私の、入学式〜高校生活一日目〜
本原先生の指示で二列に並んだ僕らは、一度体育棟へ繋がっている渡り廊下がある三階へと降りてから、そこをぞろぞろと通って移動している。時々止まったり、また少し動いたりを繰り返して、まるで波打ち際にいる気分だった。要するに、渋滞している。特に、体育棟の四階に繋がる階段と反対に、下へと降りる階段の場所が一番混雑した。
もっとスムーズにいかないものか・・・。
体育館の入口に近づくに連れ、列は徐々に一列に合流していく。この作業のスムーズさは、流石の高校生である。ここまで来ると、先頭を行く一組はシーンと静かになるが、後ろはまだまだ騒がしかった。何故そんなに話す話題があるのか、終始黙っている僕には不思議でしょうがない。
「新入生が、入場します。皆様、大きな拍手で迎えて下さい」
そんなことを思っている間に、ずっと前の方からマイクで拡声された声が聞こえてきたが、僕のいる辺りまでははっきりと聞こえなかった。すると、大勢の拍手と演奏が始まった。それを合図に川の流れが再開すると、後ろも次第に緊張し始めてたのか、シュンと静かになった。
入学式は問題なく進行し、四十分もしない内に終わった。新入生代表の言葉の"宮内 大成"君は堂々としていたし、校長先生の話もいつも通り短く簡潔で良かった。こんな話をしていたんだなと思い出しながら聞いていると、あっという間に入学式は終了した。
続いて始まったのは、在校生による校歌斉唱。どこから入ってきたのかは未だにわからないが、颯爽と現れた先輩達は勢いよく壇上に駆け上がり、男女分かれて固まった。そのガヤガヤの中に、後からゆっくりと向かってきた人がいた。その人はそのまま一段一段踏みしめて、僕らの目の前に聳え立つ指揮台に上がり右手を翳した。すると、騒々しかった壇上が静まり返り、それをを確認した指揮者は勢いよく手を振り出し、それに連なって四/四拍子の曲が始まった。
先輩達の歌う校歌は、元気良く、威勢良く、歌の上手さではなく歓迎の意を込めて。そんな感じがする合唱だった。そんな宴の歌だが、多分、僕以外はその予想だにしていなかった迫力に萎縮していただろうけど。事実、三年前の僕がそうだったように。
新入生退場のコールがあり、再び演奏が始まった。入場の時の曲とはまた別の曲に合わせて、六組から順に退場していき、演奏曲が恐らく二巡目に入った頃に僕らはパイプ椅子の席を立つ。出席番号が後ろの人から流れていき、僕もそれに乗って歩みを始めた。もうすぐ出口という所で、僕はビデオカメラをこちらに構えた父を見つけた。どうやら母は、優也の方に行ったようだ。
それにしてもお父さん、口元が緩んでいますよ。直して下さい。
その流れで教室に戻ると思いきや、そのまま僕らは外に連れ出された。
おかしいな、確か僕は一度教室に戻る組だったのに・・・。
集合写真を撮るために、僕らは校舎を背に準備されたひな壇に立たされる。僕の立ち位置は二段目のほぼ真ん中だった。これは前とは変わらない。
「はい、撮りますよー。いちにのさん、はい!」
そのフラッシュを合図に、僕の新たな、そして異質な高校生活が、本当に幕を開けた。
教室に戻った僕らは、本原先生から大量のプリントを配られてあたふたしていた。先生はプリントの仕分けが取り分け早いことで有名な人。それを僕はよく知っているので、周りを見ても対応出来ていたのは僕だけだった。
なんだろう、この妙な優越感は・・・。
配る物を配り終えた先生は明日の予定の説明を始めた。
明日については、今日と同じく九時登校で、上級生を含めた始業式がある。それが終わった後は部活のオリエンテーションが組まれている。体育館でそれぞれの部が説明をしていき、一通り終わった後は各自で気になる所に聞きに行ったり、向こうが勧誘合戦をしたりする。時々強引な所もあるので、ここは要注意だ。
「今日は初日だし、緊張で疲れた人もいると思う。まずは一週間、友達を作りつつ元気過ごしましょう。では、今日はこれで終わりにします」
そこで、先生は出席番号一番の"赤田 省吾"君に挨拶を頼んだ。一瞬"えっ?"という顔をしていたが、場の空気を理解して号令をかけた。
「気をつけ、礼!」
教室を出ると、物凄い人集りが出来ていた。何事かと思った僕は、すぐにこの現象の原因がわかった。というより思い出した。
これは第一次部活勧誘合戦の真っ最中なのだ。
