第七話 悪神の契約者
そこはまるで別の次元に迷い込んでしまったかのような現状であった。
密集した木の幹が通路を完全に塞ぎ、根や蔓が壁に這って行く。
もはやここを警察署と呼んでいいものかどうかも解らないが、その中をカエデはイースーチーの先導に付いていく。
「これだけの大事にして、人死には出していないのか?」
「大丈夫ヨ、ちゃんとそうならないようにこの結界を選んでるからネ」
「……それならいいが」
『結界魔術・緑一色』によって、この警察署の運営に大打撃を与えてしまっているだろうが、命まで奪わなければカエデにとっては許容範囲。
魔術師というものはいつの時代もはた迷惑なものでそれが当たり前、だからこそメルセデスのような捜査官も必要なのだろう。
通路を塞ぐ木の幹は、イースーチーが近づくと避けるように曲がりくねっていく。
進んだ先にあるのは階段、そして進む先は上が選択される。
「どうして上に行くんだ?」
「コノ警察署は屋上にヘリポートがあるんだヨ。年寄りに階段は辛いけど、遠くまで走るのはもっと辛いからネ」
「ヘリまで用意したのかよ……」
「キミはソレだけスリーシックスに大事にされてるって事だヨ」
脱出の準備は十分な様子、まるでずっと前から準備していたかのような手際の良さ。
それこそが方法にコネを持っているスリーシックスという男の凄い所で、恐ろしいと判断できるところでもある。
「スリーシックスには逆らわない方がいいヨ」
「……いきなりなんだ? 別にそんな事は考えた事も無いぜ」
「今まで考えてなくても、コレカラ考える事もあるかもしれない、今のはその時の為の忠告ダヨ」
「どういう意味だ?」
「意味は無いネ、でも意義は考えたらイイ。年寄りの言葉は聞くもんだというのが、古今東西を問わず伝わる教えダカラ」
イースーチーが何気なく言ったその言葉、何か裏があるのか様子を窺うカエデだが、それ以上は何も言葉は無かった。
そして黙々と階段を上り、屋上に辿りつく。
イースーチーは自身を年寄りと称したが、階段を上る足取りははっきりしていて、むしろ上りきった時にはカエデだけが息を切らしていた。
二日ほど太陽を浴びていなかったカエデの眼に日差しが刺さり、回りだしたヘリのプロペラの音が耳に響き出す。
「どうかしたのかい?」
「いや……少し目が眩んだだけだ」
カエデの足が自然と止まったのはそのせい。
本人が言うのだから間違いはない。
(今まで通りでいい。俺にはそれしかない)
けれども彼の心にさした一縷の決心は、同時に迷いの現れでもあったのだ。
ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ
その一縷の迷いが呼んだのか、カエデが足を踏み入れた警察署の屋上全体が、大きく揺れて地鳴りのような音が響く。
そして彼女は現れる。
「ちょっと待ちなさい!!」
「――!?」
コンクリートを突き破り、下の階からカエデの眼の前に現れたのはメルセデス・アッカーソン。
ところどころほつれたスーツと、ボサボサに乱れた髪も構わず、彼女は立ちはだかった。
その両手には大きめの円錐螺旋状の突起物……有り体に言えばドリルが装備され、それも合わせて異様な風体である。
「ほーほー、この緑一色の結界から逃れてくるとハ、流石の神器使いなのかネ」
呑気そうに感嘆しているイースーチーだが、少しだけ雰囲気や気配が鋭く変わったのをカエデは察した。
自信を持っている術式が破られた事で、それがプライドに障ったらしい。
だがメルセデスはイースーチーには目もくれず、カエデだけをじっと見つめる。
「何か用か? メルセデス」
「……へー、そういう時だけ名前で呼んでくれちゃうか。カエデって性格悪いんだね」
口元は笑っているが、目は笑っていない、確実にメルセデスは怒っている。
「あんたからの提案は呑めない。俺は今まで通りで行く」
「そしてそういう時だけ決断早いんだ。へー」
「……何だよ」
「結構無理して引き留めに来たのに、少しは考えてくれてもいいんじゃないって話よ!」
メルセデスは右手をカエデに向かって付き出しながら言い放つ。
その手に装着されていたドリルは姿を変え、銃となって銃口がカエデに向けられた。
「充分考えて出た結果だ」
「自分で出した結果じゃないでしょ! カエデは本気で迷ってた、そう見えたから私は待っていた……私の最初の仲間になってくれるかもって思ったのに」
「勝手な幻想を押し付けるな、俺は誰とも組まん。これからもずっと一人で生きていく」
「……嘘よ、この事態を引き起こしたのは誰? そこに居る魔術師と、他にも関わっている者が居るんでしょ? これからも誰かを巻き込んでいくのなら、どうせ巻き込むなら、それを私にすればいいじゃない!」
説得するには論理がバラバラ、ほとんど感情のまま喋っている、そんな印象の今のメルセデス。
よほどカエデを引き留めたいのか、彼女は譲る気を微塵も見せない。
「……あんたじゃ俺と組むのは無理だ」
「どうして? 何が不満なの?」
