第十九話 上司
合衆国のボストンにあるとある場末の酒場で、真昼間から飲んだくれている男がいた。
髭面にトレンチコート姿の中背の日本人で、名前はゴロウ・ムイカイチという。
「おいバーテンもう一杯だ」
ゴロウのテーブルには、すでに空になったビンが8つも並んでいるが、彼はまだまだ飲み足りないようでコップを振って催促した。
「お客さん飲みすぎだよ、ちゃんと帰れるの?」
「ハッ、誰に言ってんだよアホウ。昼間から酔っ払いの面倒みたくないなら夜だけ営業してろっての」
「いや、面倒は昼夜を問わずごめんだよ」
「じゃあさっさと店を畳むんだな、下品に飲む奴がお断りってんなら、こんな店は遅かれ早かれ潰れつまうぜ」
「……はあ、これで最後にしときなよ」
しぶしぶ引き下がったバーテンダーの言葉を鼻歌で聞き流していると、ゴロウは自分の胸元が揺れている感覚に気が付く。
動悸が出るほど飲んではいないはずと胸を探ると、揺れていたのは仕事用の携帯電話であった。
通知される着信画面に出ているのは、ゴロウの職務上の部下であるメルセデスの名前だった。
『おはようございますボス。今もお酒を飲んでましたか?』
ゴロウが通話を押すと、部下からの無遠慮な第一声。
公私を問わず常に飲酒というのが、彼が職場で持たれている印象であるが。だからといってそれで見下されたりはせず、むしろゴロウはそれを望まれている特殊な人物であった。
「飲んでるが、何だ? 例の失踪事件のヤマはもう済んだのか?」
『……はい、被疑者を確保しました』
「お、早えな。そんで何の用だ? 有能自慢ならもう切るぞ、バーテンが酒をしまっちまうからな」
『いえ、報告と相談したい事がありまして……被疑者のカエデ・ツツミの事です』
「あん?」
そしてゴロウはメルセデスから、彼女がカエデ・ツツミという者から聞いた一部始終を余さず聞く。
酒の肴にするには少し重たい話もあったが、聞き終える頃にはテーブルの空瓶が一本増えていた。
「……なるほどな、九年前の青島もそいつだったか」
『知っているのですか?』
「いいや担当じゃなかったから詳しくは知らね。けど裏の世界が緊張するようなやべえドンパチがあったってのは知ってる。当時の資料も一応残ってるはずだ」
『そうですか……それでボスはどう思いますか?』
「ん、なんだ? いつもは自己主張を先にするお前が、俺の話を先に聞くなんて、いつになく自信ないみたいだな」
『……じゃあ先に自己主張しましょうか。私、ボスのそういう鋭いところが大の苦手です』
「ハッハ、まあ充分飲んでるからな、今の俺は冴えわたってるぜ」
矛盾する話だが、職場では周知の事実。
ゴロウはアルコールを体に吸収すると、思考能力や身体能力が上がるという特異体質をもっている。
そのメカニズムは判明していないが、いくら酒を飲んでもほとんど酒気を帯びない事から、仙道の内丹術に通じているのではないか、という見方もある。
もっとも、ゴロウ本人は好きな酒を好きなだけ気にせず飲んで、そのついでで仕事に活かしている。そんな程度にしか気にしていなかった
「まあ、とりあえず俺が思うのは、そいつ――カエデっつったな? そいつはまだ何か隠してるな確実に」
『彼が嘘をついてると?』
「違う、嘘は吐いてねえだろうさ。ただ事実の一部を隠してメルに伝えてるだろうって話だ」
『……何者かの支援を、彼が受けていたと思われる事ですか?』
「なんだちゃんと気付いてるじゃねえか、その事は本人に探ったのか?」
『それとなくは聞きました。はぐらかされましたけど』
「まあ聞いて答えるくらいなら自分から話しているわな……」
メルセデスは無能な部下ではない、それは直属の上司であるゴロウが一番よく知っている。
ただ今回の件は些か特殊すぎた、国連警察機構という組織の中でも特に特殊な、魔術や悪魔などが関わる超常犯罪を受け持つ捜査官であっても、神という存在が関わる案件は更に特殊だ。むしろ専門外といっていい。
表の世界でも裏の世界でも、そんなものにお目にかかること自体が極稀な話なのだから。
「はは、中々の難題だな。数百人以上殺してきた虐殺犯、処分すれば転生して別の場所別の時間に同じことを繰り返す恐れあり。判断一つに、多くの人の未来がかかってるわけだ」
『笑い事じゃありません』
「そうだな。じゃあ一つ真面目に、俺からメルに助言をやろう」
『……なんですか?』
聞き返すメルセデスの声には期待がこもっていた。
いつもはあまり頼ってこない部下が自分の言葉にそれほど期待を求めている事に気づいたゴロウ。
上司としてしっかり応える為にビシッと言い放つ。
「カエデ・ツツミを殺せ」
はっきりとゴロウが言ったその後に、しばしの沈黙が流れる。
その沈黙で自分の助言が部下の期待に添えなかったのを確認したゴロウは、返答のなくなった携帯電話に構わず言葉を続けた。
「それだけの危険人物だ、今処分しないと何が起こるか解らない。封印するにしても引き取り手があるかも怪しい。何か隠している様子が窺えるのも信用ならない……よって俺は殺すべきだと判断する。転生して同じことを繰り返すかもしれないとしても、そんなのは知らん俺達が責任を持つことじゃねえ、その時その場所にいる奴らが考えればいい事だ」
『……』
