第二十三話 紅葉
時速300キロを超えて走行しつつも静音を保ち、風の抵抗もほとんど感じられないウルスラグナのバイク形態。
カエデ・ツツミはその神器を運転するメルセデス・アッカーソンの後ろで、彼女につかまりながら疑問を口にする。
「……あの男、なんだったと思う?」
「解らないわ、普通の人間じゃないというのは解ったけど……あんなSF染みたもの現実で見たのは初めてよ」
職業柄オカルトには造詣が深いメルセデスだが、先ほどのルーデルのような機械でできたモノの事は専門外と言う。
だがメルセデスはバックミラーをちらりと見て言い直す。
「……でも、あれに魔術的な力が関与しているというのは推測できるわ」
「どういう事だ?」
「神器ウルスラグナの『風』の力は、地球上にある個体・流体なら必ず貫くことができる。これは綿密な実験に基づく確かなものだと理論上証明されているの」
「なるほど、アイツはそれに撃たれたはずなのにほぼ無傷だった……つまりアイツの体は魔術的な処置によって守られてるか、もしくは魔術で作られたものだとあんたは考えるわけだ」
「ええ、そういう事……彼が宇宙の技術で作られたモノでなければね」
ルーデルと名乗ったあの男――あるいはロボットやサイボーグなどと呼ぶべきかもしれない存在を、メルセデスは彼女なりに分析する。
「ああいうものを作り出しそうな魔術体系として挙げるなら、『混沌魔術』が濃厚かしら……魔術師には科学を毛嫌いしたりライバル視したりする者が多いというけど、混沌魔術師はその点で自由かつ節操がないから」
混沌魔術とは、思想や信念に縛られず他の分野の体系や思想を魔術と組み合わせ、自由な発想で未知の魔術をつくりだすもの。
SF、科学理論、宗教や哲学を魔術と融合させる素材にしたり、時には芸術の分野にいるものが自らの世界観を素材にすることもある。
「時には思想すら必要とせず、だからこそ私たちの想像を超えるものを生み出す事がある……私としては、混沌魔術は一番関わりたくない存在ね」
「想像を超える、か……」
確かに想像は超えていた。
丈夫な機械の体もそうだが、何よりカエデの下半身とその後ろの道路を広範囲で吹き飛ばしたあの現象。
メルセデスにはしっかり見えていなかったようだが、カエデはあの瞬間を確かに見ている。
「……ビーム」
「え、ビーム?」
「そうだ、笑うかもしれないがアイツが撃ったのはビームとしか俺には言いようがない。電光のようなものが見え、そんな感じの塊が俺の下半身を消し飛ばした」
「そう……ビームね、言い方はなんにせよ起こった現象の結果を思えば笑えないわ」
カエデの言うビームは、科学的な言い方に変えれば荷電粒子砲などと呼ばれる。
原理的には現代技術でも実現可能だが、地球上で使うには問題が多すぎる為に実用化は困難なもの。
だが魔術が絡んでしまえば、そんな常識は考えるだけ無駄という事が、裏の世界を生きてきたカエデとメルセデスの結論。
「それで、カエデは本当に何も知らないの?」
「俺は嘘を言わない。あんなのは神に誓って知らない」
カエデの口から出る神という言葉の皮肉にメルセデスは苦笑するが、とりあえず疑うことなく話を進める。
「じゃあ、今重要なのはルーデルと名乗ったアレの戦力と正体を見極める事か……解ってるのは丈夫な機械の体と、ビームみたいな指向エネルギー兵器を持っているという事、そしてカエデと戦いたがっている事」
「……それと俺が悪神の契約者だって事も知っていた」
「そこも妙なところよね。どこで知られて、カエデを狙う目的と関係があるのか、という点も重要なところだわ」
「どこで知られたか、か……」
カエデは一瞬だけ黄金の夜明け団の面々が脳裏によぎるが、自分がメルセデスに触れている事を思い出し、あわててその考えを振り払う。
「大丈夫よ、今は貴方の考えを読もうとはしてないし、私が手で触ってないとできないから」
「……読んでんじゃねえか」
「顔を見れば解るわよ。心を読まれたくないっていう、打ち明けた相手のそういう変化は、経験上いっぱい見てきたし」
「……そうか」
「そんな悪い事したみたいな顔しないで、別に気にしないから。それより今はこれからどうするか考えましょう」
