僕は、女子になりました。
それから僕は、家の人に気づかれないように部屋に戻ったが、その部屋が妙に広いことにまた少し驚いた。増殖した空間は、本来は壁だった入って左側に位置していて、そこを覗けばまだ寝ている弟がいた。
何故部屋が一つになっている…。
そう心の中でツッコんだ。姉弟とはいえ多感な年頃。部屋が二人で一つとは何事か。確かに僕は、どうせなら部屋を二人で一つにすれば少しは賑やかだろうにとは思いました。けれどそれは、兄弟である場合の話であって、今のこの状況で実現すべきものではない。それに、僕は冷静になるために必要な、一人になれる空間も同時に奪われていることになる。
ある意味、試練だ。
ここに戻った理由としては、自分の姿をまず確認したいと思ったからだ。我が家に鏡があるのは、一階の洗面所とお風呂場、母が寝ている部屋にある化粧台の鏡の計三つ。当然下には行きづらいので、僕はスマホを使って確認をすることにした。
昨晩寝る前に弄った時は、机の上に置いて寝たのでそちらに目を向ける。綺麗に整頓された机の上のど真ん中、僕が置いた長方形の機械の箱はちゃんとそこにあった。その隣には、僕の物ではない、これを見なさいと言わんばかりの雰囲気を醸し出している水色の手帳のようなものが置かれていた。
そこでようやく、昨夜に見た夢を鮮明に思い出した。それはどんな参考書にも載っていない、僕の身に起きたこの不可解な現象に対する答えだった。
そんなことがあってたまるか。
やっぱりこれは夢なのだ。まだ夢の中なんだ。僕はまだ布団の中で寝ていて、これから本当の目覚めを迎えるんだ。
そう思うと、なんだか気が楽になり、僕は何事もなかったかのように、いつものようにスマホを手にして電源を入れると、画面上部の時刻は七時四分を表示した。
中学卒業後に買って貰ってから、三年間一度も変えなかったパスワードを入力すると、初期設定の泡の背景が現れる。その中に、僕が過去に落とした正方形のアプリ達は存在せず、最初からインストールされているものしかなかった。どうやら、これは三年前の僕のスマホのようだ。
僕はカメラアプリをタッチして起動する。その三秒後には目の前の机の面が映った。
さぁ、僕の姿を拝んでやろう。
何故か少し意気込んだ。僕は不思議なことに、躊躇なく右上にある反転ボタンをタッチした。画面がクルっと反転すると、そこには見知らぬ女の子がいた。
なんだ、意外と可愛いじゃないか。
率直にそう思った。だが、ここでの僕の可愛いというのは、まだ全く女の子に興味の湧かない、草食系男子の感覚でブスではないという意味だ。
そんな彼女の髪型は、首元までの真っ直ぐな黒髪のショートヘアで、目は二重だった。僕は元々奥二重だったが、今は末広になっている。しかし、これぐらいは気にしなければ何にも気にならない。髪の長さは元の僕をモデルにしているから短いのだろう。それにしても、僕にとってこの艶々サラサラの髪質は、気持ちの悪い違和感でしかなかった。
鼻の高さは元と変わらず、可もなく不可もなくで普通だったが、明るいピンクの口元には妙に色気を感じた。恐らく、僕に馴染みの無いものだから過敏に反応するのだろう。
きっと、そのうち慣れるはず。
割とシュッとしていた顔の輪郭は女性らしく少し丸みを帯ていて、見る角度を何度か変えてみたが、どこから見てもやっぱり見た目は女子だった。
そこから先は自分の目で見た。体型は元々痩せ型の僕をそのまま小さくした感じだった。一晩で隆起した二つの丘が少々邪魔だったが、無駄毛の処理された肌はスベスベしていて気持ちが良かった。
それと同時に、自分のようで自分でない感覚は気持ちが悪かった。
僕は消し忘れていたスマホの電源を切って机に置いた。それに続いて、すぐ隣に置かれた手帳に手を伸ばす。
その手帳は、表と裏の表紙には何も書かれていない空色で、僕はそれをパラパラと捲っていく。中身は普通の手帳とそこまで変わらなかった。三年分のカレンダーがあったり、メモをするための白紙のページがあったり、連絡先の欄があったり・・・。
