第十三話 狂信者
魔竜アジ・ダハーカという想定外の存在によって、ミサ・クリスノは窮地に立たされる。
(……なんという魔力、う)
クリスノの正面からは数条の熱線が飛来し、それは着弾と共に連鎖爆発を引き起こす。
具象させた十字架によって、クリスノはそのこと如くを防いでいるが、少しずつ着実に力が削られていくのを感じていた。
(恐ろしい……ここがもし街中であったなら大災害となっていたでしょう)
カエデ・ツツミが姿を変えた魔竜アジ・ダハーカは、クリスノにとって圧倒的優位であるはずの神域事象の結界においても、それを覆せるだけの力があった。
ギイイイイイイイイイイイイイイ……
結界内を震わせる、恐ろしき力の予兆。
それは理を捻じ曲げる事象変化――『竜言語魔術』と呼ばれる魔竜の魔力の発露。
巨体の体内で練り上げられた魔力は、どんな劣位下においても、その潜在能力を裏切らない。
その強大な力はまさに、『大魔術』や『禁術』といった人の限界を極めたとして論じられるものすら、所詮は人が持てるだけのちっぽけな力だと嘲笑うかのよう。
「ガアアアアアアアアアアアア!!」
魔竜の咆哮と共に、クリスノの視界はまた爆発の光で一色となる。
一度一度の攻撃が、おそらくは一軍を壊滅させるほどの戦術火力。
(このままでは神殿の力が失われる……)
神域事象の結界の力の源は、クリスノが信仰を捧げる聖十字新教団の神殿に集まったもの。
信者達から集めた信仰という意思の力を、その中心である神殿が蓄積し、その恩恵は神使として選ばれた者が授かることが出来る。
神殿そのものを力の媒介にできるクリスノには、今まで不可能など無かったといってもいい。
それこそ全知全能の神の奇跡に、常に守られているようなものである。
彼女がたった一人で多くの魔術結社を潰し、そこから更に信仰を集めているという事も可能なほど、今まで敵はいなかった。
だが如何に、神の奇跡の如き力を扱えるかといって、クリスノの目の前の存在もまた神の化身。
おぞましく醜い悪神の契約者は、彼女を……そして彼女の信仰する神を、徐々に追い詰めつつある。
閃光、爆風、そしてとうとう少女の体が宙に投げ出され、受け身も取れずに地に落ちる。
「こんな事、許されるはずがない……このような悪しき力に屈するなど……教団が、主が、許すはずがない……」
うわごとのように呟くクリスノの体は、打撲と骨折で酷い有様。
だがそれも、結界の力で急速に修復される。
常軌を逸した体の再生による激痛が少女の体を走り回るが、むしろそれを喜ぶかのようにクリスノは笑う。
「ふ、ふふ……そう、主も言っている、私はここで死ぬべきではないと……まだ眠る時ではないと……」
その様は、まさしく『狂信者』。
信じる神に絶対の信仰を捧げ、血も肉も、魂すら差し出す事も厭わない、盲信の化身。
クリスノに敵対する者から見れば、彼女は恐ろしく……あるいはある種の嫌悪感で、その盲信を醜いと蔑むかもしれない。
だが彼女は潔白である。
ただ一つの信仰という意思に殉じて、自分の正義を貫いているだけ。
その点では、悪神の契約者であるカエデ・ツツミと何も変わらない。
ただ、変わらないからこそ、ぶつかり合う。
「罪を数える審判の時は過ぎました……土は土に、灰は灰に、塵は塵に……抗う不死者よ、もう慈悲は無いぞ」
クリスノの眼の色が変わる。
そして竜言語魔術の余波で、ボロボロになった修道服も下着をも全て、彼女は脱ぎ捨てた。
一糸まとわぬ姿となったクリスノ。
ギイイイイイイイイイイイイイイイイ……
だがそんな姿になったクリスノを前にしても、魔竜は一切の容赦なくその魔力を解放する。
「――主の愛は全てを清め与える――」
魔竜の魔力が結界内の空間を震わせる中、一つの旋律が静かに生まれる。
「――主の愛を受けし者もまた 全てを清め与えられる――」
旋律の正体は、クリスノの声。
彼女は強大な魔竜の力の発露を前にして、全裸のまま体の前で両手を組み、祈るように歌っていた。
「――弱き者も強き者も一様に 皆その愛を切に求める――」
クリスノが歌うのは、彼女の信仰する神を称えた『讃美歌』。
「――感謝すべしその愛に 穢れは全て祓われる――」
礼拝で歌われるその讃美歌は、クリスノの意識を更に研ぎ澄まし、一種のトランス状態に昇華させる。
「――流れる血の一滴までも愛に変え 穢れは全て祓われる――」
そうして自分の力を最大限に高め、クリスノは最後の一説を謳う。
「――尊きかな我が主の愛 ああ尊きかな我が主の愛――」
直後、クリスノの体は炎に飲まれる。
「ガアアアアアアアアアアアア!」
魔竜の竜言語魔術が直撃し、圧倒的な火力は一瞬でクリスノを灰にする……かと思われた。
「……『神聖二文字』」
天と地の二か所に、突然二つの文様が浮かび上がる。
一つは永劫、一つは進化を意味するその文字は、クリスノを守る様に竜言語魔術を吸い込んだ。
そして二文字の狭間に立つクリスノ自身にも、変化が生じていた。
「主の血によりて清められた遺物――『聖槍ロンギヌス』。七倍の復讐を与える刻印授かりし遺物――『呪鎧ベルカイン』」
一糸まとわぬ姿であった筈の少女の体には、重みと歴史が感じられるような古びた鎧が装備され、その手には穂先が輝き続ける一条の槍が取られる。
結界の力のほぼ全てを使い召喚した、神器にも劣らぬ力を持つ二つの武装。
それによって今のクリスノの容貌は、まるで中世時代の騎士のようであった。
「ここまで力を使ったからには、結界の瓦解にそれほど猶予はない。さあ、邪悪なる者よ……神の浄化を受け入れよ」
クリスノは意識の高揚しきったトランス状態のまま、魔竜に向かって突撃をしかけた。




