第二話 スリーシックス
カエデ・ツツミはホテルの部屋でシャワーを浴びていた。
お湯ではなく、冷水。
誰かを殺した夜はそうして頭を冷やすのがカエデの習慣となっていた。
<今日もいい調子で負の業を積んだな、これからもその調子で頼むぞ>
水の滴る頭の中に直接声が響く。
カエデが下を向くと、一匹のトカゲが顔を上げていた。
そのトカゲこそ、カエデが契約し闇の力を授かった悪神アンラ・マンユである。
「この調子か……まあ、俺は俺のやり方であんたとの契約は果たしていくさ」
<それでいい、我は小僧の成長を見守っておるからな。しかし、下の方はもう成長しきっておるか、立派なものじゃカッカッカ>
「……冷水浴びせてやろうか、変温動物」
下品な冗談にカエデは眉を顰め、アンラに向かってシャワーを向けるが、流れる水は透過するように流れていった。
<カカッ、今の我には実態が無いから無駄じゃ、小僧も知っておろう>
アンラ曰く、そのトカゲの姿は下界で活動するための化身で、本当は悪神の名にふさわしくもっと禍々しいらしい。
カエデはトカゲ姿のアンラしか見た事ないので、イマイチ想像できなかったが。
<それよりさっきから電話が鳴っておるようじゃが、出なくてもいいのか?>
「チッ、それを早く言えよ」
カエデはかけてあったバスタオルを頭から被り、濡れた体を適当に拭きながらバスルームを出る。
そして鳴り続いていた客室の電話を取った。
『私です』
聞こえてきたのはよく知る声。
「スリーシックスだな」
スリーシックスとはカエデの活動の支援者である老人。
何度か直接会った印象は温厚そうな好々爺で、特に変わった風には見えないそれだけの印象であった。
しかし、殺しを行うカエデの活動を知りながら支援しているのだから、当然それはただの老人である訳もない。
『首尾はどうでしたか?』
「情報通り、裁かれて然るべき悪人ばかりだったな。当然、皆殺しにしてきた」
『流石ですねカエデさん、警察も手が出せないギャングを一晩で壊滅だなんて。私も鼻が高いですよ』
「……まあ、あんたの情報は役に立つから俺は助かるけど、俺みたいのに手を貸していていいのか?」
『何を言います、私たちは同じ組織に所属する同志ではありませんか』
スリーシックスの言う組織とは、カエデのような表の世界で認知されていない異能者――主に魔術師を擁する魔術結社である。
その名も『黄金の夜明け団』。
所属する者は魔術の研究やそれを用いた活動を行い、またその支援もする。
魔術の才能ある者や特別な素養を持つ者を、積極的に取り入れる事も活動目的の一環で、カエデも悪神と契約したその特異な身の上を見込まれ、仮という形で所属している。
「俺とあんたは同志じゃない。こっちが利用しているだけさ」
『お優しいですね、こちらに火の粉がかからないよう、いざという時の為にそう言っているのでしょう? 私には解りますよ』
「実際その通りだろ、あんたが悪神と契約した俺を珍しがってるだけで、俺は組織に何の利益ももたらしていない」
『そうですか? エリザやクラリスみたいに貴方に懐いている者もいますし、いずれは正式に加盟してもらおうと思っていたんですが』
「それは勘弁だ、子守りは一回で十分だからな」
トラウマを指摘される名前を出されたことで、カエデは苦い顔でスリーシックスの申し出を拒絶した。
電話口からはそれを少し面白がるような笑い声。
『はっは、残念ですね、まあ今はそれで構いません。ところで、本題なのですが……』
スリーシックスは前置きを終えてあらたまる。
彼から電話がある時は、カエデの活動に役立ちそうな情報を得られた時だというのが決まり事でもあった。
『あなたが今日潰したギャングの下部組織にいた者が、明日の夜に港で取引をするようです』
「取引……今日の奴らのと言うと、薬か?」
