第二十二話 駆ける白馬
第二次世界大戦の時代、列強を相手に戦ったドイツ軍には多くの英雄が生まれた。
その中でひときわ輝く戦果と、ひときわ壮絶な逸話を持つのがハンス・ウルリッヒ・ルーデルという男。
ドイツ空軍の軍人であった彼は、急降下爆撃機を駆り、公式記録で航空機9機に戦車500以上、車両800以上を撃破したという大記録を残し。
戦場に留まるために部下に自分の戦果を譲り、自分の方は過小な評価を報告し、果てには書類を偽造して出撃するなど、記録だけでは測りきれないものがルーデルという男にはあった。
そして当時のドイツの支配者であったアドルフ・ヒトラーより、軍人最高位の勲章をただ一人授けられたルーデルは、畏怖や尊敬を込めてこう呼ばれる。
――『空の魔王』と。
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「英雄の風」
メルセデス・アッカーソンはルーデルと名乗った男に対して、拳銃を構えた。
それは神器ウルスラグナの化身の一つである『風』の姿であり、形状がメルセデスの意識に対応したもの。
「ルーデルと言ったわね、貴方の望みは何? カエデ・ツツミに何の用があるの?」
「……」
メルセデスの問いかけに、ルーデルは答えない。
彼の視線は、メルセデスの隣にいるカエデに対して向かったままだ。
「貴方には護送車の破壊と運転手の殺人、そして私達への殺人未遂の疑いがあるわ。応対如何によっては、私は貴方をこの場で処断する権利がある……もう一度だけ聞くわ、貴方の望みは何?」
メルセデスは引き金をすぐに引く覚悟をもって通告する。
危険な存在を目の当たりにし、そして同じく危険な存在の身柄を預かっているからこその二重の緊張、それが彼女を冷徹な捜査官として徹底させる。
「……戦争だ」
メルセデスの問いかけに対しての返答かは怪しいが、カエデに視線を向けたままルーデルはそう言った。
「戦争?」
「そう、自分は戦争をしにここに来た、悪神の契約者カエデ・ツツミと一対一でな。女は邪魔だ、死にたくなければ退いている事をすすめる」
「どういう事よ……」
メルセデスは銃を構えたまま、隣のカエデに視線を向ける。
だが彼も困惑した表情で眉をひそめており、明確な応えは期待できそうもない。
「……俺は戦わない。どこで俺の事を聞いたのか知らないが、そういう用事は受け付けてないぞ」
「自分は戦争をしにここに来た」
カエデの言葉に対しても同様に、ルーデルはどこか抑揚の感じられない声で、同じ言葉を返す。
人間を相手にしているのではないような不気味さがルーデルにあり、それがメルセデスの緊張を更に高める。
「質問にだけ答えてルーデル。貴方はどうしてカエデの事を知ってるの?」
「答える事は出来ない」
「……じゃあ、どうしてカエデと戦いたいの?」
「答える事は出来ない」
「はあ……ついでに聞くけどその腕章は何? どうしてハーケンクロイツを身に着けているの?」
「答える事は出来ない。提示できる情報はただ一つ、自分は悪神の契約者と戦争をしにきた、それだけだ」
頑固というより強固というのが似合う姿勢で、ルーデルはメルセデスの質問全てを拒絶する。
相変わらずルーデル視線はずっとカエデに向かったまま。
それは警戒しているという類の見方とは違い、どこか真摯にあるいはそれが仕事というように、ただひたすら視線を向けている。
ルーデルが謎に過ぎる為、膠着している状況。
早朝の都市郊外の高速道路であるため、今は近くを通る車はないが、火の上がっている護送車は目につきやすくいずれは騒ぎを呼ぶ恐れがある。
収拾をつけねばならない、そう思ったメルセデスはまずはルーデルを拘束するために近づこうとする……。
「――!!」
