第十六話 輪廻の負債
「起きろエリザ」
カエデ・ツツミは気を失っているエリザ・オーデュボンを、優しく揺り動かしながら呼びかける。
「……ん……んん……マイロード? …………そのお体、どうされたのですか!?」
深い眠りの中にあったエリザは寝ぼけた様子で起き上がり、次にカエデの様子を見て飛び上がらんばかりに驚きながら詰め寄った。
カエデの体は徐々に再生をしているが、まだ欠損も多い。驚くのも当然の事。
本当なら治りきってからエリザを起こしたかったが、カエデには急ぐ理由があった。
「俺の体の事は別にいい、放っておけばじきに再生する。それより、お前の方は何ともないか?」
「え、私ですか?」
「ああ、解らないならそれでいい」
エリザにはクリスノに打たれた十字架の後遺症などはないようで、自分の身に降りかかった出来事さえも気づいていないようだった。
それならばと、すぐにカエデはエリザを起こした本題に入る。
「悪いが色々と説明は省かせてもらう……あまり時間がないんだ。俺の傷も、今いる結界も心配はいらないから、少しだけ別の話をしてもいいか?」
「……マイロードがそう言うのなら」
「助かる」
気を失う前とはかなりかけ離れた風景の場所で目を覚ましたエリザだが、取り乱す事もなくカエデの言葉を聞き入れる。
その信頼がどこから来るものか、カエデはもう知っていた。
「エリザ、お前は俺の事を最初から知っていたんだな?」
「……思い出していただけたのですか?」
「いや、視ちまった」
「なるほど……業視の魔眼ですか」
カエデはエリザに業視の魔眼の事を詳しく話していない。
知っているのは嘘を看破できるという事くらいであり、詳しく知っているのはスリーシックスだけのはずである。
知らないはずの事を知っているエリザ。その理由は、現在とは無関係のはずだった時と場所に繋がる。
「半信半疑だったが本当に前世なんてもんがこの世にあるとはな……くそトカゲめ、何も聞いてねえぞ」
カエデ・ツツミが悪神アンラ・マンユと交わす契約は、輪廻転生を超えてもその影響力が及ぶという事を聞いている。
だが、カエデは知らなかった。
カエデがアンラと契約したのはカエデが生まれるよりも前、前世の頃からだという事を。
<聞かれておらぬ事を我がわざわざ話す必要がどこにある?>
悪神らしい言い分を綽々と述べるアンラに対して、カエデは何も言う事はない。
今はただ、今世だけに留まらなかった自分の愚かさを呪う。
「エリザ……俺は前世で、お前の先祖と出会っていたんだな?」
「はい、マイロードには良くしてもらいました。その記憶はオーデュボン家に憑く悪魔を通じ、この私に受け継がれています」
カエデに対するエリザの『マイロード』という妙な呼び方。
それは前世のカエデに、エリザの先祖が仕えていた事からきている。
「一領の領主であったマイロードは、オーデュボン家のような『悪魔憑き』の家や個人を、聖教会の一部の信徒によって苛烈していた『魔女狩り』から守り、その行為を止めさせようと奔走していました」
「……」
「一目見て、その魂を感じて気づきました、貴方様がオーデュボン家を守って下さった盟主である事を……」
まるで自分の経験のように語るエリザだが、実際にその時生きていたのはエリザの先祖であり。
エリザは憑いている悪魔によって受け継がれた記憶を語っているに過ぎない。
「そんな事……前世の事など俺は知らない。前世の俺がどんな奴だったのかも、何を考えていたのかも知らない。知らない上に、どうでもいい」
「……え?」
カエデが話したいのは前世の自分の思い出話ではない。
エリザ・オーデュボンに巣食っている、過去からの呪いだ。
「お前は先祖の記憶に縛られている、憑いている悪魔と共に」
エリザの目を見てはっきり言い放つ、彼女にとって受け入れるのに辛い言葉を。
「……マイロード、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ、お前は今の自分の事よりも過去の先祖の記憶に重きを置いている。いや、そのように思わされているんだ……俺の事を『マイロード』と、先祖と同じように呼ぶのもその証拠だ」
エリザ・オーデュボンが受け継いでいる、何代も前のオーデュボン家の記憶。
それはたった十五年分しかまだ生きていないエリザにとって、長くそして重い記憶。
本人が気づいていないのなら、その影響力は無意識にまで根付くほどのものになっているという事だろう。
「お前が魔術を研究するのは何の為だ?」