「あんたじゃ俺を止められない、それが解った……本当に、今解ってしまった事だけどな」
「は?」
カエデが組んでもいいと思える相手。
それは単純な利害よりもまず、カエデに対して感情を持たず、カエデが暴走した時にそれを止められるくらい強い相手。
「あんたはその条件を確実には満たしてない」
「どういう事よ、何が言いたいの?」
「今その証拠を見せてやるよ……なあ、メルセデス・アッカーソン」
「――!?」
カエデとメルセデスは目があった。
それはメルセデスにとっては信じられない事で、ありえない事。
何故ならば、そこに居る自分はカエデには見えない筈であったから。
「神器ウルスラグナの『風』の力……それは文字通り、大気を操る。その力の一端に光の屈折を操って、蜃気楼のような幻影を見せる事ができるというものがある。俺が最初にあんたに出会った時、まるで高速移動したように見えたのも、アンラの翼が全くかすりもしなかったのも、それを活用した単純なトリックだ」
「――どうして貴方がそれを!?」
神器の力の正体。
それは重大な秘匿事項であると共に、そもそも所持者のメルセデスは今まで誰にも話したことが無い。
だからカエデの口からそれが語られて驚くのは、至極当然の事であった。
「銃の形態をとっているのは、攻撃の際の真空弾を撃ち出すイメージが捜査官であるあんたにとって一番しっくりくるから。神器ウルスラグナの化身は『風』の他に、『白馬』『鴉』『猪』『駱駝』など全部で十の形態が存在するが、全てがあんたの扱いやすいイメージに集約される」
魔除けの力のある『鴉』は髪留め、術式すら突き破り突き進む『猪』はドリル。
身の回りの物、現代の利器、そういったメルセデスのイメージが、化身した神器に固定観念として影響を与えている。
「そんなことまで、どうして……」
「どうしてって、あんたは見せすぎなんだよ。この眼がただの節穴じゃないって知ってたんだろ?」
「――!?」
カエデの右目は『業視の魔眼』。
その眼に映るのは本質。姿形に囚われず、輪廻因果に至るまで見定めることすらできる。
それは万物を欺く神の御業すら、その範疇であった。
「あんたは妙な力に守られてるみたいだが、神器とやらはまた別な扱いみたいだな。この眼でもう充分に見破らせてもらった」
アンラ・マンユと同格のスプンタ・マンユに契約によって守られるメルセデスは、業視の魔眼の影響を受けない。
だが神格が低いウルスラグナはその限りでは無かったのだ。
<小僧はこれでも逸材じゃからな、我の与えた眼をしっかりと使いこなしておる。この悪神と契約せし者を、ただのチンピラと侮るなかれ>
ここぞとばかりに役立たずなトカゲが、カエデの胸ポケットから顔を出して勝ち誇っていた。
それはメルセデスに対してではなく、宿敵であるスプンタ・マンユに対してのもの。
その辺の神同士の因縁や縄張り争いをどうでもいいと尻目に、カエデはメルセデスの望みを刈り取る為に宣言する。
「神器というあんたの切り札はもうない。だからもう、絶対に俺を止める事が出来ない」
「そんな……」
「これが事実だ」
「……いや、まだよ!!」
項垂れかけたメルセデスだが、すぐに我を取り戻し、ウルスラグナの銃口をカエデに向け直す。
まだ止められないと決まったわけではない。
見破られたからといって、通じないというわけではないのだから。
「……試してみるか?」
「――ッ!!」
挑戦的なカエデの言葉に、メルセデスは躊躇いなく引き金を引いた。
極限まで空気を圧縮して放たれる空砲は、鋭く貫くべく一直線にカエデに向かう。
「見えてる」
しかし、命中しない。
狙いは確かであり、カエデも音速を超えるスピードで迫る弾を、見切って避けられるほど人間離れはしていないはずだった。
だが何回撃とうとも、どこを狙おうとも、全てカエデの脇を通り過ぎていく。
「……どうして」
「神器は使い手の意に反するような真似はしないらしいな、だからこそ付け入る隙になる」
ウルスラグナの空砲が及ぶのは銃口の直線状のみ、それはメルセデスが銃というものに持っている固定観念がそうさせている。
撃った弾が自由自在に曲がるようなイメージを彼女が持っていない以上、神器はそれ以上の力を発揮しない。
その理解もカエデが業視の魔眼によって読み取ったもの。
カエデは今、神器を通してメルセデスという人物の癖や考えまでを、見破りだすまでに至っていた。
「撃つまでの呼吸、狙う部位の順、引き金を引くタイミング、全てその銃が教えてくれる。俺はそれに沿って動けばいいだけ」
言いながらカエデはメルセデスに近づいていく。
また数発撃たれるが、やはり命中することは無い。
メルセデスが撃つ直前に銃口から体を避けるだけで、カエデは傷を負う事は無いのだ。
「本当に……止められないの」
「諦めろ、そしてもう俺に関わるな」
そう言ってカエデは銃を握るメルセデスの腕を掴み、足を払って組み敷く。
決して凡庸ではない体術も、彼がくぐってきた修羅場が全て、アンラの力で乗り越えてきたわけではない事を物語っていた。
「う!?」