数歩踏み出したメルセデスは、突然目の前が眩い光で満たされるのを見た。
次いで、何かに引き寄せられるような感覚。その後で空気が唸るような音が通り過ぎていくのを聞く。
そして後方で爆発が起きる――驚いたメルセデスは反射的に後ろを振り返った。
「……嘘」
あったはずの舗装された道路、それが数十メートル分なくなっていた。
湯気と煙が上がり、弾け飛んだ瓦礫と溶けた石土が広がっている光景。
そして何よりも驚いたのが、荒れた道の前で倒れたカエデの姿。彼は下半身を失っていた。
「――戦争だと言っただろう」
抑揚のない声でルーデルが言いながら右手を下した。
何をしたのかは解らない、だがルーデルが何かをしたのだと直感したメルセデスは、振り向いて拳銃の引き金を引いた。
打ち出されるのは空気、だがただの空砲とは違う。
神器によって一点に圧縮された風、万物を通り抜ける凶風となった神の力がルーデルに向かう。
性質として風の抵抗を受けず、必ず直線の軌道をとるその風は、ルーデルの頭部に直撃する。
普通の人間なら脳を貫かれて即死する場所。
しかし、ルーデルは数メートル吹き飛んだだけですぐに起き上がってきた。
「……なんなのよ」
メルセデスの驚きはまだ続く、起き上がったルーデルの顔を見て自分が悪夢でも見ているのではないかという錯覚に陥った。
皮膚の剥がれたルーデルの顔、そこには人間にあるはずの骨や肉が無く、血も流れていない。
代わりに無機質な機械がだけがルーデルの顔を構成している。
「邪魔するなと言ったはず……」
ルーデルは顔に残っていた――おそらく人工皮膚だと思われる皮を自ら剥がし、メルセデス向かって走り寄る。
「――く、ウルスラグナ!!」
メルセデスは更に銃の引き金を数回引いた。
風は全てルーデルに直撃するが、数メートル吹き飛ばす程度で戦闘不能にさせるには至らない。
「カエデ!! ……カエデ!! 生きてるなら起きなさい!!」
ルーデルが立ち上がるまでの僅かな隙、メルセデスはカエデに向かって呼びかける。
倒れているカエデの方は、すでに吹き飛んだ半身の再生が始まっている。
それはそれでグロテスクな光景であるのだが、メルセデスとしては機械化した人間に襲われた驚きに敵わない。
「生きてるけど、起きれねえよ……つーかなんだよアレ」
「……私が聞きたいわ。どんな生き方をしたらあんなのに襲われる事になるのよ」
「流石に俺も……ロボに恨みを買った覚えはないぞ」
嫌味に答える余裕はある様子のカエデだが、まだ立ち上がれるほど回復してはいない。
じきにルーデルは襲ってくる。
想像だにしていなかった状況の中、メルセデスは取るべき対応を決める為、瞬時に最悪の状況を想像する。
(……今この場で最悪なのは、カエデが悪神の力を使って戦う事)
カエデが悪神の力を解放した時の被害と二次的被害はすでに立証されており、解らないルーデルの意図はともかく、メルセデスはそれだけは避けなくてはいけない。
だからその為に最速で決断する。
「駆ける白馬」
メルセデスの意志にウルスラグナは応え、風の化身として銃の形態をとっていた神器はその姿を変える。
黄金のラインカラーが胴体に入った大型の白いバイク。
ウルスラグナの化身の一つである『白馬』の姿である。
「ここを離れるわ、早くつかまって!」
再生途中のカエデに体を掴ませ、バイクに跨るメルセデス。
立ち上がったルーデルを視界の端にとらえながら、彼女は高速走行の為の化身を発進させる。
バイクの形態をしているが、それはあくまでメルセデスの扱いやすい形状をウルスラグナが合わせているだけ。
人の手で作られたものとは違いそれはエンジンをふかせる必要などなく、僅かな助走ですぐに高速に達し、ルーデルをその場に置き去りにした。