そこに、一列に並んだ数字を見つけた。見たところ、どうやら誰かの電話番号のようだが、[誰の]の欄が空白だった。試しにとかけてみるのはちょっと怖いので、僕はそれをスルーした。
飛ばしていた最初のページに戻って、一から捲っていくことにした僕は、二ページ目にしてまたも驚愕した。そのページには[今回の経緯]と銘打たれていて、右のページには[今回の説明書き]と書かれていた。僕はそれを無言で読み進めていく。ここで僕は、さすがにもう現実を見ないといけないのかと思わされた。そして、さっきまでの冗談が洒落にならなくなり、頭が途端に重くなった。
[今回の経緯
出会いと別れと門出のこの季節。厳正な抽選によって選ばれましたあなたは、人生をやり直す権利を手にしました。
ということで。昨晩、勝手ながら夢の中でという形にて、意思を確認させて頂いたところ、同意が得られましたので、この度あなたは人生をやり直すことと相成りました。
今度は後悔しないように、頑張って下さい。]
この時、僕はどんな顔をしていたのだろう。自分でもわからない。もちろん、確認なんてしたいとは思わなかった。
それに、僕に起きているこの現象の説明としてはかなり少ないと感じていた。
あと、いつ僕から同意を取ったのでしょうか?
僕はただ、"昨日の考えは本心か"と聞かれただけです。"皆勤賞を逃したからやり直したいな"と思っただけです。確かに、"もし僕が女子だったらどんな人生だったんだろう"と考えたこともありましたが、まさかそっちのことだとは普通思いません。
もしかすると、"じゃあどっちもやってみますか?"みたいなノリだったのでしょうか・・・?
[今回の説明書き
・その一
他人に、あなたが人生をやり直していることを知られてはいけない。もちろん、やり直しの事実はあなた以外は誰も知らない。
・そのニ
物事の結果などの、自分の知っている知識を使ってはいけない。
・その三
今回は性転換をしている珍しいケースです。あなた以外は、あなたのことを[生まれながらの女性]として認識しています。
・その四
三年後、あなたの卒業式の前日、男性に戻って再び元の人生を歩むか、そのまま女性として人生を歩むか選択してもらいます。
なお、女性としての人生を選択した場合、元々男性であったことは忘れてもらいます。
・その五
それまでの間に、男性との関係を持った場合、女性の人生を選んだと見なします。
・その六
この手帳の後ろについている連絡先にある電話番号には、三回だけかけられます。本当に困った時に使って下さい。
では、健闘を祈ります。]
こちらの内容はそれなりに真面目に書かれているなと[その四]までは思っていた。
だが、問題は[その五]だ。
これが成立する時は、僕はもう男として終わっている気がします。
有り得ないです。
ふざけないで下さい。
僕の頭には色々とツッコむ台詞が浮かんできた。
[その六]では電話番号のことが書いてあった。一体誰にかかるのだろう。興味が出てきた。本当に困っている時にかけてと書いてあったが、僕は今、わけがわからなすぎて本当に困っている。ならかけても良いだろうと思った僕は、連絡先のページを開こうとした。
「姉ちゃん何してんの?」
「ひゃ!」
その時、僕の喉から甲高い声が漏れた。背後から飛んできた声は、聞き慣れた僕の弟、"篠塚 優也"の声だった。
僕は突然起床してきた優也と、初めて聞いた自分の声の高さに驚いた。
「なんだよ、声かけただけじゃん」
「え、だって…」
優也、君は今、僕のことを…、
「いきなり"姉ちゃん"って言うから…」
いつもは僕のことを"兄ちゃん"と呼んでいたのに、"姉ちゃん"と呼ばれた日には驚きます。というより、少し引きます。
「何言ってんの? 寝ぼけてんでしょ?」