「変に動かない方が痛みは少なくて済むぞ」
カエデはメルセデスの両肩の関節を外して、転がったウルスラグナを遠くに蹴り飛ばす。
「爺さん、頼む」
「あ、アイヤー」
ずっと見ていたイースーチーをカエデが呼ぶと、その意を汲んだのか、妙な掛け声と共にメルセデスが結界術式に包まれていった。
「……カエデ」
「……」
彼女に名を呼ばれても、カエデは何も返答しない。
責められるような視線を向けられても、カエデは目を合わさない。
もう会う事も無い、関係ない相手。
そのくくりにメルセデスを押し込んで、カエデの心は一時離れかけた元居た場所に引き返したのだった。
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カエデが迎えに来ていたヘリに乗り込むと、操縦席に座っていたパイロットスーツ姿のオールバックの老人が出迎えた。
「これはどうもカエデさん、お勤めご苦労さまです」
「嫌味かよ、つーかあんたが操縦するのか? スリーシックス」
操縦席にいるのはスリーシックス。
彼が出向いてくるとは思って無かったカエデは、愚問と知りつつも問いかけずにはいられなかった。
「ははは、イースーチーは無理ですから、もちろん操縦するするのは私です。あ、それともカエデさんが操縦してみたいですか?」
「いや遠慮する」
スリーシックスの無茶な提案には速攻で断りを入れ、座席に着くカエデ。
後から乗り込んでいたイースーチーも、カエデよりも早くさっさと座席に座っていた。
そしてヘリのプロペラが回る速度が速くなり、徐々に浮かび上がっていく。
「それにしても貴方らしくないやり方でしたね」
「……何の話だ?」
操縦しながら言ってきたスリーシックスに、カエデは何の事を言われたのか解っていながらもとぼけてみせた。
「あの女性……メルセデス・アッカーソンに対してですよ。操縦席から見てましたが、カエデさんならもう少しスマートに躱せたのでは?」
「……何であんたがあの女の名前を知ってるのかは置いておくとして、スマート? は? もうちょっと解りやすい表現でどうぞ」
「カエデさん」
しらを切り倒すつもりのカエデだったが、背中越しのスリーシックスから妙な迫力を感じて、それが無理だとすぐに実感する。
知りたい事にはとことん頑固で、不可思議を許さないのがスリーシックスという人物の持っている特徴であった。
「解ったよ、喋ればいいんだろ……俺があんなやり方を選んだのは、あの女が本気ヤバイ奴だと思ったから、俺も本気で縁を切っとかねえと駄目だと思っただけだ」
「ヤバイ、というのはどういう意味です?」
「……勘だよ、何となく。アイツがドリルで結界を突き破って俺の前に現れた時、ちょっと惚れそうになった。まー、つまりそういう事」
「……」
「黙るな! 恥ずかしいだろが!」
こういう時無言で返されるのが一番くるものがあると、カエデは思い知った。
隣で含み笑いをしているイースーチーの方が、まだマシである。
「いえ、失礼、妙に納得してしまいまして。なるほど……それであのような無茶をして突き放したのですね。最低でも彼女にはカエデさんに対しての遺恨が残るようにするために」
「……まあな」
更に冷静に分析された事で、恥ずかしさも倍増された気分のカエデだったが、そこはもうそれ以上の余計な事は言わないようにする。
「それにしても、うまくペテンに乗せたものです。神器を見破ったのは確かなのでしょうが、彼女が冷静な状態で本気であれば、勝率は三割といったところでしょうに……まあ、カエデさんへの執着それ自体が、彼女に冷静さと本気を欠かせていたわけですから、あの結果は必然だったとも言えますが」
「……俺が絶対と言った以上、それを曲げる気は無い。あの女はどうあっても俺を止められなかった。こうしてその事実が残った以上は、神にだって文句は言わせないさ」
「なるほど、嘘を吐けないというのも難しい話ですね」
頷きながら納得したスリーシックスは、それ以降はヘリの操縦に集中する。
カエデは少しの間ぼうっと外の景色を眺めていたが、そういえば行先を聞いていなかった事に気が付き、スリーシックスに問いかけた。
「ああこれからどこに向かうか言ってませんでしたね、黄金の夜明け団の拠点の一つに向かっています。国連警察機構に目をつけられた以上、カタナさんには少しの間だけ活動を自粛してもらおうかと思いまして」
「……自粛か、確かにそれがいいかもな」
またカエデを追ってくる誰かに、居所を嗅ぎつけられるような事態にはなりたくない。
暫くほとぼりが冷めるのを待つというのは、今は妥当な選択であった。
「何か不服そうですね?」
「そんな事ねえよ」
何を不服に思う事があるだろうか。
言うなれば自業自得、因果応報。悪神の契約者として生きるからには、相応の報いを受けて然るべき。
差しのべられた手を跳ね除けていく生き方を、自ら進んで選ぶべきなのだ。
(でも、今は少しだけ後悔でもしとこうか)
そうして未来に何も希望を持たない男は、しばしのあいだ思考の堂々巡りに身を投じたのだった。