『ええ、小物の売人ですが、上が倒れて後ろ盾がなくなった事で焦って行動に出たようです。放っておけば大量の麻薬が出回るでしょうね』
「……でかい組織は潰した後も面倒が続くから始末に置けないな」
『本当は警察を使って、それで解決するのが一番いいのでしょうが……どうも妙な動きがあってそれも難しそうで』
「妙な動き?」
街をギャングに仕切られる様な警察は最初から当てにはしていないが、スリーシックスの言い方には引っかかるものがあった。
『具体的にはよく解らないのですが、外部の者を交えて何かに備えているようですね』
「外部の者? 何かに備えて……そんな話だけじゃ何も判断もできないな」
『そうですよね、でもまあカエデさんには関係ない話でしょう。貴方の力は普通の人間がどうこうできるものでもありませんしね、困ったことがあれば私もサポートしますし』
広い人脈をもつスリーシックスという男の頼もしい言葉。
普段は一人で孤独に活動しているカエデにとって、理解と協力の意を示してもらえる事は何よりも心強いものであった。
「とりあえず、売人についてはその取引の時にでも押さえる事にしておくかな。その方が取引相手もついでに潰せるし。いつも情報をもらってばかりで悪いな、スリーシックス。もし俺の方で何か力になれる事があれば、その時は協力しよう」
『ああ、本当ですか。では少し言いにくい事だったんですが、一つ頼みごとをしてもよろしいですか?』
「ん? 珍しいな、どうした?」
スリーシックスからカエデへの頼みごと、それは珍しいというよりも初めての事かもしれない。
『いえ、実は先程からすぐ傍でガールが電話を代われ代われとせがんでくるもので。少しだけ話す時間を取ってあげてくれませんか?』
「いや、切る」
どんな恩人からの頼みごとでも、自分の嫌な事には従わないのがモットーであるカエデ。
スリーシックスのそばにいるガールというのが誰なのか、粗方の想像がついており。まず間違いなくそれが、苦手な相手となれば迷う理由は無かった。
『ほう、そういう事をするならカエデさんは私の恨みを買う事になりますよ? なぜなら貴方がこのまま電話を切れば、私がこのガールの恨みを買い、明日の朝食の質が目に見えて落とされるのですから』
「……解った。少しだけならいい」
底のしれないスリーシックスという男が朝食程度で何を言うのかと思ったが、結構本気で言っているようなので、恨みを買う事と苦手の相手と話す事を天秤にかけて後者を取るカエデ。
少し待つと、受話器を渡す音が電話越しに聞こえ、スリーシックスに代わって少女がカエデに語りかけてきた。
『お久しぶりですマイロード』
「やっぱりお前か……何か用か?」
カエデをマイロードと呼ぶ少女の名はエリザ・オーデュボン。
若干十五歳でありながら黄金の夜明け団の一員として、スリーシックスの下で黒魔術を研究している変わり者。
邪術や呪術のくくりである黒魔術は、カエデの使う悪神の魔力に近しいものがあり、それが元なのかどうかは不明だが、妙に懐かれている節がある。
『聞いて下さいマイロード、今日私は儀式によって新たな魔術を生み出す事に成功しました。それをスリーシックスも認めて下さり、また一つ階位が上がり事になりました』
「あーそうか、良かったな」
ことさらどうでもいいという感じを口調に乗せ、適当に相槌を打つカエデ。
だがその温度差も気にせず、鼻息荒くエリザは主張する。
『これも悪神と契約せしマイロードの眷族として仕えているご加護に違いありません』
「……俺は、眷族とかそんなもんにエリザを迎えた覚えがないんだが」
『このエリザ、もっともっと黒魔術師としての階位を上り、いずれはマイロードのお役に立ってみせます』
「……そうかいそうかい、期待してる期待してる」
『はい!』
