第十七話 分水嶺
「……どうしてこんな事に」
場所は合衆国の東部にある、とある寒村の付近。
国連警察機構に所属する捜査官であるメルセデス・アッカーソンは、ブツブツと独り言をこぼしながら、枯れた草木を踏み越え舗装されていない山道を登っていた。
登山用の装備も持ち合わせず、スーツ姿で彼女がそんな場所にいるのは、舞い込んできた奇妙な事件の捜査の為であった。
――その事件とは、寒村の住人およそ『五百人全員』が数週間前に謎の失踪をとげたというもの。
隣村の者によって公になったその事件は、住民の失踪の痕跡も、何らかの介入による手がかりも管轄警察は全く得ることができず、早くも迷宮入りの兆しが見え、世間ではまるで『神隠し』であるかのように公表されていた。
だがその事件を知った瞬間に、言いようのない嫌な予感に襲われたメルセデスは、上司の許可を得てすぐさまその現場に向かった。
(……これが貴方の仕業なら、私が貴方を逃がした事の過ちは限りなく大きい)
その嫌な予感と奇妙な事件は、メルセデスが現場に着いた段階でほとんど解決していたに等しい。
だが彼女はそれを信じたくなかった。
慣れない登山を無理をして行っているのも……その気になれば目的の場所まで神器を使ってすぐに到着できるのにそれをしないのも、彼女の中の葛藤がさせているものである。
(真実を知るのがこんなに怖いって事は初めてだわ)
そこは静かな山だった。
虫の一匹も飛ばず、獣の気配も待ったくない。草木は枯れ、土は腐り、沢からは泥水が垂れる。
静かというよりは、山というものに本来溢れている生命の律動や循環が、全く感じられぬ場所。
山全体が死んでいる。
そしてそれと同じ感覚を、メルセデスは件の村でも感じ取っていた。
「……ねえ、貴方がやったのカエデ?」
目に見えずとも感覚によって解る、暗く深く濁った闇、負の業。
その中心にたどり着いたメルセデスは、その場所で蹲っていた男に尋ねた。
「……メルセデス・アッカーソンか、来ると思っていた。いや、来てくれると思っていた、か……」
全く期待していなかったが、その男――カエデ・ツツミが発した言葉は、メルセデスが願っていた言葉とは、当然のように違っていた。
「……俺がやった、俺のせいだ何もかも」
「でしょうね、解っていたわ」
落胆をそのままに、メルセデスの胸につかえていたものが無くなる。
そうなれば与えられた責務を果たさなければならない。迷いが本物にならない内に、誰も知らない世界の敵を速やかに排除しなければならない。
それがかつてカエデを取り逃がしたメルセデスができる、唯一の罪滅ぼしなのだから。
そしてメルセデスは神器の化身の一つである銃を、カエデに向けた。
「あんたに頼みがある、メルセデス」
「……駄目よ。それがどんなものでも、私が貴方から聞いてあげられる頼みはもうないわ。良心が少しでも残っているなら、せめて抵抗せずにいて」
「抵抗はしない……これがその証拠だ」
そう言ってカエデは顔をあげて手を差し出した。
「何? 握手でもするつも……え!?」
カエデの差し出した掌にはあるものが乗っていた。
それは『業視の魔眼』。
カエデは片目からくり抜いたそれを差し出しながら、改めてメルセデスに願う。
「もしもあんたが俺と同じように、これで最後にしたいのなら……俺を殺さないでくれ」
その願いを聞き届けるか否か。
それは国連警察機構の捜査官としてではなく、善神スプンタ・マンユの契約者であるメルセデスが判断するべき、今後の世界に関わる重要な選択だった。