「それは……私に憑いている悪魔を、魔術的観点から祓う術を見つけるためです」
「そうだな。じゃあ、俺に対して世話を焼きたがったのはどうしてだ?」
「……それは」
「俺が行っている活動を手伝いたいと言ったのは? そんなもの、お前の目的には全く関係ないだろ?」
「……」
カエデは知っている。
エリザが如何に純粋な娘であるかを。
彼女が向けた純真な笑顔と心は、カエデが失った過去――前世ではなく、今世で失ったものと重なる。
かつて悪神への贄としてしまった、カエデの大事な人と。
「俺は嬉しかった、お前に弁当を作ってもらった事。そして僅かな時間だが楽しかった、黄金の夜明け団で共に過ごした事……」
今だけは素直にそう言えた。最後の今だからこそ、そう言っておきたかった。
「だからこれは俺からの礼だ」
カエデはエリザの頭に手を乗せる。
彼女の魂に憑りつく悪魔を、自分に取り込むために。
「――!? いけませんマイロード!!」
「いけない事は何もない。お前はこの為に黄金の夜明け団に入ったはずだ、悪魔憑きという呪われた運命を断つために……それは決して誰かの為ではなく、自分の為だったはずだ」
「それでも……それは誰かに背負わせる為ではありません!! ……ましてや、マイロードに……!?」
「記憶は残るだろうが、忘れろエリザ、俺の事も、過去の事も。その記憶はきっと、今のお前には必要ないものだ」
エリザから悪魔を奪えば、クリスノみたいな輩に彼女が目をつけられる事もなくなる。
カエデ・ツツミとの、エリザの先祖を交えた前世からの奇妙な因縁もなくなる。
「さあ喰らい取り込めアンラ・マンユ、エリザに憑りつく悪魔を……」
<よかろう、負の業を小僧が背負う理により。この小娘の悪魔を我が引き受けよう>
カエデの影より、アンラ・マンユは大きなトカゲの姿となって這い出て、大きく口を開く。
エリザは異変を察知し、力いっぱいカエデの手をどけようとするが、力に差がありすぎて微動だにしなかった。
「お止め下さいマイロード、そんな身勝手! 私は望んではいません!!」
「そうだ、俺は利己的で身勝手なんだ。多分前世とやらの俺も、きっと同じだったんだろうさ」
魂が同じなら本質は変わらないのだろう。
前世から悪神の誤った力を頼りにしている時点で、カエデは自分がずっと間違いを犯し続けているということが分かってしまった。
「俺が救いを求めてきたのは間違いだった。誰かと関わるのも、アンラの力に頼るのもこれで最後にする」
それがカエデなりの、せめてものケジメ。
多くの者を犠牲にしてきた罪人の、まだ残っている良心というものに対しての。
「……く……マイ、ロード」
「俺はカエデだ。もっとしっかり訂正しておけばよかったかな……」
カエデはエリザを守るように抱き寄せ、最後に本音を呟く。
そしてクリスノが構築した結界は瓦解した。
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結界が消えると、カエデとエリザは元いた喫茶店の店内に戻っていた。
そこではどういう訳か人だかりができていたが、「イシュージョン」や「マジック」といった単語を周囲の者達が呟いている事から、先に結界から抜け出たクリスノを含めて何かの余興だと思われているのだろう。
「何やってたのよおっさん! そんなボロボロで……それにエリちゃんどうしたの!?」
人込みを掻き分けて現れたのはクラリス・ブノワ。
偶然席を外していたからか、カエデとエリザに降りかかった事情に関しては、何も知らない様子だ。
「エリザは眠っているだけだ……確かお前携帯電話持ってたな、スリーシックスと連絡を取って保護してもらえ」
正確には再度眠らせたエリザを抱き上げていたカエデ。彼女を床におろして後の事をクラリスに丸投げする。
そして自分はその場を立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっとおっさん!」
「……俺はカエデだ憶えておけ」
「し、知ってるし! 今更そんな怖い顔して何よ……ってどこ行くのよ!」
「俺はもう戻らない、スリーシックスにもそう伝えておいてくれ」
「はあ!?」
訳が分からないよと叫ぶクラリスを置き去り、人込みを掻き分けていくカエデ。
(過ちを犯すのはこれで最後だ……今まで世話になったな黄金の夜明け団)
悪神の力を使い過ぎたツケ。
どうかせめてその被害が少なくなるように祈りながら、カエデはおぼつく足取りで走って行った。




