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マイナスカルマ  作者: 石座木
二章 国連警察機構
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第十八話 不文律

『迷った時は一番に自分の勘を信じろ。そうすれば、それが間違いだったとしても誰かのせいにしないで済むだろ?』


 今のメルセデス・アッカーソンの頭には、以前に職場の上司に言われた言葉が何度も何度も反芻されていた。

 人は誰もが間違いを起こす、その中で本当に避けるべきは誰かを恨むことだというのが、その上司の持論。

 その時はなるほどと納得したものだが、いざ現実に勘という無責任なものに全責任をかけて判断する事が如何に怖い事なのか、メルセデスは本当の意味で先程知った。


(彼はおそらく五百人以上の罪の無い人の命を奪い、そして今後それ以上の危険と罪を犯す可能性のある存在……いつもなら何を言われてもその場で処理するような凶悪犯なのに、私の『勘』はそれを拒否した)


 メルセデスは今、拘束したカエデ・ツツミと共に、現場近くまで乗ってきていたレンタルのワゴンカーの中にいた。

 メルセデスが運転席でカエデが助手席、車のエンジンは切ってある。

 生き物の気配がまるでない静寂に包まれる村を背景に、隣あう二人は数分口を開かなかった。

 

「……少し、昔の話をさせてくれ」


 口火を切ったのはカエデ。

 当然だ、メルセデスはカエデの真意を聞くために、彼を生かしたまま連れてきたのだから。


「それは当然、今回の事に関係あるのよね?」

「ああ、そして今後の事にもおそらくな」

「……じゃあ聞くわ」


 ギャングやマフィアなどをいくつも潰してきた罪人殺しのカエデ・ツツミ。

 これまで彼が一般人を事件に巻き込んだという話は、記録上には存在していない。それが今回に限りなぜ、という疑問をメルセデスは持っている。

 興味は尽きない。

カエデ・ツツミの過去を知る者は誰もいなく、悪神の契約者としてのそのルーツも謎のままなのだから。

それでもメルセデスが気のない風を装っているのは、カエデに対して十分な警戒を解いていない証拠だった。


「俺の親父はヤクザだった」

「ヤクザ……ああ、ジャパニーズマフィアの事ね…………え?」

「俺も中学……ジュニアハイスクールに上がる頃には、その親父の手伝いをさせられていた」


 いきなりのカミングアウトに固まったメルセデスを無視するように、カエデは自分の過去を語っていく。


「親父はヤクザの下っ端で、汚い仕事やリスクの高い仕事がよく回ってきていた。当時の俺の仕事は特にリスクの高いものを親父の代わりに引き受ける事……クソ親父曰く、ガキは少年法に守られてるから大丈夫ってな。ろくに少年法の中身も知らないくせに」

「……嫌じゃなかったの?」

「嫌だったさ、けど俺は親父の言うことを聞かなければならない理由があった」


 淡々と語るカエデ。

 だが言葉の中に憎悪が混ざっているのをメルセデスは感じ取り、それがカエデ・ツツミが悪人殺しの現場に残してきた感情と同じものだと気づく。


(……カエデが悪を憎む理由、それが近親憎悪に近いものだったなんて)


 ただの正義感ではないと解っていたが、それはもっと悲しい事実であった。


「カエデがお父さんのいいなりになっていた理由って何?」

「俺には姉がいた……双子の姉さんだ。母親の顔も知らない俺にとっては、あの人だけが唯一家族と言える存在だった」 

「……じゃあその人も、カエデと同じようにお父さんの仕事を手伝わされてたのね?」

「いや、違う。くそみたいな家庭環境を除けば、姉さんは普通に学校にいって普通の生活を送っていた……それが親父の狡賢いところで、しくじったり逃げたりすれば、次に代わりをやるのは姉さんだと、俺にずっと釘を刺してたんだ」

「……」


 メルセデスは押し黙る。

 カエデのような身の上は珍しい話ではないという、国連警察の捜査官としての理屈と、それとは別の彼女個人の理屈が反目し合っていた。

 

「俺にとって姉さんは唯一の希望だった、綺麗で純粋で、俺にもいつかそんな生き方が出来るんじゃないかと思えるような、絶対に守りたいものだった」

「……」

「依存していただけかもしれない、だが人間のクズの更に下に下に進んでいた俺を、姉さんだけが一人の人間として見てくれていた、それが俺の生きている拠り所だった」


 カエデの言葉は全てが過去形だ、その意味はメルセデスが問うまでもない。


「だが親父は、姉さんを売った。実の娘を、アイツが犯したしょうもないヘマの肩代わりに、アッサリとな……」

「……それで、カエデはどうしたの?」

「親父を殺した」


 あまりにも自然に、冷徹にさえ聞こえる声音でカエデは言う。

 事実、カエデは親殺しをした事には何の感傷も抱いていない。双子の姉という唯一の拠り所を失った事の喪失感が、余りにも大きかったから。

 

