僕の、初めての衝撃
あの後、帰りは母が運転してきた家の車で帰った。乗ってきたのは母だが、帰りの運転をするのはもちろん父。
明日からは自転車での通学が認められるので、早速あの裏道を使おうと思う。部活の引退を境に友達と帰ることが増えた僕は、自然とその道を通らなくなっていたので、明日はかなり久しぶりに通ることになる。何故か今からとても楽しみだ。でも、また三年の間遅刻をしないように辛い朝を迎えなければいけないとなると、少し憂鬱な気分になってしまうのも、また事実だった。
家に着き、お昼を済ませた僕は、二階の自分の部屋に戻って部屋着に着替えた。その際、脱いだ制服をハンガーに掛ける作業は、一部の除いて手慣れたものだった。
その時、僕のお昼ご飯から遅れること三十分。友達と長話をして遅くなった優也も帰宅してきた。玄関のドアが閉まったかと思えば、ドドドと音を立てて二階に駆け上がってきた。僕はそれに驚いて、まだ着終えていない服に急いで自分の四肢を通した。
「おかえり」
僕は上っ面の余裕を醸し出して何も出ていない机に向かって座り、優也が入ってきたタイミングに合わせてそれを言った。そうやって、数秒もしないぐらい前まで下着姿だったことを隠したかった僕だが、机の状況を確認されてしまうと、今の僕の状況は何もせずにボーっと机に向かっている状態になってしまう。どうにもこれは変である。場合によってはバレてしまう。
「慌てて着替えただろ?」
勘が鋭いというかなんというか・・・。もしかして狙っていたのではないのか、などと色々思考を巡らせていたが、優也はそうだと決め切っているようで、その後は気にすることなくその場で制服を脱ぎ散らかしだした。
僕は思った。"姉の前でパンツ一丁になってしまって、君には恥じらいというものはないのか?"と。
「こっち見んなよ」
「見てません」
心の声が漏れていたのかと思っていて口を塞いでみたが、やはりそういうことではなかった。多少の恥じらいは、ちゃんと備えていたようだ。
それにしても弟よ。僕は外見は女子だけど、中身はちゃんとした男子のままです。自分の弟の裸を見たところでどうにもなりません。どうにかなったら僕はおかしい人だ。
確かに今でも十分おかしいけれど・・・。
このまま何もしないのもあれなので、僕は持って帰ってきたプリント類を整理することにした。年間計画表やら時間割やら・・・。とにかく沢山あった。
一通りその作業が終わる頃には、優也は下で余ったお昼を食べていたようだ。
さて、これからどうしようか?
そんな思考を巡らせつつ、机の引き出しを引っ張り出す。中には…って、いつものゲーム機がない。確かにいつもここ入れてあった携帯ゲーム機のDGがなくなっている。これは一大事だ。まだイナズマナインをクリアしていないのに・・・。って、そうだった。三年前ならまだ持ってないのか。
でも、いつもしまっていた場所にそれが無いのは確かなので、別の場所を探してみることにした。
まずはということで、僕が一番しまっていそうな場所である備え付けのクローゼットを覗いてみることにした。その中には今朝のように女物の服が目立つが、その足元には物入れが犇いている。その中には遊び道具などが収納されているので、そこを確認してみる。
まず、六つある内の一つ目の枠。中には中学の時の小物が入っていた。三冊の生徒手帳や引き出物など。生徒手帳に貼られた写真を見て僕は苦笑した。そこには今と大して変わらない彼女と、明らかに小学生の彼女がいた。その顔つきが全然違くて、まるで別人だったので笑えてしまったのだ。そういえば、意識してなかったから気にならなかったけれど、優也の顔も幼くなっていた。
「ふっ…!」
思い出したら思わず笑いが込み上げてきて吹いてしまった。
優也ゴメンよ。馬鹿にしてるわけじゃないから、許してね。
それらを元に戻し、続いて二つ目、三つ目と開けていくが大した物は入っておらず、若干の諦めを覚えつつあった。
こっちの僕はDG本体を持っていないのだと。
諦めてきていたとはいえ、このまま残りを開けないのも釈然としないので、さっさと見てしまうことにした。
四つ目には、ヘアピンや髪を縛る用のゴム類が乱雑に入っていた。違和感なら確かにあったけれど、もうこれぐらいでは動じなくなってきていた。慣れとは恐ろしいと少し思った。
それに、前は何を入れてたんだったけ? 無き物にされてしまったのか?