メルセデスは気にした様子もなく、バイク形態のウルスラグナのハンドルを握っていた手を片方離し、自分のポケットから携帯電話を取り出した。
「……ボスに連絡しようかと思ったけど、駄目ね。カエデの言うビームの影響なのかケータイ壊れてしまってるわ」
「今はどこに向かって走ってるんだ?」
「どこにも向かっていないわよ。都市部に向かわないように州間高速道路を適当に走ってるだけ」
追跡の危険が避けられたら、上司に連絡して対策を練るつもりだったメルセデス。
ルーデルが何者かはもとより、カエデという爆弾を抱えた状況であるというのも、彼女の頭を悩ませる要因だった。
「お店が見えたら電話を借りてみましょう、これだけ離れればまだしばらくは安全だと思うし」
「いや……どうやら、そんな余裕はないらしいぞ」
「え?」
カエデの言葉にメルセデスはバックミラーを確認する。
だがそこには後ろの道路が続いているだけで何も映っていない。
だがカエデの方は、何かを警戒する緊張した気配を高めていた。
「どうしたのカエデ?」
「……上だよ」
カエデが気づいたもの、それはバックミラーがうつせない空の上にあった。
足や腰などから露出させたノズルから、大気を震わせるロケット噴射を発して高速で向かってくる、人型の飛行物体。
「丈夫な機械の体に、ビームが撃てて空も飛べる……マジで馬鹿馬鹿しいとしか言いようがねえな」
まるで幼き日に見たテレビの中を見直す思いで、カエデは空を見上げる。
そこには機能を存分に発揮しはじめたルーデルの姿があった。
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時速300キロを超す高速で地上を走行するウルスラグナを、それ以上の速さのロケット推進で空から追うルーデル。
人型のモノが内臓動力で空を飛び続けるその光景、そういった科学に詳しくないメルセデスでも、それが如何ほどあり得ない光景かは考えなくても解る。
「……空の魔王とはよく言ったものね。ルーデルと名乗ったのには、言霊の力を借りる意味もあるのかしら」
愚痴るように呟くメルセデス、
後ろのカエデは、距離を詰めていくルーデルを凝視して目を離さない。
「――くる!!」
カエデは異変にいち早く察知する。
ルーデルは右手をつき出し、その内部では動力による粒子の蓄積と霊子の融合という魔術式が発現、段階的に収束されていき、やがて指向性のエネルギー兵器が生まれる。
業視の魔眼がない今のカエデにルーデルの全てを理解する力はないが、狙われている殺気を感じとってメルセデスに伝えた。
だが発射に気づいたところでもう遅い。
粒子加速器と魔術式の融合によって打ち出されるエネルギー兵器の射出速度は亜光速。
大気による減退や減速があっても、およそ人間の目に追える速度ではない。
電磁誘導による狙いも精確に、走るウルスラグナを捉える。
「大丈夫よカエデ、私とウルスラグナを信じて……」
メルセデスはあえて回避は考えず、前方だけ注視をしていた。
ルーデルの射撃が如何に正確なものでも、彼女はそれが当たらないと信じていたから。
ウルスラグナの神器としての力――バイクの形態となった白馬の化身がもたらすものは、ただ速く走るための足だけではない。
神の知覚領域による自動回避。
メルセデスが信じるものはそれだった。
力場のようなものに引き寄せられる感覚と、半径数十メートルほど道路が消し飛んだ光景が後ろを通り過ぎる。
「……本当に躱しやがった」
「ほっとしてる暇もないわカエデ。アレに追い付かれたらおしまい、都市部は避けて走らなければならない、応援を望むのも難しい……問題は山積みよ」
どうやらエネルギー兵器の連射はできない様子で、ルーデルが次弾を撃ってくる気配はなかったが、その分ロケットの加速が増して距離を詰める速さが上がっている。
「何か策はあるか?」
「……今のところ無いわ。これ以上スピードを上げるのは、私の目と周囲の環境が耐えられなくなる。逃げ延びるのも難しいわね」
すでに出来る事のキャパシティを超え始めたメルセデス。
カエデ・ツツミと関わる者は、まるで悪神の呪いが一緒に降りかかるように、困難な場面に遭遇するのかもしれなかった。
