一
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「こんな朝早くから精が出るな。」
まだ日が昇り切らない広い境内の中で木刀を激しく打ち合っている2人の少女にミネラルウォーターのペットボトルを投げながら少年は言葉を発した。
肌を突くような冷たい木枯しが吹く中、額から溢れる汗の量が2人の運動量を物語っている。
「休憩にしましょうか、美咲。拓海くんありがとう。」
セミロングの綺麗な髪を後ろに結った絵に描いたような美少女が言った。
すると続けざまもう一人の少女が息を切らせながら
「拓海兄ありがとね~にしても真理姉は強いや、全然叶わなや。はーっ疲れた。」
ショートへエアの少女は縁側に腰を掛け一気にミネラルウォーターを飲み干す。
美咲と呼ばれた少女もまだ幾分か幼さが残るものの綺麗な顔立ちをしている。
どことなく似た顔つきから察するに二人は姉妹なのだろうか。
「そうか?真理も結構本気を出しているように見えたが。美咲はここ一年で大分腕を上げたな。」
2人を交互に見ながら少年はにこやかな表情をしている。
「ほんと~?拓海兄にそう言ってもらえるとなんだか自信がつくな。さて、明日の夜に向けてもうひと頑張りしようかな。」
美咲はそう言いながら大きく体を上げ、左右に上体を振って筋肉を伸ばした。
「あっ、ごめんなさいみさき、私今日生徒会の仕事があるからもう出なきゃいけないのよ。」
真理はそう言い放つとチラッとたくみの方を見た。
2人は目が合い、たくみがフッと笑みを浮かべる。
「そういうことなら俺が相手をしてやるよ、美咲。明日の予行演習のつもりでいいぞ。」
美咲はバッと立ち上がり木刀をヒュンと一振りすると
「拓海兄が稽古つけてくれるのなんて凄い久しぶりだね~全力でいかせてもらうよ!」
真理は申し訳なさそうな表情をしながらもコケティッシュな笑みを浮かべて
「拓海くんごめんなさいね。宜しくお願いします。また後で学校でお会いしましょう。」
そう言うと足早に広い屋敷の中に入っていった。
「さて、始めるか。今日は特別に竜王の力を見せてやるよ。」
そう言い放ち左手の甲をなぞるとたくみの体から紅い光が漏れ出した。
一時間後、疲れ果てて地面に大の字に横たわる美咲と息一つ切らさず涼しげな表情で縁側に腰掛ける拓海の姿がそこにあった。
「明日の竜王際が楽しみな出来映えだな。おれは明日の件について少し御爺様と話してくる。矢倉さんの車で一緒に学校へ行こう、あとで声かけるよ。」
美咲は声を出すことなく手を振り上げ小さくオッケーサインを作ってみせた。拓海はそれを確認するとフッと笑みを浮かべ先ほど真理が入った屋敷とは違うもう一つの恐らく本亭であろう広大な屋敷の中に姿を消した言った。
拓海兄はああいってるけど本当のところはどうなんだろう。私に竜王になる力はあるのかな。この3年でやるべきことはやったんだしあとは自分の力を100%をぶつけるだけか。
美咲は額に腕を乗せ、ようやく整ってきた呼吸に合わせ体を脱力させながら目を瞑った。
11月下旬とはいえ、もう冬の訪れはすぐそばに迫っている。吹き荒れる冷たい風も今は心地良いそよ風として汗を引かせてくれる。
体温を奪われないうちにシャワーを浴びようと思い立った美咲はよろよろと立ち上がり、広い境内をあとにする。
東京都千代田区の中心。日本の中心である東京のさらに中心に九頭竜家を当主とする妖雄七族序列第三位『龍』族の本拠地がある。売却すれば土地代だけでも3代遊んで暮らせるほどの大金が手に入ると安易に予想できる広大な敷地の中には屋敷が3棟 、寺そして道場が一つずつある。
外見上は純和風な日本家屋であるが、内部は和洋折衷、最新の調度品や家具が揃っており、セキュリティシステムも一介の家庭が持つそれを遥かに超えている。現在この広大敷地に住まいを置いているのは龍族直系の九頭竜家と竜宮寺家の二家族にとどまる。
敷地の広さに見合うだけの使用人や門下生が出入りしている人数を加味すれば常時50人はくだらないほどの人間がいることっとなる。その他の『龍』族は各地に散らばっており、正月と盆をのぞいてはあまり顔をみせることはない。
現当主の九頭竜康人は齢80を超えており康人氏は来年には当主の座を降りると明言しており、次期当主が誰になるのかという様々な憶測や噂が昨今ではニュースサイトを賑わしている。
そんな康人の元に1人の少年が訪れようとしていた。名は小野寺拓海、妖術大学付属高等学校に通う1年生である。切れ長の目にスッと通った鼻筋、端正な顔立ちと少し長めの頭髪はどこか中性的な様相を伺わせる。すらりと伸びた手足が流麗に動かされ長い廊下を進んでいく。突き当りのドアの前で静止するとドアを三回ノックする。
「御爺様、拓海です。」
短くそう言うと部屋の中からすぐに返事があった。
「おぉ、入りなさい」
ドアを開け、部屋の中に入る拓海を康人は満面の笑みで出迎えた。
僅かに後退した白髪を後ろに流しており、顔には豊かな髭を蓄えている。ビロード色の和装を小奇麗に着こなした老人は実年齢より10歳は若く見えるといっても過言ではないだろう。
「来ていたのか、拓海よ。最近ちっとも顔を見せなくなったな。まぁまぁかけなさい」
笑顔で拓海にソファに座るように促すと自分も作業用のデスクチェアから腰を上げ、拓海の対面へとゆっくり腰掛けた。
卓上のフルオートコーヒーメーカーのボタンを器用に操作するとすぐに二杯のコーヒーが出てきた。拓海はコーヒーを受け取り、ほろ苦いそれで喉を潤す。
「申し訳ありません、御爺様。最近学校のほうが忙しく、中々こっちへ戻ってくる機会が作れなくて。今朝はは美咲の稽古をつけに寄らせて頂きました。」
康人は笑顔を崩さず楽しそうな表情で聞きながらコーヒーを一啜りすると
「そうかそうか。それはご苦労だったな、拓海。美咲は心配ない、大丈夫だろう。あの子は姉に似て筋がいい、さすが竜宮寺の子じゃな。それはそうと、寮暮らしをやめる気はないのかね。家からでも高校には十分に通える距離だろう。」
康人はぼんやりと窓の外に目をやりながら拓海の答えを待った。
「御爺様、ご心配をおかけして申し訳ありませんが、この件については入学前に十分話し合ったかと思います。家にいるとつい直美おばさんについ甘えちゃいますしね、それに以外と寮暮らしも悪くないんですよ。力のある妖人が結構いるんです。おれは強くならないといけないから・・・。」
そう言葉を切ると拓海は神妙な面持ちで手を組み俯いた。
「拓海・・・あの時のことを・・・」
康人が声にならない声を発すると重たい空気が2人の間を流れた。すると拓海はふと顔を上げて
「ごめんなさい、変なことを、、、週末にはなるべく帰るようにしますか、どうか心配なさらず、御祖父さま。」
先ほどとまでとは打って変わった態度で拓海はまくしたてた。そしてそのままの勢いで部屋を後にしようと立ち上がる。
ドアノブに手をかけた拓海は振り返った。その顔に笑顔はなく真剣なまなざしをしていた。
「御爺様、言い忘れてました。明日の竜王際なんですが・・・」