その寂しさを払拭するように次にいくと、アイツは僕を待っていてくれた。
「DGあったー!」
おっと、声が少し大きかったか…。
こうして僕は、無事に愛しき(←大袈裟)DG本体との再会を果たした。
その中身を確認すると、入っていたソフトは"スルモン"だったので、僕は懐かしい気持ちになった。
スモールモンスター(略してスルモン)とは、十歳になった少年が不思議な生き物・スルモンと旅をしていくことで成長していくRPGゲームで、小学生を中心に幅広く愛されている。僕自身は、裏パラメータなどの難しい面がチラチラと見えてきた辺りで辞めてしまっていたので、この久しぶりの対面は何となく嬉しかった。
この後、懐かしさに駆られてやってみると時間を忘れて没頭してしまい、気づけば日暮れになっていたのは秘密である。
えっ? 最後の一枠には何があったかって? あれですよ、あれ。
リオちゃん人形です…。
僕ら篠塚家は、お風呂よりも晩ご飯の方が先になっている。今日は姉弟揃っての入学式ということもあって、いつもよりも品数が多くて少し豪華だった。その食後にはケーキも待っていたが、僕はお風呂の後に食べることにさせてもらった。なんせお腹が苦しいもんで。その点、優也は余裕綽々といった様子で、ワンホールを六つに分けた内の二切れをペロッと食べてしまった。僕が今思うのは、女子になって胃袋が小さくなっていたことで残念な気持ちがあるということだけだった。
先に寝る父がお風呂から出てきた後は僕の番というのが今までの流れだったが、今はどうなのだろう。
「優、お父さん出たわよ?」
これは次は僕の番という意味ですね。僕は、こういうところは変わらないんだなと思った。
僕は部屋から、上下薄いピンクの水玉模様で半袖の寝巻きと白の女性用下着を持ってお風呂場に入っていった。ちなみに、色は直感で引っ張ってきたので、この時点では特に何も思っていない。この時点では・・・。
今朝歯を磨いた洗面所がまず僕を見つけだした。僕は部屋着の彼女という制服とはまた違う一面を見てドキッとした。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
しかし、次の工程で僕が理性を失いかけたのは、紛れもない真実だった。ラフな部屋着と、もう見ることに関しては慣れた下着を順に脱いで、洗濯カゴに突っ込む。流れだけはいつも通りのこの作業をこなした僕は、お風呂の入口を開けると不意を突かれて転びそうになった。
これは言い訳かもしれないが、この時の僕のリアクションは無理もないと思っている。縦に長い鏡が少し曇っていたのが幸いだったが、そこには裸体の彼女の全体像が映し出されていて、その絵がまだ肥えていない僕の目に入り込む。その一瞬の爆発力が僕の脳の視覚野の情報処理能力を遥かに超えてしまい、それに連なって僕の運動連合野が一時的に麻痺して足元が覚束なくなってしまったのだ。
この時、その勢いで洗面器が台から落っこちたことで、まるで銭湯のような音が響いた。それに気づいた母が僕の安否を確認しに来ようとしていたが、そこだけは冷静に"大丈夫、何でもない"と返事をした。
一度頭からお湯を被ってリセットした僕は、改めて心の洗濯を始めた。
まずは頭から洗う。当然だが、シャンプーは男性用と女性用に分けてあるので、僕はどちらを使うべきか迷った。しかし、そこには見覚えのないシャンプーがあり、"優"というレッテルが貼られてあった。それは、僕の使うべき物はこれなのだと教えてくれていた。
そのリンスインシャンプーを手に出して、手の上で擦ってから髪の毛を洗い始めると、初めての感覚が頭皮と指先の神経を擽った。指通りの良い髪は撫でられているような気持ちが良さが伝わり、頭皮には女性特有の柔らかい感触が伝わってきた。
なるほど。男性と女性の髪と指はこんなに違うのか。
この感動に似た何かを覚えた僕は、それからしばらく手櫛をしまくって楽しんでいた。
髪弄りに満足した僕は、泡の立つタオルをそれが掛けられている手すりから取って、女性用ボディソープを馴染ませた。この時、迷わずに女性用を使った僕は、身も心も女子気分だったと思う。今考えると気持ち悪い。
モコモコに泡立ったタオルをいつものように皮膚に擦り付けると、強い刺激が走った。
「痛っ!」
それはつまり、肌が弱くなっていたことを示していた。男だった時はこれぐらいで丁度良かったのに、同じ強さでやってみると岩肌に擦ってしまった時のような痛みが生じた。僕は、次からは優しく洗ってあげようと決心した。
腕の次に洗うのは胸だが、そこに触れた時の膨らんだ感触にまたゾッとした。鏡を見ないようにしていた僕だが、つい曇りを取り除いて見てしまった。しかし、途端に彼女と目があってしまったので、僕は視線を逸らしたが、この時湧いてしまった興味は抑えられず、細くなった人差し指でちょんちょんと張りのある丘を触ってしまった。自尊心がズタズタになった。
洗濯は下へと進んでいくが、アイツが見当たらない。無くなってしまったものへの未練というか、寂しさが出てきた。しかし、その部位にタオルが届いた時点でその気分は塗り替えられてしまった。
あっ、力が抜ける…。
信じられないような感触だったのは覚えているが、もう思い出さないようにしようと思う。
女子として初めてのお風呂は、初めての感覚尽くしておかしくなりそうだったが、なんとか理性だけは皮の首一枚繋がっていた。でも、湯船に浸かった時はお湯が侵入してこないのかなとか・・・。
あぁ! もうやめだやめだ!!
セクハラ染みた思考を吹っ飛ばした僕は、気持ち早めに着るものを着て、付けるものを付けた。髪から滴り落ちる水を吸うために、首にはタオルをかけてからリビングに向かい、お風呂で溜まった自分へのイライラ解消のために冷蔵庫に入ったケーキを頬張った。甘い物はそこまで好きではなかったはずなのに、今日はペロッと食べ切ってしまった。いつもの僕ならば、最初こそ勢いがあるけれど、どんどん口の中が甘ったるくなっていくことで食べるスピードは半分以下になる。
"なるほど"と、女子の甘い物好きが少し解った気がした。
今日はとにかく疲れた。念入りに歯を磨いた僕は、まだリビングにいる優也が留守にしている二階に戻ると、そのまま崩れ落ちるように布団に入っていった。
しかし、まだ胸の重りによる苦しさに慣れていない僕は、寝付くのに約一時間を要した………