寝ぼけている。僕もそう思いたい。ぼーっとしていた僕に対して優也は"顔洗ってくれば?"と一言言って部屋を出て行った。
あー、びっくりした。
僕は女子になって小心者になったのだろうか。それとも今の状況を何かやましく思っているのだろうか。
とにかく、皆が起き出したので電話は今度にすることにした。
僕は手帳に書かれていたことを信じて(優也が僕を"姉ちゃん"と呼んだ時点で確定的だが)、父と母がいる一階に向かった。
お腹が空いた。
階段を降り切った僕は、昨日三人でテレビを見たリビングに入る。この時、僕はもちろん少し躊躇した。中ではガチャガチャと炊事をしている音がしていたので、中には当然母がいることになる。ここで入った途端に"あなた誰!?"とでも言われてしまったら、僕はどうしようも出来ない。もしそうなったらどう説明すればいい。誰か教えて下さい。
「優、おはよう」
母はいつもと変わらず、エプロン姿でキッチンにいた。僕はそんな母の姿に安堵しながら、まだ聞き慣れない声で"おはよう"と噛みしめて言った。
「珍しく早いな」
この威厳のある声は、まだ寝巻き姿の僕の父。時計を見ればもうあれから二十分も経っている。いつもなら、この時間帯には出勤しているはずの父だが、何故今朝はまだいるのだろう?
「お父さん当たり前でしょう? 今日は自分の入学式なんだから。ねぇ?」
入学式? さて何のことでしょう?
それが僕の感想だ。今日は卒業式だよ。間違えないで下さい。皆勤賞を逃したとはいえ、折角精勤賞を取ったのにまた一からやり直しなさいというのは、朝が苦手な僕にとっては酷な話です。
「そうだったな」
あなたも何を言っているのですか?
父は母と口を揃えて少し笑った。とりあえず僕は"そうだね"と相槌を打っておき、カレンダーを確認した。
四月七日(第一月曜日)
本当でした。
そういえば、僕は何故か女子として高校三年間をやり直すことになっていた。今朝からイベントづくしで、一つ何か起きると一個前のことが心太方式で全部抜けるような感覚で忘れていた。
それにしても、こんな突拍子もない設定で、何の猶予もなく入学式の日からどうぞっていうのは、初めてやるゲームを説明書もチュートリアルもない状態で始めるのと何ら変わりない。ゲームとは違って人生はやり直しが効かないのに。
あっ、僕は今からその人生(と言っても高校三年間)をやり直すのか…。
まもなくして、着替えを終えた優也も降りてきた。その姿は初々しくて、体よりも少し余分に大きい黒い学ラン姿だった。そうか、僕が今日から高校生ということは、同時に優也も中学生になるのか。
「お母さん、やっぱり大き過ぎるよ」
優也は自分の手の指の付け根まである袖を見せて文句を言った。
「大丈夫、優の時もお母さんの予測通りピッタリになったんだから」
母は自信たっぷりに答える。
「男と女で一緒にするなよ」
うっ…。
何かが僕の膨よかになった胸を突き刺した。
「優也はまだ全然伸びてないんだからグンと伸びます」
そっ、そうだぞ弟よ…。君は三年もしないうちにその制服が似合うようになるんだぞ。前回と変わらなければ、まだ百四十センチしかない君の身長は、卒業までに百七十センチに迫るから。
そうなると、僕は身長を抜かされてしまうのか・・・。
「伸びなくてずっとカッコ悪かったら怒るからな」
「大丈夫。沢山牛乳を飲ませてあげるから」
優也は呆れたのか、それとも言い返す言葉が特になかったのかはわからないが、それで引き下がっていった。母の口は強かった。
「それよりも、優は大丈夫なの? 高校は中学よりも遠いのよ?」
思い出したように、母は僕に時間の確認を急かした。時刻は七時四十分。確かに、これからご飯を食べて着替えたら八時は過ぎる。確か初日の今日は、自転車で登校出来ないのでバス登校をしていたはずだ。あれは何時発だったかな・・・。
ん? 着替え…?
その時、僕は顔を青く染めた………
行間の空け方とかが定まっていないのですが、どういうのがいいのでしょうか?