「……そうか、じゃあやるだけやってみるか」
「え?」
カエデは足先まで再生を終えた自分の体を確認しながら呟く。
その言葉に最悪の事態を想定したメルセデスは、当然ながら抑止をかける。
「駄目よ、悪神の力は絶対に使わないで! それだけは何があっても許さないわ!」
「ああ、使わねえよ。だけど、戦わずに済ませて貰えるほど甘い相手じゃない」
どんな時も決断を待たせては貰えない環境で、カエデは生きてきた。
一歩遅れれば大切なものを失う状況や、最悪の事態になる状況。
その中から選んだ結果、彼が後悔を続けてきたのは、それは彼が今まで一人だったから。
「今日は少しだけ荷が軽い……失敗しても後始末を頼める奴がいる」
「……カエデ、何を」
「大丈夫だ、悪神の力はもう使わない」
言いながら、カエデはハンドルを握るメルセデスの手に触れる。
彼女に自分の心を読ませる為、伝わるかは定かではなかったが、カエデなりの誠意の示し方だった。
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ウルスラグナのバックミラーにはルーデルの姿が映る。
速度を上げながらミラーに映る程の低空を飛び始めたのは、カエデを直接捕まえる為だろう。
ウルスラグナの自動回避はあくまで所持者のメルセデスを基準にしか働かず、後ろに乗っているカエデはその保障がない。
追い付かれれば終わり、そうメルセデスが言ったのはその為である。
「くらえ」
だからカエデは減速させたウルスラグナを自ら飛び下りる。
そのまま差し迫っていたルーデルの顔に、体重の乗った蹴りをいれ、その反動で道路に着地した。
「ぬお……」
カエデの行動に予想していなかったルーデルは、ロケットの推進の方向を蹴りで変えられた事により、長い距離の地面を転がっていく。
それでも機械部分の損傷は全くなく、着ていた軍服が破け人工皮膚が剥がれた程度。
「流石ロボット、やっぱり固いな。だが、想像通り軽い」
「貴官……やってくれたな。尻をとった相手にしてやられたのは、大戦の時ですら一度もなかったというのに」
立ち上がったルーデルと相対するカエデ。
その直後、カエデの影より、一匹のトカゲが這い出してくる。
呼んでないのに出てくるのは、その時を待ちかねていたからだろう。
アンラ・マンユはそのままカエデの耳元に這い登ってきた。
<……本当に我の力に頼らぬ気か>
カエデは頭に響くその言葉に頷く。
「黙って見てろクソトカゲ」
カエデの口から出たのは決別の言葉。
悪神を憎みながらも、その力に頼って生きてきた自分へ向けた確かな言葉。
そして今の自分が紡ぐべき意志を言葉にする。
「――神に逢うては神を殺し、仏に逢うては仏を殺す」
カエデが唱えるのは、禅の言葉を自らの言葉に変えて引用したもの。
ミサ・クリスノが意志の力を高める事に讃美歌を用いるように、かつてカエデは黄金の夜明け団でスリーシックスに学んだものを思い出していた。
自分の意志を信じ、自分の意志を力にする魔術というものを発現させるために。
「――悪に逢うては悪を殺し、親に逢うては親をも殺し――初めて解脱を得ん」
心のどこかでアンラに頼っていた以前のカエデが、一度も至る事が出来なかった境地。
自分の力で成し遂げる為に、自分の意志を信じる事。
――その思いが魔力と重なり発露し、カエデの手に一本の刀を生み出す。
黄金の夜明け団が定める魔術の階位では、魔術の初歩の初歩である第一階位――具象と呼ばれる段階。
術者の意志そのままが生み出されたものであり、それは武器であったり炎などの自然現象であったりと術者によって様々なもの。
竜言語魔術と比べればちっぽけな力だが、自分自身の力を手にできた事への僅かな喜びがカエデの中にはあった。
「……俺も少しはマシになったか。まあ、追い詰められてポン刀振り回すなんてヤクザ根性が抜けてない証拠かもしれねえがな」
自嘲した笑いを浮かべながら、カエデは自分の生み出した打刀を構える。
その刀身は紅く染まっており、それは血の赤さとは違う、楓の葉が色づいた紅葉のような色。
それはまるでカエデの心の変化が形となって示しているかのようだった。




