されて、たまに空いた放課後に友達と遊んで、ちまちま勉強の経験値を上げて、そこそこゲームにも勤しんで、睡眠時間は少なめで……」
指折り自分の日々の行動を思い返してみる。普通に楽しそうな生活を送っていそうだけれど、そこに子供が描きそうな青春謳歌中の高校生の姿はない。
「高校入ってから海も行ってないなー」
男女で海水浴へ行ったりボーリングをしたりすることだけが青春じゃないとは分かっている。それにしたって今の自分の生活には華がないのは弁解のしようがない。
極論、華ありゃ満足な青春と呼んでも差し支えないのだ。
「つまり、やっぱり、俺の青春は」
どっか物足りない――不足感は拭い切れないのだった。少々気持ちが青色めく。
こんこんこん。
生徒会室の扉の向こう側から控えめなノックの音が聞こえた。余所行きの声音で「どうぞ」スライドした扉の隙間から晴がひょこっと顔を出した。
「うわっ、部屋暗っ。電気つけなよ、悪いことしてんのかって勘違いされるよ?」
「先生に言われて真面目に業務に取り組んで眩しっ」
生徒会室に明かりが灯る。長いトンネルを抜けて太陽の日差しを浴びたみたいに視界がぐにゃぁと乱れて思わず目を閉じる。次に瞼を開いたら、目の前の晴の後ろで手持ち部沙汰に鞄の持ち手をぐにぐにする稍がいた。
「おう、どうした?」
仕事の手を止めて、椅子に座ったまま身体を二人に向ける。
「どうしたもこうしたもないでしょ、っていうかなんで電気つけてないわけ?」
「暗い方が好きだから」
「嫌だ、陰気っぽ~い」
梅津晴。
長めに束ねたポニーテールが象徴的な高校三年。家が近所の幼馴染。
今年の夏に陸上部を引退しても、週に一度は部活に顔を出すくらいには面倒見が良い。
性格は明るくて人当たりが良く、女子高生にしては珍しく一つのグループに固執しない渡り鳥。交友関係は広く浅いが基本線。友達よりもファンの数の方が多い希有なやつ。
「稍もいつまで私の後ろに隠れてんの! 付き合いたての女子中学生じゃないんだから!」
でも、稍に対してだけは別扱い。だって二人は親友だから。
他のクラスメイト相手には絶対焼かないお節介を焼いたり、時には必要以上にべたべたして百合っぷりを露呈するのだ。
「ひやぁっ!?」
と、そんな晴に腕を引っ張られて強引に前に引っ張り出されたもう一人の女子こそ稍、芽生稍。
陸上部らしいボブカットにおっとりとした狸顔。性格は奥手で、狭い交友関係の理由は根っからの人見知りという親友の晴とはまるで正反対なやつ。
性格に加えて全体的に飾り気の少ない大人しめな容貌からは文芸部や図書局といった肩書きが彷彿されるけれど、晴と同タイミングで生徒会室に乗り込んできたように、こう見えても陸上部の有望株として密かに名を上げている。
一度機会があり「なんで陸上部入ったの?」と投げ掛けてみたら、こう返事された。
『陸上は基本個人競技だし、連帯責任も負わずに済むからいいかなって』
こいつはこいつでフリーダムな一面を持っている。というか、適当?
「今日は早く部活終わったから一緒に帰れないかなって思ったんだけど、そっちはまだお仕事続くかな?」
奥手だけど勇気振り絞ってみました! みたいな誘いにこう言うのはすごく残念だ。
「ごめんな、この通りだ」
ポン、と忌々しい分厚いファイルの表紙に手を置く。
「データ入力。進捗度としては折り返しに辿り着いたくらい」
「わっ……分厚いね、すごい量。あとどれくらいかかりそう? 七時からアルバイトだから六時半くらいまでは待つよ」
「悪い、これ自体はもう三十分くらいで終わると思うんだけど、他にまだ引き継ぎの件で仕事が放置されっぱなしで。だから今日は一緒に帰れない、ごめんな」
「……はぁ、そっかー」
目に見えて落胆する稍の背後では晴が頭から角を生やして、文句を言いたげに目を眇めていた。「おいおい」だの「はぁ?」だの、口の動きで俺を非難する。生徒会と言っても仕事は仕事、期限は守らなくちゃいけないし。俺だって心苦しいんだ、考慮して欲しい。
晴は残念そうに身を引いた稍の頭を慰めるように撫でながら、浮気者に向けられるような侮蔑の眼差しを俺にくれてボソッと呟いた。
「……淡泊な彼氏のせいで破局しても知らないんだからね?」
「っ……晴ちゃん!」
「稍ももうちょっと粘らなきゃダメだよー。一緒に帰ってくれなくちゃ死んじゃうかもぉ~って頭湧いた台詞を言うくらいじゃなきゃ、現実の彼氏は振り向いてくれないぜ?」
「やっ……っていうか前提として反生くんは彼氏じゃないから! ね!?」
冷やかされて我を失った小学生みたいに慌てる稍……。俺も他人面してんじゃねえよ。ここで言う彼氏とはお前のことだろう、希反生?
「ああ、彼氏じゃない。俺と稍は付き合っちゃいない……と言って、稍が落ち込むのが分かっているのに上手いこと誘導してみせる晴、お前って実は性格悪いんじゃないか?」
実際、恋人関係をきっぱりと否定された稍の瞳からは生気が抜けて、口から魂が抜け出していた。後半は嘘だけど。
稍とは一年のときに生徒会の庶務に就いたことがきっかけで知り合った。
人見知りという壁を鑢で擦るようにじわりじわりと距離を縮めて、今では当たり前のように時間が合えば一緒に帰るようになったし、休日を一緒に過ごすことも少なくない。
半ば彼氏っぽいことをしているのは認める。
半ば彼女っぽい子がいるのは認める。
でも、今一度はっきり言っておく。俺と稍は正式には付き合ってはいない。説得力皆無だとしても事実は事実だ。
「はっ、性格悪いねぇ。反生に比べりゃ百億万倍くらいマシよ」
「俺性格悪すぎだろ!」
「晴ちゃん言い過ぎだよ! 反生くんはちっとも性格悪くない。仕事に誠実、人とのコミュニケーションも上手で気遣いも上々、笑顔だって素敵だし!」
「笑顔と性格に因果はないぞー? のろけてくれちゃってー、もー」
「はわわわ、また墓穴……なんでもない! じゃ、じゃあね反生くん! また今夜メールするから、お仕事頑張ってね!」
「ああ、またな……」
崩れてきた布団を押し入れに押し返すような勢いで晴の背中を押しながら生徒会室を後にした。突然沈黙にかえって落ち着かない。とりあえず電気を消してみる。二人が生徒会室に来る前よりも幾分暗黒の度合いが増したようだ。ほっと安堵の息を吐く。