大量に刷った簡単なチラシを手当たり次第に配りまくる。それが第一次部活勧誘合戦。ここで興味を惹かせておき、一晩考えさせて明日のオリエンテーションで引き込むのが狙い。だと僕は思っている。四階から一階までの階段に、ほぼ全校生徒が群がるので進めたもんじゃない。
僕は個人的に、この行事は嫌いだ。
一階に着くまでに十分以上を要した。手には押し付けられたチラシの山で一杯になっていた。ぐしゃぐしゃなものは綺麗に並べておきたい僕は、雑に重なった紙を律儀に向きまで直した。すると、同じ部活の紙が重複していることに気がついた。正直、紙の無駄である。これが、僕がこの行事を嫌う理由の一つでもあった。
流石に下駄箱近くまで来れば、人集りはなくなっていった。
ここまで混んでいたら靴が履き替えられない。僕にとっては迷惑でしかない。
そんな愚痴を心の内で零しつつ、先の細い靴に履き替えた。外に出ると、またもや人集りが出来ていた。しかし、今度はちゃんと道を作ってくれているので然程嫌でもない。要するに、僕は自分のことしか考えていない人に腹が立つのかもしれない。でも、この考え方自体が、もしかしたら自己中心的な思考なのではないのかと、少し考えてしまった。
時々差し出されるチラシは愛想よく受け取って、足速に人で出来たレールを抜けようかという時、声を掛けられた。
「よぉ、篠塚!」
声のした方を向くと、そこには部活ジャージの集団がいた。
「こいつが篠塚だよ」
「あぁ、そうなの?君、足速いんだってな?」
先に声を掛けてきたのが、中学の時の陸上部で先輩だった"中村 進平"、その後に続いて来たのが、次期部長の"真中 俊哉"。
「高校でも陸上部入るでしょ?」
「いや、あの…」
中村さんが言う。僕は三年前、ここではっきりと意思表示をしなかったせいで陸上部に引きずり込まれ、その後怪我をした挙句、最終的な自己記録は今より少ししか伸びない結果に終わっていた。陸上自体は好きだけれど、陸上部は嫌いになった。実はこの陸上部には、異常なぐらいの実力市場主義さがある。三年間、正確には二年と少しの間に、僕の記録が期待値を遥かに下回っていたことで仲間外れにされることがしばしばあった。それは、(勝手な)期待をされていながらも応えられなかった末路だった。それでも僕は、最後の最後には報われると信じて頑張った。しかし、その結果は嫌な思い出にしかならなかった。
この結果が次も待っているとは限らないけれど、やっぱり気が進まないのも確かだった。だから今度こそは言わないといけない。僕にはもう一つやってみようと思っていたことがあったのだから、折角のチャンスなのだから、今、ここで言うしかない!
「中村先輩、すみません。高校ではまた違う部活に入ってみたいと思っているので」
言ってやったぞ。はっきり言えたぞ。まるで僕じゃないみたいだ!
…、確かに今の僕は僕じゃないけれども…。
でもこれで、これからの高校三年間はやり直すに価するものになるはずだ。
「えっ、そんな…ちょっと…。入ってくれないと困るんだけど…」
その理由は、あなた以外の部員が僕のことを知っている時点で明白です。"絶対に陸部に入る人が一人いる"とでも周りに言っていたのだろう。この高校には、自分の部活に何人の新入生を入れれるか勝負のようなものがある。三年前の僕は、そういうのも含めてそれに気を利かせてしまった面がある。でも、もうそんなことは知るもんか。あなた達は、引きずり込むだけ引き込んでおいて、使えないと解かれば飽きたオモチャのように扱う人達だ。自分で勧誘した人にぐらい責任を持つようにしなさい。
「そんなことを言われても、高校では陸上以外のことをやってみたいと思ってるので。失礼します」
僕は心の中で半ば説教を垂れつつ、もう一度中村さんにそう言い放ってその場を立ち去った。その行動に後悔はなかったけれど、一抹の罪悪感がないわけでもないので、一度だけチラッと後ろを見た。会話の様子を横で見ていた真中さんが、中村さんに"気にするな"と言っているように見えた。
「優、こっちよ」
そのまま校門を出ようとしていた僕を引き止めたのは僕の母だった。わざわざ来てくれたようだ。
「写真撮るわよ。ほら、その看板の所に立って」
そういうことですか。わかりましたとも。お望み通り被写体になってあげますよ。
「はい、チーズ!」
僕は"第八十八回 入学式"と書かれた看板の横に立ち、手を後ろで組んでにっこり笑顔を作ってあげた。
あれ? 僕ってこんなにサービス精神に溢れていたってけ?
時刻は午前十一時五十四分になろうとしていた………