「そして目の前が真っ暗になった。生まれを呪い、世界を呪い、何もかも憎んで滅ぼしたかった……アンラを初めて見たのは、そのどん底にいた時だ」

「……そこで悪神と契約を交わしたのね?」

「ああ、そうだ……いや、本当は違ったんだが、それはもう少し後で話す」

「?」

「……続けよう」


 カエデが語尾を濁らせた事にメルセデスは疑問を持つが、話の続きが順を追って話される。


「悪神の契約者としてアンラの力を借りた俺は、それから姉さんの行方を捜した。親父の所属していた組から別の組を、転々と潰していきながら……そして海を越えた先でようやく見つけた」

「お姉さん、無事だったの?」

「……ああ、見つけた時はな。だが俺もマークされていた、本当にいるのか知らないが吸血鬼だのの化け物退治を生業にするような傭兵が集められ、姉さんを無事に連れ出す為には過ぎた力に頼らなければならなかったんだ」


 カエデが悪神の力を最大まで解放したのは、その時が初めて。

 

「それっていつの話?」

「詳しい日付は覚えてないが九年前だ、場所は中国の青島チンタオ

「……そう」

 

 メルセデスの知らない場所で、まだ国連警察にも入っていない時の話だった。


「どうにか俺は姉さんを取り戻した、だが過ぎた力には対価が伴う……悪神への生贄として、その時は姉さんが選ばれた」


 馬鹿な話だとカエデは言う。

 親父の言いなりになって悪行に手を染めていた時と何も変わらない、結局はアンラの言いなりになった事で、大事なものを今度は永久に失ったのだと。


「俺が初めてアンラの生贄に捧げてしまったのは、姉さんだ。もう誰も知らない、俺だけが覚えている事実……」


 特別な人間を奪うという事は、それだけ深い因果と深い業を呼びお越し、カエデにとっては重い呪いとなる。

 姉の顔を思い出すたび、後悔と自責に苛まれる日々。

 そして、負の業を積み重ねる事で、いつか失ったものが返ってくるのではないかという、都合のいい希望。


「俺が人を殺してきたのは、悪神の契約者として力をつけ、それによって姉さんを取り戻す為だった……だが今となっては解る、それが仕組まれていたことだって」

「どういう事?」

「俺がどんなに力をつけても……いや、悪としての力が強大になればなるほど、敵は増え失うものも増え、また振り出しに戻る。それがクリスノって奴と対峙してよく解った」


 正義は強い、なぜならそれは多数派だから。

 この世は勧善懲悪で成り立っており、善という大衆意志が一部の悪を弾圧している。そうでなければ正しい世界が存在できないという不文律なのだ。

 それを変えようとするのが、善と悪の二元論と同時に誕生した悪神アンラ・マンユであり、カエデは言うなればその道化。

 

「……それが分かったのならどうして、この村の罪の無い人を犠牲にしたの?」


 結局はそこに行きつく話だ。

 どんな理由があっても、カエデの罪は覆らない。

 自分の望みの為に悪神の力を使ったというのなら、その責任が彼にあることに変わりなのだ。


「今回で終わりにするためだ……もし俺が潔く誰かに殺されても、きっと生まれ変わって同じことを繰り返すから」

「は?」

「……信じられないかもしれないが、俺は前世の頃からアンラと契約していたらしい……その眼が教えてくれた事だ」


 カエデはメルセデスの胸ポケットに収まる、現場証拠品用のビニール袋を指差した。

 そこには、ここに来る前に差し出された『業視の魔眼』が収まっている。


「前世――そんなものまで見えるっていうの? ……ちょっと頭が痛くなってきたわ」


前世というものについては、ロンドンのSPRなどで一時期精力的に研究されており、メルセデスはその記録を見たことがある。

正直、その研究においての信憑性には懐疑的であったが、メルセデスが知る神というものの理に当てはめれば、前世の存在そのものを疑うというのは些か合理的ではないかもしれない。


「信じないならそれでもいいさ……だが、俺は知ってしまった。前世から同じ過ちを繰り返している事を。悪神アンラ・マンユとの結びつきが深くなっていく事を」

「……だから死ねないと、殺さないでほしいと言ったのね」

「ああ、俺がこれを知り得たのは偶然だ。だからきっと来世にはまたこの記憶も消え劣悪な環境に生れ落ち、悪神の契約者として世界を呪い、多くの被害を出すことになるだろな……」


 確信的な口調でカエデは告げ、メルセデスに選択を迫る。


「俺の望みは、しかるべき場所に俺自身を封印してもらう事だ。どうか頼む、もうあんたにしか頼めないんだ」

「……簡単に言うわね。今の貴方は核爆弾と同じくらい危険なものだって自分でわかってる?」


 ローマの法王庁でさえ、カエデのような危険因子を軽々と引き受けてくれるとは思えない。

 他にもいくつか候補はあるが、どれも茨の道。


「俺に選択権がない事は重々承知の上だ、だがもう爆発はさせないと約束する」

「……はあ、そんなのは当然よ」


 メルセデスは嘆息しながら車のエンジンをかけ、シートベルトを締めるようにカエデにも促す。


「……どこに行く気だ?」

「とりあえず全部保留! カエデの処遇諸々、生かすか殺すかどこに引き渡すか、ね……あーあ、本当になんでこんなところに来ちゃったかな私」


 やはり自分には勘に頼る生き方は難しい、と悟るメルセデス。

 圏外表示の携帯電話がつながる場所まで向かい、上司に連絡を取ることに決めた。

 

 





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