こちらの話は全然聞いていない様子のエリザに、カエデは一つ大きなため息を吐いた。
「じゃあ、ちょっとまたスリーシックスと代わってもらえるか? 大事な話を言い忘れていた事を思いだしたんでな」
『あ、解りました……あの、久しぶりにお話しができて光栄でしたマイロード』
大した話をした訳でもないのに、名残惜しそうにエリザは言い残し、カエデの電話の相手はまたスリーシックス戻る。
『言い忘れとは、何でしょうか?』
「お前、エリザに俺の活動の内容を話したのか?」
言い忘れた事があるというのは口実。
カエデはエリザについて、ちょっとスリーシックスに言ってやらねば気が済まない気分だった。
『まあざっくりとは、別にやましい事も無いから構わないでしょう?』
「構わん訳ないだろが! 俺がやってんのは殺しだぞ、ガキに何を吹き込んでやがる!」
『うわ、ビックリしましたね……何をそんなに怒ることがあるんですか? カエデさんの活動は悪を裁くという正義の行い、私達はそれを共感すると共に深く尊敬しておりますよ』
「それが駄目だと言ってるんだ。俺が問題にしているのは、人殺しがどんな場合でも悪徳であるという事だ」
悪徳とは業を負の方向へ傾かせる材料。
悪神と契約するカエデはそれを積むことによって力を増すが、その反面裁いている相手は全て、悪徳を多く積んだ者達に絞っている。
「エリザが俺の活動に共感したり、人殺しを許容するようになれば、いつか負の業に傾く恐れもある。あの年代のガキはちょっとの勘違いで間違いを犯す事もあるんだ、俺にエリザを殺させたいのか?」
『なるほど、カエデさんはそれを恐れているのですか。やはりお優しい……あ、別に茶化しているわけではなく』
「別に優しさとかで言っているわけじゃない、いわば経験論だ。一度道を踏み外した人間はズルズル落ちるしかない、俺がそうだった」
カエデが悪神と契約したのは、十年以上前のエリザとそう歳も変わらない時だった。
劣悪な環境が彼に間違いを起こさせ、そのツケを今も払わされ、それはずっとこれからも続いていく。
「エリザが特殊な環境にいるのは解るが、だからといって善悪の区別を間違えさせるのは許さない」
『……経験論ですか、カエデさんの口から重い言葉ですね。解りました、肝に銘じておきますよ。私自身と、もちろんエリザにも言い聞かせておきます』
「それならいい」
『ですが、私は人の思想を曲げるような事はしません、もちろん偽る事も。それは魔術的にはマイナスに働くことが多いので、教え子には自由な思想と思考を持たせるようにしています。エリザにはカエデさんの言葉を伝えておきますが、善悪の判断はあくまで彼女に委ねます』
「……そうだな、あんたはそういう人だった」
スリーシックスがそういう人間だからこそ、カエデの支援者をやっているとも言える。
そもそも魔術師という人間は変わり者が多く、一般的な思考を持っている方が希少だ。
だからもうそれ以上は何も言えなかった。
「少し感情的になってしまったな、すまなかった」
「いいえ、こちらも至らぬ事がありました事をお詫びします。では、今後もカエデさんと良い関係を築いていける事を願っております」
「そうだな……じゃあまた」
「ええ、また何かあればこちらからご連絡差し上げます」
そう告げてスリーシックスは電話を切った。
カエデも受話器を下ろし、大きく息を吐く。
<どうかしたのか小僧?>
調子が悪そうに見えたのか、アンラがカエデに心配そうに尋ねる。
「……いや、俺も歳を取ったと思ったんだ。それだけ」
<カッカッカ、なんだそのような事か、我から見れば小僧はまだまだ小僧でしかないがな。出会った頃とそう変わっては見えんぞ>
「それはそれで虚しいものもあるな……」
ともかく明日の予定も決まってしまって今日はもうやる事も無いので、カエデは少し早めに就寝することにした。