「無責任と思うか? だが人間はそういうもんだろ。未来の事を対して考えないで木を切りまくったり、ガスまき散らしたり、地下資源使いまくったりしてる生物だ。みんな目の前の事で精いっぱいなんだからそれでいい、俺達も愚かな先人達をならえば面倒な問題が早く解決して楽でいいだろ」
しっかりと部下に伝わるように、思いっきり投げやりな態度のゴロウ。
「もしも転生を続けたそいつが力をつけ過ぎて、いつか世界を滅ぼせる存在になるならそれもいい。どうせもう人間は世界を滅ぼせる核兵器を何個も作っちまってるんだ、脅威が一個増えるくらい大した問題じゃねえよ」
『……それはボスの『勘』ですか?』
「俺は自分で責任をとれる事にしか自分の勘を働かせねえよ。これは失敗を酒のせいにして逃げない為の俺のポリシーだ。だから今伝えたのはあくまで俺の『考え』であって命令でもなんでもない」
上司というものにはいろんなタイプがいる。
部下の話をよく聞くもの、能力を引き出させるのがうまい者、やる気を出させるのがうまい者、そしてそれぞれの真逆など。
その中で良い上司や悪い上司などが、周囲の評価によって分けられるが、おおよそゴロウ・ムイカイチという男は悪い部類に分けられる事が多い。
なぜなら彼のタイプは『部下の本音を引き出すのがうまい』という、周囲の評価に繋がり難いものだから。
「メルよ、お前はどう思う。被疑者の言葉を聞いて少しでも迷いが生じたか? 俺の言葉に少しでもイラッとくるところがあったか? 事件が起こったとき、どうしてお前はすぐに飛んで行ったんだ? 俺はそういうのを誤魔化す奴を信用しないし、助けねえぞ」
『……ボス、貴方って人はつくづく嫌な人です』
「ハッハほれほれ、お前の考えを言ってみろ、いつもは自己主張の強いイケイケ捜査官のメルセデス・アッカーソンくんよう」
『く、解りましたようるさいな……私は彼を適切な機関へ引き渡し、封印する事を提案します。理由はそれが彼の意志であり、それを汲む限り危険はないと判断するからです。そしてそれに対してできる限りの事をするのが、彼を以前にとり逃がしてしまった私の失態に対する自分なりの責任の取り方です……』
ゴロウは電話越しに伝わらないようにニヤリと笑う。
部下の期待に上司は応えなかったが、上司の期待には部下は応えた。
だから今度は順番的に、部下の期待に上司が応えなければいけない。
「メルがそう言うならしょうがない、手伝ってやるか」
『言わせたくせに……』
「上には俺がうまいこと虚実織り交ぜて脚色したりして伝えておくわ、そのまま伝えたら面倒な事になるだろうしな。あ、それと被疑者の引き渡し先だが、俺に一つだけ心当たりがある」
『本当ですか? どこです?』
悪神という爆弾を抱えたカエデの引き取り先は、メルセデスにとって最大のネックだった。
だがうってつけの場所があると、すぐにゴロウは気付いていた。
カエデ・ツツミにとって、そして自分にとっても生まれた場所である国。
「日本の神代機関だ。あそこは八百万の色んな物、者、モノが集まってくるから、多分神の端末一人くらいは面倒見てくれるだろうさ」
『多分って、本当にそんな軽く引き受けて貰えるんですか?』
「しらんがな、もしそこが駄目だったらお前が別のとこ探せよ」
『う、解りました。では一旦電話を切らせてもらいます、カエデとも話しておきたいので……』
「今度は取り逃がすようなヘマすんなよ。しても俺に迷惑が掛からんようにしろよ」
『解ってます!!』
ゴロウはメルセデスに早く電話を切ってもらいたくてからかったが、彼女にはまだ何か用があるようだった。
『その、ボス……』
「何だ? そろそろ電話切りたいんだがよ」
『ありがとうございました……その、残念ですがボスに連絡したのが正解でした』
「なんでちょっと間違いでしたみたいに言うのか腹立つが、まあ感謝するなら酒をくれ。今度一杯オゴれ」
『ふふ、ええ本当に一杯で済むのなら』
「本当に一杯で済むわけねえだろケチ、お前ももっと俺の意志を汲め!!」
『ハイハイ、日本流のジョークは私には解りません……プープー』
「……あ、あいつこのタイミングで電話切りやがった」
まあ、張りつめているよりはメルセデスらしいからいいかと、ゴロウは思う事にして携帯電話を懐にしまう。
その際不意に、自分を見ているバーテンダーと目が合ってしまった。
(……客が他にいなかったからここで話したが、秘匿情報もしゃべっちまったから何か適当言って誤魔化しておくべきか?)
そんな風に考えていると、ちょうどバーテンダーは酒を一本ゴロウの所に持ってくる。
「ん? なんだこれ、頼んでねえぞ?」
「これは店からのオゴリです」
何で? と思ってもう一度ゴロウがバーテンダーを見たとき、どういう事かを理解する。
「お客さん……悪い事は言わないから今日はこれで最後にしておきな」
言いながらゴロウを見るその目は、完全に残念な人を見る目だった。
バーテンダーには、ゴロウが電話越しにおかしな戯言を言っている酔っ払いにしか見えなかったのだろう。
「まあオゴリならもらうけど……」
ちょっとだけ複雑な心境だが、誤魔化す手間は省けたのでよしとする。
そしてオゴリの酒を飲みほして、ゴロウは言う。
「おいバーテンもう一杯だ」
当然、その店は出禁になった。




